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Dream

 夢の中で、僕はジュンイチに殴られた日のことを、思い出していた。

 ――僕は入学当時から、特別な存在だった。

 4月――入学式後のオリエンテーションを、学年唯一不参加。サッカー部では、学年唯一の野球部出身者として、課せられた地獄のマラソンをクリア。月の後半には、早くも教師と衝突。アルバイトで疲れていた体を休めるため、昼寝していたのを、教師に首根っこ掴まれて叩き起こされ、その時に揉めたことがきっかけで、授業をサボるように。優等生の多いこの学校で『世捨て人』などと囁かれる。

 5月――授業をサボって、音楽室で戯れに弾いたギターやピアノが全校生徒の間に浸透。文化祭で、正門を飾る門の作成が遅れていたが、一晩徹夜で作業を受け持ち、1人で門を完成させる。文化祭は個人でやったギターがウケて、僕は文化祭の後、新聞部発行の新聞で、授業中の音楽室の音楽の正体だと、写真付きでばらされる。

 6月――高校初の中間テストで、1位と1点差の2位に輝く。『世捨て人』の僕が優等生達の間に与えた衝撃は、計り知れなかった。

 7月――期末テストも中間テストと同じ結果に。初の全国模試で、全国21位という、学年トップの成績を挙げる。体育祭で、部活別対抗リレーで先輩をごぼう抜き、クラス別リレーでも同じことをして、僕は学年のみならず、全校に名前を売る。

 8月――サッカー部でベンチ入り選手に選ばれ、サブとして3得点3アシストを記録。ユータが入ったことで、埼玉高校史上初の、埼玉県大会決勝へ進出。ユータ、ジュンイチとともに、彗星のように現れたルーキーとして、雑誌にも特集される。

 9月――夏休みの宿題で出した絵画、読書感想文、英語論文が全て好成績を残す。絵画は全国金賞、英語論文は、アメリカでの弁論大会での発表も薦められたが、興味がないこと、バイトを休むメリットのないことを理由に辞退。

 僕は半年で、校内に知らない人はいないという程の有名人になっていた。だけど、僕にその自覚はまるでなかった。

 ただ、あの頃は――

 高校入学に伴い、自分で学費を稼ぐという決断をしたことと、親に反抗したことで、自分の生活が大きく変動した。心が揺れたり、迷ったりする時間を作りたくなくて、ただひたすらに生きるしかなくて、ただ、漠然と、だけど純粋にがむしゃらだった。

 あの時の自分が、美しかったか、醜かったか。それは僕にはわからない。

 だけど、あまりにがむしゃらなことは、時には愚だったのか――

 僕は10月の半ば、紅葉や銀杏が色づく頃、体育館裏に呼び出された。

 呼び出したのは3人の3年生で、僕より皆体が大きかった。

 小学校の旧友に、暴力に対して向かっていけたのは、単にそいつらが嫌いで、憎しみを燃やした。

 しかし、その時は違う。

 憎しみもなくて、僕はただ、がむしゃらに生きる糧もそろそろ燃え尽きて、燃やした消し炭が、砂塵のように僕の心に積もっていて、生きるたびに心に沈殿物がたまる感覚が、ただ辛くて。

 僕は勝手に溜め込んだストレスを、正当防衛の名の下にぶつけていた。そして、気がついたら、僕の足元で、先輩3人が痛んでいて、立っている僕自身も、頭から血を流して、体中痛んでいた。

 それを見つけた教師に、体の力の全て抜けていた僕は、引きずられるように生徒指導室に連行され、そのまま3日間の停学処分を受けた。これでも正当防衛で、多勢に無勢だという条件もあり、随分と減刑されたのだけど。僕の倒した先輩は、全て一週間の停学だった。

 停学中の3日間は、高校に入って初めての休養だった。茫漠とした時間や、家族のいる家から出られない決まり、傷の痛みが、がむしゃらに生きた僕を完全な燃えカスに変えてしまった。

 3日後、僕が登校した際には、もう事情は大体の人が知っていて、頭や腕に包帯を巻き、絆創膏だらけの顔で、ひどい顔をしていたと思う。その頃の僕は、完全に燃えカスとなっていて、夢遊病者みたいな足取りだった。

 あんまり虚ろだったので、その時はユータ、ジュンイチが大爆笑して寄ってきた以外は、誰も僕に近付かなかった。

 そして、その4日後だった。

 僕のクラスに、三人の男子生徒がやってきた。皆僕よりも顔を腫らして、一週間経っても青痣が消えていなかった。

 3人はためらいなく下級生の教室にずかずか入り込み、まだ包帯の取れない僕の座る席を囲んだ。クラス中が息を呑み、僕等から離れた。

「けっ、運のいい野郎だ。俺らに罪を擦り付けて、早々出てきやがって」

「だがな、今度はこうはいかねぇぞ」

「痛い目に合いたくなかったら、二度と粋がるんじゃねぇぞ」

 3人は口々にそう言った。

「……」

 僕はこの時、1週間前には感じなかった怒りが、初めてこの3人に向けられていることを感じた。

 僕は両親を憎んだが、人に逆らうことは、自分にそれなりの覚悟が必要であることを学んだ。

 僕はその、両親と言う存在に意地を通すために、ただがむしゃらだった。だからこいつらの今やっている、中途半端な粋がり方が許せなかった。

 僕はゆっくり立ち上がり、一人の目を見て言った。

「なんだ。まだ俺とやる気なのか」

 自分の舌鋒は、驚くほど冷たく、静かだった。教室中が凍りつく。今まで家族以外に、自分の呼称が『俺』になったことがなかった。

 僕はゆっくり3人を見定める。

「お前達は3人がかりで、俺に負けたんだ。あの一敗で、俺との力の差がわからないようじゃ、何度やっても結果は同じだ」

「なんだと!」

 一人が僕の胸倉を掴む。しかし、細い腕だ。僕は相手の手首を掴んで逆方向にひねり上げる。僕の胸倉から手が外れ、その手は高く掲げられる。

「痛い痛い痛い!」

 腕を締め上げられる先輩は声を上げる。

 このやろう、と、あとの2人が言うと同時に、僕はその手を離した。3人は一歩下がり、僕と3メートルの距離を空けて正対する。

「ひとつ言っておいてやる。俺はこの学校の停学や退学なんて、なんとも思っていない。俺にとって高校は、大学受験資格さえ取れれば何でもよくて、ここを辞めても大検を受けて大学に行けばいいだけの話だからな。その意味がわかるか? お前等を今以上に痛めつけることにも、俺は何の感情も抱かないってことだ」

 僕は一歩前に進む。3人は後ずさる。

「俺を恐がっているな。そんな程度の覚悟で、俺に喧嘩を売るんじゃねぇ!」

 怒鳴るなり、僕は自分の机を蹴り飛ばす。クラスメイトの女子の悲鳴。派手な音が残響する。

「失せろ」

「――」

 3人はすごすごと教室を出て行った。

「……」

 教室の空気が凍りついた。僕は自分の蹴り飛ばした机を引き上げようと、机に手をかけた。

 その時だった。

「ケースケ……」

 誰かが僕の肩に手を置いた。僕はゆっくりと振り向く……

 次の瞬間、頬に重い何かが当たったと思うと、僕の体は吹っ飛んでいた。体に巻き込まれ、教室の椅子や机が数台巻き添えになって倒れた。

 口の中を切って、口の中に鉄っぽい味がした。体にのしかかる机や椅子をどけながら、上半身だけ起き上がった時に、初めて僕が殴られたのだとわかった。頬がじんじんする。

 目の前に、拳を前に突き出し、殴ったままのポーズで固まっているジュンイチがいた。

「――おい」

 僕はしりもちをつくポーズのまま、ジュンイチの顔を見て、彫像と化した。

 どこぞの髪の毛が蛇だったりする妖怪女の視線じゃないが、それを見たら、固まるしかない。

 ジュンイチの眼光は、きらきら光っていた。それが涙だとわかるまで、僕は3秒ほど時間を要した。

 やがてジュンイチは拳をおろし、僕の目と正対する。

「ケースケ。そんな悲しいこと、言うなよ……」

 消えるような、哀願するような、震えたような声だった。

「確かに、お前みたいな天才にとっては、俺みたいな凡人といたって退屈だろう。この学校にだって、何の価値もないのかもしれない……だけど……俺はお前の、そんなひねくれてるけど一直線なところが好きなんだ。功利主義者みたいな顔して、困った奴をほっとけないような、不器用なお人好し加減が好きなんだ。俺やユータのおふざけに、涼しい顔してぶっ飛んだボケをかますお前の独特の間が好きなんだ。冷静にパスを出すくせに、うちのチームが弱いから、押し込まれているポジションのカバーに、いつも走っていく、お前の素人丸出しのサッカーが好きなんだ。お前がいる、この高校生活が好きなんだ」

「……」

 もう僕も、周りのクラスメイトも、このジュンイチのこっぱずかしい告白に、口も挟めなかった。いつも冗談めかしたジュンイチが、こうして大真面目に何かを語るなんて、僕達でも見たことがなかった。

「俺はこの学校に入って、お前と出会えて、いつもユータとお前と3人でつるんでバカやって、すげぇ楽しかったよ。俺は、お前やユータのこと、親友だと思ってる。だから頼むから、そんな時間を無駄だなんて言わないでくれよ」

「……」

 訳がわからなかった。訳もわからずぶっ飛ばされて、殴ったのは僕といつも一緒にいる奴で、僕を殴ってそいつは泣いてて……頬がじんじんしている以外、確かにわかっていることなんて、何もなかった。

 ただ……段々と僕も、何故かわからないけれど、こいつに対してあまりに無思慮なことを言った、ということを、驚くほど素直に納得している自分がいた。いつもなら顔にワンパン入れられたら、きっと喧嘩腰になっていただろうに……

 そう考えると――

 僕は入学以来、こいつらと一緒にいた時間が、そんなに嫌いじゃなかった。

 そんな気がした。

 いや、それを思い出した、と言った方が正しいかもしれない。

 そうだ。僕だって、何の目標もなかった高校で、こいつらに出会えたことは、決していらないものなんかじゃないじゃないか。好きだ嫌いだなんて、照れくさくて言えないけど、僕だってこの二人と一緒にいる時間は、もはや生活の一部となっていた。

 ただ、そんなことを口に出して言うほど、僕は詩人でもなければ、ワインのソムリエばりの表現力もなかった。僕はそのまま立ち上がって、いつもの授業サボりを決め込むために、教室を出ようとした。すれ違い越しにジュンイチに、「ごめん」って言ったっけ。

 


 そこで目が覚めた。

 まだ部屋は薄暗い。カーテン越しに光が差してないところを見ると、まだおそらく外は真っ暗だ。

 枕元に置いてある目覚まし時計に目をやると、5時7分だった。冬場の合宿所は、県立で暖房器具もなく、嫌味なほど寒かった。イイジマは一台ガスストーブを持ってきてはいたけれど、寝ている時にストーブを焚くわけにはいかない。僕は起き上がって、寒さに震えながら、部屋の隅にあるストーブを熾した。

 部員達は、初日の勉強が相当堪えたのか、ほとんどの奴が苦悶の表情で惰眠をむさぼっていた。

 ユータとジュンイチは、普段のどこ吹く風て、気持ちよさそうな寝顔を見せている。

「……」

 何だか、この二人のアホ面が、今の僕には心強かった。

 こいつらは、今から僕がとてつもない馬鹿な挑戦をしても、きっと笑わないだろう。そして、失敗して僕が壊れそうになったら、きっとまた殴ってでも、僕を止めてくれるだろう。

 だから、今は先のことを考えず、彼女ともっと話をしてみようかと思う。


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