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Building

「ふぉぉ……」「わぁ……」

 ジュンイチやシズカはグランローズマリー社長室の窓から見える、東京の摩天楼に釘付けになっていた。

「すっげぇなぁグランローズマリー。いつかお前と再会できたら、取材に来たいと思ってたんだけどよ」

「これでももう手狭なくらいさ。これから飛天グループの社員も入って来るし、どんどんうちに人材が流れ込んでくるんだ」

 ジュンイチは首に一眼レフをぶら下げている。

「写真いいか?」

「ああ」

 僕がそう言うと、ジュンイチはにっこり微笑んで、社長室のいたるところにシャッターを構え始めた。

「――もう、恥ずかしいなぁ」

 マイはそんな亭主の子供のようなはしゃぎように、肩をすくめた。

「……」

 ふと別の方へ目をやる。

シュンは黙ってこのグランローズマリーの社長室を観察している。

 その目――自分が貧乏のどん底にいる中で、何とか這い上がってやろうという野心を持った目だ。今日本で一番勢いのある企業であるここから、何か刺激を得たいと、強烈な意志を持った目だ。

 まるで昔の、力こそ全てだと頑なに信じていた頃の自分を見ているみたいだ――いや、僕自身も、今は昔と逆戻りしているのかな……みなと別れて、あの頃見えたものがまるで見えなくなっているのだから。

 それとは別に、ゴローとアユミはまるで上京したての学生のようにきょろきょろしている。貧乏暮らしが長く、こんな環境が肌に合わないのだろう。

「すいません。こんなところまでご足労頂いて」

 二人の緊張を和らげるために、僕は二人に歩み寄った。

「い、いや――し、しかしやっぱり君は凄いんだな。こんなビルを一代、しかも25歳でものにしただなんて」

「……」

 やれやれ……

「それより皆さん、昼時だし、腹も減っているでしょう。探偵が来るまで、まだ30分弱ある。社員食堂で恐縮ですが、昼飯をご馳走しますよ」



「……」

 しかし、社員食堂でも、ゴローとアユミは狼狽をさらに強めるばかりであった。

「あ、CEO! 副CEOも! お疲れ様です」

「体の方は大丈夫ですか?」

 エイジはこの社員食堂の常連で、しかもおかわりの記録を持っている程のヘビーユーザーだが、食事は仕事の片手間に摂るスタイルの僕は、滅多にこの社員食堂へは来ない。それどころか、一般社員の前に姿を見せる機会もあまりないので、社員食堂にいる社員達に畏まられ、大変だった。

「うわー、すごーい。石のピザ窯とかあるし!」

 シズカは社員食堂の充実ぶりに、何を食べようか目移りさせていた。

「――何だよこれ。まるでデパートの最上階並みのフードコートだな」

 僕の後ろでお盆を持つジュンイチも、さすがにきょろきょろと見回している。

「和食、イタリア料理、中華、おまけにスイーツまで、ホテルのビュッフェ並みに用意されてやがる。しかもメチャクチャ安い上に、メチャクチャ広くて、窓からの眺めも最高と来ている。仕事しながら食うのに便利な弁当まで売ってるぜ」

「これも我がCEO様の気まぐれの賜物でしてね」

 ジュンイチの後ろにいるエイジが体を乗り出す。

「元々ビルのワンフロアを食道に割いて、最大400人を収容できる憩いのスペースにしていたんだが、こいつ、自分のアクセサリーの大口注文があると、その利益の一部を社員にアンケートを取って、還元するんだよ。この食堂も、その時の利益で運営されていてな。都内にある有名レストランとパティスリー、合計8店舗を3年契約、出店料ゼロで招き入れたのさ。出店料がゼロだから、本店よりも安い値段で提供されてるってわけだ」

「はぁ――こりゃ若い奴等がグランローズマリーに入社したがるわけだ。飛天グループの社員達が、主を裏切ってこっちに流れたがるわけだな」

 ジュンイチは舌を巻いた。

 ――皆、ビュッフェ形式の社員食堂で、各々好きなものを皿に盛りつけてきた。ジュンイチやエイジの皿は肉で山盛り、シズカの皿はケーキやシュークリームで山盛りだった。

 社員達は僕達を気遣って、席を空けてくれた。だが、皆の憩いの時間を邪魔しても悪いので、社員食堂の一番奥――端っこの席を選んだ。

 僕は医者の顔も立てて、中華風海鮮粥とか、杏仁豆腐とか、消化によさそうなものが中心だ。

「美味しい!」

 シズカは舌鼓を打つ。

「んーっ、この苺のタルト、もう一個貰っちゃおうかなぁ」

 マイも山盛りのスイーツを前に、感無量のようだった。妊娠したというのに、まだつわりも来ていないようだ。

「……」

 だがやはり、ゴロー達の表情が固い。

「――こんな場所ですみませんが、こちらも仕事が押しているので、時間がないんです――ご容赦ください」

 そう言って、僕はゴローの前に、B5サイズの封筒を一つ、前にすいと出した。

「え?」

「もしよろしければ、ゴローさん――よければアユミさんも、グランローズマリーで働いてみませんか?」

「え?」

「勿論学校に通いながらのアルバイトのレベルでよければ、シズカちゃんやシュンくんも。取り立てて高収入とはいかないかも知れないが、それでも今の仕事よりは給料や待遇がいいことは保証する。この会社の売りは、頑張った人間はそれ相応に認めることがモットーだから、やりがいもあるだろう。勿論勤務地に合わせて、今の家を引き払って、引っ越すことにもなるだろうが、新居に対しても、こちらが少しばかりの援助をすると約束しますよ」

「い、いいのかい? こんな会社で……」

「ただ、それでも僕は立場上、公平を期さなければならない。コネだけで入社を認められる立場じゃないんで、それなりの試験はありますけど」

「……」

 ゴローやアユミの目から、さっきまでのおどおどした感じが消えた。

「別に皆さんの今の暮らしに同情してこんな提案をしたんじゃありませんよ。シオリさんと再会した時に、皆さん、ちゃんと今を楽しくやっているって見せてやってほしい――そう思うから、僕はこんな話をしているんです」

「……」

「それに――僕自身がその思いを買いたいんです。きっと皆さんは、今でこそちっぽけかも知れないけど、いつかその思いが、僕達を助けてくれる時が来るって……」

「あーあー、ケースケ、無理に会社のアタマを気取らなくていいって」

 エイジが僕の言葉を遮った。

「すいませんね。こいつ、昔から建前が多くて、自分の気持ちを隠す癖がありましてね」

 ジュンイチがマツオカ家の面々に向かって、にっと豪快に微笑みかけた。

「試験があると言っても、その合格にはこいつが全面協力するつもりなんですよ。要するに、皆さんのために一肌脱ぎたくてしょうがないんです」

「……」

 ジュンイチ――全部お見通しかよ。

 エイジとマイがくすくすと笑っている。

「こいつは口下手ですが、本当はすごくおせっかいですから。だから、こいつが苦しまないように、はいって言ってやってくださいよ。俺としても、シオリさんと会う時のために、皆さんが幸せにやってるって見せてやれることは、いいことだと思うし」

 僕のフォローもしながら、マツオカ家の面々の背中も押すことを同時にやるんだから、やっぱりジュンイチは人付き合いに手馴れてるな。

「……」

 だが、僕自身が今更建前を押しのけて正直な気持ちを口にするのも恥ずかしいし、他の社員の目もある場所だ。僕は押し黙ってしまう。

「――サクライくん」

 ゴローの、さっきとは打って変わった強い意志を秘めた目が、僕を捉えた。

「私は何をすればいい? 何でも言ってくれ。ここにいる家族や、シオリのために、私にもできることをさせてくれ」

「私もです。シオリちゃんのためにも、私達も前に進まなくちゃ――サクライさんが力を貸してくれるのなら、私達も、何かできそうな気がするから……」

 シズカとシュンもアユミの言葉に頷いた。

「ふ」

 僕は微笑みを見せて、目の前のゴローの手を取った。

「頑張りましょう。みんなでシオリさんを笑顔で迎えられるように」

 そんな柄でもないような台詞を言った。

 だけど……

「だけどサクライさん、そこまで私達に協力してくれるなんて、想像以上でしたよ」

 シズカが言った。

「サクライさんなら、お姉ちゃんを探そうと思えばいつでもできたのに、それをずっとしてこなかったんじゃ、もうお姉ちゃんに会いたくないと思っているのかと思ってました」

「……」

 会いたいか会いたくないか――そう訊かれれば、僕の気持ちはまだ分からない。

 僕はただ、今あの娘がどこかで一人で泣いているのだとしたら、それが見ていられないと思っただけだ。僕が今こうして動いている理由は、それで十分だ。

 だが――今となっては少し違うのかもしれない。

「今まで僕は、ずっと怖かったのかもしれない」

「え?」

「僕はあの時、シオリを殴ってしまった。どう言い訳したって、それは事実だ。そして一方的な理由で、彼女の話も聞きもしないで目の前から消えた。そんなシオリが、今でも僕を恨んでいるんじゃないかと思うと、彼女と向き合うことがずっと怖かった」

「……」

「今の僕は、シオリの目にどう映るんだろう――シオリが身を挺してまで守った価値のある男に慣れているのだろうか。そんなことがずっと不安だった。だけど、その答えを訊きに行くことも怖かった。結果、シオリのことを心から遠ざけようと、逃げてばかりいた。彼女に否定されることが怖かったんだ」

 そう、彼女は、誰からも存在を認めてもらえなかった僕を、初めて肯定してくれたんだ。

 僕はずっと、その肯定を失い、彼女からの否定を受けることが怖くて。

「だけど、いつもシオリは、僕が辛い時に、僕の力になってくれた――僕自身、今でもシオリが教えてくれた、そんな心の暖かさを覚えています。僕も彼女のようであれたらと、今でもよく思います。だから、今度は僕が彼女の力になりたいんです。何ができるか、まだ僕自身にも分かりませんが、彼女は僕の力で必ず救い出す――その思いだけは、曇りはないつもりです」

「……」

 沈黙。

 不意に僕の携帯電話が鳴った。トモミからの着信だった。

「もしもし」

『もしもし、今社長室に到着しました。今どこにいるんですか?』

「あぁ――ごめん。すぐ戻るよ」

 そんな挨拶をしながら思っていた。

 きっと、そんな情けない僕の背中を押してくれたのは、トモミなんだよな。

 彼女がいたから、ユータやジュンイチとも再会できた。彼女の思いの熱さに触れたから、シオリとも向き合う勇気が出た。

 そんな彼女の思いを知るだけに、前に進みたいと思った。

 だけど……

 今の僕は、ちゃんと前に進んでいるのだろうか。

 シオリの思い、トモミの思い、ジュンイチやユータ、シオリの家族、皆の思いを背負いきれているだろうか。

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