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Kindly

 葬儀会場は、水を打ったように静まり返る。

 老いた女性の持つ果物ナイフの刃先が、月の光で青白く照らされ、手の震えがそれを乱反射させる。

「……」

 僕は呆れ半分に、後頭部を掻く。

「――悪いけど、俺は浮浪者時代、拳銃(ハジキ)で脅されることも何度も経験してるんでね。そんなナイフなんかに、今更ビビッてやれないよ」

 東南アジアでは、日本人=金を持っているの図式がいまだ根強い。特に昔の僕のような華奢な日本人が一人で歩いていたら、格好の金蔓に見える。華奢な体の日本人というだけで、僕は旅先では、何度も現地の人間に危険な目にあわされた。

 拳銃を向けられることを思えば、年配の女が震えた手に持つナイフなど、不意打ちでもなければ100%逃げられる。この状況、生存確率は極めて高い。

 ――いや、だが、まだ憂慮すべき事態、かな……

「ふ……ふ……」

 女性は変な息を漏らす興奮状態で、震えを抑えようと、ナイフを両手持ちにして、僕の前に突き出した。

 ――というか、ナイフを突き出すことで僕がもっと狼狽して、自分の優位を引き寄せられる算段だったのだろう。僕があまりに落ち着き払っているので、余計にナイフの下ろし所が分からなくなってしまったのかもしれない。

「はぁ……」

 僕は後頭部に手をやりながら、溜め息を漏らす。

「それは起死回生の策のつもりなのか? 俺をそいつで殺せば、自分達の勝ちだとでも思っているのか?」

 僕は左手でナイフを指差す。

「弱いってのは、醜く、悲しいな……弱者の最後の悪あがきってのは、大体自滅の道なんだ。それが通れば、本気で何とかなると信じた目でそれをやっている分、余計に哀れだな……」

「う、うるさいっ! そんな哀れむような眼で見るんじゃないわよっ!」

 どうやら僕の目が、相当嫌味に映ったらしく、女性は激した。

「暴力の使い方、間違えてると思うけど? 暴力ってのは、相手に畏怖を植え付け弱腰にして、その後の交渉を優位に進めるためのものだ。実際にそれで人を殺してどうする?」

 だが、僕は構わず女性に向かって言った。

「う……」

「入口のでくの坊にも言ったが、そう焦るなって。そのナイフを振るったらどうなるか、時間はたっぷりくれてやるから、考えてから振るいに来いよ」

 女性の表情に、迷いの色が強くなる。ナイフを持つ震えた手の強張りが、少し緩んだ。

 それを確認した数秒後に、僕は体を少し横に倒した。

 耳元の空気を切り裂く、ひゅん、という音が僕の顔の横をかすめた後、かちかち、と、固いものがぶつかり合うような音が響く。

 そう、僕は後頭部に向かって、石を投げつけられたのだ。それを僕がかわし、投げられた石はそのまま庭園の庭の石にぶつかり落ちたのだ。

 僕は後ろを振り向き、葬儀の参列者達をぐるりと一瞥した。

「誰が投げたか知らないが、随分正確な狙いだったなぁ」

 僕が笑み交じりに大声でそう言うと、参列者達は一様に僕を畏怖するように、表情を強張らせた。

ここへ来た時から、死地に来たって覚悟は固めてきている――だから、殺気に対するアンテナは常に最大感度を維持している。

「普通、ナイフを人に向けるなんて場面に突然遭遇したら、誰かしら悲鳴のひとつも上げるか、警察を呼ぶなりするだろうに、お前達は誰一人動揺を示さなかった。それはつまり、ナイフを向けられている俺が死のうと、お前達にとっては動揺に値しないどころか、むしろ好都合と考えている証拠――落日の飛天グループが、死なばもろとも、お前達にとっても邪魔な俺を一緒に消してくれれば、と誰もが思ったんだろ? お前達の反応の薄さを見れば、お前達の援護射撃も想定の範囲内さ」

「く……」

 誰もが僕の死に様を期待していた分、一同苦虫を噛み潰すような表情。

 それを確認してから、僕はナイフを持つ女の方を向き直す。

「分かったか? 今のお前は利用されているんだ。ここにいる誰もが、今日の葬儀で冥福を祈っている奴なんていない。力を失ったお前の最期の利用価値――お前はここの連中に踊らされて、都合のいい汚れ役を押し付けられようとしている――その先に、お前達に待つのは、今以上の絶望と、破滅だ。それでいいのか?」

「く……」

「俺を殺したいのなら、それもいいだろう。だが、こんな形でいいのか? 弱いまま、誰かに利用されて、泥をかぶって、最期まで惨めなまま破滅の道を歩んでもいいのか?」

「ううう……うるさいうるさいうるさいっ! もう黙って!」

 憎むべき僕の説得は、どうやらさらに混乱を増長させただけだったようだ。処理能力の追いつかなくなった女は、ヒステリックに叫んで、ナイフの切っ先を僕に向け、突進してきた。

 だが。

「もうやめろ!」

 ナイフを持つ女性の腕は、後ろからジュンイチの太い腕に羽交い絞めにされ、そのまま体を押さえつけられた。

「あんたがこいつを殺しても、死んだ人間も戻らなければ、お前の幸せも帰ってこない。お前はシャバを歩けなくなり、お前達の子供は、人殺しの子供の汚名を背負って、もっと辛い目にあわせるだけだ!」

 ジュンイチの大声が、庭園中に響く。

「何でこいつがここへ来たのか、はっきり教えておいてやる――こいつはな、お前達が家族を失った怒りで、早まった真似をしないように、お前達の頭を冷やしてやるために、ここに来たんだ! お前達の破滅を止めるためだけに、単身でこの死地に来たんだ!」

「……」

 ジュンイチの目と、僕の目が合ったが、僕はついと目を背ける。

「もうこれ以上、お前の手で自分の不幸を広げるんじゃない!」

 そのジュンイチの言葉に、女は体の力をすべて失った。それをジュンイチが確認すると、女はそのまま背骨のない海月のように、べしゃりとそこにへたり込んだ。

「おばあちゃん……」

 さっき僕に突っかかってきた少年が、悲しそうな顔をして、老婆に近付いてくる。

 その子供の心配そうな顔を見て、女の顔はくしゃくしゃになり、少年の身体を強く抱きしめた

「うっうっ……ごめん……ごめんね……あああああああああっ……」

 少年を抱きしめて、女の慟哭は夜空に響き渡る。

「……」

 僕とジュンイチは、そんな女の慟哭をしばらく憐れむように見ていたが。

「てめえらの中に、こいつと同じことができる奴がいるのかっ」

 ジュンイチが激した声で、参列者達に大声で怒鳴りつけた。

「人の死を悼む葬儀の場で、遺族に憎い奴を道連れにしてもらおうなんて、せこいことしやがって! てめえらの中に人間らしい奴が一人でもいるのか! 同じ人として、俺は恥ずかしいぜ! そんなてめえらに、こいつを非難する権利があるのか!」

 どうやらジュンイチは、この葬儀会場に流れる空気の悪さをずっと不快に思っていたようだ。それを我慢していた分、怒りを爆発させた。

「――ジュンイチ」

 僕はそんなジュンイチを、静かな声で制した。

「勝手に僕を持ち上げるなよ」

「いいんだよ、こんくらい言ってやった方がいいんだ、こいつらには」

「勘違いするなよ。僕は別にいい奴なんかじゃない。こいつらが頭が冷えた後にも僕に逆らうのなら、今度こそ全員皆殺しにする、紛れもない敵だ」

 そう言って、僕は泣き崩れる女と、その腕に抱きしめられる少年の前まで歩を進める。

 その足音を聞いて、少年は女の腕からバットはなれて、女を庇うように僕の前に立ちはだかった。

「……」

 少年は僕を睨みつける。

「確かに俺は、お前の親父も爺さんも嫌いだったが、殺すつもりはなかった」

 僕は言った。

「悪いが俺は、親が死んだお前の無念さなど分かってやれん。俺は親を自分で殺した男だからな。俺を恨む気持ちの大きさなど分からんが、いずれにせよ今のお前じゃ、俺には勝てん。悔しければ、生きて、生き抜いて、俺を殺しに来い」

 僕は少年にそう言った後、顔をあげた、化粧もぐしゃぐしゃになった女の方を見た。

「俺を殺したいのなら、止めはしないが――俺ももう、出来る限り無駄な殺しはしたくない。できることなら、新しい人生を、その子と歩んでくれ」

 そう言うと、俺は踵を返して、石畳を元来た方へと歩きだした。

「――ケースケ」

「帰ろうジュンイチ。もうここでの用は済んだ」

「――そうか」

 そう言って、ジュンイチも立ち上がり、僕についてくる。

「……」

 だが、ジュンイチは一度立ち止まると、また踵を返して、僕等を睨む少年の下に再度駆け寄った。

「坊主、確かにあいつは、親を失った者の気持ちなんてわからないが、親を失ったことでの苦しみはわかっている。お前の気持ち、何も分かってないわけじゃないんだぜ」

「……」

 ジュンイチ――また余計なことを……

 石畳の先に、帝国グループの爺さんが立っていた。

 酷く悔しげな顔をして、僕を睨んでいた。

 それはそうだろう。爺さんはここで、僕が力にものを言わせての殺戮ショーを繰り広げることを期待していたのだから。それがジュンイチの言葉通りだとしたら、僕はまたしても爺さんの価値観を否定したことになる。

 僕は爺さんの前で一礼してから、その横を横切り、屋敷の庭園をジュンイチと共に跡にした。


「ほら、血を拭けよ」

 ジュンイチは元来た道を歩きながら、僕にティッシュを差し出した。

 僕はティッシュを、額の血の流れる感覚がある場所へと当てて、手で押さえながら歩く。

「当てが外れたな。あんな後味の悪い写真、撮ってもどこも買い手がつかないだろう」

 僕はジュンイチを見ずに皮肉を言った。

「空振りがあるから、大当たりの仕事ってのが楽しいもんさ」

「……」

 沈黙。

「――お前を連れてくるんじゃなかった。余計なことを言いやがって」

「あんな回りくどいことをするなら、直接言ってやればよかったろうが」

「家族を殺した僕が、今は生き延びてくれ、なんて言っても、嫌味にしかならないだろう」

「まあ、そうだな。だから見るに見かねて、俺が言ってやったんだが」

 ジュンイチがふっと皮肉めいて笑った。

「……」

 ジュンイチの先走りのせいで、妙に僕がいい奴のように映ってしまった結果が、僕は少し気に入らなかった。

 恨まれることで、あの一族が生きる理由になるのなら、それもいいと思ったのだが――

「ケースケ」

 そんな後悔を頭で反芻していると、ジュンイチがまた口を開いだ。

「お前、少し優しくなったな」

「は?」

「一回り、強くなったんだろうな。強くなったから、人に優しくできる」

「……」

 僕が優しい、だって?

 小さな子供にまで、死んじゃえ、と言われ、遺族にナイフを突きつけられるような男のどこが優しいって言うんだ。

 これから僕は、ああいう弱者の狂気と涙を、数えきれないほど見るだろう。

 あんな後味の悪い涙を、幾度となく流させるのに……

「笑えない冗談だ」

 僕は夜空を仰いだ。裸木の梢の先に、三日月が浮かんでいた。


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