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 ――12月になると、東京では至る所でイルミネーションの準備が始まる。師走の慌ただしい人の流れと、浮ついた人の流れが合わさって、人混みの密度が一層増したように感じて、少し息苦しい。

 外は寒く、部屋の中に効いている暖房が心地よかった。


「――これ、取りあえず叩き台として作ってみたんだが」

「これで叩き台なのかよ……及第どころか、予算考えたら、完全に期待値の斜め上だぞ」

 ジュンイチは、僕の作った指輪を手に取って、しげしげと眺めた。

「マイさんは今妊娠中だから、指のサイズとかも変わるだろうから、お前の分しか作ってないが、デザインは同じだ。結婚指輪だしな」

 今僕は、ジュンイチとマイの結婚指輪の制作に取り掛かっている。

 今まで7年間顔も出さなかったために、まだ式も挙げられていない二人への詫びも兼ねて、作ってやると約束をした。

「これ――すごく可愛い。これで叩き台って――これで十分だよ」

 ジュンイチの後ろから、指輪を覗き込んでいたマイも恐縮していた。妊娠しているとは言え、まだ3か月ちょっとだ。まだ見た目には、変化はよく分からないが、スレンダーなマイが、若干ふっくらとしたように思えた。お腹の子供のために、しっかり食べているのだろう。

「そうか? 別に要望があればいくらでも応えるぞ。予算も気にしなくていい。僕の気持ちだからな――ゴホッ、ゴホッ……」

「おいおい、まだ体調が戻ってないのか」

「……」

「しかしお前、俺達の結婚指輪なんか作ってる暇あったのかよ」

「……」

「最近お前、宝石デザイナーとしてのニュースが、ひっきりなしに騒がれているじゃないか。俺達の指輪なんて、二束三文の仕事をこんな時にやらなくても……」

「……」

 そう、ここ最近の僕は、グランローズマリーが飛天グループを事実上接収してからの事後処理に、一通りの目処が立ち始めたので、業務をひとまずエイジ達会社の人間に任せ、僕自身はその間に遅れが目立っていた、僕自身のデザイナーとしての業務に時間をつぎ込んでいた。

「ニューヨークで一番権威のあるデザイナーコンテストに出品して優勝したり、ファッションショーに自分のプロデュースしたアクセサリーを発表して、大反響を貰ったり、すごいじゃないか」

 ――そう。親父達に引導を渡してからすぐ、僕はニューヨークで10日間の長期滞在での仕事をこなしていた。

 世界一のデザイナー。その称号を維持するためだ。

 グランローズマリーは、エイジの主導で、僕の捻出する資金頼りの経営からの脱却を図ってはいるが、まだ当分僕のアクセサリーの収益が、この会社を支えることはほぼ間違いなかった。

 僕の収益を高水準で安定させるためには、僕が常に世界一のデザイナーでなければならない。その称号のためには、マスコミを使って、大々的な仕事を思い切り宣伝をしてもらうことを、定期的に行う必要があるのだ。

「トモちゃんから聞いてたわ。最近のあなた、体調はあまりよくなさそうだけど、仕事のキレは以前にも増してすごいって」

 マイが応接室のブラインド越しに、社長室でエイジと共に仕事に励んでいるトモミの顔を一瞬窺ってから、言った。

「……」

「それに、あなたのアメリカで受けた記者会見、日本でもニュースで流れてたけど――うちの人と違って、流暢な英語でのスピーチ、評判になってたわよ。できるオトコって感じだって」

「……」

 アメリカでのコンテストに優勝した際、僕はアメリカのマスコミに向けた記者会見を行った。日本ではほとんどマスコミの前に出ない僕だが、デザイナーとしては、ハリウッドの俳優達、グラミー賞候補にもなるアーティスト、ブロードウェイなど、煌びやかなものに目のない人間達がアメリカにはごまんといる。それらに向けて顔を売る必要があったために、記者会見を受けた。

「あなたの株はストップ高なしで上がり続けているわね――体調は悪そうだけど」

「……」

 あれからも僕は激務を繰り返している。病院には定期的に(トモミの顔を立てて)行っているが、医者からは毎度毎度お小言を貰う。

 トモミが僕の身体を気遣って、食事をはじめ、身の回りに色々と気を配ってくれるが、それでも僕の身体は、また再び、長年の過労と痛みが、体を蝕み始めていた。

 だが――それを感じる反面で、僕は自分の人生の中でも格別の安らぎや充足感を感じていた。

 それが作用してか、最近のデザイナーとしての仕事は、連日当たり仕事が続いている。研磨、溶解、整形――どの仕事においても、僕の精神がよく研ぎ澄まされている。

 こんなにデザイナーとして精神が乗っているのは、フランスのデザイナーズスクールで修行をしていた時――野望と夢を胸に燃え上がらせ、必死に腕を磨いていた頃以来かも知れなかった。

「――あぁ。確かに少し疲れは体に残っているが、最近は、自分でも何故だかわからないが、以前よりもずっと調子が良くてな……だから、気分が乗っている時に、お前達の指輪を作っておきたかったんだ」

「――確かに。変な咳とかしている割には、顔色も随分いいぜ。スピーチの時も、声に張りがあった。再会した時よりも、調子はよさそうだ」

 ジュンイチが僕の顔を覗き込んだ。

「――そういうわけで、今の僕は久し振りに調子が上向きなんでな。ノッている時に仕事をなるべく片づけたいんだ」

「――はいはい。もう面会に使える時間はないっていうんだろ? 長居はしないよ」

 ジュンイチはその言葉で、席を立った。

「すまないな――もしよければ、丁度昼時だ。社員食堂を無料で利用させてやる。好きなものでも食べて帰ってくれ」

「マジ? あの社員食堂が無料で使えるなんて、もっと腹減らしてから来ればよかったぜ……」

「エイジも多分、これから社食で飯だろう。あいつについていくといい」

「りょうかーい」

 そう言って、ジュンイチは応接室を出ていく。

「食べてくるといい、ね……」

 ジュンイチがエイジのデスクに駆け寄ったのを、ブラインド越しに確認しながら、マイは呟いた。

「あなたのご飯は、社食のコックさんじゃない、別の人が用意しているみたいね」

「……」

 妙に棘のある言い方だった。

「――トモちゃんに、心配かけ過ぎよ」

 そら来た。

「ああしてあなたの前では甲斐甲斐しく笑っているけど、トモちゃん、すごく辛いのよ。あなたがアメリカに行っている間、あの娘、ずっとあなたの子と心配してたわ」

「……」

 僕は自分の額に手をやった。

「マイさんの言いたいことは、分かっているつもりだよ」

 僕は早々にそう言って、マイの口を塞いだ。

「だが――今の僕が、だからと言ってトモミさんの手を取って、彼女が喜ぶのか? シオリが今も泣いているかも知れないのに――それを無視して、彼女と幸せ掴んで――そんなので、皆が幸せになれるのかよ」

 そう、分かっている。

 今の僕が、トモミを傷つけていることも。

 好きな男が、目の前で別の女のために力を尽くしている。

 それを一番近くで見せることの残酷を、自覚している。

「今の僕にできるのは――トモミさんを納得させるだけの成果を上げることしかできない。そのために死力を尽くすことが、今の僕にできる、彼女への礼だと思っている」

 僕はマイの目を見据えた。

 だけど。

「ちょっと、勘違いしてるかな」

 マイが言った。

「え?」

「あなたが今、難しい立場にいるのは、私もジュンくんもよくわかるわよ。正直、ちょっと前までは、私も、あなたがシオリ以外の女にうつつを抜かしていたら、ひっぱたいてやろうと思ってたけど、トモちゃんの想いが、あの頃のシオリに負けてないってことも、トモちゃんがシオリに負けないくらい、あなたの孤独を埋めてくれることも、分かっちゃったからね。だから、正直あなたにはちょっと同情してる。こんな中で、どっちかを選ばなきゃいけないなんて、私があなたの立場だったら、あなたが今言ったようなことも言えずに、トモちゃんを選んじゃうような、ヘタレ過ぎる結論を選んじゃったかもしれない」

「……」

「だから、別に私達は、あなたを責めているんじゃないのよ」

「……」

 ユータも同じことを言っていた。トモミを見て、シオリに全面的に肩入れする気持ちが揺らいで、どうしていいか分からなくなった、と。

「色々悩んだけど、私は、トモちゃんも味方するし、シオリにも味方する――もちろん、あなたにもね。味方なんだから、あなたも私やジュンくんをもっと頼ってもいいって。そういうことを言いたかったのよ」

「……」

「もっと頼ってよ。私達のこと。協力させてよ」

「……」

 そのマイの言葉が、妙に心強く。

 そして……

「――ありがとう」

 僕はマイに頭を下げた。

「じゃあ、ひとつマイさんに、僕から頼みがある」

 僕はマイの目を強く見据えた。

「これから、トモミさんの愚痴を聞くでも、何でもいい。彼女の心の負担を、少しでも減らしてやってくれ。頼む」

 僕はマイに深々と頭を下げた。

「――サクライくん、私にはじめて頭下げたね」

 マイが嬉しそうに言った。

「――頼むよ、おねえちゃん」

「な!」

 僕の言った言葉に、マイは後ずさった。

「高校時代もマイさん、言ってたからな。悩みがあれば、おねえさんに話してみなさいって」

「――もう、あなたがそんなこと言うと、妙にエッチだから困るわ」

 マイは自分の髪を直した。

「でも、そのお役目、確かに承るわ」

 マイはそう言って自分の感情を立て直し、ぐっと親指を前に突き出した。

「すまない」

「でも」

 マイがしげしげと僕を見る。

「サクライくん、最後に会った時と少し変わったね」

「……」

「何か最近様子が変わった、とは、トモちゃんから聞いていたけど――なんか、前に会った時よりも、随分と前向きっていうか――ふらふら、ふわふわした感じがなくなったね」

「……」

「あ、ごめん。もう時間がないんだよね。あなたには」

 マイは笑みを浮かべた。

 僕とマイは二人で応接室を出た。

「お、やっと出てきたか。じゃあ、行こうぜ」

「俺も行ってくる」

 エイジがジュンイチの催促を聞いて、席を立った。

「ああ」

 僕とトモミは、ジュンイチ達がエレベーターを降りていくのを見送り。

 社長室は、僕とトモミ、リュートだけが残される。

「……」

 僕は自分のデスクの横で、小さく座るリュートの頭を撫でた。

 僕も体は決してよくないが、それに呼応するように、リュートも最近体調を崩していた。目ヤニも多く、食欲も落ちていた。足取りも少し重い。

 休養も兼ねて、アメリカの出張へも、リュートを連れて行かずに、ペットホテルで面倒を見てもらったのだが、帰国しても、リュートは相変わらず体調がよくなさそうだった。

 こちらのことも、とても心配だった。

「社長」

 リュートの表情を窺っていた僕の横に、バスケットを持ったトモミが立っていた。

「昼食と、お薬の時間ですよ」

「あぁ……」

 僕はデスクに座り、トモミはデスクの上にバスケットを置いて、それを開いた。

 胚芽パンに野菜がたっぷり挟まれたBLTサンドだった。

「果物もありますよ」

 トモミは僕に笑いかけた。

「ごめん。いつもいつも」

「別にいいですよ」

 トモミはそれだけ言った。ただそれだけ。

「いただきます」

 僕とトモミはそれぞれ手を合わせて、サンドイッチを手に取った。

「……」

 サンドイッチは優しく、また、ほのかに甘いパンが、僕を心地よくさせた。

 穏やかな時間が、また僕の胸に流れる。

「随分食欲も戻ってますね、社長は」

 サンドイッチを頬張る僕を見て、トモミは安心したように言った。

「トモミさんの料理が、美味しいからだろ」

「いいですよ。別にお世辞なんて、社長に似合わない」

「……」

「エンドウさんもさっき言ってましたよ。ケースケは、どことなく前と雰囲気が変わったって」

「……」

 ――確かに、そうだろうな。

 自分でも、最近よく思う。

「何か、あったんですか?」

「……」

 誰も僕が、家族を完全に滅ぼしたことを知らない。

 だが、きっとあの時。

 家族への引導の結果は、僕にとって決して喜べる内容ではなかったけれど。

 それでも、結果的には僕の25年間に大きく立ちはだかっていた壁が崩れたのは確かだ。

「――軽量化、かな」

「軽量化?」

 トモミが僕の言うことに首を傾げた。

「何ですか、それ」

「――何でもない」

「何ですかぁ。教えてくださいよぉ」

 トモミは膨れ面をして見せた。僕はそんなトモミを見て微笑む。

 ――そう。あれでぼくは、かなりの部分、軽量化をしたのだと思う。

 今までは、家族の復讐の傍ら、ずっとまだ見ぬユータ達や、シオリへのけじめのつけ方――そんなものにずっと迷っていた。

 守りたいもの、壊したいもの――それが多過ぎて、それがどんどん僕の心に沈殿して、重りになっていた。

 だが、ユータやジュンイチへのけじめも、あいつらがそれを望んでいないことが分かり、家族の復讐も、終わった。

 そんなものが、結果はどうあれ、一つ一つ僕の心や体から取り外されていき。

 今、僕が背負う荷物は、ただ一つになった。

 シオリを救い出すことそれだけが、今僕が背負っている、唯一の荷物だ。

 背負う荷物が一つしかないから、僕は力をそこに100%注ぎ込める――生き方が、今までよりもずっと、軽量化した。シンプルになった。

 荷物が片付き、その空いた時間で、シオリのことを考える時間が増えた。

 今まではそんなことも考える余裕もなかったのに。

 確かに、家族への引導以来、僕の生き方は少し変わった。

 今僕は、シオリを救うため――その一点に、完全に集中できている。

 デザイナーとしての仕事が最近好調なのも、シオリを迎えに行くために、それにふさわしい男になれるよう、神経が研ぎ澄まされているからだろう。

 今僕は、シオリを守る。それしか考えられない……

「……」

 え? トモミのことは、考えていないのかって?

 いや――十分考えたよ。

 もう、彼女への答えも出ているんだ。本当はね。


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