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Lover

 1時間後に探偵がグランローズマリーに到着すると、応接室に

「では、資料を踏まえ、調査経緯と合わせて、探し人の消息をご説明させていただきます」

 宜しくお願いします、と、僕達は頭を下げる。

「しかし……やはりサクライさんの洞察力はたいしたものです。今回の調査は、先日サクライさんが推察したとおりに進みました」

 探偵の視線が、正面の僕に向く。

「まず私達は、マツオカさんの借金の債権者であった街金融を尋ねました。本来なら債務者の体を売らせても、借金返済を促し、国からも業務停止を一度宣告されているような高利貸しです」

「……」

「そんな金融会社が、何故目に見えた無茶な返済請求をしなかったか、調査すると、どうやら探し人の方が、その高利貸しに取引を申し立てたそうです。2ヶ月で300万を用意する。それが出来るまで、他の家族に無茶なことはしないでくれ、と。もしそれが出来なければ、何でも言うことを聞くとまで言ったそうで……」

「……」

「取りっぱぐれがないよう、その高利貸しには連絡先を教えていたそうです。何をしていたかまではつかめませんでしたが……彼女がその高利貸しに無茶なことをさせないだけのお金を稼いでいたのは事実の様です」

「……」

「しかし、彼女は2年前、借金の返済を終えた時期に、完全にその高利貸しとの連絡を絶ったそうです。そこでまた我々も消息が途絶えてしまったのですが……」

「……」

 彼女が今、借金返済のためにしていた仕事からは足を洗っていることは、想定の範囲内。

 マツオカ家の通帳履歴――時には月に1000万を超える振込みがあったのに、2年前を境に、匿名の振込みの額は明らかに縮小していたからだ。

 その2年前に、彼女が何を思ってその仕事を辞めたか、理由までは僕には正確にはわからないけれど。借金を返すという目的がなくなったら、続けたくないことをしていたのだろう。

「我々は途方に暮れながら、戸籍を当たったのですが、マツオカ・シオリの名前の該当者は見つかりませんでした。しかし、行方がわからないとはいえ、該当者がいないのはおかしい。生きている限り、戸籍では該当者がいるはずですから」

「……」

「そこである可能性を考えた時、謎は全て氷解しました」

「可能性?」

 ジュンイチが首を傾げた。

「彼女が、戸籍上、名前を変えている可能性――ですね」

「……」

 僕が聞くと、探偵は何も言わずに頷く。

「名前を?」

 マイか僕を見る。

「法律上、例は少ないが、戸籍上の名前は変えられる。悪魔くん騒動なんてのもあったがあれはそのひとつ。社会通念上不適切な名前と判断された場合、出生届が受理されても、申し立てで改名できる」

「……」

「あと、芸能人なんかに多いが、芸名が本名よりも有名になった場合、本名を変えた方が生活しやすいと認められれば、その芸名を本名に出来るんだ」

「その通りです」

 探偵が言った。

「今回の場合は、サクライさんが今仰ったケースです」

「え? ちょっと待って」

 マイが話を止める。

「じゃあ、今シオリは……芸能人か何かをしていて、テレビを点けていれば、いつでも見られるってこと?」

「いえ。芸能人ではありません」

 探偵が柔らかな表情で否定する。

「言ったでしょう。変えられるのは、芸名だけではないと……」

「ペンネーム……」

 僕が呟く。

「作家か!」

 ユータが声を上げる。

「ご名答です。今では捜し人の方は、作家をしております」

「……」

「子供向きの童話物語から、大人向けの小説まで、ジャンルは多彩で、最近めきめき売れはじめている作家……なのに表舞台に一度も顔を出したことがなく、性別以外の経歴は不明。ネット上で噂が飛び交う話題性でも注目されている作家です」

「コンドウ・アサミ……」

 トモミが突然、女性の名前を呟いた。

「そうです。お探し人は、作家のコンドウ・アサミさんですよ」

 探偵がそうまとめた。

「――すまない――僕は日本に帰ってから仕事続きで、本なんてほとんど読んでいなかったからな。そんなに有名な作家なのか?」

 僕はトモミの方を振り向く。

「2年前から突然活動を始めた新進の作家ですが、性別が女性という以外は全てが謎に包まれた作家さんですね。その繊細な心理描写から、すごい美人だとネットでは噂が流れているとか」

「……」

 ペンネーム以外、全て謎に包まれた作家か――今まで無茶な稼ぎ方をしてきた彼女が、隠れ住むように生活するにはうってつけというわけか。

 そして、名前を変えた理由は一つ。

 明らかに、探されまいとしている。

 リスクにもなるが、彼女はそうしてでも本名を変え、戸籍での追跡を困難にした。

 今彼女が、外界との接触を断っていることは、それだけでかなり濃厚になったと言える。

 だが……

「よかった――生きているというだけで」

 その状態を聞いて、まず彼女の無事を安堵した自分がいた。

 命さえあれば、何度でもやり直せるなんて、そんな前向きに生きているわけでもない僕が、今こうして安堵することに、若干戸惑いながらも。

 7年分の安堵を吐き出すようなため息が漏れた。

「いずれにしても、シオリさんに会って、真意を聞くしかないってことだな」

「ああ――あとは居場所さえわかれば……」

 その折に、探偵の携帯電話が鳴りだす。

 すみません、と言って探偵は携帯を取った。電話の相手と、数度の相槌を打った後に、電話を切る。

「サクライさん」

 探偵が携帯をポケットにしまいながら言った。

「丁度今、探し人の方が、出版社に出向いているそうです」

「何?」

 その報を聞いて、僕は脱兎の如く立ち上がった。

「場所は?」

「え?」

「すぐに向かう! 場所を早く!」

 若干荒ぶった口調で、僕は探偵に問い詰めた。

 探偵は焦りながら、携帯で住所を確認し、それをメモして僕に渡した。

「皆すまん。お前達はどうする?」

「ふ――最初にシオリさんに会うのはお前だ。野暮な真似はしねえよ」

 ユータが僕に微笑んだ。

「お前ひとりで行け。朗報を待ってるからよ」

 ジュンイチが親指を僕に突き出した。

「そうか、ありがとう!」

 そう言って、僕は踵を返しかけるが。

「クゥン……」

 その小さな声に、僕は走り出した足を止める。

 見ると、社長室の隅にうずくまっているままだったリュートが、ゆっくりと立ち上がり、僕の方へ覚束ない足取りで歩いて来るのだった。

「リュート……」

 死期も近く、もう歩くこともできなかったリュートが、僕の剣幕を見て、ふいに立ち上がった。

 リュートは今、この時まで、最後の力を蓄えていたというのか。

「――分かった。リュート。一緒にシオリのところへ行こう」

 僕はしゃがみ込み、すり寄るリュートの頭を撫でた。

「社長」

 その折に、トモミが僕を呼び止める。

「これをどうぞ」

 そう言って、トモミは僕にデジカメを手渡す。

「――ありがとう。トモミさん」

「――頑張ってくださいね」

「ああ、行って来る!」

 僕はトモミに会釈を返し、リュートと共に、社長室を走り去った。



雪はまだ降り続いており、車のフロントミラーの先は、20メートル先はもう見えないほどに、降雪量は衰えを知らない。

僕は自らの運転で、そのまま出版社のビルに向かった。グランローズマリー本社から、雪道を20分ほど走り、車を近くのパーキングに止め、リュートと共にビルの中へと急ぐ。

 オフィスビルだけど、受付はなく、一階はエレベーターが2つあるだけ。グランローズマリーは警備員がいて、IDがなければロビーの自動ドアが開かないというのに。

 エレベーターの横にフロア案内があった。最上階の4階が受付で、「ご用の方はこちらにお越しください」と書いてある。と言うことは、多分そのままそこに来客を通せる応接間があると読む。リュートと一緒にエレベーターに乗り、4階のボタンを押す。

 エレベーターに乗ると、急に緊張してきたが、深呼吸をする前にエレベーターが開いてしまった。

 扉が開くと、白く殺風景な廊下に、ガジュマルの鉢植えが置かれていた。

 エレベーターを降りると、右手に磨りガラスのはまった木製の扉が見えた。何だか出版社っぽい、年期の入った扉だった。

 その手前には自販機が置かれていて、スーツ姿の女子社員が、ホットミルクティーを飲みながら、談笑していた。

「ねぇ、今編集長と話してる人って、コンドウ・アサミさんなのよね。綺麗だよねぇ。あの可愛さ、もう芸能人じゃん」

「あんな綺麗なんだし、顔出ししたら、もっと本も売れると思うんだけどね……女子にはカリスマになるだろうし、もてない男のファンが増えるわよ」

「編集長、今日コンドウさんを呼んだのは、その線らしいわよ。うちみたいな弱小出版社が生き残るためには、売れる作家さんにはもっと力を入れるしかないもの」

 そんな話が聞こえてきた。

「あ……」

 片方が僕に気付く。そうすると、もう一人も僕を見る。

「え? サクライ・ケースケ?」

「ウソ! うわぁ……雑誌で見るより、ずっといい男……」

 二人の目が輝き出す。

「すいません、今の話……」

 考えるより先に、僕は二人ににじり寄って、壁越しに追い詰めていた。今の僕は完全に思考が吹っ飛んでいた。

「コンドウ・アサミさんが、今ここにいるんですか?」

「え……」

「あの奥にいるんですね?」

 矢継ぎ早に問い質す。

「は、はい……」

 僕の気合いに負けて、女の子達は生返事をする。

「そうか! ありがとう!」

 そう言うと、僕は目の前の扉に駆け出し、許可もなく扉を開け放っていた。

 あまりに大きな扉の音に中にいる30人余りの社員が、皆、僕を見る。

「は? さ、サクライ・ケースケ?」

「――と、犬? な、何で?」

 呆気にとられる社員を尻目に、僕はオフィスを見回す。

 多分下のフロアに会議室などがあるのか、このフロアには仕切られた個室はない。

 入り口から奥の窓側に、細い木を編み込んだ衝立が隠しているスペースがある。

 ――あそこだ。多分、あそこに……

 あの衝立の向こうに、彼女が……

 僕は奥に向かって歩き出す。

「こ、困ります。オフィスは部外者は立ち入り禁止で……」

「どいてくれ」

 前を塞ぐ男子社員を振り払う。僕に振り払われて、社員は尻餅をついた。

 もう、誰にも止められなかった。頭の中は冷静なつもりなのに、心の中は、こんなにも満たされて、それが僕に強引なまでのパワーを与える。

 高校時代、ファンタジスタと言われていた頃、何人がかりでも止められない僕のドリブルで、ゴールへ一直線に突進している感覚に似ていた。

 衝立に近付くと、裏からかすかに話し声が聞こえて、一度立ち止まる。

「やはり、ダメなんでしょうか? コンドウさんの顔をそろそろ公開すれば、きっと読者も増えると思うんですが……」

「すみません。私はやっぱり、表に出るのは苦手で……」

「……」

 その声――

「あの」

 グイッと後ろから肩を引き寄せられる。

「困ります。今編集長は作家さんと打ち合わせ中で……」

 体格のいい社員が僕を引き留める。

 だが、僕は構わず目の前の衝立の端を手に取り、それを脇に払った。

 衝立が倒れる音。

 ガラスのテーブルを挟んで、ソファーに座り、向かい合う二人。

 奥には、さっきまで見た社員より、幾分上等なスーツを着ている、白髪混じりのボサボサ頭の50代半ばの男性が。

 そして、手前側。僕に背を向けて座っている女性は……

 華奢な肩にかかるくらいの、つやつやと光るような黒い髪の女性だった。

 音に反応し、女性もゆっくりと振り向く。

「……」

 小さく形のいい丸顔に、すっきりした鼻梁、薄いピンクのルージュに飾られた、程よいボリュームの唇。

 そして、その眼鏡越しの目は、僕がまだ子供だった頃に初めて引き込まれた時のままの、明鏡止水の輝きを宿していた。

「な、何ですかあなたは!」

 編集長らしき人間が仰天する。

「……」

 彼女は僕の姿を確認して、その目を見開いていた。

 そのレンズ越しの黒い目が、一度だけ下に動き、僕の脇にいるリュートを確認し、更に確信を高めてから、視線はまた僕へ――

「……」

 肩で息をしながら、僕は理解していた。

 目の前の女性が、まるで冬の柳のように、辛い時代を乗り越えてきたことが。

 顔立ちもまるで少女のようにあどけなく、風貌は7年前とほとんど変わらないのに、凛とした美しさが、その風雪の中で一層底光りして見えた。

「あ……」

 僕をなんと呼べばいいのかわからないといったように、彼女は声を詰まらせた。

「……」

 こんな時に沸き上がる感情が、歓喜なのか焦りなのか緊張なのか、もうそれさえもわからなかった。

 あまりに感情が溢れてくると、逆に何も感じなくなるのだと、僕は初めて知った。

 でも――間違いない。

 そこにいたのは間違いなく、僕の知っている、僕が昔大好きだった女の子。

 マツオカ・シオリだった。


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