Aquarium
最初に目に付いたのは、原宿名物らしいクレープ屋だった。シオリが食べたそうな顔をしていたので、苺と生クリームとチョコのトッピングのものを買ってあげた。僕はバナナチョコを買って食べた。生クリームとバナナがずっしり重い。
人ごみを掻き分けて、歩きながらクレープを食べ続けた。
しかし僕は、普段甘いものを食べないせいか、クレープを半分くらい食べたあたりで、少し気分が悪くなってしまった。シオリは食べるのは遅いが、美味しそうにクレープに口を運んでいる。
「結構食べるんだな」
僕は半ば、クレープを美味そうに食べることに感心してした。
「甘いものは別腹なの。でも太っちゃう」
「……」
そうは言っても、シオリは十分に細い。きっと代謝が高い体質なんだろう。意外とこういう娘が大食いだったりするんだ。
「僕も小学校の時は太ってたよ」
「本当?」
「ああ、典型的ないじめられっ子」
「……」
僕は自嘲すると、アクセサリーや小物を売っている店を見つけた。
ここに入ってみようよ、と僕が提案して、中に入った。シオリは僕の最後のフレーズを気にしてか、思い出話を聞きたがっていたようだったが、しばらくして背中越しに、うん、という返事が聞こえた。
カウンターのガラスケースの中に、指輪や、チョーカーや、ピアスがたくさん入っている。ガラスケースの上には、ピアッサーを売っている。校則ではノータッチだが、生憎、僕もシオリも穴を開けていない。ユータは安全ピンを、消毒代わりに火であぶってから穴を開けたらしいが。
「これなんか、結構学生さんに人気ですが……これシルバーですけど、値段もお安くなってますし」
店員はカウンターのシルバーアクセサリーをしきりに勧めてくる。
お互いチョーカーをしていたので、お互い興味は指輪に移った。
「指のサイズ、何号かわかる?」
僕はシオリに訊いた。
「8号だったかな」
それを訊いて、僕は店員に声をかけた。ガラスケースの上から、指輪を指定する。
「これの8号、下さい」
細身の指輪は二重になっていて、二重の輪の先がねじれて、その上に銀板の星が乗っている。
「これ、取っといてくれよ」
そう言って、箱をシオリに渡した。店員の目には、さぞウブなカップルの姿に見えたことだろう。
しかしシオリは、その箱を受け取ると、すぐに店員の前に出して、こう言った。
「あの、同じ値段で、ペアリングがあれば、それにしたいんですけど」
薄暗い空間の中、プールの青い光が反射して、外にゆらゆらした虚像を作り出している。
あれから僕達は品川に行き、水族館を回っている。まだ左手の薬指にはめる手続きのないペアリングを、お互いに右手で遠慮がちに光らせて。
「あ、マンボウだって。目が可愛いね」
「マンボウって灰色っぽいんだな。僕が小さい時見たアニメでは、マンボウは黄色だった気がする」
「うーん、私の記憶では、マンボウは水色で、お腹が白かったよ」
「マンボウって、一度に3億も卵を産む動物なんだよな」
「たくさん卵産むのに、どうして普通のお寿司とかでないんだろうね……」
「寄生虫をいっぱい飼っていて、消化器が未成熟ですぐ腐るからだよ。海がない埼玉じゃまず食えないな」
僕達は、本当にくだらない話をした。大したオチもない、幼稚な話を繰り返しては、笑い合った。シーラカンスとピラニアで勝負したら、どっちが勝つか、とか、イカスミスパゲティはあるけど、タコスミスパゲティも実在する、とか、、そんなくだらないことを話し合った。お互い真面目な性格だから、そういうお題が出ると、真剣に考えてしまうのが、何だか可笑しかった。
「問題、鮫が海の生き物で唯一、恐れて食べない生き物とは、何でしょう?」
「え? うーん……」
「5、4、3、2、1……」
「鯨!」
「ハズレ……あ、でもある意味正解かな」
「うーん……それで、答えは?」
「答えは亀」
「亀? 何で?」
「一度腹の中に入ると、亀は甲羅から身を出して、腹の中を食い破っちゃうんだ」
「へえぇ、勉強になったなぁ。サクライくんって、すごく物知りなんだね」
「……」
本当にくだらない話をした。ユーモアのかけらもない、僕の引き出しを総動員して。
その後ショーステージで、イルカのショーを見た。欲張って前の席に座りすぎて、イルカのジャンプの度に、二人とも冷たい水を被って、その様を見て、お互い笑い合った。
そのショーの後、ステージに少し残っていると、入れ違いに女性の飼育員が出てきた。
「はーい、良い子のみんな、元気かなぁー」
子供向けテレビの、歌のお姉さん風に微笑んでいる、ツナギを着た若い女の子の司会で始まった。
「さあ、現在我が水族館は、お魚のことをもっと知ろうキャンペーン実施中につき、現在さまざまなイベントを行っています。現在のイベントは、魚の漢字書き取りチャンピオン決定戦でーす!」
イルカショーの後なので、しゃばしゃばと、お茶漬けを食べる音のような拍手が起こった。席を立つ人もいる。
「ありがちなイベントだな」
僕は自分の腿に肘をつけて、頬杖をついていた。
「でも、結構難しいよ? 私、あんまり自信ない」
「魚ヘンがついてるのを、手当たり次第書けばいいんだから」
客席の100人ほどの観客は、結構盛り上がっていた。魚ヘンの漢字は沢山あるから、やってみれば結構無難に面白いはずだと思う。静かな拍手が、ばしゃばしゃと起こった。
「ただいま参加者を募集していますーどなたかいませんかー?」
すると、僕の手が上がった。
「え?」
よく見ると、僕の肘の下、上腕二等筋を、隣にいたシオリが掴んでいるじゃないか。
「はいそこの包帯を巻いた、素敵なお兄さん、ステージへどうぞ!」
司会のお姉さんが手招きしている。僕はシオリに押されて、ステージに向かう。背中越しの彼女は、恐らくニコニコ顔だろうけれど、このやろう、とかアドリブが取れない自分に腹が立つ。
出場したのは、僕以外には、どれも冴えない顔をしたカップルの男とか、子連れの中年とかだった。テレビに問題の感じが出て、フリップに答えを書いて、最後まで残ったら優勝というものだったが、当然僕よりも漢字を知っている奴はここにはいない。
「おめでとうございます! 優勝は、この方です!」
まるでKO勝利後のボクサーみたいに、司会のお姉さんに右手を掲げられる。頼むからやめてくれ。100人くらいしかいない客席は、しらけきっているじゃないか。
救いを求めたかったのか、シオリの方を向くと、満面の笑顔で拍手を送っている。彼女の視線が自分に注がれていることを感じる。妙に気恥ずかしい気持ちになった。
「優勝商品は、等身大オーシャン君人形と、帽子、そして、オーシャン君まんじゅうでーす!」
僕は水族館マスコットらしい、白と青と黄色の鱗の、つぶらな目の変な魚のぬいぐるみの綿帽子を被せられ、袋に入った、寒ブリ大の大きな人形を持って、シオリの元へ帰った。観客はぞろぞろと客席を立って出て行く。
「サクライくん。その帽子、すごく可愛い」
水族館の順路を回りながら、彼女は、全身タイツを着たお笑い芸人を見るような顔で笑っていた。
「進む道を間違えたアイドルみたい」
「――喜んで頂けまして、光栄の至りだよ」
僕はしかめっ面をしてやった。
「昔こんな帽子を被った、魚にすごく詳しい人がいた気がするよ」
シオリはそう言った僕を見て、本当に可笑しそうに笑っていた。
何だか僕も笑いたくなってしまった。自嘲であることは間違いなかったけれど、こんなくだらないことが、今までの僕にはまったく縁がなくて。それが何となく可笑しかったのかもしれない。
「どうでもいいけど、これ……かさばるなぁもう」
等身大オーシャン君人形は綿製だから、あまり重くはなかったが、これを持ちながら、一日歩くとは。この可愛らしい顔も、でかい図体のせいで、忌々しささえ感じた。
それでもステージを出るとき、係の人に呼び止められた。
「優勝商品の副賞として、粗品です」
と言われ、渡されたのは、この水族館の無料入場券2枚だった。
「むしろこっちの方が、メインでいいよね」
シオリは僕の持つ人形の影からそれを覗き込み、いたずらに笑った。
「……」
ここでも違和感。
彼女が、こうして僕をからかうなんて、されたことも、その予測もしていなかったから。
思ったより、明るい娘なんだ。学校では、才媛扱いされて、なかなかそんな本当の自分を出せないだけ。
彼女も歳相応の、普通の女の子なのだと、僕は知る。
「――また、一緒に来る?」
「え?」
「全国大会が終わったら、部活も引退だし、暇になったら、また……」
まったくスマートな誘い方じゃない。まるで暇潰しの相手みたいな言い方。
彼女に伝えたいのは、こんなことじゃなくて……
だけどシオリは、可笑しそうに笑って言った。
「その帽子被って、真剣な顔されても……」




