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Curry-rice

 10日後の12月23日、サッカー部の赤点取得者は、正午から始まる追試に挑んでいた。

 僕は教師にとことん信用がないらしい。僕も教室で、連中の結果を見守っても良かったのだが、策士である僕のことだ。不正に答えを教える秘策でも仕込んでいると思われたのか、教室に立ち入ることはできなかった。

 そして、今僕は、一人で食堂にいる。既に指はシワシワになっている。

 今日は試験のため、サッカー部にしっかり睡眠を取らせたので、僕は朝食を取ってから、ずっとこうして、手持ち無沙汰な時間を過ごすしかなかった。

 昨日の時点で、吹奏楽部に話は通してある。

 


 やがて追試の終わった連中が、ぞろぞろと教室から出てくる。赤点数は個人差があり、終わる時間もばらばらだ。早く終わった連中は、今日で引き払う合宿上の掃除をして時間をつぶさせる。

「6時に食堂に集まってくれ」

 僕は合宿場にそう張り紙をした。サッカー部の連中は、合宿に持ってきたバッグを担ぎ、食堂に入ってくる。

 それと同じ時間に、吹奏楽部の部員達も次々と入ってくる。うちの学校の吹奏楽部も、関東では割と好成績を残していて、部員も50人ほどいる大所帯だ。うちの学校は進学校らしく、自慢ができる部活は、そういう文科系クラブばかりだった。僕達の代になってサッカーが強くなっただけで、サッカー部以外のチームはいまだに万年初戦敗退のレベルだ。

 サッカー部はサッカー部、吹奏楽部は吹奏楽部で、それぞれ食堂の長椅子に座っていく。全員がそろうまで時間があって、早くに集まったものは、席に着きながら、同じ部員同士、おしゃべりをしている。

 やがて全員が揃う。皆が席に着き、料理を配膳するカウンターの前に僕が立つ。

 まだ、この場で何が始まるのか、誰も知らない。

「ケースケ、お前が人を呼び出すなんて、珍しいな」

サッカー部の部員が言った。

「何をする気なの?」

吹奏楽部の部員も、前にいる僕に聞く。

「……」

 僕は頭を一掻きする。

「あー、サッカー部の連中は、作った僕が言うことじゃないが、あのしんどいスケジュール、よく頑張ってくれた。今日の結果はまだ出てないが、お前らは最善を尽くしてくれたと思う。ご苦労だったな」

 なんともたどたどしく、僕はそう言った。そして、吹奏楽部の方を向く。

「そして、吹奏楽部の皆も、僕と一緒に教師役をやってくれたマツオカをはじめ、他の部員も、空き時間に内の部員に勉強を教えてくれたり、差し入れをくれたり、サポートをしてくれて、とても助かった。この場で感謝を述べたいと思う。ありがとう」

 僕は頭を下げる。

「まあ、そういうことだ。そこで、サッカー部の慰労と、吹奏楽部への感謝も兼ねて、ささやかだけど、晩飯を用意した。良かったら、食べていってくれ」

「マジ? ケースケが作ったのか?」

ジュンイチが声を上げる。

「あぁ、といっても、カレーとサラダだ。たいしたものじゃない」

 そういって、僕はカウンターの中へ入る。

 何人かの生徒がついてきて、カウンターの外から、体を少し乗り出して、中を見つめる。

 でかい寸胴にいっぱいのカレーが二つ。学食で使っている業務用の炊飯器に黄色いご飯と、白いご飯が、これでもかというほどに炊かれている。既に木のボウルに盛り付けてあるサラダが、それがいくつもキッチンの作業台を埋め尽くしている。それだけで10品目は入っている、色とりどりのサラダだ。

「これ、全部ケースケが、一人で作ったのか?」

誰かが聞いた。

「あぁ、僕は朝から暇だったからな」

 あの、ユータに諭されてしまった日から、僕は自分に何ができるか考えた。だけど、何をしていいかなんてよくわからなかった。だから、自分がとりあえず何かを作って人に振舞ってみる、という、僕が人にあまりしたことのなかったことを試してみることにした。

 まずイイジマに「これだけ吹奏楽部に世話になっている。御礼をしなければ、礼を欠く」という口実で、微々たるものだが部費を徴収。

 僕の家は商店街にあって、当然八百屋や肉屋、魚屋もある。小さい頃からの顔馴染みだから、大量発注で安くしてもらった上に、トラックで昨日、朝から学校まで運んでもらいもした。勿論誰にも内緒で。

 肉は100グラム50円くらいの、そのままでは硬くて食べられないようなスジ肉。それを一気に弱火で火にかけておいた。コンソメスープが取れるほど煮込んだ肉は柔らかく、煮こぼしも行ったから、臭みもない。

 今日は朝から、箱いっぱいの人参、玉葱、ジャガイモと格闘していた。ジャガイモの皮剥きで、手の皮はシワシワになった。玉葱を切りすぎて、目が痛くて、途中から水泳用のゴーグルをかけて切った。

 その作業だけで3時間もかかった。下ごしらえした野菜に、マッシュルームやニンニク、生姜を加え、肉と合わせて、市販で売っているティーパッグ型のブーケガルニと一緒にまた半日煮る。その間にサラダを用意する。レタスをはじめ、緑、黄、赤のピーマン、コーン、水菜、トマト、山芋、キュウリ、人参、玉葱をバランスよく盛り付け、とても彩りの良いサラダだ。それとは別に、箱のトマトがあまったので、トマトと玉葱をオリーブオイルで食べる、シンプルなサラダも作った。

 材料で一番お金のかかったルゥは、必要量の7割に抑えて、残りは炒った小麦粉や、ソースや味噌、コーヒーなどで深みを出してごまかした。スジ肉の脂のなさは、肉屋で無料でもらえる、サイコロ型の牛の脂身を入れてカバーする。最後に、これも原価を抑えるための、傷のついた林檎を十個、まるまる摩り下ろして、それを投入し、出来上がり。

「辛いのと、辛いのが苦手な人用があるから、盛りつける時に、各自言ってくれ」

「すげぇ、あの黄色い飯はなんだよ」

ユータが空腹を顔に表して聞く。

「ターメリックライスだ。カレーに合うんだ。苦手な人もいるだろうし、白いご飯もある。それも各自盛る前に言ってくれ」

 僕はトレンチを使って、11種サラダと、トマトサラダを各々の席に置いていく。大体長机に座る6人で一皿だ。

 その後僕はカウンターに入り、カレーの盛り付けにかける。サッカー部と吹奏楽部の、総勢80人が、学食で使うお盆を持って、カウンター前に一列に並ぶ。

 しかし、ルーの好み、ご飯の好みを全員に聞きながらの盛り付けは、僕一人ではかなり時間がかかってしまう。僕はその長い、自分がいくらやっても途絶えない人の列に、更にピッチを上げる。

 すると、僕の隣に、すっと一人割り込んできた。

「手伝うよ」

 にこりと笑ってそう言ったのは、マツオカ・シオリだった。

「え……」

 言葉に詰まった僕に、彼女は間を入れず、問答無用で僕からルゥをかけるおたまをひったくる。

「いいの。私も吹奏楽部の部長だし、お世話になりっぱなしじゃ悪いから」

「……」

 10日間、ほとんど一緒にいて、わかったことがある。こういう時の彼女は、本当に強いんだ。こうして人を心配して、自分が動くときは、問答無用になっちゃうような娘なんだ。それがわかった。

 正直僕は、この合宿がはじまるまで、彼女とほぼ1年、まともに会話をしていなかったから、ただのクラスメイトにもなれていない、お互いのことをほとんどよく知らなかった。

 だけど、今なら少し彼女のことがわかるようになってきた。

 彼女は、僕とやり方は違うけど、基本世話焼きで、困ってる奴を放っておけない、普段引っ込み事案なんだけど、変なところ行動派で、落ち込んだり、笑ったり、いつもころころ表情が変わる。時には僕でさえ、彼女のペースに引き込まれるくらい積極的になったりする。そんな時、彼女はいつもこうやって、なんだか安心したように笑っているんだ。

 僕とシオリの共同作業で、あっという間に皆にカレーが行き渡る。最後、シオリの分を僕が盛り付けてやる。

「ありがとな」

 僕はカレーの皿を渡す。

「うん」

 彼女はその皿を両手で受け取ると、小さく頷いた。

 彼女が席に戻ると、高校生にもなって、皆で「いただきます」なんて言うのは恥ずかしいし、誰かが号令かけるでもなく、各自それを言って、カレーにスプーンを伸ばした。

「うおっ! 超旨いぞ! このカレー!」

「何だこれ! 今まで食べたことない複雑な味が……」

「うんうん、でもこれ、とっても美味しい!」

 すぐに口々に、僕のカレーに対して感嘆の声が上がる。

「大袈裟だろ…一人頭、200円もかかってないぞ、そのカレー……」

 僕はその時、一人食べずに、一日こもって散らかしたキッチンの掃除を行っていた。野菜の皮やらがゴミ袋に満載だし、床にも細かいゴミが落ちている。キッチン常備の箒とデッキブラシで、広いキッチンと格闘していた。

「このサラダのドレッシングも、美味しい。あ、このゴマドレッシング、味噌が入ってるんだ」

「マヨネーズも、これ、手作りだよ! アボガドが入ってるもん」

「このトマトサラダも、盛り付け綺麗でとってもお洒落だね」

 カウンターの外から、そんな声が聞こえてくる。外ががやがやと、人の声でにぎわう。どうやら料理で皆の会話も弾んでいるようだ。はじめは同じ部活だけで固まっていたのに、席を立って、サッカー部と吹奏楽部で、交流している者も出ている。

「……」

 こんなのも悪くないよな。

 今まで、誰かに何かを施してやるなんて、したことがなかった。

 今でも、少し照れ臭いけれど……

 でも、誰かにやらされていると思わず、自分で、やらなくちゃ、と思って、誰かのために動いたことなんて、今まで無かった。ユータ達に勉強を教えるのだって、世話してやってるなんて、多少恩着せがましい気持ちがあった気がする。

 さっきから腕が痛いけど、皆がそれなりに喜んでくれる――人付き合いは苦手で、あまり人と関わるのは好きじゃないけど――

 でも、だけど……どうして今の僕は……

「――ふう」

 ホースで水をまいたキッチンを、デッキブラシで擦って、一度僕は腕で額の汗をぬぐった。

「サクライくん」

 その時、カウンター越しに声がした。僕は振り向いた。

「……」

 そこには、吹奏楽部の同級生の女の子が、6、7人で固まって、立っていた。どの娘もシオリと一緒に、たまに合宿で勉強を教えに来てくれた娘達だった。


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