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Knife

「君はたまにテレビでコメンテーターもしておるカメラマンじゃな」

「日本一の大財閥の会長さんが、俺をご存知とは光栄ですね」

「いや、君のコメントは、他のテレビタレントと違って新鮮で面白い。若いのに的を得た意見を、ざっくばらんに言いよる。君は馬鹿であっけらかんとしておるように見せて、鋭いところを人に見せんようにしておる。なかなか油断のならん男じゃと思っておった」

「いやいや、俺はケースケとは違いますよ。買いかぶり過ぎです」

 僕の後ろを歩く爺さんとジュンイチは、歩きながら挨拶を交わし、もう打ち解けたようであった。

「君は高校時代からの、サクライくんの知り合いらしいの。機会があれば、サクライくんのその頃の話を、君から聞かせてもらいたいものじゃ」

 爺さんは妙に機嫌がよさそうだ。、

 門をくぐったとは言っても、屋敷に辿り着くまでには、東京ドーム数個分はあるだろう庭を歩かなければならない。一応葬儀用に順路と書いた看板が立ち、道には石畳も敷いてあるから、恐らく迷うことはないだろうが。

「しかし――酷い庭じゃの」

 爺さんが文句を垂れた。

 だが、文句を言うのも無理はない。うっそうと木々が茂り、もう日も暮れかけている時分に、道に置かれた明かりは、最低限足許が見える程度で、まるで肝試しでもやっているかのように薄暗く、歩きにくい。

 そして、先程から石畳が落葉に隠れてしまっていて、道が分かりにくいだけでなく、見た目にも麗しくない。木枯らしで葉の落ちた木々は、丸裸になって風情も何もない。梢の隙間に木枯らしが吹きつけ、ひゅうひゅうと寂しげに風を切る音だけがこだましている。石畳を外れた芝生はもう何カ月も刈り揃えていないのだろう。まるでゴルフコースのラフのように無造作に伸びている。道端に見える花壇も、秋の花がもう寒さで萎れているのにほったらかしだ。萎れた花がくたびれて、無残に残骸を晒して、とても見る者の心を楽しませる庭ではなかった。

「これなら適当な寺で葬儀をやった方がまだ格好もついたろうに。こんな庭を列席者に歩かせてまでここで葬儀を行う、家主の神経を疑うの」

「……」

 半年前はこの庭も、四季折々の花が咲き誇り、芝生も緑の絨毯のような、さぞ美しい庭園だっただろう。だが、こんなでかい庭、数十人の庭師や植木屋がこまめに手入れをしなければ、あっという間にその美しさを失い、無法図が広がってしまう。

 この屋敷も、年が明ければ競売にかけられることがもう決まっている。そんな屋敷の住民が、庭師などを雇うはずがない。

「だが、この庭園と屋敷のでかさを見せれば、表向きには立派に見える――喪主はそう判断したのでしょう。この家も年明けには取られてしまうことも、列席者は皆知っているというのに、喪主はまだ自分の威を示したいと考えている――まだ過去の栄光にすがりたい思いを捨てられないのでしょうね」

 僕は後ろを見ずに、歩きながら言った。

「この荒れ果てた庭を見れば、飛天グループの栄枯盛衰振りを宣伝するようなものだってこと、冷静に考えれば誰にだって分かるのに……喪主達は、完全に冷静な判断を失っている――わけがわからない状態になっているんでしょうね」

 さっきから自分の靴が踏みしめる分厚い落葉の層が、この屋敷の住人の悲しみのように感じられていた。

 この庭を見るだけで、この屋敷の住人の心がどれだけ荒んでいるかが、手に取るように分かってしまう。

「そして、その最後の自己顕示欲にとどめを刺しに来たのが君、というわけじゃな」

 爺さんが僕の背中越しにそう言った。

「……」

 そう、爺さんがここに来た理由も、大体僕には察しがついている。

 爺さんは、この葬儀で、僕が圧倒的な力の差にものを言わせ、この一族に引導を渡すのを見物に来たのだ。それは爺さんの、力こそが正義、という価値観に僕も迎合することを意味する。

 爺さんは、今日ここで、僕が爺さんの価値観に屈することを期待しているのだ。

「ふふふ、君、中に入れてついてたのぉ。面白いものが見られそうじゃよ」

 爺さんは横のジュンイチに上機嫌に言った。

「面白い、ですか……俺は後味が悪くなりそうですけどね」

 ジュンイチは明らかに、僕の背中に向かってそう言った。

「……」



「――やれやれ、ようやく屋敷が見えてきたぞ」

 20分弱も歩いた頃、爺さんがうんざりした声を上げた。

 屋敷の前に来ると、さすがに会場だけあって、照明の数が多く、夜なのに昼のように明るかった。まるで武家屋敷のような純和風の屋敷が見えてきて、木々に囲まれた一本道が次第に開け、広々とした庭に出てくる。

「お、おい……」

 開けた庭には、葬儀の参列者が立ち並び、各々に挨拶を交わしたり、焼香の順番を待っていたり、故人の思い出話をしたりしていた。見知った顔ばかりだ。どれも財界の関係者――僕を『犯罪者の息子』だの『犬将軍』だのと蔑み続けて、僕を忌み嫌っていた連中ばかりだ。

 その場の空気が一気に真空になったように静まり返った中を、僕は構わず石畳を歩き続ける。

 次第にその静寂の中に、ざわざわと参列者たちの陰口が聞こえてくる。

「ちっ、よく来れるもんだ。自分が殺したようなもんだってのに……」

「自分を馬鹿にしてた奴が死んで、優越感に浸りたいのよ」

「結局その程度の小物ってことよ。正義の味方が聞いて呆れるぜ」

 あまりに僕の噂ばかりが飛び交うので、僕の耳にもその陰口の内容は所々届いてくる。

 提灯が釣られる玄関の右手に縁側があり、大きな和室の障子が開け放たれている。両端を白い菊の花が飾り、4つの桐製の棺が安置されている。百畳はありそうな和室だ。これなら大政奉還だって出来そうな広さなのだから、棺が4つあっても、まだ十分なスペースがある。

 列席者は縁側から和室に上るようだ。僕達は縁側に歩を進める。表にいる他の列席者も、陰口を叩いてもやはり気になるのか。僕達についてくる。

 和室の献花台の前には、故人の妻や兄弟だろう女達が、献花する列席者に一人一人丁寧に礼をしながら、目尻をハンカチで押さえていた。七五三のような格好の子供もいる。

 しかし、表に立つ僕の姿を見て、女達の目は一気に見開かれた。

 僕は縁側の前に一度立ち止まり、遺族達の顔をぐるりと一瞥した。

「……」

 その顔を見て、僕の心には、既視感(デジャブ)が去来する。

 僕の人生で、幾度となく見たもの――

底のない暗闇の中に、悲しみや怒りさえ突き抜けた絶望が広がった、生気を失った亡者の目。

 この長い石畳の落葉を踏みしめながら感じていた想いと、庭の中に広がっていた、空気の臭いが、更に濃くなって感じられた。

「な、何の用なのっ!」

 黒い着物を着た、年老いた女性がヒステリックな声を上げた。もう70を超えているのなら、恐らく飛天グループ会長の妻――この老婆が喪主だろう。老婆を中心に、女性と子供達がひとかたまりになって、怯えたように寄り添っていた。

「……」

 僕はその声を聞くと、何も言わずに前へ進み、縁側に登るために近付いた。

「ち、近付かないでっ!」

 若い女――恐らく僕にシャンパンを吹きかけたり、噴水に突き落としたりした3人組の誰かの妻だろう。震えるような声で僕に怒鳴った。

「……」

 構わず歩を進め、僕は縁側に片足をかける。

「近づかないでって言ってるでしょ!」

 そう言って、女の一人が、棺の横に立ててある位牌のひとつを取って、僕に投げつけた。

 ガッ、と音がして、位牌の脚の角が僕のこめかみに命中し、皮膚が小さく裂け、血がゆっくりと流れる。

 僕は切れたこめかみを触って、血が流れているのを視覚でも確認すると、指先に付いた血をぺろりと舐めた。

「――おいおい、位牌ってのは、死んだ者の霊を宿すためにあるんだろう? 投げるなんて、随分なことをするじゃないか」

 僕は血の化粧が施された顔で、失笑めいて笑った。

「それとも、位牌を投げつけて、死んだ者の恨みを俺にぶつけたつもりだったのか――それにしちゃ、この程度のものか、ふふふふ……」

「く……」

 死神の血化粧を施された僕の笑みを見て、目の前の女達は無力感に唇を噛んだ。

「よ、よくも……よくもパパを!」

 そんな女達の陰から一人、小さな人影が立ち上がった。まだ小学生に上がったばかりくらいの小さな男の子――まだ甘ったれた顔をした、よい所のお坊ちゃんという感じの少年が、僕に突進して、僕の腹に精いっぱい腕を伸ばして、拳を叩きこんだ。

「おまえが! おまえがパパやおじいちゃんをころしたんだ! おまえなんかしんじゃえ! しんじゃえ!」

 泣き叫びながら、僕の身体に幾度となく拳を叩きこんでくる子供。

「……」

 僕はそれを、茫然と突っ立ったまま、しばらくなすがままに食らい続けていたが。

 頭の中で10を数え終わると、僕は子供の胸倉を左腕で掴んで、そのまま中空に引き上げた。子供の身体は宙吊りになる。

「な、なにするんだ! はなせっ! はなせっ!」

 子供はじたばたと暴れて抵抗する。胸倉を掴む僕の腕に噛み付きもしたが、僕の左腕は一向に力が緩まない。

 会場の参列者達も、小さな子供とは言え、30キロ近くある小太りの子供を片手で宙吊りにし、体中で暴れてもびくともしない俺の握力に息を呑んだ。

「坊主。今のお前の言動に、みっつ質問がある」

 僕の腕の中で怒りをあらわにする子供をよそに、僕は抑揚のない声で問いかける。

「ひとつ――何故俺がお前の親父を殺したと思っている? 確かに俺は、お前の親父や爺さんから、権力の大部分を奪い取った――が、全てを奪ったわけじゃない。お前の親父達には、まだ忠誠を誓う部下もいた。まだ自分達を信じる部下のことも全て投げ出して、お前の親父達は死んだんだ。あまりに無責任な死に方じゃないか? お前の親父達は、人の上に立つ者としては、最低の死に方をしたんだ」

 そう言い終わると、俺は左肘を少し下げて、子供の目を僕の顔に正対させた。

「ふたつ――さっきお前は、僕に『死んじゃえ』と言ったな。じゃあ、お前は今、俺を死なせるために、何か努力をしているのか? さっきお前が言った『死んじゃえ』ってのは、神への祈りか? それとも、優しい誰かが自分の命令を聞いてくれるとでも? ふふふ――おめでたいことだな。努力もしないで、自分の思い通りにならないとぎゃあぎゃあ喚いて……」

「く……」

 子供の顔が、泣き出しそうにくしゃくしゃになる。だが、親の仇である僕の前で泣いてしまいたくないのか、歯を食いしばって、必死に泣くのをこらえているようで、顔が滅茶苦茶に歪んだ。

「そして、みっつ――最後の質問だ」

 僕は涙を必死にこらえるその子供の首筋に、自分の右手の指をそっとあてがった。

「もしお前が、パパのいないこの世を嘆くなら――俺はお前を、パパの所に連れて行ってやるべきなのかな……」

 そう僕が呟くと。

「や、やめなさいよ!」

 子供の母親だろう、この中では一番若そうな女が激した。

「そんな子供相手にまで、暴力を振るって! 離しなさいよ!」

 それを訊くと僕は、左腕を振って、掴んでいた少年の身体をぽいと投げ捨てた。子供は僕の足許の庭先に転げ落ち、そのまま地面に跪いた。

「う――うえええええん……うええええええん……」

 尻餅の痛みが、今まで堪えていた恐怖を一気にこじ開けたのか、少年はようやく大声を上げて泣き出した。

「あんた――人間じゃない……こんな小さな子供相手にまで!」

「あ?」

 俺は和室で固まっている女達を睨みつける。

「お前等だって、今まで散々弱い者相手には、女だろうが老人だろうが、一方的な暴力を振るっていたんだろうが。この屋敷も、お前等の贅沢だった暮らしも、そういう暴力で沢山の人の苦しみの下に成り立っていたんだ。なら、お前等よりも力を持つ俺が、お前等に何をしようと、俺の勝手だ。俺は女だろうが子供だろうが、お前達の流儀に合わせているだけだが?」

「う……」

「自分が力を持てば横暴の限りを尽くし、苦しい時はそんな自分を棚に上げて正論を振りかざす――貴様等は俺の虫唾が走るほど嫌いな、身勝手な貴族そのものだな。命を賭ける覚悟もなく、人の尊厳を踏みにじるから、そういう目にあうんだ」

「……」

 言い返す言葉もないのか、目の前の女達は完全に沈黙する。

それを確認すると、僕は靴を脱いで縁側に上がり、ずかずかと和室に上がった。

 こめかみから流れた血が固まりかけている。和室にいた遺族達は、怯えるように左右に分かれ、僕の道を空けた。

 僕は献花台の前に座り、蝋燭の火で線香の火を点けて、手を合わせ、5秒程目を閉じた。

 名目的には、会社を奪った以上、更に発展させるという誓いを前経営者に誓うために来たのだが、この時の僕は特に何も考えていなかった。祈るなんてそんなものだ。いるかもわからない神に願いをかける行為が、いまいちピンと来ないまま、白々しく手を合わせるだけだ。

 だから祈る振りはすぐに済ませて立ち上がり、踵を返してまた縁側に下りた。

 縁側の横には、さっき僕に恨みの拳を浴びせた子供が、泣きながらぎらぎらと復讐心を目に讃えて、僕を睨んでいた。

「ふぅ……」

 僕は溜め息をつきながら、子供の横を通り過ぎた。

「待ちなさいよ!」

 女性の殺気立った声に呼び止められる。

 僕は振り向くと……

 そこには喪服を着た遺族の中の一人――50歳前後の派手な化粧の女性が震えながら立っていた。

 しかも――震える手に果物ナイフを持って。

「……」

「こ――このままあなたを帰したら、主人や息子達に、ももも申し訳が立たないの! 殺してやるっ!」

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