Gap
市街地に戻り、自転車を駅前の駐輪場に置くと、近くのオフピークの喫茶店で、僕達はパニーニを昼食に取った。
僕は初めてパニーニを食べた。どうしてこれをサンドイッチと言わないか、ずっと疑問に思っていた。一人で「パニーニひとつ」と注文するのはちょっとどきどきしそうだ。多分こんな機会でもなければ、これを注文する機会はなかっただろう。僕は喫茶店で「トール」さえ慣れないんだから。
ミズキは僕がパニーニにかぶりつくのを、じっと見ていた。
「何?」
「いや、ゆっくりものを食べる人なんだな、と思って」
「そうかな……」
「学校だと、サクライくんは知らないかもしれないけど、みんな2時間目が終わる頃には、男子はみんなお弁当を食べちゃってるわ。もうお腹が減って、何かお腹に入れたいって、必死に食べてるもの。それに比べたら、あなたの食べ方はどこか品があるわ。意識はしていないかもしれないけど」
「品?」
僕は少し笑う。
「こんなかぶりつく食べ物に、品も何もないと思うけれど」
「ううん、食べ物だけじゃないわ」
ミズキはナプキンで、口紅が落ちないように軽く口を拭う。
「あなたは言動もいい加減で、喧嘩だってするし、授業にも出ないような無頼漢だわ。でも、実際のあなたは物腰も涼やかで、仕草も丁寧で、どこか品がいい。育ちがいいのか、余程の教育を受けたのかわからないけれど」
「……」
育ちがいい? はは――この娘が僕の家庭を見たら、何て言うかな。
ミズキはホットコーヒーに口を付ける。
「学校中の女の子が、みんなあなたに憧れるのは、きっとあなたが、そんなギャップをいっぱい持っているからじゃないかしら」
「ギャップ?」
「例えば――そんな女の子みたいな風貌で、大乱闘もしちゃうし、しっかり者に見えて、実は意外と抜けていたり、大人っぽくて冷たい印象なのに、たまにすごく子供っぽい顔をするし」
「……」
「さっきスケートをして、一度転んだ時も、負けず嫌いの子供みたいな顔をしていたわ」
「そう……だったかな」
僕は回顧する。
「うん、あなたみたいな目をする人のことを、青春っていうのかな」
「……」
マツオカ・シオリも僕のことを、理想の青春像だと言っていた。解釈は違うけれど。
僕は、別の女と一緒にいても、マツオカ・シオリのことを一度思うと、それがいつまでも残る。
もう一度パニーニにかぶりつき、彼女が今、何をしているのかを考えた。
食事を終え、繁華街を歩くと、ミズキは僕をゲームセンターに連れてきた。クリスマスなのに、カップルで満員だ。ユーフォーキャッチャーは順番待ちまで出来ている。正気の沙汰とは思えないな。
「これ、やってみて」
指を指したのは、オンラインで全国の人と対戦できるクイズゲームだ。
「あなたがこういうのやっているところ、すごく興味があるな」
僕とミズキは、空いた台の二人がけの椅子に座る。肩が触れるほどの距離になって、ミズキの香水の香りが鮮烈になる。華のような、いい香りがした。
『問題、初夏にアフリカからイタリアへと吹く南風は○○○○? 答えをタイピングせよ』
「4文字だよね? フェーン、じゃない?」
「違う、きっとこれだな」
僕は、『シロッコ』と解答した。16人ほどで対戦していたが、僕一人の正解だった。
「すごい! 何で知ってるの?」
ミズキは僕の肩をさする。こんなのは、地理をかじっていれば簡単だ。
「ちょっと待って。次の問題が出る。ビールの小瓶の容量は○○○cc? あぁ、これは簡単。334cc」
「また正解! すごいすごい!」
「赤毛のアンの舞台となった島の名前は――確か、プリンスエドワード島だったか? インカ帝国で、言語として使われていた言葉は――ケチュア語だったか」
2回やったけれど、当然のように僕はどちらも優勝した。勝負なら負けるのは大嫌いだから、僕も思わず興奮した。
「これ、楽しいな。こんなにレベルが高いとは思わなかったよ」
「このゲーム、間違えた問題をメモして家で解いている人もいるくらいなんだよ? そんな人達にも勝っちゃうなんて」
「そこまでするのかい? すごいな……」
その後ゲームセンターで時間をつぶしていると、時間はもう4時を回っていた。
「しかし、いいのか? さっきから僕に何かやらせたがっているだけで、君のしたいこと、まだ何もしてない」
僕は繁華街を歩きながら、少しミズキに悪くなって、聞く。
「え?」
ミズキは振り向く。もう既に上の空だった。
「どうしたの? どこか悪いの?」
「う、ううん、そうじゃないの」
「……」
何か、変だ。
だけど、僕が何かをやるだけでいいのだったら、僕は気が楽だ。女の子を喜ばせる術なんて心得ていないから。
僕はどうやら、愛をささやくよりも、行動派らしい。ただ動いているだけで、はじめは口車でミズキのペースに乗せられ、調子が狂っていたけれど、体や頭を動かしているうちに、ミズキと一緒にいる気まずさは消えかけていた。
「君は友達と、どんなことして遊ぶの?」
僕はデートらしく、適当な話題を振ってみる。それと同時に、友達とろくに遊んだことのない僕が、次はどこに行こうか、選択肢を増やそうとした。
「――え?」
ミズキは僕が聞いて、3秒後に振り向く。
やれやれ――はじめはあんなに元気だったのに。
「カラオケでも行くか?」
「――」
「実は僕、一度も行ったことないんだよね」
「そ、そうなんだ」
ミズキは返事に困っている。
「引いたか? 友達もいない奴だって」
「う、ううん、そんな事はないの」
何で僕は、一度も行ったことのないカラオケなんか勧めてるんだろう。女の子がなんとなく行きそうで、例外なく好きそうだからかな。僕の女の子に対する知識なんてこんなものだ。なのに僕はこうしてデートもどきをして、何をやっているんだろう。
――カラオケの部屋の取り方なんて知らないけど、ミズキがさっきからずっと上の空だったので、僕がやるしかなかった。店員に声をかけられたので、おかげで恥をかかずに済んだ。
でも、こんな感じで済むなら、デートって、簡単だな。ミズキを傷つけやしないか、朝は結構嫌な気分で出かけたけれど――これなら何てことないじゃないか。
「へぇ。この機械で曲を入れるのか。あ、マイクがある。あー、あー」
部屋につくなり僕はそんな事をしていた。
ミズキの方を振り向くと、ミズキは僕の姿を滑稽ととったのか、にこりと微笑んだ。
「よかったよ。笑ってもらえて」
僕はミズキの目を覗き込む。
「僕があんまり世間知らずだから、呆れてるのかと心配してたんだ」
「……」
ミズキはもう一度微笑む。
「サクライくん、いつもギターやピアノ弾いているもんね。きっと歌も上手いんだろうね」
「どうかな……何を歌っていいかわからないから、リクエストくれたら歌うけど」
「え? いいの?」
「もういいよ。今日はもうついでだ。君の頼みは聞ける限り聞くよ」
それからミズキ、僕の順で交代で歌を歌う。ミズキは僕に曲のリクエストを贈る。
ミズキは僕にラブソングを歌わせたがった。それはきっと、恋愛を毛嫌いするような僕に、甘い歌詞を歌わせて、どんな反応をするのか見たかったかもしれない。確かに僕は、歯の浮く寝言みたいな言葉を、ずらずらと歌っていた。
僕の、歌詞を追うような曲を、さっきからミズキは、歌も上手いなんて言ってくれた。光栄だけど、僕は普段声をあまり出さないので、4曲歌っただけで、喉が潰れそうだった。
このこっ恥ずかしい曲が終わる。僕はマイクを持つ右手を下げる。次はミズキの曲が入る。
だけど、テレビ画面には次の曲のタイトルではなく、カラオケボックスの新着曲紹介が映し出される。
「どうしたの? 君の番じゃないか」
僕はテーブルに置かれている、曲の予約機を持ち、ミズキに差し出す。
「……」
だけど、ミズキは僕のことを、射るような目で見据えている。何かを決意したような目だった。そう、カラオケの曲を入れろ、なんていう、そんな事を言おうとした僕の喉が、その言葉を飲み込んだ。
「……」
沈黙。
ミズキは僕の伸ばす手の横――をすり抜け、僕の横にくると、座っている僕に顔を近づけ、唇を僕の唇に押し付けた。
二秒。
ミズキは唇をゆっくりと離す。僕は雪女にでもキスされたように体も思考もフリーズした。
また沈黙。
カラオケのテレビからの音が、アーティスト自身の曲紹介に変わった。
顔を赤らめ、うつむくミズキが、やがて口を開いた。
「ホテル、行こっか」
「……」
「私も、あなたのそのギャップに、やられちゃったみたい……」
――ズクン。
僕の心臓が一度、痛みを残して強く高鳴った。