Reason
「……」
少し黙っているうちに、女の子独特のテンションで、もう断ることはできない雰囲気になっていた。ご丁寧に、既にチューニングまで完了しているギターを強引に持たされると、他の娘が譜面台、脚台まで用意してくれた。
「……」
もう逃げ場はない。観念して僕もギターを構えた。
「リクエストは?」
僕はギターを軽く鳴らして、チューニングを確かめながら、誰に聞くでもなく言った。
「サクライくんの好きな曲で」
「好きな曲?」
「私達、サクライくんが今、何を考えているか、何が好きなのか、知りたいもん」
「知りたい?」
僕は首を傾げる。
僕が何を考えているか――か。
それを今、一番伝えたい人は――
「聞くまでもないが……これ、歌も歌うんだよな?」
僕がそう聞くと、あたぼうよ、とでも言いたそうな顔で、皆が揃って頷いた。
「はぁ、歌は得意じゃないんだけど……」
僕はふぅ、と溜息をつく。そして、ギターをかき鳴らす――
歌もギターも拙かったが、次第に歌うことに迷いがなくなり、僕は更に続けた。
もはやヤケクソだった。まだ、僕は彼女への思いを、恋だの愛だの言えないから、想いの暴走を、調子外れな歌でごまかしていた。
最後のフレーズを鳴らし終えて、目を開けると、吹奏楽部の部員の顔が、とても真剣だった。
ギターを膝の上に置きながら、僕は拍手の嵐の中、ただ唖然としていた。自分の歌なんかで感動してくれるなんて、思ってもみなかった。
そうだ、彼女は――
シオリの方を見ると、僕と目が合った。彼女は顔を上気させて、そのまま照れ臭そうに笑みを浮かべては、俯いてしまう。
一瞬複雑な思いが去来するけれど、今はそれでいいと僕は思う。
何であれ、彼女が少しでも、微笑んだから。
「なんか、心にずしっと来た……」
「初めて、サクライくんの本当の声を、聞いた気がするよ」
誰かがそう言った。
きっとそうなのだろう。僕には力があった。だけど、心がなかった。
そんな心で生成した言葉は、外に出ても、決して相手に響くことはなかった。
言葉だけじゃない。僕のやること全て――全ては僕に心がなかったから。結果は出ても、誰の心も響かせることはなかったんだ。
だけど、今日、歌った声――彼女に喜んでもらいたい、という気持ちは、確かに存在したから。
エイジの言ったように、こんな僕でも、心を取り戻せるのかな。
その後も吹奏楽部のリクエストは絶えず、僕はギターやピアノを、何度も何度も弾いていた。怪我明けで握力も弱っていたから、普段よりも指が上手く動かなかったが。
ある意味、部活よりしんどい。誰かに見られているってだけで、楽器を弾くのはこれだけ緊張するものか。
――いや、違う。
まだ、マツオカ・シオリと話せていない。
まだ、伝えたいことが伝えきれていない。そのせいか。
「ごほっ、ごほっ」
もう喉が潰れかけている。さっきから咳に痰が絡む。
そんな時に、ちょうど昼食時になった。皆は音楽室で、手持ちの昼食を食べる。
「サクライくんは、お昼は?」
吹奏楽部の同級生の一人が聞いた。
「あぁ……持って来てないな。校長室の後、招待されるなんて、思ってなかったから」
そう言った僕の声は、早くもちょっといがらっぽかった。
「あ、じゃあ私達のお弁当、ちょっと分けてあげるよ。だから、一緒に食べない?」
「……」
女の子が50人近く、男は僕一人……
おまけに、マツオカ・シオリもいるし……
気まずくて、逆に疲れそうだ。
「いいよ、悪いから」
「ていうか、サクライくんがものを食べてるの、見たことないや」
「普段、何食べてるの? ダイエットの観点からも、興味あるな」
「……食堂で、コーヒーでも飲んでくるよ。うがいもしたいし」
そう言い残して、僕は一度音楽室を出る。
「そっとしといてあげなさい。彼も色々戸惑いがあるのよ」
扉を閉めると、顧問のタカヤマが僕をフォローする声が聞こえた。
――食堂は閉まっているが、自販機はある。温かい缶コーヒーを買って、外に出て、食堂の入り口にドアに体をもたれて、そこから見える裏庭を眺める。
今朝から降る雪は、早くも積もりかけて、食堂の外から見える針葉樹には、うっすら雪が積もっている。
ホットコーヒーで温まった吐息が、白く染まる。ドライアイスが口に張り付いてるみたいに
「……」
僕って奴は、どうしてこう……
人といることに慣れてないから、どれだけ人といることを望んでも、たまにはこうして一人にならないと、気持ちの整理が出来ない。
基本的に一人が好きなんだろう。それはもう、一生治らないかもしれない。
そんな僕が、どうして今は、誰かのために一生懸命に生きたいと思うのだろうか。僕はいまだにそれは自分の中で、理由が見つからないでいる。
でも……
少しずつでも頑張ろうなんて、昔は思わなかったのに、今は素直に思える。
それだけでも進歩だと、思うことにしよう。
あのミツハシ・エイジだって、困難な道を自分で選んだのだから。
もう一度缶コーヒーに口をつける。
「……」
「たそがれてるわね」
そう声がした。僕は声のした方向を向く。
校舎の方から、渡り廊下を歩いて、タカハシ・ミズキがやってくる。
「……」
僕の横をすり抜け、ミズキも食堂の自販機でジュースを買ってくる。
「随分殴られたらしいわね。大丈夫?」
ミズキは、そう声をかけてきた。
「……」
僕の顔からは、絆創膏や包帯は取れたが、まだ若干痣や傷が残っているし、額のあたりに包帯が巻かれている。
「あの状況で、よく抜け出せたな」
「教室に、忘れ物を取りに行くって言ったの。だから、長くはいられないわ」
彼女は舌を出す。
「――ごめんなさい」
ミズキは僕の前で、頭を深々と下げた。
「何で?」
僕は突然のことに少し動揺しながらも、聞いた。
「私が、あなたに無理を言いすぎて、苦しめたから、あの後すぐ、こんなこと……」
「……」
彼女のせいじゃない。あのままでは遅かれ早かれ、僕はこうなっていただろう。
自分の命や存在を、無意味だと思っていた、あのままでは。
そして、これくらいまで痛めつけられて、初めてわかることもある。
でも――それでも。
「いや、謝るのは僕の方だ。君を――傷つけて」
僕も頭を下げる。まるで親戚の新年の挨拶みたいに。
「でも驚いた。あなた、前だったら、みんなが歌え、なんて言っても、絶対に歌うような人じゃなかったから」
「……」
確かに。そう言われれば、自分でも、何やってるんだろう、って感じ。
ちょっと前は、自分でもわけのわからないことはやらないのが、僕、サクライ・ケースケという人間だった。
ただ、そんな生き方も、案外悪くないって、ちょっと思えただけ。
「色々あって。それがちょっとすっきりしたんだよ」
「そっか。やっぱり」
「え?」
「私は、どうやらシオリの代わりにはなれなかったか、と思って」
「……」
「シオリと、何かあったんでしょー?」
ミズキは、僕が最初に会ったときに見せた、あの遠慮のない笑顔を見せて、僕の目を覗き込む。僕を子供扱いするように。
「……」
何でだろう。この娘だって、別にシオリとの仲を引き裂こうってわけでもない、悪い娘じゃない。むしろとても魅力的な女性だと思う。それは、勿論性的な意味を除外してだ。
なのに、何でこの娘じゃ駄目なんだろう。何で、マツオカ・シオリが特別なんだろう。
――きっと、あの娘は、僕の生きる意味になってくれるからなんだろう。
家を出る瞬間、死ねる瞬間。そんな、楽になれる時を待つのみだった僕が、少しでも、前を向こうと思える。
状況は何一つよくなっていないのに、今の僕は、彼女のそんな思いや言葉だけで、生きていけた。生まれて初めて、自分が生きていると実感できた。
まだ、自分の生きる理由なんてわからないけれど。
一人だと、目の前が暗くて何も見えない道も、彼女と一緒なら、前を向ける。
彼女と一緒に、未来を探したい。
そして、出来ることなら……
僕も、彼女の力になることができたら……同じ未来を見れたら、最高だ。
「お互い、自分の道を見失っていただけなんだ……彼女は、その道を否定しないでいいと、僕に気付かせてくれたんだ」
僕は缶コーヒーを握り締め、雪を見つめたまま、言った。
「君も……寂しさを埋めるために、自分を犠牲にしたり、自分を否定することはないんだ。君は君だ。誰かの安らぎのために生きているわけじゃない」
「……」
「僕も君も、その道を探すんだ。昨日、その間違いに気付いたってことに出来れば、決して遅くないし、怪我しても、悪いものじゃない。僕と君が昨日したことも、きっと無駄じゃない」
「……」
沈黙。
「はは、駄目だ、僕は」
僕は右手で後頭部を掻く。
「どうも上手くない言い方だな。もうちょっと、前向きになれる言葉が出ればいいのに」
そう言って、ミズキの方を見た。
「――そうね」
その返事が、何に対してなのか、よくわからなかったけど、ミズキはそう言った。
そして、ふぅ、と呆れたようなため息。
「あなたの眼、相変わらず隠し事が出来ないんだから」
「え?」
「もう、シオリに夢中っていうの、まるわかりすぎて、笑っちゃうくらい」
「え?」
僕はかあっと、顔が熱くなる。
そんな僕を見て、ミズキはまたため息。
「何だか、馬鹿馬鹿しくなっちゃうわ。あなたを好きでいても、もう駄目だってわかったから」
「……」
「でも――」
言いかけて、ミズキは僕の目をじっと見据える。
「あなたの眼、嘘や裏切りなんて微塵もない、一途過ぎるほど真っ直ぐな瞳は、とても魅力的だわ。私を見てくれなくてもね。私から最後にお願い。これからも、ずっとその眼を忘れないでね」
「……」
「ていうか、早く好きなら好きって言っちゃいなさいよ! シオリだって、あなたのこと、ずうっと好きなんだから!」
最後、ヤケになったようにそう激励された。
――ありがとう。
聞こえないように、僕はそう呟いた。
この話でケースケが歌った曲は、アンダーグラフというバンドの、「君の声」という曲です。まだケースケは自分の気持ちを恋愛感情かは自覚できていないので、今はただ、その人の力になりたい、っていう、今のケースケの心情にぴったりかな、と思ってこの曲を選びました。