Drive
――初めてバイクというものに乗った。
国道に出る前に、エイジ達は途中で仲間と合流する。バイク集団は、30台以上の編隊となった。
エイジ達は一般道でも80キロ以下は出さない。信号だって無視しまくる――
と思いきや、そうではなかった。
スピードは出ているが、夜で人通りのない道でも、赤信号ではちゃんと止まった。
「お前等、信号無視とか、蛇行とかしないのか?」
赤信号で止まっている間、僕はエイジに聞いた。
「今日は特別だ。今は俺等のバイクに同乗しただけで、お前まで罪に問われちまう。せめてもの配慮ってやつよ」
「……」
信号が青に変わる。
エイジを先頭に、後ろについてくる連中は、綺麗にダイヤ型の編隊を組んでいた。見事だ、と思う。古の戦でも、陣立ての美しさは将の器量を表わすとされている。
「大丈夫か!」
バイクの音にかき消されて、ほとんど聞こえなかったが、エイジの声がした。
「寒い!」
僕は叫んだ。
冬のバイクは、ここまで過酷なものか。薄手のカットソーの上に、スタジャンだし、手袋もしていないから、バイクの冷気はそんな服を貫通している。
そのまま、20分くらい走り続けただろうか。
人気のないところで止まる。
暗くてよくわからなかったが、目の前には、多分200メートルくらいの高さの山が、樹木を茂らせて、目の前には舗装された階段が伸びていた。
「ここは……」
僕はヘルメットを取る。
「ついて来な」
エイジは僕を手招きして促す。
階段を上って、5分ほどすると、倉庫のような建物があった。既に誰かいるのか、建物の古さに比べ、それだけが妙に真新しい白光灯が、赤錆の浮きかけた倉庫を照らしている。雨ざらしにされた鉄クズが、建物の脇に積まれている。
建物の扉は、重い両開きの引き戸で閉ざされている。
「何だ? ここは」
僕が聞く。
「わからん」
エイジが言った。
「随分前に潰れた工場らしいんだが、今じゃ俺らのたまり場だな」
エイジの取り巻きが二人先行して、一人ずつ両開きの引き戸を引いていく。エイジは悠然と、その中に入っていく。僕もついていく。
中には数人の男女がいて、天井が高い分、実際の面積より広く見える中は、真ん中のドラム缶から上がる炎が一際目を引いた。よく見ると、大きな材木がドラム缶に入っていて、これは彼らの暖房道具のようだった。成程、中はそのせいでとても明るく、暖かい。
中は外見よりも整備されている。工場時代の名残で、クレーンやら、ジャッキやらが残っているが、中にはゴミ捨て場から拾ってきたようなソファーに、雀卓、ダーツ、ビリヤード、卓球台、レトロなピンボールまであり、部屋の隅の棚には、ウイスキーやらブランデーやらがいくつか置かれていて、ボトルに名前が書いてある。
「へぇ……」
声が漏れた。学校じゃ不良扱いの僕だけど、基本優等生だらけの学校にいた僕の、まったく知らない世界だと思った。
「エイジさん」
中にいた、中学生みたいな無邪気さの残る少年が駆け寄ってくる。幼い顔にモヒカンがアンバランスだった。
「宴の準備は?」
「バッチリっす!」
「よし、じゃあみんなを集めろ」
元気のいい返事をして、少年は敬礼し、奥へ走っていく。
「……」
「大将、お前はこっちだ」
そう言われ、僕はエイジに手を引かれ、部屋の一番奥にあるソファーに、エイジと並んで座った。位置的に、このソファーが彼等の一番の上座なのだと思われた。普段は、頭のエイジしか座れないというような……
エイジの仲間を集める間、僕の前に二人の女性が来て、グラスを差し出し、ブランデーを注がれた。二人とも、埼玉高校にはいない、世の中の闇を前面に出しながら、妖艶さとたくましさを秘めたような、派手な女性だった。
「へぇ……エイジを倒したって言うから、どんなゴリラかと思ったら、いい男じゃない」
「……」
もう一人の女性が、エイジの差し出すグラスにブランデーを注いだ。
注がれながら、僕の方を向く。
「酒は飲めるんだろ?」
「――少しだけなら」
「そりゃ僥倖」
エイジはグラスを差し出す。
「――難しい言葉を知っているんだな」
エイジは悠々とソファーに座って、僕に自分の持っていたグラスを差し出す。
「お前と義兄弟の杯を交わしたいと思った。それでここに連れて来た。迷惑か?」
「――いや」
僕もグラスを差し出し、ちぃん、と鳴らす。僕もエイジも、グラスのブランデーを一気に流し込む。それが流れた箇所に、焦げたチョコレートを胃に流し込んだような香と熱さが残った。
周りを囲んでいた男女の集団が、拍手をした。
やがてその倉庫に、70人近い人間が押し込まれた。手には各々コップを持って。
「今日は、新しい仲間を、ヘッドの権限において紹介する。俺を昨日ここまでボコボコにした男、サクライ・ケースケだ!」
拍手。
エイジのアジテーションに、僕は頭を掻きながら、ぎこちなく頭を下げた。こんな状況に遭遇したことがないから、今はこの流れに身を任せるしかなかった。
「今日はこいつを、みんなに紹介するために連れて来た。俺はこいつを気に入った! 昨日喧嘩を売ったのはこっちだったから、侘びも兼ねての宴だ。失礼のないように」
「うっす!」
統制の取れた、目の前の集団の声。僕より年下みたいな少年や、女の子も数多くいる。
「その前に……」
さっきまで明るかったエイジが、急に目の睨みを効かせた。
「昨日ケースケに、慰謝料とか言って、カツアゲまがいのことをしたのは、誰だ!」
「……」
このビリビリする程空気を震わせる怒声は、うちのサッカー部監督のイイジマ並だ。
すごすごと前に出てきた3人。ドレッドヘアに、金髪に、坊主頭。綺麗な顔をしていた。こいつら、記憶があいまいだが、あの後僕がのした記憶がない。四つんばいになって後ろに下がったが、あのまま逃げたか……
もう最初から段取りが決まっていたように、3人はエイジの前に歩を進め、正立する。
エイジは平手で思い切り、3人の頬を張る。大きな体に大きな手、3人とも足がぐらつく程のビンタを食らった。
「法度を破れば、ここにいる者みんな、この居場所を奪われるんだ! 罰として一ヶ月、アジトの掃除だ!」
するとエイジは、その大きな手で三人の首の後ろの袖を掴んで、買い物袋でも持つように、僕の前に3人を引っ張り出す。
「ほら、謝るんだ!」
エイジに言われ、3人は僕におずおずと頭を下げた。
それで手打ちってことになったらしい。まあ、僕はもう別に気にしてはいなかったんだけど。
気を取り直して、乾杯の音頭をエイジが取ると、皆が各々に騒ぎ始めた。
「なぁ、さっき言ってた法度って、何だ?」
僕は隣にいたエイジに聞いた。
「あぁ、ちょっと待て……これだよ」
エイジは、ソファーの後ろにある金庫から、レトロな巻物を持って来た。
僕はそれを開く。
「……」
誰が書いたのかは知らないが、それは新撰組の法度そのままだった。
しかも巻物にボールペンで。
あの3人は、士道不覚ってことで、罰せられたのかな。
宴とは、要はエイジの仲間達に、新しい仲間として、僕を紹介するというものだった。バーベキューセットをいくつも持ち込み、食事をして、酒を飲みながら、馬鹿騒ぎするという単純なものだ。
エイジに勝ったことで、僕はやたら女の子にはもてるし、男には憧れの的みたいな顔をされるし、引っ張りだこだった。
何でも、暴走族とは、大体がバックにやばい人達がいるらしいが、エイジ達のグループはそうではないらしい。学校の成績も悪く、親に疎まれたり、初めから親がいないような、人生の落伍者のような子供が行き場をなくして、この倉庫のようなたまり場に集まって、いつの間にかこういう大勢力の反骨集団になってしまい、腕っ節のあるエイジがアタマをやることになっていたんだそうだ。
エイジ達のような人間は、秩序がなくなると、悪さしかしないが、集団でいることで、一種の秩序が生まれるらしい。それでも血の気の多い連中だから、世の中に気に入らないことがあると、昨日のように、ああして暴力に訴えたがる奴もいるらしい。
別にそれを否定をするわけじゃない。ここにいる皆、それぞれに陰惨な人生だったんだ。自分を不必要といった世界を壊してやろうと思ってもいいが、昨日のような、集団で罪もない人から何かを奪い取ることは許さない。それが彼等なりの掲げる義、ルールのようだ。
そんな、義を重んじるエイジの琴線に、僕は触れることが出来たようで。
どうやら、皆僕のことを気に入ってくれたらしい。エイジは僕と喧嘩した時の、魂の高揚というやつを饒舌に語っていた。それは、僕があの時感じたテンション、あの時見えた光景と、ほぼ100%合致していた。
「……」
想像よりも、居心地は良かった。人見知りのうえ、大勢の食事に慣れていないから、あの合宿の打ち上げ同様、ほとんど喋れなかったけど……居心地の良さは感じた。
二時間くらい、僕はダーツやビリヤードに誘われ続けたけど、さすがに疲れてきて、僕は酔い覚ましとか口実をつけて、一人、表に出ていた。
倉庫の熱気は想像以上で、外に出た時、現実世界の冷気の存在を知った。
山の中にある倉庫は、外に出るととても静かで、僕は酔って少しふらふらした頭に空気を入れたくて、山を登った。
頂上には、もう5分も階段を登れば着いてしまった。とは言っても、そこも木が生い茂っていて、特に何があるわけでもない。月光が木々の間から入り込んで、樹木の作り出す隙間――スクリーンから、僕達の走ってきた国道や、その奥の町並みが見下ろせるだけだ。
僕は草地に無造作に腰を下ろす。樹木の間のスクリーンは空に向き、そこには星と、白く光る上弦の月があった。
「……」
月明かりは、まるで氷のように白く、冷たい。
さっきから、この先のことを、ずっと考えていた。
僕は、今では馬鹿なことをしたとは思っているけれど、ミツハシ・エイジと戦った時、血の騒ぎを感じたことは確かだった。
だから、親元を離れ、学校を辞めて、このグループに入って、好き勝手に暴れて、ああやって、たまに馬鹿騒ぎする、アウトローな生き方も悪くはないと思う。
家族に心を縛られている今と比べれば、気楽だし、何にも縛られない。
結局僕も、今はこの連中と同じ。秩序を失った状態で……それに、これだけの人数がいれば、結束と知略で、でかいことをしようと思えば出来る。それに失敗しても、死ぬるべくして死ぬだけだ。座して死を待つよりは、僕の性に合う。
だけど――
そうして、たまに喧嘩なんかしているのは、楽しいかもしれないが、シオリや、ユータ、ジュンイチに報いる道だとは思えない。僕は学校を辞めても、あいつらと付き合うのだとすれば、あいつらに恥じる生き方は出来ないんだ。
マツオカ・シオリは、僕にもっと、自由に笑っていい、と教えてくれたけど、彼女の言う「自由」というのは、こういうことじゃないはずなんだ。
返事は明日の朝に迫っている。それまでに、少しでも考えなくちゃ……
がさっ、という足音がして、僕はびくっと体を反応させ、振り向く。
暗がりに巨大な影……熊かと思ったが、埼玉のこんな小山に熊がいるわけがない。
ミツハシ・エイジだった。
「考え事か?」
「――あぁ。悪い、抜け出して」
「別にいいさ。元々強引に誘ったんだ」