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Daily

 食堂には、マツオカ・シオリも、タカハシ・ミズキもいなかった。ミズキはともかく、シオリはどこに行ったのだろう。もう家に帰ったのか。

 コップにコーラやジュースを注ぎ、ポテトチップスやポップコーンなんかをつまみながら、もう一度無礼講が始まった。

 僕は乾杯だけ参加し、また一人カウンターの中へ。食堂のでかいシンクに温水

を蓄め、皆の食べたカレーの皿をその中に放り込んだ。ジャンパーを脱ぎ、僕は

腕まくりをする。

 少し休んだから、もう握力が戻りかけている。僕は温水の中に洗剤を撒く。シ

ンクの中に泡が発ちはじめる。

「あぁ……腹が減ったな」

 腹がグーッと鳴った。カレーを作っているうちは考えていなかったが、よく考えたら、僕は昨日の夜から一日半、味見以外で何も食べていなかったんだ。

「サクライくん」

 声がした方向を向くと、僕とマツオカ・シオリ、共通のクラスメイトの吹奏楽部員が立っていた。この子の顔は覚えてる。名前はよく覚えてないが。

 僕の顔を見ると、彼女は口元を押さえて笑った。

「サクライくん、顔が泡だらけじゃない。鼻の頭にも……」

 僕は指で鼻の頭を拭うと指先に少し泡がついた。

「子供みたい」

「……」

 彼女は、口元から手を外す。

「サクライくん、シオリに会わなかった?」

「……」

 何て言おう。まさか別の女の子にハグされたのを見られました、なんて説明するわけにはいくまい。

「――いや、見てないけど」

 ミズキは僕のことを、隠し事が下手だと言った。だけど今はその下手糞な嘘に

すがるしかなかった。

「おかしいなぁ。あの娘にハッパかけたのに……頑張れなかったのかな」彼女は首をかしげる。

「え?」

「あの娘、あなたが朝から何も食べてなかったみたいだったから、心配してたのよ。そう言って、またあなたのことで悩んでたから、私達みんなであの娘にハッパかけて、あの娘に食事を買って、届けるように言ったんだけど……」

「……」

 あれ? じゃああの食べ物はまさか、彼女が僕のために? そのために一人で戻ってきたのか?

 確かにあの、奥手を絵に書いたような少女だ。それだけのことでも、彼女にとってはかなり悩んだことだったんだろう。その上、あんなところを見せられたんじゃ、逃げ出しても無理はない……

 ミズキの言うとおり、また泣かせたかも。

 ――くそっ。なんてこと……

「ケースケ」

 男の声がして、思考が引き戻される。

 今まで話していた女の子の後ろに、ユータが立っていた。

「あ……邪魔かな? ごめん。私は、それが聞きたかっただけだから」

 そう言って、女の子は去っていく。

「別に大した要件じゃないのに……」

ユータは頭をかく。

「洗い物なんか、後でみんな手伝うからよ。ほら」

そう言って、ユータはオレンジジュースの入った紙コップを僕に差し出した。僕はそれを受け取る。

 ユータは持っていたコップのジュースに口を付け、キッチンの作業台に寄り掛かった。

「お前にしては、今日、頑張ったじゃないか。これがお前の、変わろうとした結果か?」

「――さぁ、どうかな」

僕もユータの隣に寄り掛かる。

「お前に言われてやってみたが結局、人はそう簡単には変われないって認識しただけかも知れない」

 こうした会を開いたのはいいが、人の輪に入り込むのには、まだ時間がかかりそうだ。

 基本的に一人に慣れ過ぎているし、人に頼らなくても、大抵のことは自分で出来る。だから人とどうやって接したらいいか、いざやってみると何も知らないのだということがわかっただけだ。

「……」

あれ? じゃあ僕って、どうしてユータ達とはいつもこうして一緒にいられるのだろうか。シオリがいうように、あの二人の前でだけ、僕はどこか違う一面があるのだろうか。自分ではまるで自覚がないけれど。

「少なくとも、俺はお前やジュンのおかげで、少し変わることが出来た。お前だってこれからさ」

 ユータは言った。

「誰かのために気張るのも、悪くないだろ?」

「どうかな……まだよくわからない」

 僕がそう言うと、ユータは僕の方を見て、にこりと笑った。

「あぁ、そうだ。これ」

 ユータは左手に持つムースタイプのポッキーを差し出した。

「金が無いからって、甘いものなんかめったに食わないお前らしくないな」

 僕はポッキーを受け取る。

「……」

 本当はこれを、マツオカ・シオリにあげようと思っていたのだ。彼女は今日、僕の話を聞いてくれたから、そのお礼にと思って。

 彼女に礼を言って、今日一日、少しは前に進めたと思いながら、いい気分で一気に寝てしまう予定だった。

 なのに……僕達は後一歩、分かり合うことが出来ずにすれ違い続ける。また今日も、同じ過ちを繰り返してしまった。

 そして、今日垣間見た、僕の本性は……寂しさや怒り、憎しみが暴走して生まれた、あれがある限り……

 僕はこれからも彼女を傷つけてしまうのだろうか。僕は変わることが出来るのだろうか。

 僕はこれから、どこへ向かえばいいのだろう。


 家に帰ったのは、10時を過ぎていた。一週間ぶりの家の門は、錆付いた蝶番の

音が実に不快だった。

 ――くそっ。どうしてこんなところにしか、僕は居場所が無いんだ。

 鍵が開いてなかったから、リュートがいるとしたら玄関先にいて、僕を待って

いると思ったが、リュートはいなかった。もう帰っているかもと思ったから、皿

洗いを終えて、皆より先に帰って来たのだが。

 玄関で靴を脱ぐと、肩に持つ大きな鞄がずしりと重くなった。少しでもそれを軽くしたくて、スパイクを玄関横に置き、すぐに玄関から左の風呂場に行く。

 風呂場のノブを回すと、鍵が掛かっていた。

「……」

 風呂のノブからゆっくり手を離すと、内側から勢い良くドアが開いた。

 バスタオルを撒き、髪の毛の濡れそぼる妹が立っていた。

「……」

 アニメとかでよくある、ドキドキな展開なんて感情は微塵も沸かない。ただ、こんなのに会ってしまったと思うだけだ。

 妹はあからさまに嫌な顔をした。まるで汚物でも見るような目で僕を見ている。

「げぇーっ、帰ってきたの? せっかくギャーギャーうるさいのがいなくて、気持ち良くやってたのに……」

「……」

 それだけ言うと、妹は隣を抜け、階段を上っていく。

「……」

 いつも思う。なぜあんな愚物に、僕は主導権を握られっぱなしなのか。

 あいつにとりあえず取り柄があるとすれば、きっと暴力を回避する才能だろう。

 口でわかるような奴じゃないから、暴力に訴えれば黙らせるのは簡単だけど、それをしたら自分は、今よりももっと惨めになることが予想できる。その僕の思惑を見抜いているんだろう。一方的に挑発をするんだけど、正当防衛の口実を与えないように、自分から手を出してくることは決してないんだ。

 だから、あいつのしていることに対しては、危害がない分、黙殺しても取るに足らない。

 ただ、頭の出来に大きな差がある以上、妹に最終的に暴力を振るって、自分の品位を下げたくない、と言う僕の思惑も、妹は、自分が優位に立っていると思っているのだろう。そういう勘違い、思い上がりだけは何とか修正してやりたい。

 僕は風呂場の脱衣所にある洗濯機に、合宿一週間分の洗濯物を、鞄から出してはそのまま放り込んでいく。それだけでずいぶん鞄が軽くなったけれど、体感的なだけで、心に付いた枷は取れやしない。

 階段を登る。リビングのドアを開けると、パジャマを着た母親が一人、テレビを見ているところだった。バラエティ番組の、いつも同じような笑い声が聞こえる。

 僕の姿を見ると、母親も妹と同じ、明らかな嫌悪感を示した。僕もリビング入り口で立ち止まり、母親を睨む。

 すると母親はぷっと吹き出して、髪をかき上げる。

「あーぁ、折角ゆっくりしてたのに、あんたの顔見たらしらけちゃった。寝よ寝よ」

 そう言ってテレビを消し、リビングの奥の自分の部屋へと帰っていく。

「……」

 母親も嫁に来る前はいい子だった、なんて、母方の親族が小さい頃言ってたっけ。僕を受験にはめ込んで、教育ママになって、お前が成績を上げ続けるから、親として、その優越感に力に取り付かれた、とも言われたっけ。

でも実際、歪んだらそんなの関係ない。事情はどうあれ、それはその人のせいだ。

 僕も家族のせいで歪んだなんて、言い訳できるうちはいいけど、実際は自分の責任だ。

 僕も母親のように、いつか取り返しの付かない歪み方をするのだろうか。そうしたら、きっとユータや、マツオカ・シオリとも、一緒にはいられなくなる……

 その考えが浮かんだ時、ひとつの疑問が解けた。

 ――そうか。僕はそうなって、一人になることの寂しさ、恐ろしさを味わいたくないって、深層心理でわかっていたのか。

 その不安を、ずっと今まで隠していたんだ。いや、というより、いつの間にかあいつらと長い付き合いになって、一人でいる時間が減ったから、僕が弱くなっているのかもしれない。

 だから、僕の止まり木になってくれる、と言った、タカハシ・ミズキの言葉に、僕の心はあれだけ動かされたのか……

 そんな事を考えるのが嫌になって、とりあえず僕は部屋に戻って荷物を置き、シャワーを浴びた。冬のシャワーはすぐに体が冷えるけれど、寒さにばかり気が行って、余計なことを考えなくていいので、今は都合がよかった。

 シャワーから出て、一週間ぶりの部屋に戻る。

 たまに久々に家に戻ると、家族に部屋を荒らされたり、物がなくなっていたりするんだけど、今日はそんなでもない。だけど僕のパソコンを勝手に使った上に、ご丁寧にそこで飲み食いまでしたらしい。キーボードの隙間にスナック菓子のカスが入り込んでいるし、ゴミ箱を漁った形跡さえある。以前それで給与明細を見られたことがあるから、もう給与明細は見たらすぐに学校の図書室の簡易シュレッダーにかけている。

 僕はスウェットを下にだけ着て、上半身裸でベッドに倒れこむ。部屋にはほとんど寝る時にしかいないから、もはやこれが僕のルーティーンなのだ。部屋にいるとそれが一番しっくり来る。

「……」

 結局帰ってくる。この気分の悪い日常に。


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