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Lost-sense

 バスローブを着て、ベッドルームに戻ると、ミズキが水筒に入れていたミルクティーをご馳走してくれた。ほんのり温かく、少しシナモンの香りがした。

 はじめは変な娘だと思ったけど、彼女の印象は少し変わりはじめていた。

 ちょっとした気配りもあり、少し視点が大人っぽい。きっと成績もそこそこだろう。少しの派手さの中に、花嫁修業を積んだようなつつましさを感じる。

 きっと僕にいきなりキスをしたりしたのだって、普段からこんなことをしているわけではないだろう。彼女だってもはや自分が何をしたかわかってないのかもしれない。

 精神状態はミルクティーで回復するレベルを超えていたけれど、甘くて温かいミルクティーは、一瞬でも僕の心をホッとさせてくれた。

「……」

 ミズキはずっと僕の目を見ていた。余程気に入ったのかな。僕自身、鏡を見る機会もほとんどないので、自分の容姿を殆ど覚えていない位なんだけど。

 もうベッドに入る前の手続きを全て終え、お互い言葉少なになる。

「そうだ」

 僕が口を開く。

「君も僕に聞きたいことがあるんだったな。それを聞かなくちゃ」

 沈黙に焦れたからもあるけれど、これ以上ミズキの気持ちを踏み躙ることはできなかった。だからこそミズキの気持ちを知る努力くらいはしたかった。

 情けない。相手に気を遣っているようで、結局は自己の正当化をしたいだけなんだ。建前を振りかざして。

「……」

 ミズキはしばらく黙っていた。5秒くらい考えて、意を決しソファーから立ち上がる。

「ベッドに入らない? そこで話すから」

「……」

 まずい、それはまずい。

「お願い。傍にいてほしいの」

 ミズキは僕のバスローブの袖を掴む。

「……」

 その目があまりに真剣で、僕のことを信用しきっているような目だったので、僕はミズキの言うとおりにした。ミズキのその熱いまなざしに、気圧されたのかもしれない。

 ベッドに入ると、僕は自分を如何に冷静に保つかを意識した。だけど、僕はマツオカ・シオリを襲うことはまずないと思われ、合宿中の送り迎えさえも任されたんだ。実際如何にミズキが魅力的でも、僕が手を出すことは考えにくいと思い直す。残念ながら僕は女性に力ずくで迫るには、思考が倫理的過ぎる。

 ミズキも僕の隣に入る。ラブホテルのゆったりしたベッドでも、体が少し触れる。

「腕枕とか、頼んでもいい?」

「は?」

「あなたの腕、すごく引き締まってるし」

「……」

 もうこの状況だと、してもしなくてもあまり差はなかった。どうとでもなれと思い、半ばヤケクソで僕は水平に左腕を伸ばす。

 まだ頭は正常に働いているつもりだったが、僕はもう既に寂しさや性欲に支配されているのか? もうそれさえもわからなかった。

 ミズキが嬉しそうに僕の上腕に、右向きで頭を乗せる。耳の感触。シャンプーの香りが強くなる。顔が近過ぎて、僕はもう左を向けなかった。

 頭を置くと、ミズキは伸ばしたままの僕の左手をとり、肘を曲げさせ、僕の腕で自分の頭を抱かせた。

「何か……落ち着くなぁ」

 ミズキは目を閉じ、呟いた。

「……」

 自分が、もはやまな板の鯉のようになった気がする。さっきから、流されっぱなしだ。感情も、いくらか捨て鉢になっている。

 こういう時に、他人と関わると、大概ろくなことにならないんだ。僕の場合。

「なぁ、そろそろ答えてくれないか? 君が僕に聞きたいことは、そんなことか?」

 僕が言うと、ミズキが僕の耳の傍で笑う。吐息の温度さえ感じた。

「あ、怒った? ちょっと甘えてみちゃったけど、こんなの、男の子にはずるいよね……えへへ」

 照れるように笑う。さっきまでの大人っぽさとは打って変わり、子供みたいな笑い方だった。

「……君の聞きたいこと、何となく想像がつくよ」

 僕は天井を見上げながら言った。

「マツオカのことだろ」

「何でわかったの?」

 ミズキは驚いた声を出す。

「ん? 何となく」

 それは直観的なものだったが、強いて理由を挙げれば、ミズキはマツオカ・シオリを意識しているのを、昨日の時点で何となく感じだ。仮に僕に惚れているのだとすれば、最近頻繁に一緒にいた彼女のことを聞かれるだろうと、僕の拙い知識で女性心理を考えた結果だ。

 だけどそれを説明はしなかった。こんな腕枕までしていても、君は僕に惚れている、なんてサブいことを言う程僕はナルシストでもなかった。

「別に僕と彼女は何でもないよ。昨日のことも気にすることはない」

 言いながら良心が痛む。何故だろう。

 彼女の笑顔が頭に浮かぶ。その笑顔が遠ざかるイメージ。それが僕を理由もわからずに陰に落とす。

「そう――意外に冷たいのね」

「……」

 僕はこの時、何を思ったんだろう。

 結果がどうであれ、僕はマツオカ・シオリをこれ以上傷つけなくない。そう思うあまり、少し饒舌になっていたのかもしれない。

「あの娘はいい娘だから、僕なんかと一緒にいちゃいけないんだ。僕にいつまでも付き合わせるのは可哀想だ」

 こうして思うより先に言葉が出る。彼女を突き放したりしたくないのに、それをしている今の自分を必死で正当化して、流れを止めようとしている。

「じゃあ、シオリのこと、どう思う?」

「え……」

 どう思うって――彼女のことがこんなに頭に浮かぶのに、僕の中での彼女という存在の定義は、世界一曖昧なものだ。元々感情を言語化するのは苦手だし、うまく説明できない。

 でも――

 こうして彼女のことを考え続けるのは、何だかイライラする。頑張って言語化すれば、僕にとってマツオカ・シオリがどんな存在か、答えが具体化されるかもしれない。

「あの娘は……泣き虫で、自分に自信がなくて、いつも迷ってる。だけど本当はとても強い娘なんだ。僕に夜食を買ってきて、ご丁寧にプリンを付けちゃうくらい律儀で、何よりいつも感情が馬鹿正直で、一生懸命なんだ。そんな彼女の存在や言葉は、ただそこにいるだけで、心が穏やかになる。そんな柔らかな光に包まれていて……」

 そこまで語ると、僕は一度言葉を止める。これ以上語ると、僕は取り返しのつかないことになりそうだった。

「……」

 沈黙。

「幸せだなぁ、シオリは」

 ミズキは溜め息を漏らす。

「好きな人にそんなに想われて」

「……」

 彼女が僕を好きだって? ミズキは多くの女の子の話を聞いたと言っていたけれど、あの娘が僕の名を出して恋の相談をしているとは考えにくい。

 そんなこと、あるわけない。

「あの娘、男子に人気があるでしょ? だけどあの娘を好きな男子は、みんなあの娘の顔や、うわべだけを見てる奴ばかりだもん。あなたはちゃんと、シオリの心に触れてあげてるのね」

「そうかな……男の中にも、彼女の優しさや健気さに惚れてる奴はいるけど」

「そういうのとは次元が違う」

 ミズキは少し強い口調で、僕の言葉を遮る。

「結局そういう人も、シオリのことをアイドルみたいに見ているのよ。それが偏見だってこともわからずにね。でもあなたは違う。あなただけはあの娘を普通の女の子として見てあげてる」

「……」

 否定はしない。事実僕が彼女に近付かないように言った連中がそうだから。彼女を愛でているようで、実際は自分のイメージにはめ込む行為だ。

 でも、僕の場合、彼女は敵だったんだ。だから他の連中より彼女を偶像化してないと言うよりは、違う視点で差別していただけなんだが。

「あなたって不思議な人よね。あまり他人と接点を作りたがらないのに、その目は、人を外見や貴賎での差別をしない。だから、みんなあなたの隣にいたいって言うんでしょうね。あなたといると、何だか肩の力が抜けてほっとするもの」

「……」

「だからかな……」

 と言うと、ミズキは僕の首筋に両手を伸ばし、僕の体を抱き寄せた。僕も腕を回しているから、二人抱き合う形になって、ミズキは僕の胸に顔を押しつけた。

「あなたの目を見ると、私の心に触れてほしくなる……」

 僕の胸の中、くぐもった声でミズキが言った。

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