Re-start
11月1日 AM9:00――
「そんじゃ、報告を楽しみにしているよ」
僕はユータと、固い握手を交わした。
「俺も今年の試合がひと段落したら、クリスマス頃にもう一度日本に帰って来るよ。それまでにシオリさんが見つかっているといいな」
僕達は、空港にユータの見送りに来ていた。さすがに長身で美形のユータは、人の多い空港の中でも一際目立つ。僕やジュンイチもいるために、既に一般の人々も、僕達に遠慮なくフラッシュを浴びせていた。
「ユータ。お前も帰ってきたおかげで、この3日は、すごく実りの多い3日になったような気がするよ」
僕はユータの手を握り返した。
「その――ありがとう」
「やめろやめろ。こんな人前でそんな不慣れな台詞をどもったりしたら、俺達ができてるんだと勘違いされちまうだろうが」
人前であることを察して、ユータはそんなジョークを笑顔で返す。
『アテンションプリーズ。本日9時25分発、羽田~ローマ便466便、間もなく搭乗開始となります――』
「そろそろ時間だな」
ユータは自分の荷物を持ち直し、踵を返しかけた。
「――ああ、そうだ、トモミさん」
だけどユータはもう一度向き直し、僕の後ろでエイジと並んでユータを見送っていた、トモミに歩み寄った。
「ケースケがシオリさんを探すからと言って、それは君を捨てるって意味じゃないんだぜ。こいつはろくでなしだが、いい加減なことはしないから。そこは保証する」
「……」
トモミは少しだけ黙っていた。
「ま、俺やジュンも、シオリさんを知っているだけに、やっぱりシオリさんをほったらかしているってのは、気持ちのいい気分じゃないからな……それをシオリさんと面識のない君に分かってもらうのは、ちょっと難しいかもしれないが……」
「――大丈夫ですよ。私だって、皆さんにとってシオリさんがかけがえのない仲間だってことは、社長の話や、昨日の皆さんの話を聞いて、分かっているつもりですから」
トモミはにこりと笑顔を見せた。
「――どうやら、取り越し苦労だったかな」
ユータはその笑顔を見て、肩をすくめて、安心したように息をついた。
「――まあ、みんなが最後は納得がいくような形になればいいけどな……」
ユータは誰に言うでもなく、思いを呟いた。
――11月1日 AM10:30――
「――まったく、昨日はニュースを見て、肝を冷やしましたよ」
医者は僕の胸に当てていた聴診器を耳から外すと、呆れるように目を細めた。
「やっぱり呼吸系に乱れが起こっていますね――いきなり激しい運動をして、弱っていた肺に随分負担がかかっています。胃腸も、言いつけを守らずに、随分と消化に悪いものを食べていたでしょう」
「……」
空港でユータを見送り、ジュンイチ夫妻とも別れた僕、トモミ、エイジの3人、そしてリュートは、僕が4日前まで入院していた病院に来ていた。
今日から僕は仕事に復帰する――その前に、退院しての3日間で、体にどんな変化があったのか、もう一度診察を受けに来てほしい、という医者の言いつけのためだった。
「こんな体であれだけのプレーをやっただなんて――初めはあなたの身体は特殊な造りになっていたのかと思いましたが、やっぱりそうじゃない。しっかり体は弱ったままですね」
医者は溜め息をついて、正対する僕の目を覗き込む。
「――サクライさん、もう一度言いますが、あなたの身体は本来なら、あと最低でも2~3か月は仕事に復帰できないほどのダメージを負っているんですよ。あなたが責任ある立場で、代わりがいない故に、私達も退院を許しましたが、それは我々の言いつけを守るという約束の下に許したんです。それをお忘れなきよう、お願いしますよ」
「――すみません」
僕は渋々と頭を下げた。
それから医者は、後ろで診断結果を聞いていたトモミとエイジを見る。
「あなた達もですよ。サクライさんは確かに超人的な才能をお持ちだ。あなた達も、サクライさんに任せておけば大丈夫で、サクライさんに不可能はないと思うところもあるでしょう。ですが、運動神経に優れている以外は、サクライさんの身体は一般の人間よりも弱い造りになっているのです。幼い頃にちゃんとした成長過程を踏めず、体造りに一番大事な時期に、ちゃんとした栄養が取れなかった体は、骨や臓器が非常に脆いし、疲労にも敏感です。ですから、サクライさんが無理をしていると判断したら、心を鬼にしてでも止めてあげてくださいよ」
「――はい」
トモミが沈痛な面持ちで、そう返事をした。
――11月1日 PM12:00――
「――もう随分とここに来ていなかった気がするな」
僕は自分の作業室の、置きっぱなしになっていた道具を一通りチェックしてから、作業室を出て、自分のデスクに歩を進める。
僕のデスクは綺麗に整頓され、埃ひとつない。一昨日まで激務に追われていたエイジの机は、まるで嵐の後のように雑然と、書類やらペットボトルやらが散乱していたが。
そんな僕の机に置かれている花瓶には、まだ綺麗に咲いている、青紫色の竜胆の花が一輪生けられていた。僕が最後にこの花瓶に花を生けたのは、もう20日は前だ。きっとトモミが机を整頓し、花を生けてくれたのだろう。
「――エイジ、その机の様子を見る限りじゃ、随分グランローズマリーはドタバタしていたようだな」
「そりゃそうさ。大黒柱のお前がいなくなって、飛天グループからこっちに渡ってくる人間を迎え入れたり、新事業の準備も大混乱だったよ。お前がいなくなっただけで、役員レベルでも不安がってたよ。お前の指示を待つべきで、我々だけで動くのは得策じゃない、ってな」
「……」
この会社はそれだけ基盤が弱い。僕がいなければ立ちいかないのだ。それが僕がゆるりと養生をしていられない理由だ。
「しかし――さっきの医者の渋い顔を見て思ったが――お前、もう少し休んでもいいんだぞ? お前の代わりとはいかんが、お前が多少の指示さえくれれば、何とかするさ」
「――そうもいかないだろう。僕達が起こした戦いのために、職を失った人もいるんだ。その責任くらいは摂らないといけない――それに、これ以上僕のアクセサリーの生産を遅らせたら、さすがに負債が発生してしまう。やるしかないよ」
僕のアクセサリーは、基盤の弱いグランローズマリーのM&A防止のために、僕が負傷や事故で生産が不可能な状態になった場合、そして、僕が死なない限り、納期制限が全てに定められている。それに一日でも遅延した瞬間、グランローズマリーは注文されたアクセサリーの値段の10倍の違約金を支払うという契約を、全ての顧客と結んでいる。
だからエイジも、僕が入院したことを世間に公表したのだ。だが、僕も確認したが、昨日僕がユータとジュンイチ達と、かつての黄金トリオを再結成してサッカーをしていたことは、トップニュースになっていた。あれだけ大々的に復活をアピールしては、もう納期の時計はストップしたまま――とはいかないだろう。
「……」
トモミが心配そうな面持ちで僕を見ていること。それはさっきから気付いていた。
『ここに戻れば、社長は稀代の英雄として祀り上げられるでしょう。そうしたら、もう社長は力を振るうことから逃れられなくなる――休むことも、迷うことも許されないほど、皆が社長に期待を馳せる――終わりない闘いの日々が、またはじまります』
あの夜の海の民宿で、トモミが言っていた言葉を、僕は思い出していた。
――確かに、その通りだろうな。
昨日、ユータ達とサッカーをしていた時に集まった。あの凄まじいギャラリーの数。飛ぶように売れたチャリティーグッズを見た時から、それを薄々予想はしていた。
ここに戻る以上、僕の新しい戦いは、否応なしにまたはじまる。
――だが。
今の僕は、戦う理由が分からない。
これからの僕の戦いは、義務感、責任、けじめ――それ以外の動機がない。
自発的な動機がない。
家族への復讐も終え、ユータやジュンイチへの贖罪も、奴らが許してくれた以上、もうそれも終わってしまった。
一体何のために戦うんだ……? これからの僕は。
「……」
僕は自分のデスクに座って、デスクにセットしてあるカメラを自分に向け、同じくおいてあるピンマイクをスーツの胸元に取り付けて起動。その後にグランローズマリー本社ビル全フロアのスピーカーを開放し、ピンポンパンポンという前置き音を鳴らす。
『昼休み中に失礼致します。グランローズマリーCEO、サクライ・ケースケより、職場復帰に伴う連絡事項の伝達です』
それを言っただけで、自分達の下のフロアから、社員達がざわめきだすような声が聞こえ、フロアが少し揺れたような感覚に襲われた。
『えっと――皆が大変だった時期に、不在の期間が長くなってしまい、本当に申し訳ありませんでした。今日、この時から僕も普段通りの仕事に復帰します』
正直この場で言うことはあまり考えてはいなかったが、業務の継続という意味では、初めから方針はある。
『現在グランローズマリーは、事実上力を大きく衰退させた飛天グループの勢力を吸収しつつ、人材を保護し、新事業の準備を進めるという方針で業務を継続しています。今後はその二つの業務の目処を、今年いっぱいと定めて行動していきたいと考えています。少し急ピッチの仕事になるとは思いますが、皆さんの力を僕に結集してください。僕も力の限りを尽くします。これからの世を、僕達が主導して動かすために』
それを言うと、うおおお、という雄叫びが謝罪全体にこだました、全フロアのスピーカーを開放したことで、どうやら全フロアの音声もこの部屋に届いたらしい。
「うお」
エイジもその意気高揚の雄叫びに面食らった。
「つきましては、各部署のリーダーは、仕事の進捗具合を明日の会議で僕に報告してください。明日までにできるだけ正確かつ具体的な進捗数値を出して、僕に報告する準備を整えておくように。以上」
僕はピンポンパンポンをもう一度流してから、マイクとスピーカーの電源を切った。
「ふぅ」
ピンマイクを袖から外しながら、僕は息をつく。
「……」
トモミとエイジが僕をしげしげと見つめている。
「――何だよ?」
「いいのか? 本当に。体に無理がかかっているなら、もう少し休んでも……」
「いいよ別に」
僕は席を立つ。
「それに――何かしていないと、気持ちがぐるぐるしそうだしさ。シオリのことも、トモミさんのことも――」
「……」
「あ、そうだ」
僕は自分の携帯電話を取り出して、メールを打つ。
それから僕は、今度は電話帳を開いて、その中の一つの電話番号にダイヤルした。
「あ――もしもし。明日の午後、依頼をお願いしたいんです」