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Museum

「今日は、僕が弁当作ってきたんだ。食べてくれるかな?」

「え!」

 シオリは目を丸くして、感嘆の声を上げた。

「――そんなに驚くことないだろ」

「あ、ごめん。サクライくんにそこまでしてもらって、いいのかなぁ、って思って」

 駅の近くの公園のベンチで、二人並んで座った。時間は1時を少し過ぎたくらい。

 僕は自分の鞄から、タッパーと、風呂敷状に包んだナプキンを取り出し、シオリに渡した。

 ナプキンの中は梅ゆかりや海苔、ふりかけなどで飾った小振りのおにぎり。タッパーには2つに分けて、小さなオムライスとグラタン、肉じゃが、きんぴらごぼう、豚肉にアスパラを巻いて焼いたものに果物が入っている。

「弁当箱がなかったから、タッパーで色気ないけど」

「これ、サクライくんが全部自分で作ったの?」

「冷凍じゃないよ。おにぎりもラップ越しに握ったから、安心して」

「さすがに魚はないね」

 シオリが茶化す。そんなジョークを言う子だとは思わなかった。

「魚から離れてくれ」

 相変わらずありきたりなツッコミしかできない僕だけど、彼女が喜んでくれれば、作りがいが合ったというものだ。昨日、弁当を作ろうと、雪合戦で騒いだ後に、スーパーに寄って、下ごしらえだけして朝に仕上げた。

「嫌いな食べ物ある?」

 彼女が定番の質問をした。

「ないな。僕は何でも食べられて、どこでも眠れるくらいしか取り得がない」

「サクライくんがそんなこと言っても、謙遜にもならないね――じゃあ、いただきます」

 僕はシオリに割り箸を渡す。肉じゃがの小ぶりのジャガイモを箸でつまんで、シオリは口に放り込んだ。何度か口を動かした。

「どう?」

「美味しいよ、とっても」

 シオリは口元を手で押さえて、微笑んでくれた。

「・・・・・・」

 僕は、微笑む彼女の顔を見て、少し考え込んでしまった。

「どうしたの?」

 飲み込んでからシオリが、不審そうに訊いた。

「いや、美味しい、って言葉を久しぶりに聞いた気がして」

「カレーの時も、みんな言ってたじゃない。サクライくんのカレー、美味しいって」

「いや、カレーなんか、不味く作る方が難しいからな」

 僕は、飯を、不味い、と言う人間なら知っているが、美味い、と言う人間は、お目にかかったことがなかった。小さい頃、親父が母親の作った料理を、不味い、と行って、そのままゴミ箱に捨てるのを眺めていた。そうなると、僕ももうご飯を食べられなかった。

 不味い、と言って、食べ物を家族の目の前でゴミ箱にぶち込む人間もいれば、美味しい、と言って、笑顔をこぼしてくれる人もいる。

 こんな世界もあるんだ。そこには僕の知らない、心がある。

 僕は一体、何を求めて生きてきたのか。きっと、こういうものを求めていたのだろうけど、こういう気持ちを、今の今まで知らなかったのだ。

 この気持ちは何だろう。理由なんてない。だけど、彼女に対して、嬉しさがこみ上げるのは。

 


 弁当を食べ終え、僕達は近くの美術館に来ている。

 何年か振りに、ルネッサンス時期の名画や彫刻が、東京の美術館に来ている、ということで、それを覗いてみることにしたのだった。最近の大掛かりな美術展は、新聞社なんかが共催で行っているものも多くて、割と安価に入場できる。クリスマス期間ということで、結構話題になった美術展らしかった。

 安価な上に、有名な絵画も多いときて、美術館は静かではあるが、かなり混んでいた。

 エル=グレコ、ラファエロ、デューラーなど、世界史で習う名画達も数多く出展している。

 誰かに、ダ=ヴィンチに似ている、と言われたことがあったな。一年生の時、夏休みの絵画や書道で表彰が続いたから。

 そういうことを言う奴は、ダ=ヴィンチの本当の天才振りを知らないのだろう。僕は天才どころか、世の中の真理も知らない道化に過ぎないと言うのに。

「あ! あれ!」

 シオリが僕の袖を引っ張る。僕は釣られて歩き出す。

 既にシオリの目当ての絵は、多くの人だかりが出来ていた。

 そこには、天使が女性に布をかけ、もう一人の天使が花を撒く――ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』が展示されていた。

「これ、資料で見たことあるわ。何か、色使いが可愛くて、私、好きだな」

「……」

 男が一緒なら、ボッティチェリがこの絵を描くためのモデルになった女性の名前が「シモネッタ」だ、とかいう、下品なうんちくが使えるが、僕は黙っていた。いくら何でも、相手が相手だ。笑うポイントも理解されないかもしれないし。

 この絵は今回の美術展の目玉だったらしい。さすがにガードマンも付いて、厳重に警備されていた。確かに有名だからね。

「サクライくんは、好きな芸術家とかいるの?」

 美術館を歩きながら、シオリが僕に聞いた。それは別に深い意味はなく、互いの芸術論をぶつけようとかいうものではないのだろう。お互い、偏差値を上げるための勉強で培った程度の知識しかないのだから。

「僕は、ミケランジェロかな」

「ミケランジェロ? 『最後の審判』とかの?」

「うん、それ」

 歩を進める。奥は、ルネサンス時代の建築でも、ステンドグラスを展示していた。

 ステンドグラスの展示される、光の差し込む道を歩きながら話す。黒い床に光が反射し、僕達のブーツも、足音が、コツコツと響いた。

「ミケランジェロは、、天井画や壁画が有名だけど、その時に天井から落ちてくる絵の具に目をやられて、晩年はほとんど眼が見えなかったらしいんだ」

「……」

「既に天才だって評価されてたのに、歳を取って、そこまでして絵を書き上げた時、ミケランジェロは何を思ったんだろうって、思うんだ」

 彼女は立ち止まる。僕も歩を止め、彼女の方を振り向く。

 黙っている。きっと、学校じゃ教えてくれないような知識を持っていたことで、彼女よりもはるかに僕が芸術にうるさい人に見えたのだろう。実際そんなことはないのだけれど。

「はは……女の子にはわからないかな? 男のロマンってやつかも」

「ううん」

 シオリは首を振る。

「――何か、わかる気がする。サクライくんって、そういうストイックさを求めてる感じ、するから。今の場所じゃない、遠くへ行きたいって顔を、よくしてる」

「……」

 僕は目の前のステンドグラスを見つめて、言う。

「それに――ミケランジェロは、バチカンにある聖ピエトロ大聖堂の設計に、3人目の責任者として指名されたんだけど、ルネサンス時代の芸術品は、貴族の庇護にあったから、大きくて派手なものが好まれる風潮があって、聖ピエトロ大聖堂も、ミケランジェロの前任者は、当時のローマ教皇の力を示すために、かなり大きな設計をしたらしいんだ。だけどミケランジェロは周りに反対されても、そうした方が美しい、という個人的な理由で、以前の設計を縮小したらしい」

「……」

「多分ミケランジェロは、本当に美しいものが何なのかわかっていたんだろう。ルネサンスは、貴族に依頼されて、その貴族の流星振りを現すために、絢爛豪華なものが求められたけれど、それでもミケランジェロは自分の美を貫き通したんだ。それはすごいことだと思うんだ」

「……」

 僕は、喋りながら、自分の言葉で胸を刺していた。

 ――あぁ、僕は、わかっていたんじゃないか。

 いつの間にか、僕はただ、より大きな力を求め過ぎる愚物に成り下がっていた。この小さな体で、大きな相手に力押しの一点張りで、地に足が着いていなかった。

 体の作りもまったく違うユータと張り合って、それに負けてユータを恨んだり。体のでかい親父に力で踏み潰されて、それよりもでかい力でそれを跳ね返すことばかりを求めていた。

 いつの間にか、僕は『力』の意味さえ見失ったんだ。自分の手に余る力かどうかさえ判断できずに、ただ、盲目的に力を求めて、その姿が愚であることにも気がつかなかった。

 それでは駄目だ。僕がでかい奴とまともに戦っても、勝ち目はない。僕は、僕なりの強さを見つけていかなくてはいけなかったのに。

「……」

 ――どうして、僕はこんなことに気付けなかったんだろう。僕は、どこで道を間違えたんだろう。

 悔しくて、拳を握り締めていた。

 ――だけど、しこりのように硬くなったその拳は、小さく、暖かいものに包まれて。

 見ると、シオリが恥ずかしそうに、僕の握る拳に手を添えていてくれた。顔を真っ赤にして、僕から眼を背けて。

「……」

 シオリは答えない。

「何で、何でわかっているのに、僕はそこへ行けなかったのかな」

 僕は誰に言うでもなく、呟く。

 でも――力に取り付かれた僕に、今みたいに救いの手を差し伸べてくれたのは、君なんだ。そして、この美術館に君と来て、僕はここでそれをはっきりと知ることができた。

 彼女の差し伸べてくれた手を、もう絶対に離したくなかった。

 そう思ったから、僕は握り拳をゆっくりと解いて、シオリの、紅葉のように小さな白い手を取った。

 彼女は恐る恐る顔を上げた。

「さぁ、次に行こうか」

 安心させようと、一瞬笑って見せたけど、すぐに自分の言った言葉の恥ずかしさに耐え切れなくなった。

 僕は彼女の手を引き、歩き出す。

 光に包まれた、その道を――


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