Detective
社長室の応接室に僕は皆を招き入れ、最後に探偵を部屋に入れた。
トモミは皆の分のコーヒーと紅茶を入れ、僕達の前に出し、部屋を出て行った。普段ここでクライアント同士の交渉等を行う時には、僕の後ろに控えていることも多いのに、今回自分は部外者だと思っているのだろう。
――僕にとってはもうとっくに部外者じゃないけどな。僕が彼女もこの問題に巻き込んだ。
おまけに、シオリを探す探偵の手配を、僕はトモミにやらせた。
彼女が言いだしたのだ。勿論僕は止めた。そんなことをトモミに頼むなんて、いくらなんでも自尊心が許せなかった。
「悪いと思うなら、シオリさんが見つかったら、一度でいい。私にも会わせてください。私自身にもけじめとか、言いたいこととかあるんです。それはシオリさんに会えなきゃできないこともありますから」
彼女はそう言った。その眼は、いわゆる女同士のドロドロとした感情を吐き出したいとか、そういう感情は一切ない。完全にもう前を向いた眼だったから、僕もそれに気圧されてしまったのだ。
開いたブラインド越し、エイジと一緒にデスクに座って、溜まりに溜まった仕事を片付けに戻ったトモミの姿を、僕は数秒見つめた。
「サクライさん?」
探偵がそんな僕を呼び、僕は視線を前にいる探偵に戻した。
デスクには、シオリの家族が持っていた、彼女からの手紙と、口座への謎の振込履歴。ジュンイチ達も、手掛かりになればと、高校時代から、失踪する数日前まで、修行中のジュンイチがずっと撮り溜めていた、シオリの写真などが全て広げられていた。
「あぁ、ごめん」
――何やってるんだよ。ここで僕がふらふらしていたら、トモミの想いを踏みにじるんだ。
クソ、他のことなら何でも上手くできるのに、こういうことになると、何でこんなことも上手くできないんだ……
「ご依頼、確かに承りました」
かっちりとしたスーツに身を包み、髪をがっちり固めている、四角いフレームの眼鏡をかけた、痩せぎすの神経質そうな探偵は、資料を探偵事務所のプリントがされた封筒に納め終えてから、慇懃に礼をした。
「こう言っては何ですが、とてもお綺麗な方で印象に残りやすい。目撃情報にはかなり期待が持てるでしょう」
確かにそうだろうな。そこらの交番に貼ってあるような、失踪者の目撃情報の類の、特徴のない人間の捜索とはわけが違う。
学校にいればミスコン三連覇。男に媚びるような演技ができなくたって、女子アナだろうがトップアイドルだろうが女優だろうが、いくらでもなれる。時代が時代なら、傾国の美女と呼ばれてもおかしくないような女性だ。そんな女性がいくら光の届かない場所で生活しようと、目立たないわけがない。
「しかし――いくらなんでもこの封筒の宛先を見る限りでは、捜索場所が特定できませんね。いくらなんでも日本中では広すぎる……」
探偵は嘆息した。
「サクライさん、何か思うところはありませんか?」
そう訊いた。
「本来、捜査のプロである我々探偵が、依頼者に捜査において知恵を求めるのは恥ずべき行為ですが――天才と謳われたサクライさんの慧眼なら、既にある程度の目星はついているのではと思うのですが――以前もそうでしたし」
「以前?」
「――いや、こっちのことだ」
僕は皆の視線を拒否してから、頬杖をついた手の親指を口元に当てた。
「――彼女は十中八九、東京かな」
「ほう? その理由は?」
探偵が体を少し乗り出した。
「どう考えても、入金をしていたのは彼女だ。それも利息を含めたら億に迫るような金をだ。そんな金を20そこらの女の子が短時間で稼ぐには、東京が一番だ。なんだかんだで儲け話ってのは、東京に集まるものさ」
そんなことは普通誰でも思いつく。
「それに――僕の知っている彼女は、嘘をつくのが絶望的なまでに下手で、彼女自身も嘘や隠し事が嫌いな女だった。それに、割と気丈に振舞ってはいたが、本当は大人しくて、ちょっと気の弱い所も秘めていた。嘘をつくには少し気が弱過ぎる」
ジュンイチがうんうんと頷いた。
「だから、彼女はその手紙の宛先の中に、一個だけ正解が混じっています、なんて、わざわざ正解を入れたりしないさ。万一それを見て、家族が捜しに来ることを恐れるだろうからな。となると、あからさまに宛先の一つに含まれていない東京をまず怪しいと考える」
「成程。さすがですね。説得力がある」
探偵はおべんちゃらを言った。この程度のレベルなら、プロの探偵ならすぐに察するだろう。
「分かりました。仕事量の明細を求めないということなので、我が事務所、総力を挙げてこちらの方を捜索させていただきます」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
ゴローとアユミが哀願するように頭を下げた。
「じゃあ、お願いします。エレベーターまで送ります」
僕が席を立つと、ジュンイチ達も揃って席を立ち始めた。見送るために皆は先に応接室を出る。
「じゃあ、こちらへ」
僕は手で促す。
だが、そうしながら。
僕は自分の身体で、ブラインドの外から皆に見えないように死角を作って、逆の手で探偵の手に素早く小さな紙切れを一枚手渡した。
「そこに書いてある指示に従って。一階の受付でその紙を見せてください」
僕は探偵に素早く耳打ちした。
トモミが探偵をエレベーターの下まで送っていくと、僕達は各々、息をついた。
「ようやくシオリさん探しが始まったって感じだな」
ジュンイチは、僕とは別の意味でこの時を色々と待ったのだろう。
「あとはしばらく結果待ちだな。探偵から連絡があったら、逐一連絡を入れるよ」
僕は皆を見回す。
「――さあ、あまり長居をしても、サクライくん達の仕事の邪魔だろう。我々もお暇しよう」
ゴローはさすがにこの短時間で、長年経験していなかった大都会の中心を経験して、少し疲れているみたいだった。無理もない。貧乏暮らしが僕も長かったから、僕も今でも少し肩が凝るくらいだ。
「あ――私、ちょっとだけサクライさんとお話したいな……なんて」
シズカはおずおずと手を上げた。
「シズカ姉。サクライさんもここまでしてくれたんだ。本来なら今、分刻みのスケジュールで動いていてもおかしくない人だぞ」
無口なシュンが姉を叱った。
「――いいよ。思ったよりも早く終わったし」
僕は言った。
「あ、ありがとうございます!」
シズカは顔をぱっと明るくし、シュンは溜め息をついた。
「――そんじゃ、俺が下まで他のご家族を送ろうかね」
話を訊いていたエイジが立ち上がった。
「サクライくん」
ゴローは僕を呼び止めると、僕の手を両手で包み込むようにとった。
「ありがとう――本当に、何とお礼を言っていいやら……」
「い、いえ……」
「ここで働かせてもらえるという勧誘も、真剣に考えて、改めてちゃんと返事をするから」
「――オヤジ、それ以上はサクライさんが困るだけだよ」
シュンは相変わらず一家の調停役らしい。そう言って、家族を先導するように、エレベーターを空けて待っているエイジの方へと、一番に歩いていった。
「ロビーに待合ブースがあります。そちらで待っているといいでしょう」
「ごめん。5分もしたら戻るから」
そう言って、シズカはエイジに連れられてエレベーターに乗り込む家族を見送った。
「どうやらサクライくんに、問い詰めたいことがあるみたいね」
ジュンイチの隣に立っていたマイが、シズカの顔を覗き込む。
「察するに――サクライくんの女性関係、かしら」
「あ――分かります?」
「そりゃもう。あの秘書さんを見たからでしょ」
「そうなんですよ!
シズカは興奮気味に言った。
「何ですかあの人! ウエストとかキュッとくびれてて、足とかすごく綺麗だし。顔だって女優さんみたいだし!」
「そうだよねぇ……しかも、胸もおっきいし」
「そんな人がさっきもずっと、サクライさんのことブラインド越しに何度もうかがってたし。あんなの誰が見ても、サクライさんのこと好きじゃないですか」
「くくく……」
ジュンイチがそんな二人のトークを訊いて笑っている。昨日の自分達と全く同じリアクションを、シズカもしているからな……
――悪かったよ。僕は言われるまでトモミの気持ちに気づきませんでしたよ。
「はぁ――なんか羨ましいなぁ。オトナのオンナって感じで」
シズカはがっくり肩を落とす。
「私って、地味だなぁ……」
「全然まだまだいけるでしょう。むしろその歳までまだ磨かれてない純なままの素材ってのは、貴重だよ? 素材はお姉ちゃんに負けず劣らず、抜群にいいんだ。そんな素材が今まで日の目を浴びなかったなんて――カメラマンとしては、綺麗に撮ることにファイトが湧くね。下手なアイドルよりも、写真に撮りたいくらいだ」
そう言ってジュンイチは、首の一眼レフを構えてシズカを捉えて見せた。
「ふーん、若い娘相手に随分お上手ですねぇ」
マイがじとっとした目でジュンイチを見下した。
「あ! な、何誤解してるんだよ! 俺はカメラマンとして、彼女の素材としての魅力をだな……」
「ふふふ……はいはい」
初めからからかう目的だったのに、ジュンイチがあまりにムキになるので、マイは噴出した。
「で? サクライさん、あの秘書さんとはどうなんですか?」
シズカが真剣な顔で訊く。
「……」
どうって言われても――数日前までは、仕事の同僚というだけだったのに、今では少しややこしい関係になっていて、自分でも上手く説明の言葉が出てこない。酷く抽象的だった。
「それは俺も興味あるなぁ」
ジュンイチがにやついて僕を見る。
「トモちゃんとどこまでしたの? キスくらいは?」
すっかりトモミと友達になってしまったマイも訊く。
「――少なくとも、不貞とか不埒とか呼ばれるようなことはしてないつもりだよ」
僕はもう面倒になって、そんな言葉で全てをまとめた。
――間違ってないよな、多分……
そんな折、外のエレベーターが、チーン、という音が鳴らし、トモミとエイジが戻ってきた。社長室直通のエレベーターは一台しかないから、どうやら下で合流したらしい。
「――ま、それでいいとしましょう」
シズカは戻ってきたトモミを見て、気を使ったのか、それで納得したようだった。
そう頷いた後、シズカは僕の前に顔を突き出して、人差し指を立てて、語調を強めた。
「でも! 浮気とか二股とかは絶対にダメだからね! おにいちゃん!」
「え?」
僕が驚くより先に、状況の分かってないトモミが声を上げた。いや、僕も正直面食らったが。
「――な、何だよおにいちゃんって」
「えへへ……私、7年前からずっと夢だったんです。サクライさんが、将来私のおにいちゃんになってくれるの」
「……」
「私もサクライさんのこと好きですけど、それでもやっぱりお姉ちゃんには勝てないし――だから、恋人は無理にしても、将来サクライさんがおにいちゃんになったら、いっぱい甘えちゃおうとか、思ったりして……」
「……」
こんな可愛い娘に、『おにいちゃん』とか呼ばれるとか……いっぱい甘えちゃおう、とか言われるとか……
――なんて破壊力だ。
「ふふ、サクライさん、本気で照れてません?」
シズカが僕の図星を突いた。
「ああ、長年の友人として言うが、こいつのこんなマジで照れた顔、滅多に見れないぜ」
ジュンイチがシズカに向かって親指をぐっと突き出した。
「……」
いや、本気で照れたさ。こんな可愛い子に、おにいちゃんと呼ばれて、いっぱい甘えたいとか、ここまでストレートに言われたら。
「でも安心しました。サクライさん、相変わらず初心ですねぇ。7年前と全然変わってない」
シズカがにこりと微笑んだ。
「すごくもてるのに、女遊びとか全然してなかったんですね。安心した。サクライさんが女にすごくだらしなくなってたら、いくら私でも、ちょっと怒ってやろうと思ったんですけど、その心配はなさそうですね」
「……」
「じゃあ、それが分かったんで、私も帰りまーす!」
シズカは僕に、してやったりというような顔をして、手を開いて見送りはいらない、というジェスチャーをした。
「――サクライさん」
ドアを右手で開けながら、シズカは一度立ち止まり、こちらを振り返らずに僕の名を呼んだ。
「お姉ちゃん――きっと見つかりますよね」
「ああ。大丈夫だよ」
僕はそう言った。
シズカはそれを訊いて、ふっと安心したように「失礼します」と言って、部屋を出て行った。
エレベーターの下がっていく音。