Ant-lion
「お台場に行ってみないか」
お互い行った事もなかったし、近かったので、そんな僕の提案はすぐ通った。
美術館を出て、品川から山手線で新橋はすぐ近くだった。新橋のSL広場を抜け、ゆりかもめに乗り換え、台場駅に向かった。
まるでロープウェーのようなゆりかもめの進行に、僕達は少しはしゃぎ気味だった。海が見えて、船が見えると、田舎者丸出しに喜んだ。
「綺麗な夕日だ」
ゆりかもめから、海の向こうに沈んでいく夕日が見えた。
台場駅で降りると、すぐ前にアクアシティがあった。その隣に、5メートルほどの、小さな自由の女神があった。
「写真撮ろうよ」
シオリは自分のトートバッグから、デジカメを取り出した。
何で女の子は、プリクラとか、こういう静止画の記録が好きなのだろう、と思う。きっと、女の子は忘れっぽいからなのだろう。だから思い出を形で残そうとする。男がそれをしないのは、きっと思い出から、すぐに覚めてしまうからだからだろう。。男は現実――生きることの苦痛が、女よりも多いことを、例外なく知っている。
僕はカメラを使ったことがない。家族がカメラを持っていないからだ。我が家は一度も家族旅行へ行ったことはなかったし、運動会にも親は参加しなかった。だからこれは僕の生まれて初めて撮る、学校の集合写真以外の写真かも知れなかった。
シオリは、細い腕をいっぱいに伸ばして、さっき買ったペアリングを光らせて、デジカメのシャッターを構えた。これでは自由の女神はバックにならないだろうけれど、まあいいか、と僕は思う。こうして写真に残すことで、思い出を作る作業なんて、僕が今まで路傍の石ころのように関心のなかったことも、今は少しずつ経験していこうと思うから。
「……」
不思議だ。生きるために意味を見出そうと、躍起になって動いていた時より、何も考えてない、こんなとりとめもないことばかりの今の方が、自分が安定している。
この頃になると、僕はシオリと自然に会話が出来るようになっていた。どんな流れではじめたのか、もう忘れたけれど、既に手もつないでいたし、歩きながら色々な話をした。
アクアシティを散策した後、フジテレビの前へやってきた頃には、もう空は暗くなっていた。イベントで、テレビで芸能人が作った創作料理を再現して売る屋台があった。小腹が空いていたので、僕達はそこで売っていた、マンゴープリンをモチーフにしたらしい、パパイヤプリンなるものだけを食べた。これならハズレがなさそうだと思って買ったのだが、とんでもなく不味かった。後で聞いたら、番組史上一番の不評スイーツだったのだそうだ。
その後、海浜公園をひと歩きして、パレットタウンでお台場名物の観覧車に乗った。30分も待ったのだが、お互いそろそろ普通に話せるようになったので、機関銃のように話し続けていたら、割とすぐに時間が過ぎた。
ようやく番が回ってきて、僕達は係員の促されるままに、オレンジのゴンドラに乗り込んだ。
どんどん上に上っていく――ちょっと前だったら、お互いガチガチになって何も話せなかったかもしれないけれど、今は密室でも、彼女はそれほど緊張した表情を見せなくなっていた。
ただ、それでも僕達には、自然な流れっていうのがあまりにも不足していて、隣に座ることが出来ず、向かい合って座ったんだけど。
半分も上ると、シオリは夜景に声を上げはじめた。僕も窓から外を見たが、海は真っ暗で、レインボーブリッジが見える以外は、真っ暗な海が広がっていて、何が何だかよくわからなかった。埼玉には海がない。僕は海水浴にも行ったことがない。一度浜辺の海に行ってみたい。海の水はどんな味がするんだろう。
「すごいすごい! わぁ~」
彼女は、これまで見たことがないほど表情を幼くして、無邪気にはしゃいでいた。普段学校のアイドルとして、どこか自分を繕いがちだった彼女が、初めて普通の17歳の少女に見えた。いや、それよりも幼い彼女を見たかもしれない。
僕はそれを、少し傍観者的な立ち位置で見ていた。
「あ……」
彼女が自分の姿を省みたのは、観覧車の頂上を少し過ぎたくらいだった。
「ごめん……はしたない――かな?」
今更恥ずかしそうにする。
「いや、はじめて君のそんな姿を見たからさ――その、新鮮というか、見惚れたというか」
可愛い、とか言えばいいのだろうか。だけど今度はそれが僕のキャラじゃない。だから、何かフォローするにも、その後の言葉が思いつかなかった・
「……ごめん」
「いや、謝るのは僕の方だ」
僕は彼女の目を覗き込む。そして、笑った。
「僕は君の事を、本当にうわべしか見ていなかったんだな。君も無理してたんだろ? 教師とか、周りから随分持ち上げられて、自分を抑える癖がついてるんだろ」
「……」
「その――僕の前では、そんなに無理するなよ。別にはしたなかったり、恥ずかしい事をしても、誰にも言わないしさ。それが本当の君なんだろ。だったらそれでいいと思う」
「……」
それだけ言う頃には、観覧車はもう、地上に戻りかけていた。僕は立ち上がり、降りる準備をすると、僕は立ち上がろうとする彼女に手を差し伸べた。
近くにゲームセンターがある。
ゲームセンターを練り歩く。緊張をほぐすために体を動かしたくて、エアホッケーをやろうと提案した。
結果は僕のストレート勝ちだった。中学時代、僕は野球で打率6割を誇った。動体視力なら自信がある。ワンポイントくらい取らせてあげてもよかったのだけど、わざと点を取られる演技がひどく稚拙になりそうだったので、それは諦めた。
シオリは少し膨れたが、仕方のないことだった。性に合わないことは出来ないタイプなんだ。思っても、理性が邪魔をする。人前で笑ってやったり、わざと花を持たせたり、そういうことが苦手なんだ。いつでも本気なのが、一番楽なんだ。いつでも一定に保てるから。
その後ゲームセンターで、フリースローだとか、レースゲームだとか、ジャンクのような遊びをはしごした。
上の階にあるボーリングを一ゲームやった。お互い話し過ぎて、ここらで閑話休題を望んだのだろう。友達も少ない僕は、ボーリングなんてするのも五年ぶりくらいだったが、ここでも182対65で、僕の圧勝だった。
「ほぼトリプルスコア……サクライくんって、何でも上手なんだね」
「その台詞、前も君から聞いた気がするよ」
その台詞を前に聞いた時、その後僕は激昂したっけ。
その後はビーナスフォートで少し買い物をした。お互いに服を選んだり、それを見立てたり、おもちゃ箱をひっくり返したような、色んな雑貨屋を回って、それを見ながら楽しんだりしていた。昼にクレープなどを食べ過ぎたので、夕食は少し時間を遅らせて、ラッシュアワーを避けた。ビーナスフォートの中にあったイタリアンレストランで、僕はボンゴレパスタを食べた。シオリはクラムチャウダー風のクリームパスタを食べた。半分食べて交換したが、どちらも美味だった。
最後、お互いの服を見立てたりしているうちに、もう時計は10時を回ろうとしていた。条例で高校生はもうゲームセンターにも、カラオケにも入れてもらえない。
そうしているうちに、いくらか買ったものがある。シオリの荷物も僕が持っていた。
手持ち無沙汰になって、僕達はビーナスフォートの噴水の近くにあったベンチに腰を下ろした。
僕は近くの自販機で、紙コップの温かいカフェオレとミルクティーを買ってきた。シオリがミルクティーを取ったので、僕はカフェオレに口をつけた。
「あー、運動不足だ。足が痛いな……」
シオリが自分のふくらはぎを軽く揉んだ。ミニスカートだから、彼女の細い足が艶かしい。彼女も女子の中では運動神経がいい方だけど、基本文化系だ。
僕はさほどではなかったが、いいリハビリだと思った。でも、さすがにちょっと歩き過ぎたのか、ベンチに深く座ると、反射的に大きな溜息が出た。
「ゆっくり休みなよ。まだ時間はあるから」
ここから池袋まで約40分。地元に帰る終電は、12時過ぎにもある。
ビーナスフォートの中は暖かく、噴水の音が心地よい。BGMとカップルの話し声が飽和して、こんな喧騒の中を、今までの僕は嫌っていたはずなのに。
「色々連れ回して、悪かったね」
「え? ううん、すごく楽しかったよ。ちょっとはしゃぎすぎただけだから」
「……」
ざまあない。初めての東京だっていうのに、特別なことは何も出来ない自分が。
こうやって立ち止まると、沈黙が襲ってくるから、二人とも意味もなく飲み物に口をつけた。まだまだ不器用な僕は、重い沈黙を恐れて、無理に意味のないことを言って沈黙を埋めようとする。
「終電までに帰ればいいんだから」
周りのカップルも、既に帰り支度をしている。入った時よりも、ずっと人数が減っていた。クリスマスも終わったことだし、ここで別れを宣告されたカップルもいるだろう。そう考えると、僕達は今日、何故一緒にいたのか、それさえも不思議なことに思えてくる。
愛情自体が、不毛なものであるのかもしれないんだ。愛情なんかにこだわらずに生きて行ければ、一人でいる時間は、実に容易いものだったかもしれないのに。
「・・・・・・」
意味もなく口から出た『終電』という言葉――
現実へ僕を引き戻す夜汽車の時間が迫っている。それを僕に意識――実感させる言葉だった。
僕は、思考が日常の状態に戻るのを感じながら、夢心地からゆっくり覚めるような感覚におそわれた。あの家に帰る現実を思い出して、彼女が側にいた、この時間が凍りつくような感じがした。
嫌な時間だった。現実はいつもリアルで、蟻地獄みたいだ。