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Insane

 一人がエナメル靴で、俺の頭を踏みつけた。

「……」

 目が開いていた。何をされたのかもわからなかった。自分は何故倒れたのかもわからなかった。目の前で花火が割れたような、そんな刹那がいくつかあっただけだ。

「チビがイキがってんじゃねえぞ」

「おい、こいつのコートから、財布を抜き取れ」

 俺の頭を踏みつける男が、周りにいた一人にそう指示した。

 その時、俺は頭の上にあるエナメル靴の軸足の足首を掴み、ぐい、と力を入れて引っ張ると、男はバランスを崩し、俺の横にどすん、としりもちをついた。

 ゆらりと立ち上がる。ごほっと嗚咽すると、腹の奥から血が湧き上がって、口に溜まる。俺はべっとそこに吐き捨てた。びちゃっ、という音がして、血はアスファルトに落ちた。口元を腕で拭う。

 正直、痛みはなかった。初めからなかったのかもしれない。痛みなんてものは、もう俺には届かない。痛みはおろか、人間らしい概念さえ、今の俺には空っぽなんだから。

「テメエ……まだやられ足りねえのか?」

「――今から1800年前……」

 俺は夢遊病者のように、ヤンキーどもをねめ回す。

「劉備が流浪の将だった頃、魏の曹操の大群が、彼の元に押し寄せてきた・・・・・・」

「こいつ……アタマおかしいんじゃねえか?」

 ヤンキー達は、不気味な男に怪訝な表情を向け、虚勢が止まった。

「劉備の旗下に、趙雲という武将がいた。長坂という戦場で、彼はまだ赤ん坊の劉備の子、亜斗を抱きかかえながら、曹操軍の大群の中を、鬼人の如く蹂躙して駆け抜けた……」

 唇を切り、口の中を血まみれにして、淡々と俺は話した。

「その趙雲の武勇を考えれば、お前等の拳は、落ち葉が体にかすったのと同じだ」

「んだと?」

 ひるみながらも、先頭にいた一人が漏らした。

 その虚勢に、俺は途端苛立った。

 今日の俺は気が荒い。俺は、さっさとメチャクチャになってしまいたかったから、こいつらを挑発して、舞台を整えているのに、相手がそれに乗ってこないので、それに苛立ったのだ。

 お前等だってそれを求めているんだろう。だったらさっさと乗って来い――

「今の俺は、長坂の趙雲と同じ、死地にいる――」

「あ?」

 そう言って俺は腰を落とし、一足飛びで攻めも守りも出来る態勢を作り出す。

「死にたいと願っている俺だが、無抵抗でこの命をお前等にくれてやるのも癪だ。少しは抗わせてもらうぜ」

「……」

1対20では、どう考えても相手が勝つに決まっている。だから相手は、如何に自分は無傷でこの喧嘩をおさめるかを既に考えているはずだ。

俺の構えを見て、目の前の連中はまた腰が引ける。先人を切ってかかれば、俺に返り討ちにされると感じたのか……

「どうした? 俺に構えさせておいて、逃げるのか?」

 俺はもう待っているのもイライラして来て、もう一度火に油を注いでやった。

 20人近いごろつきどもは、一斉に声を上げる。

 ここに、大乱闘が始まった。

 俺は先頭の一人の懐に入り、相手の間合いを封じ、相手のパンチを封じ込めると、すぐにみぞおちに膝蹴りを入れた。相手はすぐに足元に崩れた。

「何でこんなに虚しいんだよ・・・・・・」

 何の感情も抱けなかった連中の顔を改めて見回すと、空っぽの胸を少しずつ満たしていくものがあった。もう俺の視界は、真っ赤に染まっていた。

「教えてくれよ。俺は一体、何のために生きてるんだよ」

「オラァ!」

 連中は、がむしゃらに突進してくる。誰かの拳が頬に入ったことで、俺は覚醒する。

 近くにいた頬骨の浮いた男に、飛び上がって蹴りを入れた、男の頬が砕ける感触がしたような気がする。蹴りが入って、その男は吹っ飛んだ。俺は空中で腰をひねって半回転しながら着地すると、すぐに次の相手が向かってくる。一蹴りでごろつきを沈めると、何かの格闘ゲームでコンボを決めた時みたいに、周りから歓声が上がる。

 繁華街は修羅場と化した。滅多に見られない、激レアな本物の乱闘を見て、血に飢えた若者達が、野次を浴びせたり、煽ったりしている。中には泣いている女の子もいた。

「助けてくれよ。どうしろっていうんだ、これ以上……」

 俺は、得体の知れない感情――それは、痛みでも、憎しみでもない。もっと深いところで沸き上がるもの――それに心が駆り立てられ、何発も、何発も、連中を殴った。感覚でも、感情でもない。ただ、もっと深いどこかで、俺の全ては解き放たれ、目の前のもの全てを壊していった。

 暴力によってその鬱屈から少しでも逃げたかった。本能的な暴力の衝動をぶつけることで、考えることを放棄したかった。それを本能的に選択したのかもしれない。

 そう、視界まで赤く染める、この真っ赤な感情は、今まで理屈で押さえ込んでいた、俺の本能だった。俺の胸の奥で、怒りと憎しみを元に生成した怪物が、存分に力を解き放ったのだ。俺の胸の奥を、全て殺伐に変えて。

 竹刀を横薙ぎに振られた俺は、体を倒してそれをよける。その間隙を縫って、特攻服が俺に飛び掛る。不完全な馬乗りになって、俺に拳を振り下ろす。俺は目の前に一瞬閃光が走ったけど、次の瞬間足で特攻服を蹴り退けていた。

 心臓の音と、俺の荒い呼吸の音が、脳の裏に響く、

 もう、20人はいた敵の半数は、そこここに蹲っている。俺が倒したんだろうけど、もうそれを倒した課程が思い出せない。もうそんな余裕もなかった。

 俺も、もう自分のだか、連中のなのか、わからないまま鮮血に汚れ――アスファルトも赤黒い染みがいくつも出来ていた。それでも目の前が真っ赤だから、その鮮血さえ識別できなかった。まさに血で血を洗うように、俺は連中を壊し続け、目に映るもの全てを、朱に染めていった。

 ぶっと、口の中の血を吐く、奇跡的に、まだ体が動く。

「くそっ、こいつ、身のこなしが速過ぎて、決定打が決まらねぇ」

「下がれ! もう一度俺がやる!」

 三下を押しのけて、もう一度、俺が最初に倒した大男が出てくる。

「よくもやってくれたな! 今度は本気で行くぞ!」

大男の目は本気だ。俺を捕まえたら、殺すまで殴り続ける決意を固めた目だ。

「ふっふっふふふふふふふ……」

「あ?」

「くくくくくくく……」

 無性に可笑しくなった。

 俺は――もうすぐ死ぬ。

 息が荒くなり、血の流れる感覚もある。その実感が少し出てきた。

 その感覚が、何だか無性に可笑しくて……馬鹿馬鹿しくて……

 悲しいくらいに、笑いたくなった。

「イカれてるぜ、こいつ……」

誰かの声がした。

 大男は特攻服を脱ぎ、シャツ一枚で僕と対峙する。

 俺も身構える。

 大男の突進。腕が伸びる。

 それをかわす……

 けど、その圧力に押されて、、後ろにのけぞった。

 大男は足を止めずに、突進しながら俺の顔に頭突きを入れた。

 後ろに飛んでいたからまだましだったが、鼻梁に激しい痛みが走り、鼻血がぼたぼたと溢れた。

 その時、ぐらりと視界が回り、俺は肩膝を突いて、鼻を押さえた。鼻血以外にも、もう出血が多過ぎる。脳味噌が揺れているのかもしれない。

 男は好機とばかりにまた突っ込んできて、俺の体を倒して馬乗りになる。

 俺は鼻を押さえていた右手を、大男の顔の前で勢いよく振った。俺の手の中で溢れていた血が、大男の目元にぶちまけられる。

 視界を奪われた男は、反射的に両手で眼を押さえる。その時少しだけ腰が浮いた。

 俺は大男の馬乗りからするりと抜け出して、大男の顎にアッパーカットを叩き込む。

 大男も片膝を突く。だけど僕自体が軽量だから、人体急所といっても決定打ではない。男が態勢を立て直す前に、僕は拳で男の顔に連打を入れた。

 男は足を前に押し出すような蹴りで応戦。攻撃一手になっていた俺は、大男の蹴りに体が吹っ飛ばされる。

 攻撃を受け流すように転がりながら起き上がり、距離を取る。

「はぁ、はぁ……ふふふふふ……」

 ダメージを与えるために、今の俺とこの大男は、ギリギリのところまでせめぎ合っている。生死の境が見えるほどに。

 そうなると、血を目潰しに使うなんて、一度もしたことがない俺でも、体がそれを最適の判断だと教えてくれた。

 よく見ると、大男も荒い息遣いの中、狂的に笑っていた。

 お互いが命のやり取りをしている。お互い、形は違えど、世の中に淘汰されてきた命が、最後の輝きを見せる時――それを相手も感じているんだろう。

 悪くない。最後の最後に、こうした命のやり取りが出来るまでに暴れられて……

 もう、お互い壊れ、気が狂っている。

 さぁ、最後だ。最後は正面から――

 俺は、だっと駆け出す。

「よせ!」

 目の前の大男が叫んだ。

 次の瞬間、脳天に強烈な衝撃が走った。

 俺の体は静かに倒れて落ちた。

「・・・・・・」

 後ろから、竹刀で殴られたんだ。

 実際なら、気絶するほど痛いはずなのに、全然痛くない。でも――

 もう、起き上がれなかった。だけど、意識は残っていた。

 気を失いたかった。眠れば、何も考えなくて済む――全てを忘れられるかもしれない。すがるものは、それしかなかった。

 これが長い夢だったらいいと思った。そうじゃなかったら嘘だ。俺はこれだけ頑張って、ここまで堕ちているなんて、ありえるはずがないんだから。

 俺は血反吐にまみれて、そこに倒れていた。薄れ行く意識――なんてものはない。ただ動けないだけだ。体が動かないのに、意識は妙にリアルだった。

 目も見え、耳も聞こえていた。倒れて、初めてギャラリーの野次が聞こえた。俺と同じ若者達が、血まみれになってヤンキーを叩きのめしたチビ助を、まるで英雄を見るような目で、見下ろしている。立てー、という声も聞こえた。もっと見たいのだろう。俺の堕ちていく様を。

 警察と救急車のサイレンが、意識の中で、頭に反響していた。俺から金を盗ることも忘れ、傷を負ったヤンキー達が一目散に逃げていく背中が、視界に映っていた。

ケースケ、と、俺の名を呼ぶ声が聞こえ、肩を揺すられた気がすると、意識は遠のいて行った。


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