Idiot
それを聞いて、ミズキはまるで呆れるような力ない笑顔を見せた。
「困ってるんでしょ? 私がこんなこと言って」
「え?」
「大丈夫。自覚してるから。今の私は、あなたを困らせてるって」
「……」
見つめ合うと、ミズキは目を逸らす。
「あぁ――そのあなたの目――何て言うのかなぁ」
「え?」
「あなたの目、情熱的で温かくて、それでいた沈んだ輝きを秘めていて。深い悲しみに満ちた目なのに、何でだろう……見ていると、何だかほっとする」
「……」
「今日一緒にいて、段々あなたのその目の輝きに惹かれる自分がいて……落とすように笑うあなたの笑顔を見たら、胸が痛くなって、気がついたらあなたのことが……」
「……」
自分ではわからないけど、この理屈は筋が通っているのか?
するとミズキは立ち上がり、僕に背を向ける。
「私、今まで付き合った人って、みんな年上だったの。大学生とか社会人とか。私はこんなだからさ、同い年の男の子のウケが悪くて……」
自嘲するような声。
確かに、ミズキには恋愛音痴の僕でもわかるほど、大人の女の雰囲気がある。男性経験も少なくなさそうで、こういうタイプは確かに僕達の世代では乗りこなす自信がなくて、ユータくらいじゃなければ敬遠してしまうだろう。
「だからかな、学校ではお姉さん役になってて……他の娘の恋の相談なんか受け持っているわけ」
そう言って、ミズキはこちらを振り向く。優しい笑顔で僕を見下ろしながら。
「あなたを好きだって娘の話は、高校に入って数えきれない程聞いたわ。まぁ、あなたはその娘達を全員振ってきたんだけど」
「……」
まるで僕が非情な人みたいだ。ここでそのことを責められるのかな。まぁ事実だから何とも言えないが。
「確かに、あなたは勉強もスポーツも、何でも出来て、ルックスも、ちょっと背が低い以外は完璧だわ。優等生ばかりの学校で、ちょっと不良っぽいところもあって、真面目な女の子だらけの埼玉高校じゃ、もてるのは当然だって、はじめはそう思った」
「……」
逆に言えば、僕の価値はそこで止まっている。僕は親にさえ、それ以外の価値を見いだしてもらえなかった。それを失った時、僕はゴミになり、虐げられる立場となった。
「でも、あなたのことが好きな娘はみんな、あなたの頭や運動神経を、好きになった一番の理由に挙げなかったわ」
「……」
「みんな言ってたの。あなたのその、悲しげな、深い色をした目が好きだって。あなたの、寂しげに落とすような、澄んだ笑顔が好きだって。あの目を自分に向けさせたいって」
「……」
「私は意外だったの。私のまったく予想してなかった答えをみんな言うのよ。そんな話を聞いているうちに、私も何だかあなたに興味がわいてきちゃって……」
そう言うと、ミズキは自嘲する。
「だからあなたのことを知りたいと思って、こうして近付いた。そしたらまさか気が付いたらあなたにこんなに惚れちゃったなんて……そういうことよ。馬鹿みたいでしょ?」
「……」
自分の魅力なんてわからないし、僕以外の人が僕のことをどう思っているかなんて、僕に関係ない。
だから、僕が分かったのは、ミズキが僕を好きになったということだけだった。
「ごめん、シャワー、浴びてくるね」
沈黙に耐えられなくなったようにミズキは部屋を出ていった。
「……」
部屋に、僕一人が残された。
頭が重くなったので、僕はベッドに倒れこむ。まだ新しい、ホテルの天井を仰ぐ。
「……」
あまり経験はないけど、女の子がシャワー浴びてるのを待つ時間って、色んなことが頭に浮かぶな――
そりゃ、彼女とだったら、いよいよだと思って、彼女の肢体を想像したり、ベッドの立ち回りをシミュレートする、何とも嬉しくももどかしく時間だろう。
だけど僕は、シャワーの音がこんな卑猥なものに感じたことはなかった。微かに水の落ちる音が、僕の神経を欝にする。
あぁ、シャワー浴びると、これから僕達がそうなるってのが、俄然リアルになってくる。
逃げたい。出来れば地球の裏側にでも――
10分ほどで、ホテルのバスローブに身を包み、タオルで髪を拭くミズキが来た。
「また寝てる!」
ミズキの声が、ここに来る前のフランクな感じに戻っていた。
「あなたもシャワー、浴びてきたら?」
「……」
僕までシャワー浴びたら、フラグが鉄板になりそうでためらわれたが、拒否したところでもはやあまり差はなく、一瞬でも彼女と離れ、一人になれることを優先した。
一人になって、考えを整理する自信はない。ただ、これでいいのかという問い掛けは、もうずっと前から始まっている。その問いを少しでも綺麗にするための時間稼ぎだった。
ミズキが使ったばかりだから、シャワールームは若干温かかった。
「……」
ここまで来るともう体が期待しているのか、下半身が少し覚醒している。
今程自分を情けないと思ったことはなかった。女の子があそこまでしてくれて、何も気を遣ってやれない。こうして考えるだけの自分の無力さに腹が立った。その反面で、体はその気になりかけているんだから。
「……」
ミズキも言っていたな。僕の目には、自分への怒りの色が深いと。
そんな目にいつのまにか恋に落ちて、馬鹿みたいだと言っていたな。
「……」
馬鹿は僕だ。
僕ははじめから、ミズキの前で今日、愚を演じる予感があった。
自分の都合だけで、たまたま寄ってきた女の子を凌熟し、憂さ晴らしのように、色々なものを彼女にぶつけ、吐き出そうとしていた。
覚悟していたつもりだった。だけど、それがいざその場に立つと、その行為の醜さが想像以上だった。
それに気付いているのに、僕はミズキになんて言えばいいかわからない上に、ずるずると闇に引き込まれ、タダで女を抱くことに、期待さえ抱く……
僕は世界一の馬鹿者なんだ。
流水を頭に被って頭を冷やしても、マツオカ・シオリの顔が、思考から消えない。
こんなヘタレな結果になる前に、彼女に一言謝りたかった。この数か月、何度も彼女を傷つけたことを。
僕がこんな最低野郎になる前に、一度お礼が言いたかった。この数か月、彼女の言葉に支えてもらい、心にぬくもりを灯してくれたことを。
彼女といられた合宿は、本当に楽しかった。
もっと彼女と話したかったけれど――きっと、今日、これから僕は、二度と彼女の前に姿を現わすことの出来ない汚物に成り下がるのだろう。
そう思うと、頭の中で、本人に届くわけでもないのに、僕は何度も彼女に、ありがとう、と、ごめんなさい、を繰り返していた。
いつまでも、いつまでも――