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Place

 シオリも、入り口のドアを開けたまま、息を切らせ、怪訝な表情をして立ち尽くしていた。

「どうして……」

 僕の声が漏れる。

「おう、シオリさん」

 ジュンイチが手招きする。混乱する僕をよそ目に、二人の反応は冷静だった。

「何で……」

 僕は、首だけ二人の方へ向ける。

「俺達が呼んだんだ」

「心配するなよ、俺達は席をはずすからよ。ごゆっくり」

「おい、そういう問題じゃ……」

 動けずに引き止める姿は、まさに病院コメディードラマのワンシーンみたいだった。ばたん、と、ドアが閉まると、病室に僕と、シオリだけが残された。

「……」

 沈黙。

 僕は天井を仰いだ。ありがちなパターンなんだけど、実際こんな状態にいると、何を話していいか、途方に暮れる。

 くそっ、なんてこと……

 この空間は、まるで悪意に満たされたように息苦しく、その重圧が僕の傷を抉るように疼かせた。 

 何かきっかけを探そうと思って、僕は辺りを見回す。そこで僕は初めて、自分が鮮血に汚れた服ではなく、病院の特徴のないパジャマを着ていることに気がついた。

 さっきまで、二人が座っていたパイプ椅子が目に付いたので、僕はシオリに声をかける。

「とりあえず、座れよ」

 何となく笑顔を作って、椅子を指差そうとする。

 体のことを忘れていたので、筋を伸ばした瞬間に、体に激痛が走った。

「くっ……」

 僕は息を漏らす。

「サクライくん――」

 心配そうに、シオリが駆け寄ってくる。バッグを椅子に置いて、僕に手を差し伸べた。

「――大丈夫、心配ない」

 僕はまだ自由の効く右手でを開いて、彼女を制した。

 なんて恥ずかしいシチュエーションなんだろう。

「……」

 僕は、痛んだ姿のまま、顔を上げられなかった。

 シオリは、黙って椅子に座る。僕もなんとか持ち直し、背中をベッドの縁に預け、溜息を吐く。

本当は、動けるものなら、この場から逃げ出したかった。

 なんと言っても、僕はタカハシ・ミズキに抱きしめられた姿を、彼女に見られていて――それで次に会ったのが、こんな状況で……

 おまけに僕は、今日一日のことを思い返すと、彼女に何も言えない。

別の女とキスをして、挙句人の心を傷つけて、ヤケになって大喧嘩して、ボコボコになってここに運ばれて。

 彼女の心に与えられるものに、いいものが何もない僕は、何も吐き出せない。

 どうしよう。何言えばいいんだよ。クソ、二人とも彼女を呼ぶなんて、余計なこと――

 あ――3人しかいないのに、ケーキが4つあるのは、おかしいと思ったんだ。

 モンブランが一個だけ入った箱は、まだ僕の目の前のテーブルに置かれている。

 ――そんな気遣いされても、僕はもう、彼女にかける言葉が……

「どうして……」

 彼女の声がした。

 その時、馬鹿でかいヤンキーのパンチにもビビらなかった自分の体が、びくっと反応した。冬の薄寒い病室で、包帯を巻かれた僕の体は、汗腺から汗が噴出す感覚までリアルに感じだ。

 何故、こんなに恐いのか、僕は何もわからないまま、一度唾を飲み、顔を上げた。

「……」

 目を見開いた。

 彼女が、泣いていた。

 俯いて、肩を震わせ、静かに嗚咽をこらえるような彼女の息遣いがして――それでも目をそらさずに、コートの裾をぎゅっと握り締めていた。

「……」

 彼女の目から、大粒の涙が、静かにぽろぽろと落ちた。彼女の小さな拳に、涙が絶えず落ちる。

「あの……」

 馬鹿、お前がつまってどうするんだ? 優しい言葉をかけるべきか? でも――どう言えば……どう言えばいいんだ、こんな時。

「あの――どうしたの? 何で泣くの?」

 シオリの潤んだ瞳は、冬の星空のように、弱々しいけれど凛とした光を、冴え冴えと放っていた。曇りのない、明鏡止水の瞳が僕と対峙している。

 何て綺麗な女の子だろう、と、一瞬思った。

 彼女のその美しさに、心を奪われかけた時。

 僕の頬に衝撃が走った。

 気を抜いていたので、すぐにはわからなかったのだけれど――

 頬がじんじんして、やっとわかった。僕はシオリに叩かれたのだと。

別に痛くはなかった。ぺちん、という、気の抜けた音が、僕の耳に残留していた。シオリの紅葉のような手の、柔らかな皮膚の感触が、僕の頬に一瞬だけふわふわした感触を残した。

 僕はその一瞬で、その意味をしっかり捉えきれなかった。頬を押さえることもせず、ぽかんとして、視線をシオリに向けたままでいた。

 みるみる、シオリの顔が、くしゃくしゃになっていった。その顔は、僕の今までのシオリのイメージを、覆しかねないものだったけれど、僕もどうしていいかわからず、なるべく表情を崩さないように努力した。

「どうして……」

 まるで情緒不安定になったシオリに、今度は僕は問う。わけがわからないまま、次に続く言葉を捜した。

「――心配したの……」

 シオリは嗚咽でかすれるような声で、でも必死に訴えかけるように言った。彼女の目は悲しそうに僕を見ている。

 そして、僕を睨んで、激しくまくし立てた。

「どれだけ心配したと思ってるの? どれだけあなたが、周りを傷つけたか、わからないの? エンドウくんもヒラヤマくんも、あなたが目を覚ますまで、ずっと心配してたんだから……」

 彼女が怒鳴る姿を初めて見たが、後半の方、彼女の荒げた声は、嗚咽で詰まった。

「……」

 僕は、彼女の言葉が痛くて、彼女から目を反らした。

 その時、自分のした行為の愚かさが、骨身に染みてわかった。

 あぁ……僕はまた、彼女を泣かせたのか。

 僕が死んでも、悲しむ人なんかいないと思っていた。死んでも当然の酷いことをしたと思った。

 もう、君も、リュートも、ユータもジュンイチも……

 僕は全てを失ったと。皆の前に顔を出す資格も奪われたと思ったんだ。

 だけど、本当は――

 皆に置いて行かれることが、ずっと恐かったんだ。

 顔を上げて、僕と彼女の視線がぶつかる。

 すると彼女は、僕の手を両手で握り締めて――

 また、すがるように泣いた。

「……」

 初めて触れた彼女の手に、僕は呆気に取られていたけれど――

 彼女の匂い、彼女の体温、彼女の存在に包まれて……

 初めて心の底から、彼女の魂の場所を見つけた気がしたんだ。

 今まで僕の心に触れ続けてくれた彼女の魂を見つけ出した嬉しさに、震えるような感激と興奮が、平穏へと変わって、僕を優しく包み込む。

「シオリ」

 僕は彼女の名前を呼んだ。彼女は顔を上げる。

「……」「……」

 僕は――いや、僕達は、まるで数年間、ずっと会えなかったような距離を越えて、ここに辿り着いたように、お互いの存在を確認して……

 手を取ったことで、僕達の魂が、こんなにも惹かれ合っていることに驚きながら。

 何も言わず、どちらからともなく、ぎこちなく抱き合った。

 左腕が死んでいるのがもどかしい。女性の抱きしめ方も知らない僕だけど。

 僕の肩で、震えるように泣く彼女の、その壊れそうな温もりがここにある。

 不思議だな。もう2年も一緒にいて、今、初めて本当の彼女に会えた気がする。

「……」

 あぁ、どうして君のことが、ずっと特別に思えていたのか、やっとわかったよ。

 君は――僕に、生きていい、と言ってくれたんだ。

 嘘や詭弁のない、真っ直ぐな言葉で。一生懸命に。

 君は、悩みを抱えながらも、生きることにとても一生懸命で。

 言葉が足りなくても、一生懸命に、僕をいつも励ましてくれて……

 泣き虫で、本当は弱い娘なのに、いつだってすぐに、えへへ、と笑って歩き出せる。そんなひたむきに生きる姿が、とても眩しくて……

 そんな君が、僕に笑顔でいて欲しい、と言ってくれた。人に虐げられ続けた僕も、笑って生きていい、と、言ってくれたんだ。

 君が側にいるだけで、僕は頑張らなきゃ、って思える。言葉にも、その一生懸命な生き方にも、弱さも受け止めて、前に進もうとするその笑顔にも、君の存在全てが僕に力をくれる。

 こんなに君の存在が、僕の中で大きくなっていたんだ。

 こんなに僕は、君の笑顔や言葉に、励まされていたんだ。

 もう、君じゃなくちゃ駄目なんだ。

 そんな君を失ったと思って、僕は心が壊れたんだ。

 だけどもう大丈夫。君のその涙を、もう二度と流させたりしない。

 君だけは、もう絶対に、僕にも、どんな奴にも傷つけさせたりしない。

 君の『居場所』を、僕は見つけたから……

「……」

 何も出来ないまま、3分ほどそのままでいた。

 僕はずっとこうしていたいような気がしていたが、彼女の激情が、少しずつ落ち着いてきたようだった。

 肩の震えがおさまりかけて、ゆっくりと僕の胸から顔を離すと、気恥ずかしそうに乱れた髪を直すような仕草をしながら、僕から視線を避けた。

 黙っている。その真意は誰にもわからない。恐らく彼女自身でも処理できていない感情だろう。

「――ごめんなさい」

 彼女は目を背け、言った。何が『ごめんなさい』なのか、その真意は僕には掴めなかったけれど。

 彼女は自分の鞄をひったくるように取り、病室の出口に歩み寄ろうとした。

「マツオカ」

 僕の呼び止めに、彼女は足を止めた。出口のノブに手がかかったまま、僕の方を向いてはくれなかった。

「――ありがとう」

 自分でも驚くくらい、優しい声が出た。

 何に対して『ありがとう』なのか、大元ではわかっていたけれど、それを説明する言葉は、うまく言葉に出来なかった。

「いつか――君のフルート、聴きに行ってもいいか?」

 僕は言った。それでも彼女は振り向かなかった。しばらく俯いていたが、やがて「うん」と、小さく返事をして頷くと、そのまま走り去るように、病室を出て行った。


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