Wish
僕はあれから、あの大男、ミツハシ・エイジと朝まで麻雀をしていた。
僕とエイジ以外の同室の患者――エイジの仲間達が目を覚ますと、僕達は体がボロボロだったけれど、誰かが持っていた、おもちゃ屋で売っているような小さな雀卓を囲んだ。
はじめエイジの仲間達は、自分達を壊滅的なまでにぶちのめした僕を仲間に入れるのを嫌がっていて、僕達に負けず劣らずボコボコだったのに、血の気をあらわにしていた。エイジがすっかり僕を気に入ったようで、文句がある奴は俺が許さねぇ、とかなんとか言って、周囲を呆れさせていた。
僕は麻雀はユータやジュンイチの家に勉強合宿とかで行くと、いつも両家の父親に誘われていたし、そこで随分鍛えられた。本当は手先も器用だから、いくつかイカサマもしようと思えば出来たけれど、皆指も満足に動かせないような有様だったんで、そのへんは平等だった。
だからお互いの手の読み合いのみの遊びだったから、僕はそこで連戦連勝だった。
「があぁー! またこいつに振りこんじまったぁ!」
エイジの仲間の一人は、頭を抱えて、僕に点棒を突き出す。
「顔を見れば待ち牌が何か、見え見えだよ」
「ムカつく野郎だぜこのチビ」
8時間以上、夜通しそうしていて、逆に僕が高目を振り込んだ時には、エイジの仲間は大喜びだったけれど、結果的に僕はエイジの仲間達から、万単位のお金を巻き上げるほど大勝ちした。僕達の病室に、エイジの仲間達は全員集まって、がやがやと喧しくたむろしていたものだから、何度も巡回の看護婦さんに怒られた。
僕は小学校から、修学旅行などの行事に参加していないから、修学旅行って、こんな感じなのかな、と思った。
だから、朝食を食べる頃には疲れも眠気もピークだったけれど、僕達はその頃には、皆で卓を囲んで、看護婦さんのスリーサイズ当てだとか、くだらない話をしながら飯が食える程度にはなっていた。
9時から僕やエイジ達はそれぞれ検査を受けた。
僕の怪我は、医者が舌を巻くほどの軽傷だったらしい。どうやら最後気絶させられた時、僕を殴ったのは竹刀だったらしいが、それが瘤になっている以外は、怪我はほとんどが打撲や打ち身で済んでいた。エイジ達曰く、僕は素早くて、有効打が当たらない上に、決まったという一撃も、身のこなしでダメージを軽減していたらしい。医者に言わせれば、僕のしなやかで柔らかい筋肉が、内部の臓器などの損傷を防いだらしい。一般人でこんな痣が残るほど殴られたら、二週間は最低でも入院らしい。
ただ、僕が寝ている間に、エイジの頭突きでもらった鼻血が止まらず、鼻の中を焼く処置を施したらしい。それも後ろに飛んでダメージを軽減させたが、それがなかったら、鼻骨骨折か、歯が折れていたのは確実だと言っていた。
僕はまだ顔に擦り傷や赤い痣が残っていたけれど、頭に包帯を巻く以外は、昨日に比べて随分軽装になった。鎮痛剤が打たれたからか、昨日は吊られていた左手も、蹴りまくって痺れの残っていた両足も、ある程度は動かせた。正午には退院手続きが取られた。
病院には母親が来ていて、持ち合わせのなかった僕の退院手続きをしに来た。
僕は自分で歩いて帰ろうとしたが、母親が車に乗れ、と命令した。別に親切心じゃなく、こんな顔で街を歩いたら、近所の人に見られて、変な噂が立つってことだ。
「……」
普通、今までこんな大怪我(見た目には)したことない奴が、こんな顔していたら、外で喧嘩でもしただろう、と、誰もが思うに決まっている。誰も家族が殴ったとは思わないに決まっているのに。
やましいことがあるって自覚があるから、そういうことまで心配するんだクズ野郎。
こんな機会でもなければ、家のベンツなんかには乗れやしない。僕は約7年ぶりに母親の運転する車に乗った。小学校の時は、こうしてよく塾への送り迎えをされていたんだけど。
「……」
助手席には乗らず、後部座席に乗った。病院で母親に会って、車内まで、僕は一度も口を開かなかった。
母親は車内で三言だけ、口を開いた。
「治療費を下ろして、私に払いな」
そう言って、銀行の前で車を止められた時。
「……」
「学校から電話があったわ。明日の10時に、校長室で事情を聞かせろ、って」
「……」
「アンタ、埼玉高校を辞めたなんて近所に知れたら、私達が大恥かくんだからね。あそこを辞めたら、もうアンタに何の価値もないんだから」
「……」
家に帰って、リビングに上がると、親父が不機嫌そうに煙草をふかしていた。
髪の毛を掴まれ、顔に煙草の煙を吐きつけられた。煙草の煙だけでなく、酒と煙草を長年続けた人間の、胃腸の弱った口臭も混ざった強烈な臭いがした。
「お前、どこまでこっちに恥をかかせるんだ!」
そのまま投げ飛ばされた。僕は床に叩き付けられた。
「……」
「ガキが! 今は近所がお前を秀才だって言うから生かしてやってるのによぉ、学校辞めたら、テメェ養う意味もねぇんだ! マジでテメェ、追い出すぞ!」
「……」
僕がいつ、お前等に養われたよ。
もう高校の学費だって自分で出している。食事の世話だってなっていない。寝床の分の金だって払わされている。
「……」
あれ? なら僕は、こいつらの見得のために生きているんじゃないとしたら……
僕が這いつくばっているうちに、親父は部屋を出て行った。
「……」
時間は4時43分。
母親に何かを言われた時から今まで、二人の声に何かを感じる以上に、一日のうちに色々なことがあり過ぎた上に、眠っていないことで、心身が疲れきっていた。
部屋に戻ると、すぐに着替えて、僕はベッドに入った。
「……」
リュート――やっぱりまだ帰っていなかった。僕はあいつに見捨てられたのかな。
僕があいつに餌をやらなければ、あいつが生きられなくなる。だから、あいつを失った時に、僕の生きる意味もなくなったと思った。
タカハシ・ミズキ。ミツハシ・エイジ――色んな出会いがあって、馬鹿なことをして。
ユータ、ジュンイチ――全国大会に出場辞退になったら、僕を恨むかな。
そして――マツオカ・シオリ。
彼女を泣かせる原因も、二人と向き合うことの出来なかった原因も、この家から持ち出すどす黒い心が原因だとすれば……
僕は学校を辞めることも、選択肢の一つに入れて、彼女達に報いる道を探さなくてはいけない。
元々、大学に行く通過点として通っていただけで――
気付いたんだ。僕達はきっと、この先どんなに離れていても、顔を合わせれば笑い合うことが出来ると。学歴や自分の力なんかよりも、あいつらの方がずっと大事だと。
学校を辞めて、働いて――ちっちゃいアパートでも借りて、家族とのつながりをなくし、もっと自由な気持ちで、あいつらに会えたら。
そうしたら、少しはあいつらに、今までの事を償えるだろうか。
もう、彼女を二度と悲しませないように。
彼女は、僕のために泣いてくれた。その涙に報いるためには、学校なんかよりも、もっと大事なものがある。そう思った。
僕は、何とかして、あの3人に報いなくては……
――そんなことを考えると、両親に汚物扱いされた後だというのに、少しも引きずることもなかった。
親父に殴られた後、僕はいつだって自分の無力さに腹を立て、その度に力を求めた。
だけど、今は違う。
強くならなくちゃ、と思った。
僕のために泣いてくれた、少女の魂の安らぎを。
僕にいつも笑顔をくれた、あの二人の熱い心を。
そんな大切なものを守れる力が欲しい、と願いながら――僕はゆっくりと、安らかな眠りに、誘われていった。
ドンドン、という音に、僕は目を覚ます。
部屋は漆黒の闇に包まれていた。
寝ぼけ眼をぱちぱちさせながら、また部屋に響く、ドンドン、という音。どうやら部屋のドアを叩いているらしい。
ノックをするような礼儀正しい奴は、この家にいないけれど、中学時代、あまりにこちらの都合お構いなしに、僕の部屋に揉め事を持ってくる家族に嫌気がさして、自分でラッチ錠を取り付けて以来、僕を呼ぶ時は戸を叩くしかないというわけだ。
「何だ……?」
上半身だけ起こし、暗い部屋で、時計を見る。アナログ時計だけど、針には蛍光部分があるから、大まかな時間はわかる。夜の10時20分を少し過ぎたくらいだった。
まだ、外にいる者が、部屋のドアをドンドンと叩く。
五月蝿いな……
鍵を外し、ドアを開けると、そこにはパジャマ姿の母親が、渋い顔をして立っていた。
「五月蝿ぇな。何だよ」
僕は頭を掻く。
「アンタ、私達に嫌がらせでもしているつもり?」
母親が、憎しみのこもったような目で僕を見た。
「はぁ……?」
何言いがかりつけてるんだ? この女。
「うちの前に、バイクに乗った大男達がたむろしてるのよ! 特攻服を着て! こんなこと今までなかった! アンタがやったに決まってるわ!」
母親は僕に怒鳴りかかる。
「……」
大男、特攻服。
心当たりはひとつしかなかった。
僕はジーンズにカットソー、スタジャンという格好に着替え、頭の包帯を隠すため、ニット帽をかぶって外に出る。
僕の家は、広い道の路地に入ったところにある。玄関を出ると、目の前には道を隔てて商店街の隣の店がある。
左手の突き当たりに神社兼、神主の経営する、僕の通った幼稚園があり、そこから右に道が伸びている。
その神社の門の前に、数台のバイクを止めて、特攻服の連中が数人、腰を下ろしている。
誰もが顔に真新しい傷があり、顔にシップを貼っている者もちらほら。
その中で、190センチはありそうな大男、誰よりも広い背中の男。
ミツハシ・エイジだった。
「よぉ、大将」
エイジは僕を見つけて、立ち上がる。
「昨日マブになって、家の場所も聞いてたからな。押しかけちまったぜ」
「……」
まぁ、いいけど。こいつらが来て、今更周りにどう思われても、僕には関係ない。
「何の用だ?」
僕はそう聞いた。
するとエイジは、僕に下投げで、バスケットボール大の物を投げてきた。
僕はそれを受け取る。投げた物は、フルフェイスのヘルメットだった。
「ドライブに行かねぇか? 乗っけてくぜ」
「ドライブ?」
「まあ、ちょっとした宴に招待だ」
「……」
宴……麻薬パーティーとかじゃないことは何となく予想できた。こいつらはそういうタイプじゃない。金よりは、どちらかといえば、血が燃える場面を求めて反骨しているんだ。
既にエイジ達はバイクにまたがり、エンジンをふかしていた。僕はヘルメットを被り、エイジのバイクの後ろに乗った。