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――11月も半ばを過ぎ、僕がユータ達と再会し、シオリを探すことを決意してから、およそ3週間が過ぎた。
その間にグランローズマリーでは、飛天グループの商業施設をほとんど接収、その改修をし、飛天グループの元社員達を迎え入れ、本格的な業務拡大へ向けての動きが活発化していた。
これまでグランローズマリーは、僕のデザイナー収入を投入して、安価で質のいい生活用品や食品などの生産、流通、販売の全てを取り仕切る事業に過ぎなかった。いわゆる、構成員の大多数がブルーカラー。自分の肉体しか資本のない人間を集めた結果、そういう事業展開にしていた。
だが、飛天グループの事業の中には、単なる物流だけではなく、保険や不動産、モバイル関連、工業、エネルギー関連――いわゆるホワイトカラーの仕事も多い。
だから、ブルーカラー専門、悪い言い方をすれば脳筋揃いのグランローズマリーには、そんな新事業に対して冷静な対処ができる人間があまりにもいない。
唯一イギリス、オックスフォードで修士を取っている僕にどうしても依存しがちになってしまうのだ。
その3週間、僕に人的時間はほとんどなかったと言っていい。食事も仕事をしながら。睡眠は1日3時間も取れず――全事業部に対してすべきことのスケジュールを立て、僕自身も今後の事業に必要な人材の引き抜きや、子会社のM&A、海外の実力者との共同出資しての新事業の開拓に加え、デザイナーとしての仕事も、遅れを取り戻すべく、並行して行った。
その一方で……
「頼む! サクライくん――いや、サクライCEO! 暇な時だけでもいいんだ! もう一度――もう一度だけ、日本で現役復帰をしてくれないだろうか? 君が復帰すれば、Jリーグはもっと盛り上がるんだ!」
目の前の初老の老人が、僕に頭を下げる。
「申し訳ありませんが、90分走れない選手がプロだなんておこがましい。僕なんかを今更必要とするようじゃ、日本サッカーはおしまいですよ」
「むむむ――しかし君はまだ26歳になったばかりだ。君のセンスなら、少しの調整をすれば日本代表だって……」
「――残念ですが、僕にはその『少しの調整』をする時間がもうないんですよ。フランスやイギリスにいた頃とは違うんです」
「……」
机に置いていたアラームが鳴る。
「残念ですが、もう時間です。ご足労頂いたのに恐縮ですが、どうかお引き取りください」
「すみません。CEOはこれから出かけなければならないので……」
トモミが早々と老人を外へと促した。
「今まで通り、代表のスポンサーとしての活動は継続させていただきますので、その点はご安心を」
僕も席を立ちながら、エレベーターへ老人を見送りがてら言った。
老人を乗せたエレベーターの扉が閉まる。
「――ふぅ」
僕は自分のデスクに戻り、トモミの淹れてくれたコーヒーに口をつける。
「随分と食い下がられたみたいだな」
自分のデスクで仕事をしていたエイジが言った。
「まあ、アポを取って2週間待った上、面会時間は10分だけと言っても会いに来てくれた人だからな。生半可な思いで来たのではないだろうが……」
先程の老人は、JFAの現会長だ。僕が7年前に、U‐20日本代表に参加した頃から面識があり、現在日本代表の大口スポンサーでもある僕とは、今でも交流のある人間の一人だ。
「おほ、もうこの動画、PVが遂に200万越えたぜ」
エイジは自分のデスクのパソコンを覗き込む。
「……」
僕がグランローズマリーの業務に復帰してからというもの、僕の周辺は色々と騒がしい。
そのきっかけが、7年振りの僕とユータ、ジュンイチの再会と、二人と7年振りにピッチに立った、僕がオーナーを務めるプロサッカーチームとのイベント試合だ。僕達自身も知らなかったが、これらはテレビやネットを通じて、僕達の想像以上の注目を集めていたらしい。空港で僕がユータと再会し、ユータに抱きしめられたシーンは、世の婦女子が鼻血を出して歓喜したとかしないとか……
そして、たった20分とは言え、Jリーグの優勝候補の一角にいるプロチームを圧倒した僕達。いかにユータがACミランのエースフォワードとは言え、僕達以外のチームメイトは、全員がクラブのスタッフだったことを考えれば、圧倒的に相手の戦力の方が上だったのにも拘らず、だ。
中でも、その20分で1ゴール1アシストを決めた僕のプレーは、日本中のサッカーファンの議論の的となってしまった。
会場に来ていたファンが、その時のプレーを動画に納めており、動画サイトにアップロードした。
イングランドのプレミアリーグで、マンチェスターユナイテッドやアーセナルなど、世界最高峰の一角と互角以上のプレーを見せてから、約4年振りの僕のプレーの質に、日本のサッカーファンがこぞって注目。動画アップ3日で50万再生、動画についたコメントは3000を超え、議論は僕の意志も関係なく、ヒートアップするばかりだった。
『何だこれ。劣化しまくりじゃね?』
『バカ、サクライはこの2日前まで入院していたんだぞ。病み上がりの上に無調整であることは確実なんだ。それでこのプレーだぞ』
『その上4年近いブランクがあってこれだ。本当にこいつ病人か?』
『相手にとってサクライはチームのオーナーだぜ? それにこれはファン感謝イベントのお遊びだ。相手が本気出してなかったか、出来レースだろ?』
『もしお前がチームのオーナーなら、世界の5本の指に入るフォワードのヒラヤマのプレーを肌で感じられる機会に、手を抜け、なんて勿体ないこと言うか? 少なくともヒラヤマはシーズン中だってのに、本気のプレーだった。あれでプロが本気でやらないわけないだろ』
『スタミナは落ちているが、スピード、パスやドリブル、トラップとボールキープのテクニック、視野、先読み、攻撃意識――これらの面では全然錆びついてない。エンドウさんの言うとおり、試合終了20分での攻撃オプションでなら、間違いなく今のままでも日本代表に入れる。ていうか勧誘すべきレベル』
『これで調整もして、90分走れるスタミナが戻ったらと思うとワクワクするよなぁ。ヒラヤマとサクライのコンビをまた見たい』
『JFAは死に物狂いでサクライを説得しろ!』
『サクライ、家族のことはお前は悪くない! だから代表に戻ってこい!』
――今のところ、8割の代表サポーターが僕の代表復帰に賛成の色を示しているらしい。
「――ゴホッ、ゴホッ……」
――まったく、無茶を言ってくれる……
「クゥン……」
僕の椅子の横に待機していたリュートが、僕を見上げた。
「社長――またたまにその咳が……」
トモミの心配そうな声。
「……」
さすがに前準備もなく、火の車の業務に戻りすぎた。医者からは無理をしないようにと言われているのだが、仕事の遅れや、世間の騒ぎを考えると、僕の代わりなどいない以上、無理をせざるを得ない状況だった。
倒れる前、しばしば起こっていた咳もぶり返し、微熱や眩暈を覚えることもしばしば起こるようになってしまった。顔の血色はずっと良くない。
「――問題ない」
僕はデスクから立ち上がる。
「問題ないって、お前……」
「明日は久々に休ませてもらうんだ。前々からそう言っていただろ」
「……」
「それよりも、今度は横浜港に行って、飛天グループの貿易部署の視察と打ち合わせだ。行くぞ」
僕がスーツの上にコートを羽織ると、リュートがそれを出掛ける合図だと判断して、社長室のドアの前にいち早く動いた。
ハロウィンも終わった東京は、来月のクリスマスへの賑わいを前に、少しの小康状態に入ったようだった。人通りは多いが、浮ついた雰囲気が少なく、忙しない大都会の風景色が強かった。
運転手がリムジンのドアを開け、僕達はそれに乗り込む。
「ここから横浜港まで――車だと小一時間ってところか」
エイジが太い腕に巻かれた時計に目を落とした。
「社長、その間、少し眠ったらどうですか?」
「そうですね――そうさせてもらおうかな。でも、別に二人は僕の横で喋っていてもいいし、テレビを見ていてもいいから」
そう言って、僕はリムジンのゆったりした座席に深く体を預け、目を閉じた。
リムジンが発車し、僕の身体に小さく重力がかかった。
「……」
眠る、と言っても、こういう時の僕の睡眠は、頭の隅はちゃんと起きている。
旅をしていた時は、リュートがいたとはいえ、野宿をしている僕の寝首をかこうとするスリへの警戒は必須だったし、自然に眠りが浅くなってしまった。二人もそれを知っている。
リムジンは、運転席と後部座席が完全に隔離されている。そして、僕達の乗っているリムジンは、運転席の背もたれの裏に、32インチのテレビがついていた。どうやら二人のうちどちらかが、そのテレビのスイッチを入れたらしい。今は正午を少し過ぎたくらいだし、多分情報番組か、新宿アルタ前での生放送でもやっている時間だろう。
『クリスマス目前企画、街頭でのアンケート、恋人にしたい有名人アンケート! 男性部門で1位に輝いたのは、グランローズマリーCEO、サクライ・ケースケさんでした! それでは街頭の女性の声をどうぞ!』
『7年前からずっとファンでした! 最近は甘い顔立ちに、男らしさがにじみ出てて最高です!』
『お金持ちで、才能に溢れてて、おまけにイケメンだから。もう、この人の子供が欲しいって感じ、うふふふ』
『何をやらせても天才的なのに、あの捨てられた子犬みたいな目がまたたまらない。守ってあげたいって感じ』
『色々なものを背負って、常に強い意志を持って進み続けるあの生き方がカッコいいと思います。いまだにメディアに露出しないで、自分の思いを宣伝しないところも、凛としている感じ』
『――というように、様々な理由が挙げられました。数年前より、このランキングでは、アイドルや俳優と並んで上位にランクインしていたサクライCEOですが、ここに来ての一位獲得は、グランローズマリーの今年にかけての大躍進や、かつての旧友との再会、7年振りに日本で披露したサッカーなど、何かと話題の多かった影響が出ているようです。これを機に、7年前に彼に魅了された女性達の熱もぶり返しており、再び日本にサクライ旋風が巻き起こりそうな勢いです』
「……」
「あ、エンドウさんがコメンテーターで出てる」
トモミの声がした。
『エンドウさん、かつてのチームメイト、サクライさんがランキングで1位、ヒラヤマ選手も5位と大躍進していますが、これを見てどう思いますか?』
『まったく――惨めなもんですよ。僕も当時、サッカーでそれなりに脚光を浴びましたが、同じチームにこの二人がいるせいで、女の子からモテなくてねぇ……この二人に出会ってなかったら、僕ももうちょっと女の子にちやほやされていたかなぁ』
「ふふふ……」
テレビから聞こえるスタジオでの笑い声。同時に横でトモミの笑い声も聞こえる。
『――まあ、そうは思いつつも、奴らのおかげで僕も今のかみさんと結婚できたんですけどね。その点においては感謝してますよ。それがなかったら、僕はこの二人がモテていることを、いまだにひがんでいたかもしれませんけどね』
「……」
笑いを取った後に、すぐさま自分の奥さんをフォローし、べたついた嫉妬を爽やかに払う。
ジュンイチがコメンテーターとして、テレビのオファーが多いのは、こういう爽やかな話術があるからなのだろう。
『本来なら、世の男性のために、こういう女性を乱獲するクソイケメン共は、少子化が進む日本にとって害悪だから、滅びてしまえ、くらい言うべきなんでしょうが――すまねぇ、世の男性諸君。僕は仲間は売れねぇ……』
「……」
――それが言いたかっただけか。
『そこまでモテているお二人に挟まれても、それに嫉妬しないで今の男の深い友情関係を保てるというのは、やはり皆さんの絆の強さを感じますね』
『うーん、そうですねぇ。まあ少なくとも僕達3人の仲が、女絡みで乱れることはないでしょうし、僕もあの二人の女性を見る目を信用してますから。ユータはプレイボーイですが、女とサッカーを天秤にかければ、最終的には必ずサッカーを選ぶ男ですし、ケースケも、あの家族の事件以来、日本を出てまで自分の義を世に示そうとした男です。絶対にいい加減な女には惚れませんよ。仮にもし二人が、そんなものを捨ててでも女を選んだら、その女性は間違いなく素晴らしい女性なんでしょう。そうしたら、僕も喜んでその恋の成就に動きますよ』
「……」
『先日ケースケに会って、もしあいつが女にもてまくることをいいことに、女に骨抜きにされてたら、病人だろうがぶん殴って気合を入れ直しててやろうと思ってましたが、まったく取り越し苦労でしたよ。はははは』
「……」
「これって……」
横でトモミの声。
「ん?」
エイジもピクリと反応する。
「エンドウさん、もしかしたらシオリさんがこれを見ているんじゃないかと思って……」
「……」
――だろうな。僕も同じことを微睡みながら思った。
少なくとも、僕が破廉恥な女遊びをしていないことをシオリに伝えたかったのだろう。感情があけすけなジュンイチが証言すれば、シオリも信じるだろうと思って。
それだけ世間一般のイメージでは、僕が女遊びを連日繰り返していても無理はないと思われているのか。だからこそ、先日の女のような手合いも出てくるのだろうな。
――まったく……
離れていても、奴も僕がシオリを探すことに協力してくれているのか。
――ありがとう。
『だが! ユータ! ケースケ! この場を借りてお前達に一言だけ言っておく!』
そんなしんみりした思いに、ジュンイチの大声がカットインした。
『俺の子供が娘だったら、絶対にお前らにはやらんからな!』
「……」
――台無しだ。
――次の日、3週間ぶりのオフ。
僕は昼までの長い睡眠を摂った後、休日なのにスーツに袖を通し、リュートと共に、自分の車に乗り込み、家を出た。
よく晴れた日だった。秋の空は高く、雲もなく、気持ちのいい秋晴れ。絶好の行楽日和だった。
20分程車を走らせ、内堀通りを皇居沿いに走り、霞が関に入る。東京メトロ有楽町線、桜田門駅への入り口が左手に見えた。
僕は桜田門駅の近くにあるコインパーキングに車を止める。
「リュート、少し待っていてくれ。一時間程で戻る」
僕はリュートにそう言い残し、サングラスをかけて駐車場を出、霞が関の舗装の行き届いた広い歩道を歩いた。
霞が関。桜田門――この地名を聞いて、東京に住んでいなくても、ここに何があるのか知っている人も恐らく多いだろう。
この周辺には、日本の行政を担う省庁本部が軒並み並んでいる。文系の最難関の一つ、国家公務員一種試験合格者の街である。
新宿などのオフィス街とはまた違った趣――縦にではなく、横に幅広い、でんとした造りの建物が軒並み並んでいる。
すれ違うのはスーツ姿――しかも、胸元に金のバッジをつけた人間ばかりだ。
僕はその中でも、特に門構えに威圧感のある建物の前で立ち止まり、その建物を軽く見上げた。
そこは、国家公務員一種に並ぶ、もう一つの文系の最難関――司法試験を突破した人間の居城。東京の司法を司る、司法のメッカ。
そう、僕がこの日訪れたのは、東京地裁であった。