Resolution
一年前、僕には彼女がいた。
もう、どういう経緯で付き合ったのかも覚えていない。
僕は入学して二ヵ月で、授業のサボり常習犯をはじめ、同級生の軽蔑を一手に集めていたのが、定期テストや体育祭、文化祭などを経て、女子の告白が殺到する対象となり……その度に断り続けた。
当時の僕は、親に逆らって高校に入り、バイトをして部活をして……そんな生活が始まったばかりだったから、見た目よりも生きることに必死で、人に気を配る余裕が今以上になかった。ちなみに金もなかった。
だからユータ、ジュンイチにさえろくに関わっていなかった。
だけど……そうして告白を断るにも、僕は人を傷つけずにはいられない。
断る度に、相手は泣いたり怒ったり、僕に罵声を浴びせたり……
その度に僕の中に、煩わしい思いが積もっていった。人のためにイライラするのはもうごめんで……
そう思ったタイミングで告白してきた娘と付き合った。彼女を選んだことに理由はなかった。ただ単に、自分が楽になりたかっただけだ。
付き合っても、僕の余裕のない生活は変わらなくて……自分は人と一年間会わなくても平気なタイプだったから、自分の想像以上に彼女が僕に会いたがることに悪戦苦闘して……
ただ余計な荷物を背負っただけのような、そんな逢引きを繰り返した。
何もかもが面倒だった。彼女を思いきり傷つけて、愛想を尽かせてもらおうとも思ったが、それを見るのも面倒で、僕はだらだらと、会うだけの関係を繰り返した。
キスもしなければ、手だって握らなかった。自分にその資格がないことはわかっていたし、それで彼女に何かを悟ってほしかったのかもしれない。
そんな状態で半年が過ぎて……
彼女は勇気を出したのだろう。お互いの家にも行ったことのない僕達。
図書委員だった彼女が、放課後の図書室で二人きりの時に、僕を抱き締めて……
僕に「私って、魅力ないかな?」と聞いた。
僕の腕の中で、彼女は震えていた。
それを知った時、僕はその彼女の想いに心を不覚にも動かされてしまい。
その後、駅前のホテルで彼女を抱いた。
その時の僕は、僕の都合でこの娘に半年の時を強制したことを、初めて意識して、どうにかしてでもそれを償いたくて、彼女の思うままにした。
彼女は僕のことを抱き締めてくれて、半年も前に進めなかった僕を、まだ聖女みたいな、愛に満ちた目で見ていた。
僕は初めての女性の体に、好奇心と欲望を抱きながら、拷問のような時を送った。
あれだけ彼女に手を出す資格はないとわかっていながら、こうして彼女は、親にも見せないような姿を僕に晒してくれて、僕はそれを欲望のままいただく最低野郎に成り下がった。叫びたい程の胸の痛みに苛まれながら。
彼女が息を切迫させる度に、僕に、好き、とか、愛してる、とか言ってくれて、僕の心にそれが何度も突き刺さっていく。
僕が果てて、二人ベッドの中で彼女が、柔らかな笑みを浮かべて「ありがとう」と言った。
その笑顔を見た時、泣きたくなるくらいの心の痛みに襲われた。涙もかれた僕は、なくことは出来なかったけれど――
彼女の覚悟がその一言でわかった。それに比べて僕は、何を考えていたんだろう……
僕は彼女に礼を言われることなんか、何一つしていない。むしろ傷つけているのに、彼女に礼を言われる始末で……
男同士で話すと、まだ15だったから、セックスをやりたがる奴ばかりで、やるチャンスがあれば離さないような勢いだった。僕はまだ、その興味に至ってはいなかったけれど、そんなものだと思っていた。
でも違うんだ。セックスをするには覚悟がいる。彼女の存在を全て受けとめる覚悟か、相手を傷つけてでも何かを埋めたいという覚悟が。
そして、資格がいる。片一方の気持ちに報いる資格が。
僕はどちらもなかった。ベッドの中で、彼女に僕が与えてしまった寂しさを、埋めることも詫びることも出来なかった。それ以前に、彼女の孤独の埋め方すら真剣に考えられていなかったんだ。
僕はこれ以上、彼女を傷つけることが許せなかった。もっと早くそうすればよかったのに、次の日に別れを告げて……
こんな僕に体を捧げてしまった彼女の優しさに、今までどれだけ甘えていたんだろう……最後の最後にそれに気付いて……
彼女に平手打ちされても、涙をこらえることを覚えていたから、僕はその時、彼女にただ酷薄な表情を向けるしかなかった。
僕はあの時、何も彼女に償えなかった。
「あ……あ……あ……」
僕の手は、ミズキの胸元でバスローブを掴んだまま止まっている。
ミズキの大人っぽい顔が、間接照明で照らされて、僕の顔を見上げている。
「……」
硬直する僕に、ミズキは両手を開いて体を無防備にする。
その姿、表情が、聖母マリアのように見えた。胸が痛くなるような感覚。
気がつくと僕の体は抱き寄せられ……唇が熱いもので塞がれた。温めた蜂蜜みたいに甘くとろける舌が入り込む……
でも、僕はもうそれに応えなかった。僕は抱き寄せていた手を解く。ミズキの両耳の脇に手を突き、四つんばいの形になる。
「どう――したの?」
ミズキも僕の変化に気付いたようだった。僕を不安な表情で見上げる。
「――同じだ。あの時と」
「え?」
「――あの時、あの娘も立ち止まる僕を抱き締めてくれて……ありがとう、と、愛してる、を繰り返して……僕は……僕は……」
声が震えだす。でもやっぱり僕の目から涙は出なかった。
ミズキの顔をこれ以上見ていられなくなって、僕は後ろを向き、ベッドにあぐらをかいてしまった。
ミズキが体を起こす音。
「……私、何かまずいことしたかな」
「……」
この言葉を言ったら、ミズキはなんて言うだろう。僕をあの娘のように罵るのだろうか。
今日のはじめ、僕には毒を飲む覚悟がいると思っていた。それがこんな土壇場――もはや手遅れとも言える時に、決意が固まるなんて。
――言わなくちゃ。
「やめよう。こんなこと、間違っているんだ」
「……」
部屋の時間が凍った。
「……どうして?」
ミズキは聞く。
「……」
言葉がまとまらない。ここまで来ても僕は、ミズキを傷つけないようにと考えている。
でも……こんなのじゃ駄目だ。こんなこと続けたら……
「僕は、これ以上は君に傷を残すことしかできないんだ。これ以上君を傷つけるなんて、僕には出来ない」