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End

タイトルは見ての通りですが、最終回じゃありません…

このクソ長い話はまだ続きます…

 自分の部屋に戻ったのは、日付が変わる直前だった。

 玄関のドアを開け、リュートを中に入れた後、俺が部屋の中へ。

「……っ」

 ドアが閉まると、俺は電気も点けずに着ていたトレンチコートを廊下に脱ぎ捨て、そのままバスルームへ入った。

 服を脱ぎ散らかすように脱いで、そのまま熱いシャワーを最大水圧で頭から浴びた。

 裁判所を出た頃から、今日一日、酷く自分に不浄なものが取りついているような不快感が、俺の腸を徐々に支配していった。海に出てからは、あの重油と潮の混ざったような風を浴びていたせいか、酷く自分の周りの空気がべたついて感じた。それを洗い流したくて、一刻も早くシャワーを浴びたかった。

 ――熱いシャワーを浴びて、俺はガウンを羽織った。髪をバスタオルで拭きながら、バスルームの外で待っていたリュートとリビングに入り、電気を点けた。

「ん?」

 電気を点けると、目の前のシステムキッチンの向こうに見えるテーブルの上に、ラップに包まれた食器が置かれていた。そして花瓶には、生けたばかりの瑞々しい竜胆の花が一輪。

 テーブルの前に立つと、美味そうな料理の並んだ食事の脇に、メモが置かれていた。僕はそれを手に取る。

『様子を見に来たのですが、ご不在のようなので、食事を置いていきます。キッチンに鰯のつみれ汁があるので、そちらも温めて食べてください。ヨシザワ・トモミ』

「……」

 俺が一般業務に戻ってからというもの、トモミがこの部屋に来て、料理を作ってくれる回数は更に増した。最近は朝食だけでなく、夕食を作りに来てくれることも多い。

 俺が今日仕事がオフだから、トモミも自動的にオフのはずなのに、今日も来るとは。

 ラップを開ける。蓮根や牛蒡を入れて、食感を楽しめるようにしてあるつくねの照り焼きに、それぞれ相性のいいタコと豚肉、大根の煮物。これも食感が気持ちいい山芋の細切りの梅肉和え。昆布の細切りを混ぜて、栄養満点の切り干し大根。牛乳をたっぷり使ったホワイトソースに、白身魚が入ったグラタンは、火を通さないまま、シュレッドチーズがかかっていて、オーブンにかけて、出来立てを召し上がれ、と促してある。グラタンをオーブンにかけようとキッチンに行くと、なるほど、確かにIHのコンロの上に、美味そうなつみれの入ったすまし汁が入った鍋が置いてあった。

 どれも病人向けの消化にいい、それでいてしっかりと栄養のあるメニューだ。俺も接待などで東京の割烹や料亭に行くこともあるが、トモミの作った料理はそんな料亭顔負けだ。

 コンロの鍋を火にかけ、グラタンをオーブンにかけている間に料理をレンジにかけている間に、俺はおもむろに冷蔵庫を開けた。

 冷蔵庫の中にはビールが入っていた。

「……」

 飲酒は基本的に医者からは禁止されている。元々俺はビール一缶でも飲めはフラフラになってしまうし、進んで飲むような体力が今はないから、酒を断たれても別に苦痛はないのだが。

 敢えて買っておいたものだ。家族の最後を見て、祝杯を挙げたくなるかもしれない――そう思って。

「……」

 俺は冷蔵庫の前で数秒立ちつくして、ビールを手に取り、冷蔵庫を閉めた。コンロにかけてあった鍋がぐつぐつと音をたてはじめていた。それを椀に注ぎ入れ、炊飯器を開ける。そこには女性が好きであろう、美味そうな栗ご飯が炊かれていた。それを茶碗によそり、テーブルに置いてから、リュートの分の食事に生肉と野菜と水を与え、ようやく卓についた。

「――いただきます」

 俺は誰もいない部屋でそう言って、栗ご飯を一口、口に含んだ。

「……」

 今日、家族が崩壊した。

家族のうちの一人は自殺をしたっていうのに。

 今俺は、普通に飯を食っている。

 こんな時に、よく飯が食えるな、という儒教的な思想の持ち主も多いだろう。

 俺は一番メインのつくねを一口、箸でちぎって口に運んだ。

「……」

 ――不味い。

 トモミの作った飯が、こんなに不味く感じるなんて。本来ならとても美味いはずの料理が、酷く不味い。

 別に死体を見たり、家族を殴り、銃口を向けられた今日のことを、俺自身は何とも思っていない。

 ただ――8年もかけた復讐の達成としては、全然喜べるような内容じゃなかった。

 8年もかかって、やっとこれだけ……

 元々祝杯など挙げるつもりはなかったが、一層飯や酒が不味くなった。

「……」

 泥団子のように感じる食事をゆっくり噛みしめながら、俺は以前のジュンイチの言葉を思い出していた。

『長い撮影を終えて、久し振りに家に帰ってひとっ風呂浴びて垢を落としてからの、嫁さんの手料理と、冷えたビールの美味さは、何物にも代えがたい』

 ――今思えば、俺はあのジュンイチの言葉を参考に、ビールを買っておいたのかもしれない。

 俺は横に置いてあったビールを一口煽った。

「く……」

 酒に弱い俺の身体に、消化しきれない液体を流されたように、胃が荒れたのが分かった。

 ――それだけだった。

「クゥン……」

 リュートがそんな俺の様子を見て、俺の椅子の横へ駆け寄った。

「……」

 8年越しの復讐を果たしたのだから、嬉しいはずなのに。

 何故俺は、こんな不快な思いをしているのだろう。

 作ってくれたトモミに悪いから、何とか食べようと思ったが、とても食べきれそうにない。俺は早々に食事を諦めて、食材にラップをかけ直した。

 そして、ソファーに仰向けに寝転んで、目を閉じた。

「父さん――母さん――」

 そんな言葉が、記号のように俺の口から洩れた。

 そんな単語を言ったことなんて、一度もないのに。

 ――多分、俺は今、あの二人の冥福を、何となく祈ったのだろう。

 この一瞬だけ。

「……」

 長い戦いだった。

 俺の人生の半分どころか、ほぼ全てが、この戦いに費やされてしまった。

 この戦いで、俺は多くのことを学んだ。

 人を本気で嫌い、憎むことは、人を愛することなんか問題じゃないくらい、命懸けだ。

 そこらにありふれたいじめや喧嘩なんかとはわけが違う。ちょっと傷つくだけじゃすまない。相手の命や尊厳を粉々にするまでのやり取りしかない。ルール無用の殺し合いだ。

 そして――自分より強い奴に闘いを挑むことは、自分の心を粉々にされるだけの屈辱と苦痛を何度も繰り返される――その運命から逃れられない。

 それでも戦わなければならない理由を、胸の中に強く持たなければならない。それができなければ、待つのはただの虐殺。あとは惨めな野垂れ死にしか残らない。

 俺はそういう戦いを、家族から生まれながらに学んだ。

 人が人として生きるためには、苦痛を覚悟し、命を賭ける覚悟が必要――そんな教訓を、奴等は俺に残してくれた。

 そんな戦いを生まれながらにしたおかげで、俺は今までの人生を勝ち続けられた。苦痛を受けていただけのあの頃も、俺の糧になっている。親父の拳や、母親の狡猾から、俺は知らぬうちに人の壊し方を学んでいた。

 もうどんな奴にも、一対一では負ける気がしない。

「……」

 だから俺は、逆に中途半端な覚悟で人の尊厳を踏みにじる奴――いじめや中傷、弱い者いじめを平気でやる奴等が、昔から妙に癇に障った。

 命も賭けず、危険も伴わない、安全な暴力を振るい、その上で自己の正当性を主張する――

 人を嫌い、憎み、攻撃することを、その程度の気持ちでやる人間が、心底嫌いだった。

 そういう人間全てに、天誅を与えたかった。

「……」

 だが、それは仕方のないことなのかも知れない。

 俺があの家庭で育ったがために、そういう戦い方しか知らないのと同じように、そんな人間も、そういう戦いのやり方しか知らない――それだけのことなのかも知れない。

 若葉マークがいれば、F1レーサーもいる――それだけのことだ。

「……」

 それでも、これからも俺は、こんな戦いを生きている限り続けるのだろう。

 俺は幸か不幸か、この国では誰も比肩しえない域に達してしまったようだ。

 これもあの家族から学んだ教訓――結局最後は、力こそ正義だ。

 だからこれからは、力を持つ俺の意志こそが、正義になりえてしまう。

 つまり――あのサクライ家の不幸から生まれた教訓が、世の真実になっていく。

 力で人をねじ伏せ、中途半端な覚悟で戦いを挑んだ奴は皆死ぬ。一度でも戦いの場に立てば、死ぬか殺される以外、戦いの場から永遠に降りられない。

「……」

 俺は、俺が味わった地獄を、これから全ての人に強いていくのだろうな。

 今度は俺が、あの家族の立場に立って、人を虐げる側に立つのだ。

 聖者のような顔をして。

 ――そう思いながら、俺は自分の手首を見た。かつて自らつけたためらい傷。

「……」

 今日という日を迎えること――戦いが終わった日のことは、この8年、何度も想像した。

 きっとその日を迎えた時、俺は心身ともに疲れ果てているだろう。体の健康も損ね、次に生きる意味を見出せずに、新たな苦しみを抱えるだろう……

 ――その未来だけは、日本を出たあの時から、ほとんど正確に想像できていた。

 そして――それは現実のものとして、寸分違わず、俺の心身を蝕んでいる。

「……」

 だから、家族との戦いが終わったら、俺もそのまま死んでしまおうということは、この8年、何度も考えた。

 そして、今日も何度も考えた。

 考えているからこそ、今日一日、いつも以上に妙に捨て鉢な気分になった。

 裁判の席で、妹を殺してやろう。通夜の席で、親族に俺と同じ思いを味あわせてやろう。親父に最後の苦痛を刻みつけてやろう……

 そして、そのまま俺も死んでしまおう。それで、俺達が生み出す全ての不幸の連鎖も、すべて終わりにできる……

 8年前、日本を出た時から、ずっとそう考えていた。

 ――だが、どれも歯止めがかかってしまった。

 別に死ぬのは怖くはないのだが……

「……」

 奇妙な一日だった。

 俺が今、シオリを探すということと向き合っていなかったら、恐らく俺は妹か親父のどちらかをこの手で殺すか、母親の親族全てに俺と同じ痛みを強いていただろう。

 そしてそのまま、俺も死んでいたと思う。

 だが、そんな時に、全て彼女のことが脳裏をよぎって、俺を制した。

 あれだけ命を粗末にしていた俺が。あれだけ長い間憎んでいた相手に、手を緩めてしまった。

 シオリのことが思い浮かぶと、8年間のその思いを貫くことができなかった。

 あれだけ覚悟していたことを、何故今日の俺は出来なかったのだろう……


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