Sudden
マツオカ・シオリのような、華奢で女性的な印象とはまた違い、元気さや無邪気さを花開かせたような魅力を持っていた。シオリがフルートなら、彼女はアルトサックスといった感じ。
見覚えがないから、多分別クラスの女の子だと思う。といっても僕はクラスメイトの顔と名前もよく覚えていないけど。
「いい香りね」
カウンター越しの彼女は、遠慮はないが、しかし下品とは感じさせない笑みを見せた。身長は小柄な僕と同じくらいで、正対していると視線が嫌でも合うのが少しプレッシャーだった。 一人前のつもりだったが、味噌汁を一人前作るのは難しい。かなり量が増えてしまった。
学校の茶碗を一つ手に取り、おたまで味噌汁を掬って、彼女に差し出す。
「飲む?」
「いいの?」
彼女は僕の目を覗き込んだ。
「あぁ、余ってるし、飲んでくれたらありがたい」
「じゃあお言葉に甘えて」
彼女は白い歯を見せ、差し出す茶碗を受け取った。
「一緒にどう? 私も一人残って、暇だからさ……」
「……」
どうしてだろう。普段は知らない人と飯を食うなんて、慣れないから嫌なはずなのに……
今夜は、いや、今は、どうしてこんなに人恋しいのか。何かを期待しているかもわからない。ただ、誰かと一緒にいたかった。
僕もカウンターを出て、長椅子に座って、彼女と向かい合って味噌汁に口を付けた。体が冷えていたから、体が温まる感じがありがたかった。
彼女は味噌汁を飲む僕を、頬杖をついて、少し上目遣いで見ている。彼女の視線は妙に扇情的だった。
「何?」
僕は聞く。
「あ、ごめん」
彼女は視線を一気にごまかすような笑顔を返す。
「料理ができる男の子って、いいなぁって。よく考えたら私、同世代の男の子の作った料理を食べたの、初めてだった」
「……」
僕は悟られないように、鼻で深くため息を吐く。
「ごめん。失礼だが僕はまだ、君の名前もわからなくて、何を話していいかわからないんだが…」
「あ、わからないかな。一年の時は同じクラスだった、タカハシ・ミズキ」
「あぁ……」
記憶の断片に、そんな娘がいたのを思い出す。僕はほとんど授業に出てないから、特別な記憶はほとんどないけれど……
年齢よりも大人びていて、高校生の男子が憧れそうなタイプだ。化粧を少ししている。ハリウッド女優みたいにボリュームのあるアヒル口が、ピンク色のルージュに彩られて、少しセクシーだ。
「ごめん、名前、覚えてなくて」
僕は長机に手を付き、頭を下げる。
それを見て、彼女はくすくす笑う。
「何?」
「いや、シオリの言うとおり、意外に優しいんだなって」
「……」
彼女の名前に思考が反れる。彼女が僕のことを第三者にどう話しているのか、少し気になった。
「やっぱサクライくん、あの奥手なシオリが惚れるわけだわ」
「……」
――彼女が、僕に惚れてる? はは、僕もヤキが回ったな。こんなよく知らない娘にもからかわれるなんて。
「それ、誰かが言ってたの?」
僕は聞く。
すると彼女は少し顔をしかめたけど、やがて呆れたように笑った。
「なるほど、二人とも激ニブ同士の似た者同士なのね」
「……」
やっぱり変だ。今の僕は。
彼女が僕を好きでいてくれてる、と聞いて、割り切ろうとする気持ちに、何かを期待する思いが負けている。彼女のことが頭から離れない。
僕はその思いをじっと抱えるのが嫌で、席を立つ。カウンターに入って、ダンベル型の二つ凹みのある容器の片方に、冷蔵庫から出した牛乳を注ぎ、もう片方には、タッパーに別にとっておいた白米に、味噌汁の残りをかける。その容器を持って、外に出る。
食堂からさっきの裏庭に出て、左へ進むと、各部活の部室の並ぶ部室棟がある。部室の柱に括り付けてある、網付きの白熱灯を点ける。
明るくなった部室周り、一階のサッカー部の部室近くに、柱にリードを括り付けられたリュートが待っていた。
「悪いな、飯が遅れて……ほら」
僕は持っていた犬用の飯皿を、リュートの前に置く。リュートはすごい勢いで、粗末な飯にむしゃぶりついた。
その間に、僕はリュートのリードを外す。リュートは賢いから、リードがなくても勝手に走り回ったりはしないけど、外してしまうと僕の後をついてきてしまって、なかなか離れない。だから可哀相だけど、こういう処置を取る。
僕はしゃがみ込み、しばらくリュートが美味そうに飯を食うのを見守っていた。
「へぇ、その子が噂のワンちゃんね」
後ろからタカハシ・ミズキの声がした。
「シオリが話していたわ。この合宿中、いつもその子があなたと一緒にいるって」
「後ろから声をかけないでくれ。びっくりするだろ」
僕は彼女の方を振り返らずに言った。
「……」
沈黙。
今僕は完全に背中を取られている。居心地は悪いけど、振り返ったら負けたような気がして、そのまましゃがみ込んでいた。それでも勝手に身構える自分が少し馬鹿馬鹿しかった。このままブッスリやられたら死ぬかな、なんて考えながら。
「……」
やがてミズキの靴が、地面に擦れる音がした。近づいてくる。
僕の肩の上から、細い腕が伸びてきて、その腕は胸の前で、僕の体を包み込んだ。
「……」
ミズキの体が僕の背中に密着する。僕の肩甲骨あたりに彼女の胸が触っている。コートを着ているから、感触はよくわからないけれど、その胸のあたりから、急ピッチを打つ心臓の鼓動を感じた。体温と、僕の右耳近くにあるミズキの口元から、息遣いまでも感じる。
「……」
――ズクン。
あれ? まただ、またこの胸の疼きが……
正直女の子に告白されたことは何度か会って、そのどさくさでこうやって抱きつかれたり、キスをされたりしたことはある。
その時は何も思わなかったのに……
何で今は、胸が疼くんだろう。この誰かのぬくもりを、こんなに心地よく感じるなんて……
「どうして……」
突然のことに気もそぞろなまま、それを聞きながら、ミズキの方を僕は振り向く――
「!」
その時、胸をハンマーで叩かれたような強い衝撃波を発して、痛いくらいに僕の心臓が鳴った。
「……」
視線の先――部室横の、生徒用の駐輪場。
その横に一人、華奢な手にコンビニの袋を持つ、マツオカ・シオリが立っていた。