Child
「……」
遂に言ってやったぜ、という顔でその事実を言ったマイの顔を見て。
――あぁ、確かに驚いた。どうせ大したことじゃないのだろう、とも思ってはいたけれど。
「え、えええええええっ!」
だがそんな僕達のふわふわさせられた思考は、ジュンイチの感嘆の雄叫びによって我に返り、皆一斉にジュンイチの顔を見た。
そして。
「ぷっ――くくくくく……」
「わっはははははははは!」
堰を切ったように僕の腹の底から笑いの衝動が沸き起こり、それと同時にユータも腹を抱えて笑い出した。
「しゃ、社長?」
こんなに僕が笑った姿を見たことがないトモミは、その光景に呆気にとられたようだった。
「ケ、ケースケも思い出したのか、あの時のこと」
「――あぁ……7年前にマイさんにいきなり告白された時の、ジュンイチの顔をな……」
僕達はよじれる腹をひきつらせながら、声を漏らした。
そう、僕達は7年前の既視感に襲われたのだ。
7年前、僕達の名を日本中に轟かせた高校サッカー全国大会の決勝戦。僕が負傷して試合に負けた僕達は、学校の体育館で、本来は祝勝パーティーになるはずだった宴を、ちくしょう会、もとい慰労会として、大会後の打ち上げをしていた。
そんな時に、マイがジュンイチに告白した。敗れはしたものの、土壇場ロスタイムで延長戦に持ち込んだ、値千金の同点ゴールを決めたジュンイチに。
今までユータや僕の陰に隠れてしまい、道化役になっていたジュンイチは、まさか自分が告白なんてされるとは思っていなかったらしく、その驚き方は半端ではなかった。
7年前の僕達も、マイから告白されて、魂が抜けきり、彫像になったかのようなジュンイチの狼狽える姿に大笑いした。
それを、今のジュンイチの顔を見て思い出した。
あの頃と全く変わらずに、ジュンイチはこのサプライズに彫像と化したのだった。
「おめでとう!」
すっかりマイと仲良くなったトモミが、マイに駆け寄った。
「はははは! いずれにせよ、そいつはめでたいな」
ユータはそう言って、ジュンイチの背中を強めに叩いた。
「ジュン、お前もパパになるんだな。ほら、何か言えよ」
「あ、あぁぁ……」
ユータに背中を叩かれ、ようやく魂が少し戻ってきたジュンイチであった。
「あ……」
とはいえ、妻にかける言葉を探すのに、少し時間を要した。
「ほ、本当なのか?」
「うん、病院に行ってね、今、2か月だって」
マイがジュンイチに微笑んだ。
「本当は半月前に分かっていたんだけどね、その頃、サクライくんから電話がかかってきたから。だから、みんなが揃う時期に言おうって思って。こんなになるまで黙ってて、ごめんなさい」
「……」
沈黙。
「お――おなか、触っても、いいか?」
ジュンイチはマイに掌を開いて見せた。
「え? ――やだなぁ、まだ二か月だし、触っても何にもわからないと思うよ」
「……」
ジュンイチは、自分がいっぱいいっぱいになって、変質者のようなセリフを口走ったことで、少し気恥ずかしそうに頭を掻いた。
意外と純粋な奴なんだよな――僕とユータ、エイジはそんなジュンイチの様子を見て、笑いをこらえていた。
「ほ、本当なんだな。俺達に、子供が出来たって」
「本当だよ。一応予定では、来年の6月には生まれる予定だから」
「6月かぁ、俺もそれならどこのチームに所属になっているかわからんが、丁度リーグが終わる頃だ。出産したマイさんの見舞いに、日本に帰国できるかもしれんな」
ユータも嬉しそうに頷いた。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
ジュンイチがいきなり大声で歓喜の声を上げた。いくら貸切とは言っても、店のスタッフも全員驚いただろうくらい、大きな声で。
「ケ、ケースケ!」
それからジュンイチは僕の方を見た。
「……」
そうして僕の顔を見るジュンイチの顔は、とても嬉しそうで。
この7年、こんなに嬉しそうな顔をした奴の顔を、僕は見たことがない。
そんな奴の顔を見て。
柄でもなく、僕もとても幸せな気持ちになった。
「おめでとう、ジュンイチ」
僕はジュンイチに手を差し伸べた。
「俺も来年の帰国の楽しみが増えたぜ。子供が生まれた時のお前の顔、絶対見に来なきゃな」
「まったく、これからお前の親バカぶりが心配だぜ」
僕を見て、ユータとエイジもジュンイチに手を伸ばした。
「あ、ありがとう! ありがとう!」
ジュンイチは感極まるように、興奮してそれぞれの手を両手で握りしめた。
「ど、どうしました?」
その時、ジュンイチの雄叫びを聞いて、カウンターにいたマスターが僕達の方へ心配そうな面持ちでやってきた。
「おじさん、この店で一番上等なシャンパンを」
僕は言った。そしてもう一度、置いていたギターを手に取る。
「ケースケ?」
「折角こんな嬉しいニュースが聞けたんだ。マイさんの大手柄に、みんな、騒ぎ足りないだろ?」
「――あぁ、そうだな」
ユータが頷いた。
「ケースケ、俺もジュンのために一曲やってやりたくなったぜ。お前のギターを貸してくれよ」
「あぁ、じゃあ僕はピアノだな」
ユータは僕のギターを受け取り、僕はピアノの前に座る。
「懐かしいな。テンションあがってきたぜ。7年前に戻ったみたいだ」
ユータが言った。
――10月31日 PM21:00
既に外では、祭りの歩行者天国が解除される時間ということもあり、徐々に街を埋め尽くしていた観光客達は、地元の者は家に、遠方の者は駅へと一斉に向かう人の流れを作っていた。
バーでは今もマイの妊娠祝いのどんちゃん騒ぎが続いていた。
そんな中、僕はひとりバーの駐車場に来ていた。
「リュート、すまないな。お前はひとり留守番で」
そう、車に置いてきたリュートの様子を見に来たのだ。車の外に出し、僕はリュートに食事を与えた。
リュートは愛用の皿に置かれたしょくじをゆっくりと食べ始めた。僕はリュートの目の前に、膝を抱くようにしてしゃがみ、その様子を見ていた。
「本当はお前も、もっとパーティーっぽい食事の方がよかったんだけどな」
「クゥン?」
リュートは僕の声に顔を上げる。
「リュート。ジュンイチとマイさんに、子供が出来たんだってさ」
「……」
「お前も、もうお爺ちゃんなんだよな。お前くらい賢い犬なら、いい相手と結婚して、子供でも欲しかったのかもしれないが、僕につき合わせて、お前に子供を持たせてやることも出来なかったな……」
リュートはもう10歳だ。人間で言えばもう還暦も越えている老犬である。
「……」
結婚か……
ジュンイチがマイと結婚して、子供が出来たと聞いて。
何だか僕まで嬉しくなった。できることなら、ジュンイチとマイの子供が生まれたら、ちょっと抱いたりしてみたいなんて、思ったりして……
そんなことを考えながら、僕は一抹の寂しさを感じていた。
そして、強く思った。
シオリにも、この嬉しい知らせを聞かせてやりたい、と。
今日一日、僕も久し振りに心から楽しかったと思えた。ジュンイチとマイに子供が出来たのを聞いて、久し振りにとても満ち足りた気分になった。
まるで7年前のあの頃に戻ったみたいだと。
――でも、あの頃のように、というのなら、やっぱり足りない。
シオリのあの笑顔が足りないのだということを、強く感じさせた。
幸せそうな時に、人一倍嬉しそうな顔をして。
あの、恥ずかしそうな「えへへ」という、独特の照れ笑いを浮かべる彼女のあの幸せそうな笑顔。
あの頃皆で集まると、とても満ち足りた、嬉しい気分になれたのは、彼女のあの笑顔があったからだったのだと、思い知らされた。口数が多いわけでも、率先して皆を笑わせるわけでもない彼女だったけれど、ああして微笑んでくれることが、僕達にとってどれだけ大きかったか……
多分、ユータもジュンイチも、マイもエイジも、あの頃を知る者は皆多かれ少なかれ、それに気付いていたと思う。
「……」
僕は空を見上げた。この空の下、どこかがシオリとつながっている。そう思いながら。
「シオリ。マイさんに子供が出来たんだ」
さっきから僕、ひとりごとが多いな――祭りの客とかがこの駐車場に戻ってきたら、絶対キモい奴だと思われるぞ、僕。
でも――何となく言いたかった。僕は口の堅い方だと自負していたけれど、シオリだけこのことを知らないというのは、あの頃を共に過ごした仲間としては、何だか気持ち悪かった。
「ジュンイチも、それを聞いて世界一幸せそうな顔してたよ。ユータもエイジも、それなりに元気にやっているみたいだ」
勿論言ったところで、誰も返事なんかしてくれはしない。それでも今だけは、言いたかった。
「君は――君は今、何をしている? 君が今、苦しい思いをしているのなら……」
そう僕が呟きかけた時。
僕の目の前にいたリュートが、体をぴくりと反応したと思うと、体の毛を逆立てるように緊張した。
「どうした? リュート」
ただ事ではない。普段冷静な相棒が、こんなにもピリピリした空気を放つのは、見たことがない。僕も腰を上げた。
そしてリュートはいきなり走り出した。駐車場を抜け、右へ。
「お、おい!」
僕も後を追って走る。
方向は祭りで人波がいまだ激しい道とは逆――駅前から郊外へ向かう道だ。
一体何処へ行こうというのだ。僕は草履のまま、かつての俊足を飛ばす。
やがて人気のない道に入り、リュートはそこを一人歩く人影に、激しく吠えはじめた。
暗闇に、きゃっ、という声がした。女性のようだ。
「コラ! 何やってる」
300メートルは全力で走ってきた。僕は、やはり体調が戻っていない。息を切らしながらリュートに追い付く。
女性は立ち止まって僕の方を振り返るが、道が暗くて女性の顔は良く見えない。
「はぁ、はぁ……すいません。とんだご無礼を……」
膝に手を突いて、息を整えながら、まず謝罪する。
少し顔を上げると、バッグを持った女性の手元が見えた。
「……」
よく見ると、そのバッグを持つ右腕に、今日の昼間に僕達も参加した、サッカーイベントで先行販売した、僕も今身につけているシリコンバンドが付けられていた。
「……」
まずいな……僕のことを知っている人の可能性が高い。人気のない道だし、痴漢か何かと間違われたらどうしよう……
権力を手にして、金目当てで僕によってくる女は山程いた。こういう時、僕は女性を欠片程も信じていない、冷たい人間だと思い知る。
息が整いかけて、顔を上げる。
「さ、サクライさん……」
「え!」
僕は目の前の女性の姿を見て、過去の記憶が興奮と共に呼び起こされた。
「あなたは……いや、君は……」