Erilogue(2)
「まったく――死屍累々とはこのことですね」
まどろんでいる俺の脳に、そんな女性の溜息交じりの声が聞こえる。
「……」
俺はその声にびくりと反応し、反射的に耳を塞いだ。
「コラ! とっとと起きてくださーい!」
ガンガンガン、と、けたたましい金属音が部屋に響く。一応この部屋は俺の宝石デザイナーとしての作業室でもあるから、ある程度の防音を入れてあるけれど。
「と、トモちゃん、サオリちゃんが起きちゃうよぉ……」
「う……」
俺は早く音を止めるべく、すぐに体を起こす。
目を開けると、フライパンに麺棒を持ったヨシザワ・トモミと、まだ生後一年足らずの赤ちゃんを丁寧に抱っこしたマツオカ・シオリが部屋の中にいた。
「――今日も酷い起こし方だな……」
俺はCEO時代から、トモミによく起こされていたが、元々彼女の起こし方は、吸引中の掃除機のノズルを耳元に持ってこられたり、割と騒がしいものが多かった。もう慣れたものだ。
「うぐぐぐ……」
だが、昨日深酒をした他の連中は、酷い音で叩き起こされたことで、苦悶の声を上げるのであった。
「おはよう、ケースケくん」
シオリの優しい声がしたが、まだ俺もちゃんと目が開いていない。
確かに嫌でも目覚める意味では、トモミの起こし方はありがたいが、気持ちのいい起こし方に関しては、シオリの揺する程度の起こし方の方がありがたかったんだが……
「いつまで飲んでいたの?」
「――う……最後に時計を見たのが、明け方の4時半だな……確か半チャンを5回くらいやって、夜食を作って……」
「――酷い結婚式前夜ですね……ケースケさんも羽目を外したんですか」
トモミがフライパンと麺棒をキッチンに戻しながら言った。
グランローズマリーのCEOを辞任した俺を、トモミは『ケースケさん』と呼ぶようになった。その割に、現CEOのエイジのことは、いまだに以前と呼び方が変わっていない。
「あれ――マイさんは?」
「先に式場に、タクシーで行ってもらいましたよ。ウェディングドレスの着付けも、メイクも忙しいんですから」
「――さすが敏腕秘書……段取りがいいな」
「仕事だからじゃありませんよ。友達の大事な晴れ姿ですから、時間をかけて準備してほしいと思って。戦の勝敗は、準備の差で戦う前にほぼ決まっている――あなたにそう教わりましたから」
「……」
実際俺自身は、いまだに酒はコップ一杯で十分という有様だから、単純に眠くて眠ってしまっただけだ。
だが、残りの3人は、麻雀卓の脇に雑然と転がったビールの缶やワインの瓶を見て分かるとおり、浴びるように酒を飲んでいたから、まだ泥のように眠っている。テーブルにあるすき焼き鍋も綺麗に中身がさらわれている。
「いくら3年前にご結婚しているとは言っても、折角の結婚式なのに」
トモミはその中でも、特に気持ちよさそうに寝息を立てるジュンイチを見て、溜息をつく。
「こういうことになってるだろうから、マイちゃんを連れてこなかったんですよ、まったく――この4人が揃うと、間違いなくこうなるんですから」
そうしていぎたなく眠っている3人の寝息に混ざり。
キャッキャッと声を上げる赤ちゃんの陽気な声が聞こえた。
「あぁ――サオリちゃん、大人しくしていたのに、起きちゃった……」
シオリの手に抱かれている赤ちゃんが起きて、僕の方へ手を伸ばしていた。
「けーちゅけくん、けーちゅけくん」
手を伸ばして、舌足らずで俺の名前を呼ぶ。
「ふふ、ご指名だね」
シオリはそう言って俺に、その小さな子を差し出した。
俺は車椅子に乗り、膝に乗せるようにして、その小さな子の頭を腕に預けるように抱きかかえた。
「キャッキャッ」
嬉しそうに声を上げる子供。
「うーん……」
その赤ん坊の声に、他の三人ものそのそと起き上がり始める。
「お――それが噂の、ジュンの愛しのお姫様か」
ユータが焦点も定かではないが、しげしげと僕の腕の中を覗き込む。
「親父にあまり似てなくてよかったな。こりゃ美人になるぜ」
「お前には絶対にやらんぞ!」
今までいぎたなく寝ていたが、娘のことになると目の色が変わるジュンイチである。
「既にうちの娘には、悪い虫がついてしまったんだからな――いや、虫なんて生ぬるい、女を狂わせる細菌兵器のようなものがな!」
そう言って、ジュンイチは俺の方を睨む。
「おぉサオリ、今日もお前は可愛いなぁ」
ジュンイチは言う。これだけ長い付き合いだが、付き合いたてのマイの前ですらしたことがないような猫撫で声で、俺の腕からサオリを奪おうとした。
「うえぇぇぇぇん!」
突然火が点いたようにサオリが泣き出す。
「こ、こら、少し乱暴すぎだ……」
俺は腕を小刻みに揺り動かしながら、サオリをあやした。
「――ひっく」
しばらくすると、サオリも少し鼻をぐずぐず言わせているが、静かになる。
「――なるほど、細菌兵器、か……」
ユータはしみじみ頷いた。
「女なら0歳児でもこいつのウィルスは有効なんだな――女の敵め」
「誰が女の敵だ」
ジュンイチはこの通り、サオリを目の中に入れても痛くないと言わんばかりに溺愛しており、誰よりも彼女を愛おしがっているのだが、当のサオリはジュンイチが抱きかかえようとすると、必ずぐずってしまう。
「な、何故だ――何故サオリは俺に懐かないんだ!」
「そりゃ、俺達の名前を取っちまったからじゃないのか?」
桜織と書いて、サオリ――俺とシオリの名前を一緒にすることで、俺達がもうふらふらとどこかに行くんじゃない、と戒めるために娘につけた名前だそうだ。
「――お前はサオリちゃんに好かれたいなら、まずその髭を剃れ。そんな無精髭生やしてたら、赤ちゃんが怖がるのも無理ないぞ」
カメラマンになって、ジュンイチは重い機材を抱え、筋肉もついているし、上背もある。容貌魁偉と言っていい。これで髭を蓄えているのだから、子供には威圧的に見えるだろう。
「それにエンドウくん達、今はすごくお酒臭いよ……サオリちゃんのためなら、お酒はほどほどにしなくちゃ」
シオリがやんわりと顔をしかめた。
「――ギャフン」
高校時代と変わらず、シオリの言葉にはぐうの音も出ないジュンイチである。
「でも、さすがにマイも驚いてたなぁ。『パパ』よりも、『ケースケくん』って言葉を先に覚えるとは思わなかった……もし『ママ』よりも早かったら、私も立ち直れなかった、って」
シオリも思い出し笑いを浮かべながら言った。
「お前が撮影が留守になっている頃に、マイさんに子守りを教わったからな……」
俺は歩くことも出来ず、トイレに行くのも一苦労になり、今まで長年精力的に動いてきた自分が、ベッドから出ることもろくに出来なくなったことで、退屈を持て余した。
シオリは俺をそんな風にしてしまったことで、はじめは自分を責め続け、泣いてしまう時期があった。一緒に住み始めたとは言っても、家族にも言えないような、犯罪まがいの行為をしていたシオリは、俺への申し訳なさと同時に、しばらくはその後ろめたさとも戦っていた。
それを見ていたマイが、俺とシオリのところに頻繁に様子を見に来ては、サオリの世話の仕方を教えてくれた。はじめは育児疲れの軽減のつもりで、少しサオリを預かることを始めた俺だったが、今ではジュンイチよりも育児が上手いかもしれない。売れっ子写真家にして、テレビの仕事需要も増えているジュンイチは、多忙な分、娘とは、俺の方が一緒にいる時間が長いほどである。
「ははは、じゃあもしかしたら来年には『わたし、ケースケくんのおよめさんになる!』とか言い出すかも知れんなぁ」
「!」
ユータの言葉に、ジュンイチが俺に詰め寄る。
「@*●¥☆!」
「――言葉にしろ、わからん……」
声にならない怒りに悶え、俺の胸倉を掴むのだった。
「――冷静に考えろ。サオリちゃんが結婚できる16歳になったら、俺は最低でも43歳のオッサンだぞ」
だが、ジュンイチにあらぬ疑いをかけられてもつまらないので、俺はジュンイチをなだめようとする。
「な、なるほど。女子高生と40男か……それなら警察に訴えれば」
「――ダチを警察に売っても止める気か」
愛が重い――その言葉の意味を、俺は初めて知った気がした。
「いやいや、でも合意の上ってのがあるぜ」
安心しかけたジュンイチに、ユータが悪魔のような顔で囁いた。
「特に女の子は年上男が例外なく好きなもんだからな。特に背伸びをしたいお年頃には……青春時代が暗かった男ってのも、金を持つと若い女に走るって言うし……ケースケは今でも高校生の格好が出来そうなくらいの童顔だし――40代でもJKと歩いても違和感ないかも知れん……」
ユータの言葉が終わらないうちに、俺はまた再びジュンイチに肩を掴まれる。
「π%√∈θ!」
「――泣くな泣くなお前も」
血の涙が出そうなほどに顔の筋肉を引きつらせるジュンイチ。
「お前は妖精かと思う程、老けないからなぁ。40過ぎても、女子高生のストライクゾーンにいそうな気がしてならんぜ」
ジュンイチのそんな姿が面白かったからか、ユータはまた悪い顔でそんなことを言って見せる。
「お前も頑張らんとな、ジュン。ケースケの魔性じゃ、サオリちゃんはともかくいつかマイさんもころっといってしまうかも知れん」
「――ユータ、これ以上話をややこしくするな」
俺は溜め息をつく。
「まあ、マイさんが魅力的な女性ってのは確かだがな」
「!」
三度ジュンイチが俺に詰め寄る。
「おおおお前なぁ!」
「――やっと喋れるようになったか」
これがサオリとマイのこと以外なら、こいつのこの行動はフリであると考えるが、娘が出来て以来、絵に描いたような親バカと化したジュンイチでは、この行動がフリなのか本気で怒っているのかよく分からなかった。
「進んで手を出す気はないが、マイさんから惚れられたら、俺もやぶさかじゃないな」
俺はにやりと笑って、ジュンイチの目を覗き込む。
「お前が惚れた女を、素通りは出来ないさ」
「――ケースケ……」
ジュンイチはふっと顔の緊張を解く。
「ええ! いい話の流れなのか? これ!」
エイジが猛烈な勢いで突っ込んだ。
「――ふふふ」
不意にその笑い声に、皆視線を向ける。
遠慮がちに笑うシオリの笑顔を見て、俺達はふっと、記憶が過去に邂逅する。
シオリはいつも、俺達の側にいて、率先して喋ったり、人を笑わせたりするわけではないけれど、いつもこうして、俺達の側で、幸せそうに微笑んでいた。
1年前は、ひとりぼっちで、暗闇の中、自ら命を絶とうと思う程に、その笑顔を失っていたシオリが、この1年――ちゃんと笑えるようになったことを皆が確認して、あの頃に戻ったようだと、大きく安堵した。
「――結局フリだったのかよ」
「いや、サオリを心配しているのはマジだ。だが、お前がうちの嫁に手を出すことがないことは信じている」
そう言って、ジュンイチは逆襲と言わんばかりの悪い笑顔で、僕の近くに立つシオリとトモミの方を見た。
「お前にそんな甲斐性があるなら、とっくにどっちかものにしてるだろ」
「……」
俺は藪蛇をつついたことを悟って、肩をすくめる。
「シオリさんとトモミさんは、今ケースケとどういう関係なの?」
ユータが僕達をそれぞれ一瞥する。
「俺はもう少し、この朴念仁を取り合うなら、二人が修羅場になったり、ゴリゴリに削り合ってるのかと思っていたんだが――随分仲がよさそうでびっくりしたんだが」
「……」
俺は頭を掻く。
「――そうして相手を蹴落としたくらいで、どうにかなるような相手じゃないんだもの、トモちゃんも、ケースケくんも」
シオリが肩をすくめるように言った。
「料理も出来るし、仕事でもケースケくんをサポートできるし――正直、トモちゃんに比べて、私なんて、ケースケくんと一緒にいるメリットなんてないもの」
「――こんなこと言ってますけど、毎日苦手な料理の特訓をしたり、ケースケさんの世話を一生懸命やったり――ご家族のサポートもやりながら、そういうことをしてるシオリちゃんを見ると、私はシオリちゃんと比べて可愛くないなぁって思ってばかりですけどね」
「……」
ユータは首を傾げる。
二人の今の関係は、少し複雑だ。
一年前の二人は、僕を巡って、互いにライバルだと言っていたが。
今は少し違う。
「何て言うか――元々負け戦なのは分かってますけど、シオリちゃんをさっさと選びなさい、って感じですね」
「そんな――トモちゃんの方が、ケースケくんは必要としてるんだと思うけど」
「つまり――お互いにもう、ケースケを諦めてるってこと?」
関係の理解できないユータが訊いた。
「そう出来ればいいんだけどね――」
「この人の代わりなんて、いないですよ。こんな人を好きになると、もう退屈になってしまって、まともな恋愛ができないみたいです」
「何か、ケースケくんがいなくなって、二人がよく言ってたことを思い出すの。この人って娯楽がないと、人生は退屈だって……」
今はこうして、互いを割と本心から立て合っていて。
だからといって、はいそうですかと、自分の想いを切れるわけでもなくて。
互いに、上手い詰めの一手を決めきれずにいる。
その只中にいる俺としても、実に複雑に絡み合った関係になっている。
「――随分複雑な関係なんだな」
ユータは俺の方を見た。
「……」
――まったくだ。もうどちらを選べばいいというだけの問題ではないのだ。
選ばれなかった方の怒りや悲しみを背負うだけなら、いくら殴られても、罵られてもいいから簡単なのだが、シオリもトモミも互いを認めている――
故に、選ばれた方が、もう一方の想いも背負うことになる。
選んだ方に罪悪感を感じさせないような、本当に上手な立ち回りを俺に求められるようになった。
それに――俺自身もそうなのだ。
今の俺はこの有様――身の回りのサポートがなければ、生活にも不自由するし、今後の明確な人生プランもない。
シオリもトモミも、男が数珠繋ぎになって、その愛を巡ってもおかしくないような相手で。
こんな不良債権のような男に縛り付けるメリットなど、二人にあるのだろうか。それこそユータのような金も地位もあるような男と付き合った方が……
そんな思いはいつも脳裏にある。
――そんな、俺も含めて3人が3人とも、互いに互いを譲り合っている。
それが今の俺達の現在地だ。
「でも、おかげでお互い、仲良くやってますよ。私もシオリちゃんのファンになっちゃいましたから」
「――やっぱり、共通の話題がいつもあるからかも知れないね。私達が上手くやれているのは」
シオリがトモミと顔を見合わせる。
「ですね。ケースケさんの側にいての苦労話は、尽きることがありませんから」
トモミがけらけらと笑った。
「そんな話をしているうちに、多分、私達の関係って、エンドウくんとヒラヤマくんみたいになってきたのかな」
「そうですね。会社の上と下って関係がなくなって、私、気付いちゃったんで」
「ん?」
トモミの言葉に、ジュンイチは首を傾げた。
「この人をからかうのは、とっても面白いってことに気付きました」
「わはははは!」
それを訊いて、ユータとジュンイチは大笑いした。
「そうだろうそうだろう」
「ええ、仕事で疲れてる時、この人の困った顔を見るのが、私の今のストレス解消法ですね」
「……」
「うんうん。わかるわかる」
ユータとジュンイチがしみじみ頷いた。
「――そんなものを共有するな」
「しかしトモミさんも、こんなロクデナシの秘書なんかやって、さぞ苦労をしたことだろう。それくらいしてもバチは当たらんな」
「楽しいですよぉ。昔は少し注意しても、風みたいにひょーいってどっか行っちゃいましたけど、今は逃げられないですからね。私達にとっては、丁度よくなりました」
「最近は困るとよく『――旅に出たいぜ』って言い出すよね」
シオリもくすくすと笑った。
「もう口癖ね、それ。そういう弱音を吐かせるのが、また楽しい」
「……」
そう、そしてそれが、現時点での俺達の関係だ。
今までは旅鳥みたいに、一人で勝手にどこかに行ってしまい、何も言わずに二人を置いていってしまっていた俺だが、脚が悪くなり、満足に動けなくなったことで、世話を焼いたり、場合によっては自分達が俺をやり込めたり出来る今の関係は、二人にとっては今までの鬱憤の溜飲を下げるには十分すぎるらしい。
足の悪く、どこにも行けなくなった俺は、二人にとっては安心安定の玩具になっている。
「今のケースケくんって、ご飯を作っても、おあずけされたらずっとおあずけだしね――」
「あのサクライ・ケースケが、いつもおあずけされている犬みたいですからね……こんなに面白いことは、そうそうないでしょう」
大笑いする二人をよそに、男連中はニヤつきながら俺の方を見る。
「こっち見んな」
憮然として俺は言った。
「今は、何だかそういう関係が、すごく楽しくて」
「ですね。世界にサクライ・ケースケに夢中な女の子は沢山いても、この人を困らせられる女は、世界に私とシオリちゃんだけですから。そういう伝家の宝刀を手に入れちゃったら、今はどっちかが振られる前に、その切れ味を楽しんで、元を取ろうって感じです」
「……」
そうやって次のいたずらの予定を嬉々として話す二人の顔は、本当に楽しそうに馬鹿をやって、俺をはめようと計画を練る、ユータとジュンイチの顔に似ていた。
「二人とも、いい女の顔になってるぜ」
ユータが頷いた。
「少なくとも、ケースケを転がせるくらい、女を楽しめてるじゃん」
「……」
シオリのその言葉に対する沈黙に、俺はぴくりと気付く。
「それに、シオリちゃんにはとっておきの伝家の宝刀があるからね」
トモミがにやりと笑った。
「なんだそれ」
興味深そうに、ジュンイチが体を乗り出した。
「高校時代に約束していたの。私とケースケくん、どっちかが東大の主席になったら、相手は片方の言うことを、何でも聞くって」
「ん? てことは……」
「――中退しちゃったけど、一応私、現役で東大の主席になってるから」
「ははは」
ユータは目を見開いた。
「つまりシオリさんは、ケースケに何でもひとつ、言うことを聞かせる権利を持ってるってわけだ」
「なるほど、こいつは最高だな。天上天下唯我独尊のケースケが、異論反論抗議質問口ごたえ一切認められず、従うしかないなんて、面白すぎるぜ」
「……」
1年前は俺への申し訳なさで泣いてばかりいたシオリだったが。
今ではこんな古い証文を持ち出して、俺を苦しめて笑えるようにまでなっている。
俺が生まれて初めて他人に握られた弱みである。どんな無茶を言われるのか、俺は今からビクビクしていた。
「それをどういう場面で使うか――見物だな」
「でも、それで『私を選んで』って言わないところが、シオリさんらしいじゃねぇか」
「……」
余計なことを……
「――それは、いつも考えるけどね」
シオリは天井を見上げる。
「でも――私、ケースケくんと、トモちゃんと、こうして本音をぶつけ合って、それで喧嘩にもならずに笑い合えてる関係が、結構気に入ってるんだ」
「……」
「だから、それを崩すのが、何か惜しいなって……」
「……」
――そう、それも今の俺達の関係。
俺もこの二人に連日いぢめられているが、この1年を経て、道化になった俺を笑うシオリを見ると、徐々にあの、高校時代にまっすぐに互いを想い合えていた頃に戻れているような気がして、安心する。トモミに対しても、今までその想いに気付かずに、沢山傷つけてしまった分、トモミが笑ってくれるのを見ると、ふと、心がほっとする……
俺自身も、今のこの、つかず離れず、でもしっかりと3人とも笑えている関係というのは、何とも心地いい……おそらくトモミもそう思っているはずで。
答えがほしいと思いながらも、ここから離れられずにもいる……
だが……
「ケースケもビクビクだな。シオリさんの言うことをひとつ、何でもなんて……」
ユータが俺の肩に手を置く。
「暴君ケースケの相手をしたんだ。それこそどんなわがままも聞いてやらにゃ、男じゃねぇなぁ」
「――俺はお前等に女顔だと言われていたが」
とにかく方々からのプレッシャー、この二人のとんでもない美女二人の精神攻撃。シオリの持っている伝家の宝刀――
この関係を終わらせる鍵を持っている俺は、常に胃薬と養○酒の欠かせない毎日を送っている。
「さあ、そんな話はいいから、エンドウさんは下にタクシーを呼んでありますから、一度家に帰って、着替えてきてください。おうちのお風呂、沸かしてありますから。ついでに二人もお風呂に入って、お酒を抜いた方がいいですよ」
そう言って、トモミは僕以外の3人を見て、外に促した。
「――こんな早い時間に様子を見に来て正解だったね――マイちゃんのことと、片付けは私たちでやるから、ちゃんと綺麗な身だしなみをしてきてね」
シオリのそんな見送りの言葉を背に、トモミは3人を外まで見送るため、外へと出て行った。
部屋に、俺とシオリとサオリの3人が残される。