Skating
「でも良かった。本当は私でも、あなたが来ないんじゃないかと思って、不安がなかったわけじゃないから」
「……」
そう言うことを言わないでくれ。僕だって、なぜ君の下に来たのか、今でもよくわかってないんだ。
僕は顔を上げて、ミズキの姿を一瞥する。
こういうのを、妖艶というのだろうか。自分と同い年とは思えないほど色っぽい。僕と同じくらいの背丈にセーター、黒のロングコートに、冬には短すぎるんじゃないかというほどのスカート、ブーツの高さが控えめなのは、僕の身長を考慮されたのかな。とにかく大人びている。そう見せるように、多少の無理はしているのかもしれないけれど。
何でこんな娘が、クリスマスに彼氏も放り出して、僕と一緒にいるなんて言ったんだろう。
「君こそ、彼氏はいいの?」
僕はその疑問をぶつけてみた。
「僕は去年のクリスマスも、バイトしてからジュンイチと、家で鍋とかやってたんだ。こんな日に、君が望むものなんてあげられないよ」
僕は去年のクリスマスを思い出していた。僕はコンビニのバイトをやって、廃棄処分の食べ物を持って、自転車で30分かけて、隣の狭山市にあるジュンイチの家に行った。酒を飲んで二人で鍋をつついて、ジュンイチは彼女と一緒にいるだろうユータに対する愚痴を、朝までぶうぶう言っていた。僕はそれをただ聞いて、ジュンイチを寝かしつけて、僕もジュンイチの横で寝た。そんな死んだ方がマシなクリスマスだったんだ。
こんな娘を、どうやってデートにエスコートしろって言うんだ?
しかし、僕がそう言うと、ミズキはあっけらかんと言った。
「私にとっては、今日は結構スペシャルな日なんだけどなぁ。クリスマスにあなたが一緒にいるなんて、学校の娘が聞いたらきっとみんなうらやましがるわ。だから目に付かないように、待ち合わせにこんな遠くの公園を指定したんだから」
なるほど、ずっとこんな駅や繁華街からも遠い場所を指定したことを、疑問に思っていたんだけど、そういう事情か。確かに僕が女子と一緒に歩いているなんて、今までないし、僕だって誰かに見られたくもない。そういう意味では都合がよかった。
「サクライくん、自転車でしょ? 後ろに乗せてよ」
「は?」
「いいでしょ? 私今日は、そういう学生っぽいデートがしたいの」
「……」
学生っぽいって……十分今だって学生じゃないか。
まあいいか、要望を出してくれるならありがたい。僕はデートのやり方も、人を喜ばせる方法も知らないのだから。
――公園のサイクリングコースを一周しただけだけど、彼女は妙にはしゃいでいた。こんな大人っぽい子が、こんなことでこういうリアクションを取るなんて思っていなかったから、意外だ。確かにサイクリングコースは、並木道もあったり、坂道もあったり、噴水があったり、綺麗な景色はいくつかあった。僕は後輪の軸に足を引っ掛けて、僕の肩に手を乗せるミズキを落とさないように気をつけていて、それどころではなかったけれど。
「あー面白かったぁ」
僕はミズキをおろした後、彼女にホットココアを買って持ってきた。それを飲みながら、ミズキはもうご機嫌だった。
「ひとつ、希望を出してもいいかな?」
「え?」
「サクライくんって、学校では天才ってことになってるけど、すごいところって、苦手なものが何もないってことだと思うの」
「……」
「だから、あなたと一緒に、色々なことをやりたいな。お金はかけないでいいから」
「……」
――それで僕が自転車にミズキを乗せてやってきたのは、市内のスケートリンクだ。スケートを選んだのは、ミズキが僕のやったことのないものをやりたいと言い、スケートは僕が一度もやったことがなかったからだ。
スケートリンクはほとんど客がいなかった。そりゃこんな日にスケートに男だけじゃ来ないし、デートならもっとしゃれたスケート場がある。わざわざこんな古びたリンクに来る理由がない。
靴を借りて、僕は年季の入った紐締め式の靴を履く。ミズキは小さな頃からよくやっていたらしいから、すぐに慣れてリンクに行ってしまったが、僕は靴を履いてからも、ブレードで歩くのがこんなに歩きにくいとは思わなかったから、随分もたもたした。
「うわっ!」
しかも、ミズキに手を引かれ、リンクに一歩入ると、ここまで滑るものなのか、僕は派手にしりもちをついて転んだ。かなり痛い。
「あはははは!」
僕が転んだのを見て、ミズキは嬉しそうに笑った。ここまでは自分のシナリオ通りなのだろう。僕はあまりに無様で、心の中で今日の厄日振りを呪っていた。
「大丈夫?」
ミズキは僕に手を伸ばす。
「くそ」
僕はその手を取らず、リンク脇のバーを掴んで立ち上がる。
「意地を張るなぁ」
ミズキの呆れる声がした。
そしてそのバーから手を離し、少しだけ足を浮かせずに前に体を倒すと、ゆっくりと体が前に進んだ。
「よし。摩擦の感じを覚えた。ちょっと待っていてくれないかな」
僕はミズキを待たせて、ひとりで先に行く。もう僕は摩擦を体で覚えたので、次には一度も転ばずに一周出来るようになっていた。
1分でミズキの下へ帰ると、ミズキは少ししかめ面をした。
「うーん、はじめはサクライくん、これはかなり苦戦する様が見れると思ったんだけどなぁ」
しかし、苦戦するなんてものじゃなかった。
30分もすれば、僕は後ろ向きでも自由に滑れるようになったし、1時間でジャンプして転ばずに着地までマスターしていた。
僕の無様な姿を見ることはないとわかって、そこまですると僕達はリンク外へ引き上げていた。慣れない靴でジャンプまでして、何度も衝撃を受けた僕は、足がちょっと痛かった。靴を脱ぐと、自分の戒めが解かれたような開放感があった。
「もう3時間もあったら、4回転サルコウまで出来ちゃうんじゃないの?」
「そうだな。オリンピックに行きたくなったら、練習する」
僕は答えた。勿論ジョークで、そこまでやれる自信はなかった。それをやるために毎日スケート漬けの人だっているんだ。その人達に対する最低限の分別くらいはあるつもりだ。
「でも、あなた、すごく注目されてたわ。あなたと一緒にいる私も目立っちゃって……」
「そうだった? ごめんね」
「ううん」
首を振ると、ミズキはいきなり僕の腕にしがみついてきた。
「女からすれば、連れの男が目立つのは気持ちいいものよ」
「……」
また、女は……か。僕は女というものがよくわからない。
女は本能的に、子孫繁栄のために、よりよい遺伝子を求めるから、才能のある男に惹かれる習性が、どの動物の雌にもあるらしい。僕がミズキの気持ちをわかろうとするなら、僕の中で一番近い解釈がそれだと思われた。
だけど、僕は黙っていた。人間と動物を同列に考えることは、家で家畜扱いされる僕が最も嫌う行為だからだった。