表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/382

Behave

「サクライくんは、カレー、食べないの?」

 そのうちの一人に聞かれる。

「あぁ……一日これ作ってて、ずっと食材と一緒にいたから……見てるだけで腹いっぱいだよ」

 人に食べさせる料理って、念入りに味見をするから、人に出す頃には、自分は料理の味を知ってて、食べる気がなくなっちゃうんだよな。

 さすがに疲れた。丸一日包丁を握っていたから、両手、特に指先の感覚がほとんど無い。さっきからデッキブラシを握る両手は、もう握力も出ない。肩から先は、けだるい疲労でコーティングされていて、スプーンを持つのもだるかった。

「でもすごいな」

 他の女子が言った。

「サクライくんって、料理もできるんだ。何だか憧れちゃうな」

「――大袈裟だな。ただのカレーとサラダだぞ」

「でも、一人で作ったんでしょ? これだけの量」

「それに、どれにも一工夫あって、手間がかかってる」

 彼女達は各々、口々に言った。

「……」

 何だこれ。何で僕は、一度も話したことのない同級生に囲まれている?

 土嚢を背負ったように、僕の体が重くなる。

 こういう『理由』だとか、『体裁』だとか、そういう僕にとってのいらないものを、できる限り遠ざけて生きていきたいと願って、今までやってきたんだ。

 そんな僕が、こんなことをやったんだ。改めて考えると、意味がわからない。そんな『理由』を求めるごとに、僕の求める身軽さからはどんどん遠ざかっていく。

 参った――どうやってこの場から逃げるかな。僕の意識は、自動的にその方向へ向く。

「そんなつもりはないよ。単に暇だったから、作っただけ」

 ぶっきらぼうに僕は答える。

 彼女達への返答に困る前に、目をそらそうと思って、もう一度デッキブラシの柄を握り直し、背を向けた。

 背中越しに、彼女達が、ふふふ、と笑うのが聞こえた。

「そんな風に、悪ぶったって、ダメだよ」

 背中越しに、彼女達のうちの一人に呼び止められる。僕は背を向けたまま、手を止める。

「本当のサクライくんは優しい人だって、みんな知ってるわ」

「……」

「そうそう、すごく落ち着いているけれど、本当は意外と子供っぽいんでしょ」

 背を向けたまま、僕の思考は切れ切れに、その言葉達を咀嚼する。

 本当の自分――確かマツオカ・シオリにも、同じようなことを言われたっけ。僕はその時、妙に不機嫌になったけれど……

 なんだろう、僕のことを知らない人に、自分のことを判ったように言われて、腹も立たず、気持ち悪さも感じないのは、僕自身が、今の自分を本当じゃないって、わかっているからだろうか。

「どうしてサクライくんは、本当の自分を、そんなに隠すの?」

「……」

 答えられない。

 それどころか、言われて自覚する。

 ――あれ。本当の僕って、何だ?

 やりたいことなんて、何一つできていない。生きるたびに、自分に矛盾やら疑念やらが積もって、自分がどんどん捻じ曲がっていく。息継ぎのないクロールみたいにただもがいているだけ。苦しい上に、独りよがり。

 そして僕は、こんな掻き乱れた心で、ユータやシオリのことを恨んだり、憎んだりなんて、もうしたくないと、本気で思っている。

 そのループから抜け出したくて、手探りだけど、今日はこうして皆に食事を作ってみた。

 それは――『本当の自分』の本意なんだろうか。

 こんなに真剣に、ものを思ったことなんて、今までなかった。それは僕の心の底も、それを望んだからだろうか。

「このカレーも、辛いのが苦手な人のための気遣いもちゃんとしてある。それでいいのに、絶対にサクライくんは、そういうことを認めない。自分はこうなんだ、って、無理に本当の自分じゃない自分を作ってる感じがする」

「……」

「うん、サクライくんは、自分のことを常に否定してる。本当はそんな人じゃないのに、無理に自分を、自分はこうなんだって、無理して作ってる気がする」

「……」

 僕が――無理している? 僕が――優しい?

 優しい――自分が優しいかなんて、考えたことは一度も無い。

 本当の僕って、何だ?

 デッキブラシから手を離し、頭を抱える。

 久しぶりに、わからない問題に出会って、頭に酸素が欠乏する感じになる。思考整理力が低下して、ロジックが展開されていかない。熱放出するモーターみたいに過剰回転で悲鳴を上げるように、軽く頭痛が起こり出す。ここ最近、わからない問題などに出会っていなかった僕にとって、こんな状態になるのは久しぶりのことだった。

 僕は振り向いて、カウンター越しにいる、吹奏楽部の同級生。そして、その後ろにいるサッカー部と吹奏楽部の連中を見回す。

「……」

 ――遠い。

 こうして、みんなと笑い合って、喋りながら飯を食べたり、大騒ぎしたりして、楽しく過ごす時間、雰囲気が、自分には不釣合いで、自分には行けない場所だって、感じてしまう。見ているだけで、取り残されたようで。

 よく考えたら、居心地は悪くて当たり前だ。

 だって、こんなこと、やったことないんだから。

 よく考えれば、明日からあの家族が急に仲良くなって、こうやって一緒に飯を食べてる場所に行ったって、それは僕が求めているものじゃないし、こういう気分を味わうに決まってるんだ。

 元々自分には苦手で、そんなものは必要ないと思っていて、今だって、居心地だってよくはないけど。

 何でだ? そういう場所に自分も行きたい、なんて、そういう場所に入れる人間になりたい、なんて、思うなんて。

 僕が求めているものは、一体、何だ?

「……」

 頭がズキズキ痛む。

 何でだ……居心地が悪い場所を、こんなに求める。

 僕は一度天井を仰いで、深く息をつく。デッキブラシを脇に置いて、カウンターを出ようとする。

「あ……ちょっと待って」

 カウンター越しにいた同級生が、僕を追いかけてくる。

「ごめん、ちょっと一人になって、考えてみる」

 僕は入り口横に置いていた自分の荷物から、スタジャンを出して、肩に羽織る。

 背中越しに、同級生に言った。

「これからは、もっと気をつけるから」


 僕はスタジャンを羽織って、食堂を出る。

 食堂は、正門から入って右側に曲がると見える。中庭に面していて、校舎から雨よけの屋根付き廊下が伸びている。校舎からしばらく進んで、右に食堂、まっすぐ行けば体育館、左に行けば合宿場のある格技棟がある。

 僕は廊下に出て、食堂から右、体育館へ歩く。体育館は鍵がかかっていて入れない。

 体育館の左の壁越しに、バレーボールのコートが1面取れそうなくらいの、小さな裏庭がある。大体来賓の駐車場や、雨で土手のグラウンドが使えなくなった野球部が、トスバッティングとかノックとかをしたり、昼休みに一部の生徒が遊ぶ程度の広さだ。

 僕はその裏庭に出て、体育館の側面の壁に付いている扉に寄りかかる。そこには、2、3段段差があって、僕はそのコンクリートの階段に腰をおろした。

 まだ7時前なのに、空はもう2時間前から黒く染まっている。少し風を感じる。マフラーをしていない首筋が冷えて、僕は亀みたいに、少し首を引っ込める。

「……」

 何なんだろう、この気持ちは。

 どうにかしたい、でも、どうしていいかわからない。

 家族に疎まれ、どんどん自分が悪い方向へ向かっている。だけどどうしていいかわからない。そんな、無力感をただ味わう、というのとは、また違う感じ。

 なんだろう、これは。胸がざわざわして、何だか、その空間に、どう入ればいいかわからなくて、居心地が悪い。だからといって、一人になることが根本的解決になるわけじゃないこと、僕は既にわかっていて……

 変な感じだ。不安、孤独、焦燥、自己嫌悪、どれも違う。今まで感じたことも無かった感じ。

 誰かと一緒にいたい。だけど、誰とも一緒にいたくない。誰かと話したいけど、話すことが特に無い。そんな色々なパラドックスが、僕の心を綱引きしてる感じだ。

「……」

 僕の――心だって?

 馬鹿馬鹿しい。自分でも笑える。僕に心なんて概念が、そもそもあったのか?

 何だか変だな。本当、調子が狂っている。ここ半年の僕は少し変だ。

 きっとこれは、潜在意識の警告なんだ。今のままじゃいけないことがわかってる。だから、何とかしなくちゃいけないって。

 でも、何を、どうすれば……

「質問攻めから、避難してきたの?」

 そう声がした。僕は顔を上げる。

 そこには、ペットボトルを二つ持った、マツオカ・シオリが立っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしこの話をお気に入りいただけましたら、クリックしてやってください。 小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ