Hesitate
「本気で言ってるのか?」
僕は一度止まった思考を精一杯動かして、何とかそれだけ言った。
ミズキは潤んだような目で、こくりと頷いた。
「……」
ど――どうすればいいんだ、こんな時。
真意はわからないけれど、女の子が恥をかいてまで、僕に全て好きにしていいと言っている。
でも――
実際の僕はミズキが思うような男じゃない。しかも僕は、彼女をはじめから利用する気で一緒にいたんだ。彼女が望んでも、それに僕が応えてやる資格もない時は?
「……」
あれ? この、さっきまで僕を子供扱いしていたこの娘のことだから、なーんちゃって、とか言うのかと思ったけど……
「……」
――これ、マジなのか。喋れよ。何だこの空気。
だけど情けない。体がそれを求めているのがわかる。
そりゃ僕だってまだ17だし、性欲とかがあるのは自然だろう。個人差はあっても、ミズキみたいな胸の大きい、色っぽいタイプに性欲を覚えたって……
はじめはそう思っていたはずだ。彼女を利用して、2人メチャクチャして、僕の心を支配しはじめた孤独を埋めようとした。そこまで堕ちてしまえば、辛い事を全て忘れられそうな気がして。
図らずも、ミズキは僕の思い通りになりかけたんだ。
だから――嬉しいはずなのに。
後味が悪くて、何だかわからなくなってくる。
やっぱり僕は、人を利用するには非情にはなりきれないのかもしれない。マツオカ・シオリを敵だと思いながらも、いつまでも非常になりきれなかったことから、わかっていたことなのに……
甘さを捨てきれない。これでも非情になりきろうと頑張っているんだけど。
「……」
更に情けないことに、僕はもうミズキと共に、市内のラブホテルの前にいる。
ミズキは女性なのに、恥をかいてまで僕を頼ったんだ。それを傷つけないように断る術を考えているうちに、ホテルの前まで来てしまった。
考えたって僕にわかる訳ないのに。僕が人を傷つけずに生きられたことなんか、今までないじゃないか。
「……」
僕の女性経験は一人、しかも一度だけ。どうしていいかわからなくて、ほとんど何も覚えていない。しかも、その後になって、彼女のことを以前と同じようには見られなくなって、すぐに別れを言って、何度も平手打ちされた。彼女の愛の重さに、僕の脆い覚悟が押し潰されたんだ。
僕はまた、同じことを繰り返すのか。女を抱く覚悟が足りないくせに、都合のいいことばかり考えて。ミズキを抱いたって、僕は彼女に何も報いるものが無い。ここまでしてくれる女の子に。
「……」
ここに来るまで、ミズキは一言も喋らなかった。僕の手を握って、不安そうな顔をするのみだ。
「えっと、ここでいいのかな」
僕はミズキに聞いた。言いながら自己批判が言葉に追い付いた。僕は一体何を聞いているんだ?
今僕は、誰にも見せたくないような醜い顔をしているのかな。性欲むき出しで、あまりに粗野で無神経な姿だ。今日、自分が愚を演じることは予想の範囲だけど、こういうのはなかなか受け入れられない。
ミズキはこっくり頷いた。
川越でもロビーが無人のホテルはいくつかある。入ったことはないけど、比較的新しいホテルを選んだ。
予想どおりロビーが無人で、僕は少しホッとする。こんな姿、誰にも見せたくなかった。
部屋に入ると、割と綺麗な部屋で驚いた。変な照明とか、演出はないシンプルな部屋だ。一人がけのソファーが二つ、冷蔵庫にテレビ。風呂はジャグジーがついているって書いてあったけど、見に行く気にはなれなかった。
僕は荷物を置き、着ていたダッフルコートを脱ぎ、ソファーにかけた。そしてそのまま一人分の椅子に深く腰掛ける。
「何か、ちょっと照れるな」
ミズキが言った。僕が顔を上げると、ミズキは僕の座る椅子の右側にあるベッドに、コートを脱いで座っていた。薄手のセーター姿になって、胸元はミズキのふくよかな胸の谷間が見えるか見えないかまで開いている。下はミニスカートだし、体の線がリアルになって、妙に艶めかしい。思わず目を逸らす。
「緊張してるの?」
ミズキは聞く。
「……」
緊張? 確かに体はガチガチだけど、それはちょっと違う。
サッカーでもフェイントにかかった時に、一瞬こんな軽い金縛りに似た感覚に襲われる時がある。
まさか僕はミズキからキスされた挙句、ホテルに誘われるなんて考えてなかった。
そう、あのキスや言葉はフェイントだったんだ。僕はミズキのフェイントにかかって、それがまだ続いているんだろう。サッカーのフェイントは、抜かれたら完結するけど、今の状況はまだ完結していないのだから。
でも実際、男がこの状況に来たら、早く理性を捨てた方が楽だろう。
だけど――
僕は理性の捨て方がわからない。
それができるくらいなら、僕はあの家で既に狂う事を選択している。それができないから、今の僕の苦しみがあるのだ。
メチャクチャになって、何もかも忘れてしまいたいが、それをするには僕は少し甘過ぎる。ミズキに対する罪悪感が、僕を常に理性的に保つ。楽な道を選べない自分がつくづく嫌になる。
ざまあない。今日限りは、ミズキと一緒に狂う事を選択してしまおうと思っていたのに、今更僕は、狂うことの出来ない性分だと気がつくなんて――
「変な日だ――昨日は学校の食堂で、一日中カレー作ってた僕が、今じゃ昨日まで一度も話したことのなかった君とこうしてる」
僕は俯いたまま言う。
言葉にして、また僕は昨日のマツオカ・シオリのことを思い出す。
なぜ彼女のことを思うと、ミズキと一緒にいるのが後ろめたいんだろう……
はじめは、彼女と向き合いたいがために、ミズキを利用しようとしたはずなのに。
きっと、寂しさや辛さを表に出すと、それは自分を食い殺す。やり方を間違えていたのだろう。
辛いけど、大人になるってのは、きっとそういうことだから。
「聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
ミズキが言った。
「僕も君に聞きたいことがあるけど……」
僕は顔を上げる。
「いいよ、先に言って」
ミズキが手を差し出す仕草をする。
「先に聞いたのはこっちだから」
「何故だ?」
僕はそれだけ聞いた。
「何故って?」
「昨日から、今に至るまでのことさ」
僕は手を組む。
「こんなことを言うのは自惚れだけど、ここに誘ったっていうのは――その、そういうことしてもいいってことなのかも知れないが……何故なんだ? 君が僕に、そこまでする理由が、僕にはわからない」
この気持ちの完全な言語化は出来ないけど、それだけ言った。