Worthless
別に珍しいことじゃない。こういう連中は、自分と喧嘩しても、無傷で済みそうな奴を狙うものだ。俺は女顔で、背も低く、線も細いので、こういうのに声をかけられるのは、何もこれが初めてではない。
ただ、俺は逃げ足は速いから、こういう連中に金を取られたことは一度もない。
「痛ぇ! 痛ぇ!」
ロングコートの金髪が声を上げる。
「おい、兄ちゃん。どうしてくれるんだよ」
隣の強面の坊主頭が、金髪男の代わりと言わんばかりに、俺のコートの胸倉を掴む。
「――どうしろ、とは?」
その言葉に、後ろの金髪男が、カン高い声で叫ぶ。
「ふざけんな! 慰謝料払え! 痛ぇんだよ肩がよぉ。脱臼か、骨が折れたかも知れねぇ」
「慰謝料?」
俺はポケットに入っていた一万円札を取り出した。さっきから手の中で弄んでいたので、既に札はくしゃくしゃになっていた。汚い手段で得た金だから、むしろこいつらに丁度いいし、くれてやってもいいと思えた。自分の愚行をなかったことにしたかった。
「一万円もあれば十分でしょう」
俺は一万円札を差し出す。
「ふざけろよ」
横からドレッドヘアの男が、俺の持つ一万円札を取り上げる。
「バイキンが入って腕が化膿したら、下手すりゃ腕が腐るかも知れねえだろうが。俺の友達がそんな目にあったら可哀想だろ?」
「骨折か脱臼でバイキンが入ったら、それは数日前から感染してたんでしょうね。ちなみに骨髄炎は脊椎にまず感染しますから、腕を切り落とすまで感染が進んでたら、今歩けてませんよ」
「テメエ、バカにしてんのか」
ロングコートの男が、両手で俺の胸倉を掴んだ。俺はうつろに、男の目を覗き込んだ。
「……」
おかしいな。普段はこんな連中に説教をかますことなんかしない俺だけど……
今の俺は、精神と肉体が切り離されていて、何処か危機感が欠如している。
危険を冒す高揚と、心を蝕む虚無が同居するような――そんな破滅的な思考が俺を駆り立てる。その思考が、俺の感情を既に破壊している。
――俺は、この場で壊れてしまいたがっているのか。
「馬鹿にしてるか――そうかもしれないな」
俺が呟くと、胸倉を掴まれている俺の髪を、ドレッドヘアの男が掴み上げた。
「テメエ!」
ドレッドヘアの男が、激昂する。
「お前の手が腐ろうと、誰も省みやしない」
俺は胸倉を掴まれたまま、男の顔を見上げ、皮肉をたっぷり利かせて笑った。
「このチビ、余裕ぶってんじゃねえぞ! テメエがどれだけ偉えんだってんだよ。ああ?」
「……」
こんな奴に絡まれていることが、途端にひどく可笑しくなってきた。
そうか、きっとこれは、キリストがクリスマスプレゼントにくれた、俺の同類って事なのか。あれだけ努力したって、俺はこんな頭の悪そうなチンピラと同レベルに過ぎなかったってことなのか。
「ふふ――そうだな。俺もクズになってしまった。あはは……」
胸倉をつかまれたまま、ケタケタと夢遊病者のように大笑いする俺を気味悪がったのか、コートの男は、思わず手を離した。俺はまだ顔が笑っていた。
「だからクズ同士、仲良くしようって言ってるんだ。この金受け取って、俺の前からとっとと消えろ」
「ああ?」
コートの男は、チンピラの本性を現し、声を荒げた。男の虚ろな目が、俺の目と合うと、俺は一刻も早く、この視線を目の前から消したいと思った。
俺は男の、胸倉を掴む手首を取って、それを払いのけると、左拳が男の顔を潰した。
俺は見た目よりも腕力も背筋もあるから、予想以上のダメージだったのだろう。男はあっけなく吹っ飛んだ。悶えながら、倒れて顔を抑えている。俺がチビだから絡んだんだろうけど、あまりに警戒しなさ過ぎ。
悲鳴が聞こえた。繁華街のど真ん中、俺の近くの通行人の足が止まった。
「テメエ!」
金髪の男が突進してきた。その拳が決まる前に、俺の電光石火の蹴りが左の肘に決まった。びきっ、という音が、小さく聞こえると、男は絶叫して、その場に膝を突いて、体を痙攣させた。
ゆらりと踵を返して、残る一人――ドレッドヘアの男を一瞥すると、男の目は既に泳いでいた。どうやらこいつらは、俺より年上だけど、本当の暴力に一度も携わったことのない人間らしい。
いつだって暴力の危険の中にいた俺が、こんな奴等に負けるはずがない・・・・・・
すぐに懐に入った俺は、ドレッドヘアの男の手首をねじ上げて、足を払った。男は拍子抜けするくらい簡単に体を宙に浮かせ、うつ伏せに落下した。俺は男の背中に座り、更に腕をねじ上げる。
「ひぎいぃぃっ! 折れる折れる! 折れるって!」
男は安い仁侠映画に出てくる下っ端みたいな絶叫を上げた。
男の苦痛に歪んだ顔を見下ろしながら、腕を強くねじ上げ、パンクロックのシャウトみたいに激しくなる悲鳴に、俺は夢中になった。
これだ――俺が欲しかったのは、こうした圧倒的な暴力による搾取。
泣こうが、わめこうが、俺は相手を許さない。そんな自分が受けてきた圧倒的な暴力で、相手に恐怖を植え付けてやりたい。そんな破壊や人を傷つける行為に快感を覚えだす。
ずっと前から俺は、それを求める傾向があったんだ。何故もっと早くこうしなかったんだろうと思って、俺はその決断を出来なかった馬鹿馬鹿しさも手伝って、笑いながら男の腕をねじ上げていた。
「――」
だけど、すぐに俺に向けられた殺気を感じて、視線を上げる。
20人ほどの強面男が小さな輪を作って、俺を一斉に睨んでいる。特攻服を着た、わかりやすいヤンキー。中には、金属バットや鉄パイプを持っている者もいた。
「……」
俺がそれを見て、腕ひしぎを解除すると、ドレッドヘアは四つんばいになって、グループの奥に消えた。
俺の目の前にいた、おそらくこの中のアタマだろう、赤いモヒカンに、前を少し開いてレスラー体系の上半身を見せる特攻服、琥珀色のレンズをした眼鏡、ユータよりはるかに大きい、悪役ヘビー級レスラーのようなガタイの男が、一歩前へ出た。僕も足が止まる。
「随分上等やってくれるじゃねえか。覚悟はできてんだろうな」
「……」
変な軽蔑の念しか起こらなかった。同時に、どこかで自分と同じつながりを感じる。それが、俺を一層孤独にした。
俺と、こいつら、何の違いがあるだろう。
俺が努力して掴んだと思っていたものは、こいつらのカツアゲほども力がなかったんだ。何か奪う力すら、俺にはなかった。ただ奪われるだけの弱者のままだった。
俺はこうして弱い者いじめをするしかない、チンピラに過ぎなかったんだ。
だとすれば、俺の今までの軌跡は、なんて無価値……
繁華街の人波は、既に俺のまわりを既に避けるように進んでいた。今までは規則正しかった川の流れに、俺という石を置かれたように、人は俺を横目で見つめながら、足早に流れに戻っていく。
しかし子供は違った。血に飢えた子供は、面白そうなことが起こる前兆を敏感に感じて、その場に足を止めていた。繁華街を警備するガードマンに邪魔されないように、彼らはバリケードを張っているのだ。俺をこの中から逃がさないように。
俺はこの時、ヤンキーの円陣と、若者の円陣の、二重の包囲網に囲まれた。逃げ場がない。まるで金網デスマッチのリングだ。
アタマの男は、俺ににじり寄ってくる。俺の肩を掴む。まだ本気じゃないだろうけど、すごい力だ。こうして街で喧嘩している連中でも、強い奴は、筋トレとかして鍛えているのだろうか? ということを考えた。気持ちは別のところにあって、恐怖もなく、まったく落ち着いていた。
「何落ち着いてんだ? 気にいら・・・・・・」
言いかけると、アタマの男は、俺の前に崩れ落ちた。
「ぐああああああああっ!」
男が大型犬みたいな声を上げた時には、俺の左足が大男の股間に入っていた。
股間を押さえてもだえる大男に、特に何の念も抱かなかった。ただ、これだけ思った。
「無駄な啖呵を切る前に、するかしないか即決すべきだ。魏の曹操が、河北の袁紹を破った時、二人の歴然たる差は、そこにあった。決断の遅さが、袁紹を敗北に追い込んだんだ」
ボスを倒したので、俺はそこから出られると思ったが、あまりに俺はこのグループの威厳を損じてしまったようだ。ヤンキー達は円陣を解いて散開する。
「……」
がらんどうになった心で、そいつらを見回した。
不思議だな。本当だったら、恐怖を感じる場面なのに。
――あぁ、俺、ここで死ぬんだ。
17年か。人を嫌い続けた記憶ばかりしか浮かんでこない。
もう、家にはリュートもいない。
もう俺は、死んで困るようなことは何もないんだ。俺が死んでもあの家は何の変わりもなく、悲しむ人もいない。
俺は自分をこんなゴミにしてしまった。だから俺は、方法はどうあれ、自分を壊さなければいけない。この怒りが殺意になって、誰かを取り返しのつかなくなる程壊してしまう前に。
「テメエ、口の聞き方に気をつけろよ」
俺の正面にいた、体の小さな猿のように身軽そうな男が言った。野球で言う、切り込み隊長風の男だ。
「ここにいる連中を怒らせたら、テメエ、生きて帰れねぇぞ」
「……」
俺の顔が笑みに歪む。この脅し文句、通じない者にはここまで陳腐なものか。
「ふふ――生憎、そんなに無理して生きたくもないと思っていたところでな」
「調子にこいてんじゃねえぞ!」
金属バットを持った一人が叫んだ。俺は、また何故か、可笑しくなって、笑ってしまう。
「そうだ。俺を壊してくれ。それが俺のクリスマスプレゼントになるから」
それを聞いて、20人が怒声一番、一斉に俺に飛び掛ってくる。もみくちゃにされると、俺の体はアスファルトに仰向けに倒され、顔に代わる代わる拳が入った。蹴りが俺の腹を踏み潰す。ダッフルコートのトッグルが二つに割れた。ボロ雑巾のようにボコボコにされ、俺は路上にうつぶせに倒れた。