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「ありがとう」

 僕の声が沈黙を破る。彼女は、僕の目を覗き込む。

「君のおかげで、暗闇の中から、少し這い上がることができた。側にあった、大切なもの、僕が守りたいものに、君が気付かせてくれたんだ」

「……うん」

 シオリは優しく微笑んで、一度小さく頷いた。

「……」

 僕は立ち上がり、彼女に背を向ける。

「君ともう一度話せて――その――良かったよ。あの、まだ何がよかったのか、上手く言えないけれど……君がいなければ、僕は、今もひとりぼっちで……」

「……」

 沈黙。

 あまりに感情が溢れ過ぎて、僕は声が出ない。

 こんな気持ち、初めてだ。

 何か言いたい。何も言えない。苦しくて、でもそれが満たされたような気持ちでもある。

「あぁあ――何でだ?」

 僕は雪のかかった頭に手をやり、その流れを一度切ろうとする。

「君に、何かお礼とか、伝えたいことが沢山あるのに……まだ、その方法がわからなくて。言葉がこんなに出てこないなんて……」

 もどかしい。伝えたいのは、こんなことじゃなくて……礼とか、償いとかじゃなくて。

「はは、でも僕達って、変だよな。合宿を手伝ってもらって、その礼に、僕は君達にカレーをご馳走して、その礼に、今日は君達の演奏を僕がもらって、またすぐに僕は君に、何か礼がしたいとか思ってる。きりがないっての……」

 このままじゃ、気持ちが重過ぎて、引かれるのが嫌で、無理に笑った。

 気持ちが重過ぎて、らしくない。元々こういう気持ちになるのが嫌で、心を殺していたから、こういう時の感情の対処法を知らない。

 ――話せば話すほど、ドツボで……この先彼女が言う言葉は、死刑宣告を待つように恐い。

 それでも、その恐怖よりも、その先にある未来を見たい、という気持ちが勝っていた。

「――いいじゃない。それでも」

 後ろから、彼女の優しい声がした。

「私も、あなたに伝えたいことがいっぱいあるの。でも、今のままじゃ、それを伝えきれない……無理に伝えようとすると、何かが壊れてしまいそうで」

 背中越しに聞く彼女の声は、さっきまでのおどおどした感じが消えていた。

 彼女の顔が見たくて、僕は振り向く。

「だから今は、こうしてあなたと、同じ場所で、同じ時を過ごせる――それだけで十分」

 そう言うと、シオリは立ち上がって、右手を広げて、胸の前で雪を受け止めている。

「雪、綺麗でしょう」

「……」

 彼女は右手を下ろして、僕に微笑む。

「お互い口下手だし、あなたとこうして、何かを見て、同じ時間を共有して、何か伝えたいと努力する……その繰り返しで、少しでも、分かり合えたら、とっても嬉しい――」

「……」

「はじめから上手くやる必要はないわ。こうして雪を見たり、そんな時間を積み重ねて、ほんの僅かでも、隣にいるあなたと私の想いが重なっているって実感できる一瞬があれば、それでいいわ」

「……」

 彼女は一度空を見上げて――それから、僕に向き合った。

「雪が溶けたら、春が来るから……春になったら、こうして二人で、桜を見に行かない? あなたの名前の、桜の花を……」

「……」

 桜――

 あの忌まわしい家庭の象徴である、僕の名前……名前を嫌うあまり、その美しさから眼を背け続けた花。

 だけど、彼女の言葉は、そんな忌まわしい思いを波のようにさらっていき――僕の心を桜舞う春の陽気へと誘っていった。

 嫌いな花でも、好きになれそうな……嫌っていた花を見る勇気をもらえそうな気がしたんだ。

「――そうだね。君と、一緒に……」

 僕の声は、もうすべての感覚が消えて、勝手に喉から押し出されていた。

 そして、僕は彼女に歩み寄り、細い肩に手を伸ばして。

 気がつくと、彼女の体を、強く抱きしめていた。

 もう言葉が邪魔で――伝える方法は、それしかなかった。

 死んだ心が生き返って、心を感情が満たして、溢れてきて、どうしようもなかった。

 今、僕と彼女の心は、この同じく浮かんで、確かに同じものを共有している。その確信が、僕と彼女との距離を近づけさせた。

 彼女の心臓の鼓動を確かめたかった。彼女が今、どんな気持ちなのか、こうして確かめたいと、僕の中の熱い固まりが、そう思わせた。

 この感情の名前を僕は知らないけれど……

「――明日、どこかへ行かないか?」

 呆然と立ち尽くすままの彼女に、声をかける。

「……」

「桜はないと思うけど、何かを見に行かないか。二人で……」

「――うん」

 僕の胸の中、くぐもった彼女の声。

 僕は腕を回したまま、体を離す。

 僕の顔を見上げる彼女の顔。

 そこには、顔を真っ赤にして、それでも僕に微笑を返す彼女がいて。

 僕の肩から先に、変な力がかかって。

 両手で、彼女の肩に手を置いて……

 あの恥ずかしがり屋のシオリも、もう頭がトランスしているのかもしれない。

 そっと、目を閉じた。

 僕の顔が、まるで引き寄せる磁石のように、シオリに近づく――

 ――はっと脳裏を、何かが掠める。僕の動きが止まる。

 僕は彼女の後ろ――背中越し、グラウンドの外に見える校門の方を見る。

 僕が動きを止めて、シオリも3秒後に目を開けた。

 僕は腕を解く。

「どうしたの?」

 彼女は聞いた。

「見られてる」

「えっ?」

「あの校門の裏に、何人か隠れてる。多分、ユータ達もいるな」

「えっ! えっ! な、ちょっと、うぅ……」

 彼女は一瞬で顔を赤くする。確かに、僕達の今までの馬鹿なやり取りを、声は聞こえないにしても、全部見られていたんだ。奥手な彼女がこうなるのは当然だ。

 だけど、僕達はちょっとどうかしていた。一体何なんだ。あの抗いようもないような力は。僕も、あの奥手の彼女でさえ、その空気に飲まれて、とんでもないことを……

「この野郎。ちょっと脅かしてやるか……」

 僕の集中力が高まる。そこには、彼女への照れ隠しも含まれていたけれど。

「何をする気なの?」

 シオリが聞いた。

 手近に一つ、さっきまで蹴っていたサッカーボールがあった。

 僕はボールをセットする。ピッチは雪だから、狙いのイメージを入念に練る。

 軽く助走して、40メートルほど距離の離れた校門の壁へ向かって、自慢のフリーキックを蹴った。

 ボールはグラウンドの鉄柵を越え、そこからカーブして落ちた。レンガで出来た校門の上を越えたあたりで急降下し、ボールは校門の影に消えた。

 うわっ、という声がいくつかして、影からユータ、ジュンイチ、サッカー部のチームメイト、そして何人かの吹奏楽部の女の子達が、倒れ込むように飛び出してきた。

「スナイパーかお前は!」

ジュンイチが叫んだ。

「僕をからかうと、高くつくのは知ってるだろう」

「いい感じだったのに、邪魔したな」

 ユータが皮肉に笑った。

「シオリさんの唇も、狙撃するところだったみたいだったがな」

「……」

 見られてた。もっと早く気付けばよかった。

 この醜態は、これから2ヶ月は、僕達3人の酒の肴になるだろう。その度に僕は、上手い弁解を考えなくてはならないし、正月明けの学校に行きたくなくなるくらいの汚点だった。

 ――と思ったけれど、その考えはすぐに消えた。

 気付かなかったおかげで、この機会に、彼女に出来る限りのことは言えたから。

 それでも、彼女は吹奏楽部の女の子に合わせる顔がない、と、顔を赤くして、マフラーで顔を隠していたけれど。

 僕の隣で、シオリが少し笑っていた。

 僕達3人のやり取りを見て、少し安心したように。

 隠れていた連中は、僕達の方へ駆け寄ってきた。

 その時、僕の腕に、ばさっという音と、軽い衝撃が伝わった。

 何だ? と思って見てみると、ジュンイチが右手に雪玉を持っていた。

「コノヤロー! ダチにボール蹴りつけやがって! お返しだ!」

 ジュンイチはまた雪玉を投げるけど、僕はそれを避ける。

 だけど、避けたところを狙って、別に雪玉が飛んできて、僕の腰に当たる。

 それを投げたのはユータだった。ユータは歯を剥き出しにして、いたずらに笑う。

「上等だ! 誰に喧嘩売ってるんだお前等!」

 僕も手近の雪を拾って固め、雪玉をユータに投げ返す。

 それに釣られて、サッカー部のチームメイトも、吹奏楽部の子達も、各々に雪玉を作って……

 僕達はグラウンドで、チームも作らずに、雪合戦を始めていた。

 リュートもつられてグラウンドを逃げ回り、僕も笑いながら、シオリやジュンイチに雪玉を投げつけていて……

 シオリも、ユータも、ジュンイチも、僕に向かって雪玉を投げてきた。

 可笑しかった。そして、この学校に残ってよかった、と思った。

 こうしてくだらないことでも、こいつらとだったらこんなに笑えるのか、って、思った。

 僕達は、そうして長い間、狂ったように雪合戦を続けた。

 まるで、今まで抑えていた、楽しもうとする気持ちを爆発させるように。そして、彼女に対しての、照れを隠すように。

 こんな日々を繰り返して、ひとつずつ、失ったものを取り戻せればいい。

 明日もこうして、彼女と笑えたらいいな、と、僕は強く思った。


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