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Dull

 僕とジュンイチは並んで、ユータの自転車が見えなくなるのを見送った。ジュンイチはご丁寧に手まで振っている。

「……」

やがて見えなくなると、僕はふっと力が抜けた。

 恐らく僕と彼女が会うことは、もう、ないだろう。

だから僕自身、進んで挨拶はしなかった。彼女が僕の名前を知らなかったら、名前すら名乗らなかったかもしれない。

「いやぁ、女顔って言われたからって、ユータにナンパされたって……ツボだったぞ」

 ジュンイチは手を一通り振り終わると、本当に面白そうな顔で僕の顔を覗き込んだ。

「いや、でも入学当時はよく女と間違えられたんだ」

 何故これだけ女性に間違われるか、それはひとえに僕の格好のせいである。

 この学校はとても自由な校風で、制服はなく生徒は私服で通っている。制服でスカートをはいているのであれば見分けもつこうが、私服では僕の場合、男か女かを判断するのは難しいようだ。今でも僕は白い長袖のインナーに薄手の黒いジャケットを羽織り、ジーンズという格好だ。髪は耳が隠れ、前髪も目にかかるくらい長い。襟足はジャケットの袖に触れているし、女の子でもこれくらいの髪の長さをしている子はいる。

「どれくらい持つと思う?」

 ジュンイチはニヤニヤしながら聞いた。既にジュンイチももう彼女と会うことはないと踏んでいるのだろうか。

「一週間」

僕はユータ達が去った先を見つめたまま答えた。

「えぇ? あの子結構感じいいし、顔も……」

「お前が気になっていたのは、胸だろ」

「――うん、まぁ……な」

ジュンイチは頭をかいた。

「でも、だからこそ3ヶ月は持つだろ。ユータとしては久々に」

「――あいつはあれでモラリストだからな」

「どういう意味だ?」

「彼女と握手したなら、その手の匂いを嗅いでみろ」

 僕が言うとジュンイチは怪訝そうな顔で、頬袋に向日葵の種でもつめるハムスターみたいに、口元を手で覆うようにして匂いを嗅いだ。大柄な男のその仕草は何処かユーモラスだ。

「――なるほどね」

ジュンイチは呆れ顔で首を横に振った。

「でも何でわかった?」

「彼女の歯の色さ」

「初対面で近くで見てないのに、よくそこまで見えるな! シャーロックホームズかお前」

「初歩的なことだよ。お前は見るだけで観察をしなさ過ぎるんだよ」

 僕はホームズの名言のひとつをそらんじてやったが、何のことはない。僕は女性の煙草は嫌いだし、何より僕の嫌いな奴も、彼女よりもっとひどいが、同系統の歯と歯茎の色をしている。

「まあどうせ早く終わるなら、早い方がいいがな」

 ジュンイチが遠い目をして、二人が去った道を見ていた。もうこいつにも、二人の恋がすぐに終わってしまうことがわかっている。

 その根拠はユータが女好きのプレイボーイだとか、過去の実績とか、そういう根拠ではないこともわかっている。

 ユータは悪く言えば能天気だが、よく言えば大空を舞う鳥のような性分で、羽を休める安らぎをどこかで強烈に求めながらも、ひとところにとどまることの出来ない男だ。

 それはきっと本人もわかっているだろう。だけど奴は、女性と付き合うことをやめようとはしない。わかっていながらも、女性を側に置きたがるのだ。

 だからさっきの彼女は、そんな側に置いておくことの出来ないユータを追いかけ続けて、でも届かなくて、やがてそれを悟った時に、二人はすれ違うだろう。僕達はそうして泣いている女の子を沢山見てきた。

 あの場で彼女のことを止めてやることも出来た。しかも僕は、ユータが嫌う煙草を彼女が吸っていたのを知っていた。止めるべきだったこと、僕は見抜けていた。

 でも、それをしなかったのは……

 僕自身が、彼女のことを可哀想だとか思っていなかったからだ。

 僕が名を名乗る気はなかった。よろしく、とも言わなかった理由――彼女にもう僕が会うことはないことも、僕はわかっていたんだ。だから僕は、彼女に記憶されない程度で、友人の彼女として、二人を軽く立ててやれればそれでよかった。

 そう、むげに二人を今裂くよりも、ひと時だけでも彼女に幸せな思いをさせてやる。それが僕に出来る精一杯の優しさだ。

 その優しさが正しいか間違いかなんて、考えるだけ無駄だ。だってもう僕は、彼女と会うことはないんだから。僕がそれで納得できていればいい。あとは当事者が決めればいい。世の中の多くのことは、当事者以外の人間ではどうしようもないことなんだ。

「じゃあ、いつやると思う?」

 ジュンイチは一転、面白い玩具でも見つけたような顔をして、僕の方を見た。

「――お前、そういうの好きだな」

ひとつ溜息をつく。

「いつだっていいじゃないか」

「まあまあ。高校生として、分相応なトコの会話だろ」

「……」

 分相応って、当事者が決めることなんだろうか。第三者が見てはじめて決めるようなことだと思うけれど。とはいっても、別に僕にそこまでして拒絶する理由はなかった。むしろ普段、高校生としての『分相応』な会話をしていないのは僕の方だった。こいつはきっと僕とそういう会話をしたいんだろう、と思った。こいつにはそういう、いわば歳相応のところがある。

 もう答えは出ていたが、僕もちょっと考えてやるフリをしてやった。そして言った。

「今夜だろうな」

「いや、今日はないな。まさか早すぎるだろう。賭けるか? 500円で」

 僕は少し笑ってやる。

「こういう賭けでは僕の43連勝中だってのに、お前も懲りないな」

 僕は既に飛ぶ鳥の献立を考える所作に取り掛かった。



 電車登校のジュンイチと別れて、家路に自転車を走らせながら、僕はユータとさっきの彼女のことを考えていた。

 今日の試合を見て、さっきのユータの彼女も惚れ直したことだろう。今日はさぞ彼女も機嫌がいいだろうから、今日勝負のはずだ。ああいうタイプはきっとそういうことに関して開放的だろう。今頃ユータはどこぞのラブホテルで、ヤッホー、とか声をあげて、あの子のでかい胸にダイブしているかもしれない。

 だけど僕は、すぐにその興味からは離れた。僕はそういう想像力は豊かだと思う。ユータの百戦錬磨の性器が、さっきの彼女をヒイヒイ言わせる姿を想像すると、あまりにリアルに構成できて、軽い罪悪感を覚える。

僕はどうも、そういう体裁を大事にしたがるタイプのようだ。それが友であるユータにとって失礼なことなのか、卑しくも女性である彼女にとって失礼なことなのか、そういうことは分からないけれど。

 でも、彼女に対して、酷いとか可哀想だとかいう感情は抱かなかった。

 きっと彼女だって、ユータと別れた後にまた新しい彼氏を作る。そういう味気ない恋を繰り返すんだ。相手が唯一無二の存在になり得ないこと、そんなこと、ユータだって知っている。

 それでも恋人を見つけるのは、きっと退屈しのぎだろう。ユータにとって女は退屈しのぎで、体のつながりは気晴らしなんだ。つまり彼女はゲーム。

 最近、この無機質な時代に、やたら、ゲーム、という言葉を耳にするが、その意味は、英語のgame――獲物、という意味に近いかもしれない。ゲームと名のつく全てのものに、獲物という完結がある。恋愛とは、相手という獲物――『ゲーム』を手にすること。援助交際の場合の『ゲーム』はヴィトンのバッグ。受験の場合の『ゲーム』は肩書きといった具合に、全てに目指すべき獲物がいる。ユータは、彼女を抱くという『ゲーム』に向けて、tactics――戦略を練っている。

 全ての遊び――ゲームとは、いわばtacticsなんだ。戦略を練って、獲物がそこに落ちるのも見て楽しみ快感を得る。単純で懐古的な遊び。

 だから、ユータが彼女を獲物として自分のものにしてしまうのは、猟師が罠を仕掛けて鹿を捕らえ、その肉をもらうのと同じ。そう考えれば恋愛は、単なる戦略ゲーム。

 はじめから愛情なんてどうでもいいのかもしれない。単に自分の戦略を巡らす対象、情熱を向けられる対象が、そこにしかないってだけなんじゃないだろうか。

 人工授精が一般化すれば、ますますその行為はレジャー感覚になるだろう。そもそも子を宿すために行う営みだが、その意味が薄れるからだ。残りは快楽目当てでしかない。近未来、人間は自力では、子供を産めない体に退化したりして。

 そんな無益なことを考えていた。

 町並みが瓦屋根の商店街へと変わる。家までもう少し。


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