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Relegate

 顧問のイイジマが現れた時、僕達はストレッチの途中だった。皆は立ち上がり、 やがて部員が集まり、僕達は軽くグラウンドを走り、その後ストレッチを始めた。でかい声で挨拶をする。まったく猿芝居だ。

 イイジマは集合をかけた。部員の行動は迅速だった。万が一今日怒るのであれば、ここで怠惰な動きをすれば、火に油を注ぐだけだからだ。もう既に僕の読みは部員全員に伝わっており、皆が一致団結して芝居をしていた。

 部員達はベンチに座ったイイジマの前に半円型に組み、その中心に部長のユータと副部長の僕が入った。

 もう40代だが、白シャツ短パンをトレードマーク。白シャツは小麦色の肌に映え、短パンからのぞくふくらはぎは、現役の僕達よりも逞しい筋肉をつけている。ぎょろりとしたどんぐり眼に、蛙みたいに両方の頬が膨れている。

 イイジマはそのどんぐり眼で部員達の顔をそれぞれ一瞥し、沈黙を決め込んでいた。部員達はそのイイジマの第一声を今か今かと待っていた。まさに部員達にとっては針のムシロだっただろう。

 そしてイイジマが重い口を開いた。

「もうすぐ相手が来ると連絡があった。今日は全員を出来れば使う気でいるから、気合入れてけよ」

「はい!」と、部員達は返事をした。僕は笑いをこらえるのに必死だった。皆が各々、ほっとしたような、今までの緊迫した表情が一気に緩んだからだ。

 イイジマは短パンの知りポケットから、一枚のメモ用紙を取り出した。

「先発を発表する。まずフォワードはユータと……」

 先発は4―4―2の布陣で、僕もジュンイチとのダブルボランチで先発だった。

「よし、アップをしておけ。解散」

「うっす!」

 その一言で皆踵を返し、サイドラインを超えて芝の生えたグラウンドへ向かおうとする。

「あ、ちょっといいか?」

 踵を返しかけた僕を、イイジマが呼び止めた。イイジマは僕を見て手招きしている。僕はベンチに座るイイジマの真正面に立った。

「今日もテストの結果はよかったな」

イイジマは僕を見上げて、上機嫌に笑う。

「いえ、別に」

「まったくお前のおかげでサッカー部の面目は保たれてるよ。お前の成績がなかったら、サッカー部は赤点続出で保護者が問題にして、すぐに廃部だ。お前にはいつも感謝してる」

「……」

 そんな話は、僕にはまったく関係ない話だ。別にサッカー部の面目を保つために僕は勉強をしているわけじゃないし、イイジマに来る保護者の文句も僕には関係ない。

「用件というのは、それだけですか」

「まあ待て待て、相変わらずだなお前は」

 イイジマは右手を広げて見せ、僕を制した。僕はさっさと要件を済ませてしまいたいけれど、イイジマはいつもこういう前置きを好むんだ。何で教師って人種は、自分が生徒だった頃、教師に個別に呼び出される生徒の気持ちを忘れてしまうんだろう。

「うちのチーム状況を考えると、お前、ディフェンダーをやる気はないか?」

「……」

「あれ? いきなり言ったんで驚くと思ったが……」

 イイジマは肩透かしを食らったように首をかしげた。

「いえ、チーム状況を考えれば、予想できないことではありません」

「まったく、頭のいい奴ってのは……」

 イイジマは肩をすくめる。

 このチームは僕達が入学するまでは、県立の進学校らしく、万年初戦敗退常連の弱小チームだった。それがたった二年で県内予選の対抗馬に出世したのは、全てユータの力による。先月準優勝だった大会では、ユータは6試合10得点で、ぶっちぎりの得点王だった。

 今日はフォワードが二人だけど、イイジマのユータへの信頼度を考えれば、ユータ一人で点を取り、あとの者は守れ、という戦術を考えることは予想できていた。

 そして僕の予想の根拠を、イイジマがそっくりそのまま言った。

「3年生が抜けて半年近く経つが、うちにはディフェンダーのリーダーシップを取れる強力な選手がいないんだ。お前は頭もいいし、視野もあるし、いいと思ったんだが」

「……」

 僕は黙っていた。

 と言うか、黙るしかなかった、って感じ。ここで嫌だ、というのは簡単だけど、その根拠をうまく説明できそうになかった。ひどく抽象的だったから。

「先に言っておくが、お前のボランチに不満があるわけじゃないぞ。今じゃお前の後ろからのパスとフリーキックは、ユータへのいいホットラインになっているし、足腰が強いから、フィジカルの強さも持っているしな」

 先に言っておくが、って、もう用件言ってるし、なんて心の中で思う。

 そう言ってからイイジマは僕の体を一通り見て、少し顔を俯けて笑った。

「まあ贅沢を言えば、お前が浮き球に競り合う度、あと5センチでも身長があれば、と思うが……そんな女みたいな顔じゃ、迫力もないしな」

「……」

 そう、僕は身長が165センチ、体重は50キロしかない。

 そして、僕はサッカーをはじめたのは、高校に入ってから――僕は初心者だったのだ。

 僕は中学時代、野球をやっていた。ポジションはセカンドを守っていた。

 しかし僕は、中学は私立のボンボン学校に通っていて、野球部なんて名ばかり、実際はキャッチボールも出来ないような温室育ちの集まりだった。

 元々スポーツ向けの体ではなく、ホームランなどの目立ったプレーもなかった僕は、打率は6割を越えていたのに、前にランナーがいれば、いつでも送りバントを命じられた。僕が送りバントをしても、後続が点を取ったことなんて殆どなかった。自分がヒットを打っても、後続が僕を帰してくれたことなんて皆無と言ってもよかった。ひどい時など、10点差で負けており、この回で一点でも取れなければコールド負けが決まる試合、ワンアウト三塁でスクイズのサインを出された。

 そんなストレスのたまる試合が続き、この弱小チームで勝つためには、監督の消極的采配に従っていては駄目だ、と悟り、やがて僕は監督と衝突を繰り返すようになった。

 しかし、監督にはそれを生意気だとか自己中心的だとか批判され、僕もコールド負けを免れるだけで満足して、勝つ気のまったくない監督に文句を言った。

 それから僕の野球部生活は無残だった。監督造反で当然試合には出させてはもらえない。たまに出してもらえた代打では、当て付けみたいに必ずバントのサインが出た。

 そんな中学時代だったので、高校では別のスポーツをすることに決めており、サッカーを選んだ。

 入部後、3ヶ月みっちりマンツーマンで技術を磨いた。そして僕はなんと、一年生ではユータ、ジュンイチとともに、一年3人だけのベンチ入り選手に選ばれた。そして出番をもらった。

 足だけは速いので、それで相手を撹乱するだけでいい、と言われていたが、当時は精度のかけらもない僕の上げた球が、ユータに偶然合ってしまった。それをユータは見事に決めて、試合に勝ってしまった。そんな偶然が重なって、イイジマは大会後、僕を当時埼玉高校で一番手薄なボランチに任命した。

 それ以降、僕はユータ、ジュンイチからアドバイスをもらったり、世界の有名なボランチプレイヤーの動きを研究したり、二人が貸してくれたビデオを見たり、色々勉強した。ジュンイチが中盤でボールをむしりとる、守備的タイプの選手だったので、それとコンビを組む僕は、自動的にパスを散らす、攻撃タイプの選手となった。

 だから僕のサッカーは、ボランチ以外の世界をまったく組み入れていない。僕はボランチ以外のサッカーを知らないのだ。

 部活でサッカーをやる機会はあと3ヶ月。しかもチーム状況を考えれば、ボランチに不満がない、というのは建前だろう。ジュンイチ一人でもボランチは出来るのだから、必ずディフェンダー以外では使われなくなるに決まっている。そんな短期間に自分の構築したサッカーを転換させろというのは、僕にとって左遷を言い渡されるようなものだった。

 ただ――

こんな感情論をわざわざ説明するのは面倒だった。こんなことを言ったって、はいそうですか、と言うとは思えない。そもそもこう愛想のない僕が愛着だとかこだわりだとか語っても方便だと思われるだろう。

 何故こんなすぐ諦めているか、それは僕のボキャブラリーの問題なのか。

 ――そうじゃないなきっと。

 余計なことを考えたくない、その所作がひどく面倒臭い……と思えるのだ。その感情さえ説明は困難だ。説明する気さえ起こらない。誰かにそれをわかってもらうやり方を、僕は知らないし、他人にわからせようとするものでもない。

だから結局今の僕が出来ることなんて、生返事をすることぐらいだろう。

 2、3回、はあ、とか、はい、とか言っているうちに、いつの間にか用件は済んでいたらしい。殆どがつまらない社交辞令が織り交ぜられていたような気がするが、もう会話の内容は思い出せない。そもそも聞いていたかも疑問だ。

「じゃあお前もアップして来い」と言われ、一度生返事をした後に踵を返すと、ユータとジュンイチの二人が僕を手招きしている。僕はもう皆がボール回しをしている間をすり抜け、二人の下へ走った。


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