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飛天グループは、今は落ちぶれてしまったとは言え、戦後の日本を支えた、かつての巨人だ。その創業者一族の揃っての自殺は、まだまだマスコミにとっては格好のネタだったらしい。帰国してから2か月で10ゴールを量産したユータが、チャンピオンズリーズでハットトリックを決めたニュースを、新聞の二面に追いやるほど、どのマスコミもその報道を大々的に取り上げた。
僕によって、グループ内も外もズタズタに切り裂かれた飛天グループの創業者達は、緊急株主総会では、株主達の怒号が鳴りやまず、離反した社員達が団結して、退職金及び、今までの創業者一族の気分次第での暴力や左遷をはじめとした恐怖政治への慰謝料の支払いを要求し、裁判沙汰に。敗訴が濃厚となったが、もう今までの組織の運営もままならなくなり、事実上業務が停止している飛天グループに弁済能力はなく、車や家の差押さえも始まり、今年中には、今まで住んでいた豪邸も手放さなくてはならなくなったらしい。
金策に駆け回っても、僕に戦力の大半を取られた飛天グループを支援したがる者もおらず、恨みを持った元社員達から、石を投げつけられたり、闇討ちまがいの嫌がらせも跡を絶たず、精神的に追い詰められ、疲れ果てた末に自殺――残されていた遺書には、いずれもその苦悩と疲労が、文面に満ち溢れていたという。
「お、おい、マジで行くのかよ」
エイジは額に皺を浮かべて、僕に渋い表情で訊いた。
「――ああ」
僕は黒のジャケットをワイシャツの上に羽織った。
「お前、飛天グループの創業者一族の葬儀に顔出すって……やめといた方がいいぜ。絶対、一族はお前が連中を殺したと思ってやがる。危険だ」
「……」
「お前のことだ。あいつらの残した財産を引き継ぐ身として、礼儀のつもりで行くのだとしても、他の参列者はそうは受け取らんだろう。散々自分を馬鹿にしてきた連中が惨めに死んだのを見て、留飲を下げにわざわざやってきたと思うだろう。お前はそういう器の小さい男だって、株が落ちるだけだ」
「――構わん。僕はこれからも勝ち続ける。その程度の株の下落は何の痛手にもならん」
僕は社長室の自分のデスクの横で臥せっているリュートの横で、軽く腰を下ろし、リュートの頭に触れた。
リュートも相変わらず、体調を崩しがちで、足取りがふらつくことが多くなった。僕が家や会社を出ようとすれば、いつでもついて来ようとするのだが、それ以外の時は、まるで体力を温存しているかのように、こうしてじっと動かないことが多くなっていた。
「――危ないこと、する気なんでしょう」
背中越しに、トモミの声がした。
「そうやって社長が無口になる時って、絶対そうですもんね」
「……」
僕は立ち上がって、トモミにふっと微笑んでみせる。
「大丈夫だよ。僕はまだこんな所でくたばるわけにいかないから」
「……」
トモミは、そう言った僕の目をじっと覗きこむ。どうやら僕が嘘を言っていないということは信じたようだが、それでもまだ心配そうな目をしている。
「私も、行ってもいいですか?」
「それは駄目」
僕は即答した。
「君に嫌なものを見せることになるかも知れないし、万一のことがあった場合、僕は君を守れないかも知れないから」
「ほら、やっぱり危ないことをする気なんですね」
「……」
僕は押し黙る。
「行かせてください、一緒に」
トモミは強い口調で言った。
「足手まといにはならないし、自分の身は自分で守ります。後ろでじっと黙ってますから。だから……」
「駄目だ」
僕はさっきよりも幾分強い口調で、明確にそれを拒否した。言葉を遮られたトモミの次の表情は、何かを怖がっているように強張ってしまった。
「――行かせてやんな」
トモミの僕への好意を知っているエイジが、トモミに助け舟を出した。
「……」
そのエイジの言葉で、僕の頭が少し冷える。
「――まあ、運転をしてくれるくらいなら。車で待っていてくれるなら、いいよ」
クリスマスも近い東京の街中に車を走らせる間、僕とトモミはほとんど何も口にすることはなかった。
目的地近くのコインパーキングに車を停めて、僕はひとり車の外へ降りた。
「線香の一本もやったら戻って来るよ。多分15分程度で戻って来るから」
僕は助手席のドアを開けたまま、運転席のトモミに言った。
「リュート、お前もここでトモミさんと待っていろ」
さすがに体調を崩しているリュートを連れて行くのは危険だと判断し、僕はリュートを車に残した。
車を降りると、僕の左手には、敷地を囲う白い石塀が、ずっと続くようになって、またしばらく歩くと、その塀つだいにに沿って、白黒の花輪と幕がいくつも立て掛けられるのが目につくようになっていった。
その一つに、帝国グループの名前での花輪があった。あの爺さんも、飛天グループとは競争相手だったが、花を贈ると言っていたな。最後の餞別として。
だが、グランローズマリーが宛先の花輪はない。僕も自分で電話をして、この家に花輪を送ったはずなんだけど。撤去されたのだろうか。
長い石塀が曲がり角に差し掛かり、僕は路地の手前で一度足を止めた。
家の入り口である、武家屋敷のような瓦屋根の大きな門の前には、沢山のマスコミが器材を構えていた。落日とはいえ、飛天グループ会長は、日本の財界の巨星の一人だ。マスコミにその死が報道されてもおかしくない。
しかし、それを遠くから確認していたら、僕の心臓が一度、どきりと鳴った。
後ろから、誰かに強く、僕の肩を掴まれたからだ。
ごつごつした、大きな手だったけど、その手に悪意は感じない。
僕は後ろを振り向く。
喪服を着た大柄な体に厚い胸板、首からスリングで一眼レフカメラを下げ、髭を讃えたどんぐり眼の男――
「――ジュンイチ」
「こっちに来い」
ジュンイチに言われ、僕は手を引かれながら、人気のない横道に隠れる。
「何でお前がここに?」
「一応、グランローズマリーの飛天グループ乗っ取りは、今年一番の経済ニュースだ。俺もジャーナリストやコメンテーターもしてるからな。写真を撮りに来たのさ」
そう言ってジュンイチは、自分の首にかけた一眼レフを僕達に見せた。
「それに――お前が来るような気がしてな」
「……」
ジュンイチ――こいつは、僕の考えを、エイジやトモミよりもお見通しらしい。
「俺からひとつ忠告しておく」
怒ったような口調で言われる。
「ついさっき、警察で孫の残した遺書の内容が公開されたんだ。お前にやられて、会社も奪われて、もう生きていけないとよ」
「……」
「そんな遺書に名指しで恨みを書かれた奴が、のこのこ通夜に顔出してみろ。遺族に何言われるかわかったもんじゃないぞ」
「分かってるさ……だから来たんだよ」
「……」
ジュンイチはそう言った僕の表情を、注意深く窺っていた。
「お前、やっぱり……」
「念のためだよ」
やはりジュンイチは、僕がここへ来た意味や理由を大体見抜いているらしい。
「それなら俺もついて行く」
「え?」
「勘違いするな。会場はマスコミを完全に締め出しているからな。お前のボディーガードって名目なら、俺でも中へ入れる。そうすりゃいい写真も撮れる。俺は俺でお前を利用させてもらうのさ」
「……」
相変わらずだな。こういう時に咄嗟の方便がよく出るものだ。僕がヘマをしかけたらフォローを入れるつもりなのだろう。
――まあいい。そういうことにしておいてやろう。確かに他の人間が中の写真が撮れないのなら、写真は新聞やテレビにいい金で売れる。子供ができるジュンイチには、これから何かと入り用なのだから。
「まあ、お前ならいいだろう。だけど僕からは少し距離を取っておいた方がいいぞ。危険かもしれんからな」
僕がそう言うと、ジュンイチはVサインをした。
「俺は戦場カメラマンの経験もあるんだ。危険ならある程度察知は出来るつもりだぜ」
「そうか――じゃあ、行こうか」
軽く深呼吸してから、僕はジュンイチを引き連れ、マスコミ関係者が、通夜の終わりを待つ正門の前へ歩を進める。
僕の姿を確認すると、マスコミ関係者は、まさか問題の僕がここに登場するなんて思わなかったのだろう。驚愕の表情を見せたが、急いでカメラやマイクを用意して、僕の進路を阻むように前に立ちふさがった。
「サクライさん! 既に遺書の内容はご存知なのですか?」
「通夜の席で何か発表は?」
「亡くなられた方に対して、何かコメントを」
マスコミは僕にマイクを差出しながら付いてくるが、ノーコメントのまま、僕は門の前へ。
正門の横には、長机があり、喪服を着た見覚えのある男が受付を担当している。
その男は僕を見るなり、憎しみと怯えを同時に含んだような表情を見せる。
そいつは僕にシャンパンをかけた奴等の一人の太った男だった。「な――何しに来た」
刺のある声で男は言う。だが、帝国グループの爺さんとは違い、こいつは家柄だけで社長をやっていただけの、ぬるい坊っちゃんだ。まるで迫力がない。
「へぇ、お前がここにいるってことは、死んだ会長の孫ってのは、お前といつもつるんでたあいつらか」
僕は酷薄に笑みを浮かべ、自分の喪服の胸ポケットから、ボールペンを取り出した。
「俺も列席させてもらうぜ」
言ってから僕は男の目の前の参加者名簿に、ペンで記名する。
既に門の横で待機するマスコミは、僕に無数のフラッシュを浴びせている。光の残像が目に焼き付いて、文字が滲んだように見える程に。
「ふ、ふざけるな! 帰れよ! お前のせいであいつらは……」
「……」
意に介さず、僕は記名を続ける。
「帰れって言ってるだろ!」
男はマスコミの前でみっともなく吠える。
「おぉ、サクライくんじゃないか。」
門の奥から声がする。
門の先には、シンメトリーになっているだだっ広い庭園があり、その奥に和式の豪邸が見えているが、門のすぐ近くに杖を突いた老人が一人立っていた。
帝国グループの爺さんだった。
「会長」「て、帝国グループの……」
僕と太った男、同時に声が出る。
「あ、あんた、家主を差し置いて……」
「うるさいんじゃよ、小倅」
爺さんは老人とは思えないような激しい声で、うだうだと御託を並べる男を大喝する。
「儂や彼に指図するな。親の七光りを失った貴様など、儂や彼の足の裏を舐める価値もない男じゃ。ひっこんでおれっ」
「う……」
その汚物を見るような爺さんの振る舞いに対して、男は何も言い返すことができない。
その間に記名を終えた僕は、ペンを胸ポケットに再びしまって、男と正対する。
「俺はザイゼン会長程は言わないがね……」
僕は男を睨み、左手を開いて男の眼前に差し出した。
「今のお前が、俺やザイゼン会長を前にして、自分の運命を自分で選択する権利はない。それは俺が強過ぎるからじゃない。今のお前が弱過ぎるからだ。今のお前が俺に粋がるなら、お前はそれこそ俺の掌の中で、虫けらみたいに握り潰されて、一揉みに死ぬだろう」
僕は開いた手を握りしめて見せる。
「くっ……」
僕の冷たい目を見て、男は脂汗を浮かべて、さっきまでの虚勢が萎んだ。
自分の戦力、器、動員する戦力の全て。そして、もう自分に僕を倒す起死回生の策どころか、僕の攻勢の時間稼ぎをする策のひとつももはやないことを完全に見抜かれている。
冷徹な科学者が、マウスを解剖するかの如く、自分の全てを冷静に観察する――その目の冷たさ。
僕の目のあまりの冷たさに、激昂さえも凍てついた。
「……」
そう――僕は冷たい。
こうして僕の眼光ひとつで凍りついたように怯える人間を、何度となく見てきた。
「それでも、俺に屈するくらいなら死んだ方がマシっていうなら、俺も止めはせん。誠意を以て、お前を殺してやろう――だがな、俺は別に今のお前など、生きようが死のうが、別にどちらでも構わん。死にたいのであれば、時間はいくらでもくれてやる。遺書を書くなり、家族と別れを交わすなり、自分の納得のいく死に様を決めてから、殺されに来いよ。こんな所で軽々に俺の逆鱗に触れて、後悔したくなかろう?」
「う、うう……」
あまりに冷静な殺意に、男は腰砕けになり、がくりとその場に膝をつく。
腸が煮えくり返るほど怒りに燃えているのは確かだが、こいつはまだ迷っている。
軽々に命を捨てられる程、俺に逆らうことを迷いなく選べていない。
「ふ」
僕は軽く笑みを浮かべた。
「弱い奴が考えもなく、勢いだけで行動しても、ろくな結果を生まん。せめて時間はたっぷりくれてやるよ。とりあえず今日の所は、俺に黙って従いながら、後のことでも考えてりゃいいだろう」
そう言って、俺は跪く男に目もくれず、屋敷の門の敷居を無断でまたいだ。
「ち、ちっくしょおおおおおおおっ!」
背中越しに、男の茫漠とした、向け場のない憤りの叫びが聞こえた。
「ふはははは! サクライくん、普段お優しい君にしては、いい殺気じゃったの」
僕の後ろをついてくる爺さんが、愉快そうにそう言った。
「……」
僕の後ろをついてくるジュンイチは、しばらく黙っていた。