Surprise
「――なあ、もし僕がトモミさんと付き合ったら、お前はどう思う?」
僕は空を仰ぎながら、ユータに訊いた。
「ああまでして僕を止めてくれたシオリを差し置いて、別の女に走るなんて、見下げ果てた奴だと思うか?」
「さあね、分からん」
ユータは即答した。
「……」
「正直、俺も今日トモミさんに会うまで、心のどこかで思っていた。トモミさんが、シオリさんに明確に劣っていてほしい、ってな。お前がシオリさんとトモミさんの間で揺れているのが、ただの気の迷い程度のものであってくれれば、俺も遠慮なく、シオリさんに肩入れできるのに、ってな」
「……」
「でも――今日トモミさんに会ってみて、俺も納得させられちまった。あの娘なら、シオリさんとの間でお前が悩んでも、無理はねぇ、ってな。情けねぇ話さ」
自嘲を漏らすユータ。
「まあ、強いて言うなら……」
そう言って、ユータは僕の方を見た。
「悩むより、ただ体を動かす方がいい時がある――」
ユータがベンチから立ち上がる。
「え?」
「せめてもの助言だよ。俺にはその程度のことしか言えんわ」
「……」
「少なくとも今のままじゃ、何も始まらんし、何も終わらん。シオリさんと今更どのツラ下げて会えばいいかとか、悩む気持ちも分かるが、取りあえずお前は何か行動を起こすべきだ。そうなったら、結局自分がどうしたいか、しかないだろ」
「……」
自分では、もう答えが分かっているつもりだった。
昨日の夜、トモミを愛することを誓おうとした。
だが、そう思っているはずなのに、結局僕はシオリのことばかり考えている。
7年前のシオリの想い――あの声を聞いてしまったから。
『今すぐじゃなくてもいい。いつかあなたは、私が好きになった、あの頃のままのサクライ・ケースケくんでいてください。あの頃の笑顔を取り戻して、戻ってきてください』
その願いが、僕の肩にのしかかっていた。
――今のままで、僕はもう一度、あの頃のように笑えるのか?
そんな思いに囚われると、今のままじゃ、トモミを選んでも、僕は何もできそうにない。トモミの想いも、シオリの想いも結局踏みにじってしまいそうで、体が竦んだ。
「おーい、ケースケ」
ジュンイチの声がして、僕は振り向く。ジュンイチ、マイ、トモミ、エイジの四人が、金魚の入った袋を下げて、こちらへやってきた。
「どうだ、俺でも取れたぜ、金魚」
ジュンイチはニコニコ顔だ。
「――ったく、大の大人が金魚すくって自慢するなよ」
ユータが肩をすくめた。
「社長」
僕はトモミに声をかけられる。
「私も10匹もすくえたんですよ。ほら」
そう言って、水の入った袋の中を泳ぐ金魚を見せる。
「……」
僕に笑いかけてくれるトモミを見ながら、また思う。
僕はもう、楽になりたいんだよ。この笑顔を僕のものにして、楽になりたいのに。
――何故、そうしようとすると、こんなに後ろめたいのだろう……
――10月31日 PM6:30
祭りに来た時点で、僕達は車を、予約しておいたバーの駐車場に止めていた。
リュートを車に残したまま、僕達は改めてバーに戻ってきていた。バーのドアには、『本日貸切』の看板がドアノブに吊るされていた。
中に入ると、6人ほど座れるカウンターと二つの丸いテーブル。バーカウンターにはよく磨かれたグラスが吊るされており、客がキープしているボトルも並んでいる。そして店の奥には、くたびれたピアノが一つ置かれていた。
「お、ケーちゃん。もう料理も全部そろってるよ」
中に入ると、カウンターにいたマスターが僕達を席へと案内してくれた。
「ん? 知り合いなのか?」
エイジが訊いた。
「そうでもなきゃ、こんな掻き入れ時の日に、貸切なんて無理が通るかよ」
「ケーちゃんはごくたまにだが、高校時代に、ここでお客のためにピアノを弾いてくれることもあってね。その時からの知り合いなんですよ」
マスターが言った。このバーも、僕が生まれた商店街にあるバーだ。メインストリートから外れているが、町内の付き合いはある。
僕は高校時代、この商店街で色々なバイトをした。レストランのホールや皿洗い、観光客の呼び込みや、犬の散歩、早朝のパン屋の仕込み、その他諸々――だからこの商店街では特に顔が広かった。
「すみませんね、祭りだし、掻き入れ時なのに、貸切にしてもらっちゃって」
「はは、いいって。その代わりに、こっちもお願いをしちゃってるからな」
「ん? 条件って?」
マイが首を傾げた。
「あぁ……僕達3人の寄せ書きサインと、マスターとの写真撮影だよ」
「そうそう、そんな写真を飾れるのなんて、日本でこの一件だけとなれば、こんなかき入れ時を逃しても、全然お釣りが来るね」
マスターの言うとおりだ。特にこの川越では、僕達埼玉高校の3バカトリオの名前は今でも伝説として知れ渡っている。まして一昨日僕達は、7年振りの再会を果たしたばかりとなれば、そんなサインや写真に付加価値がつくのも当然だ。
「じゃあその写真、俺に撮らせてくださいよ。住所教えてくれれば、俺が額に入れて、この店に届けますんで」
ジュンイチが進んでそう言った。ジュンイチの家のリビングは、かつてジュンイチが撮影へと出かけた、世界中の写真があった。その中にその写真を飾りたいのだろう。
「トモミさんやエイジさんも入った入った」
ジュンイチの主導で皆各々の位置が決まる。小さなバーだが、スタッフが全員出てきて、20人くらいで写真を撮ることになった。どうやら、今日休みだった人間も、僕やユータを見たくてやってきた者もいるらしい。
撮影が終わると、ようやく僕達は席に着くことができた。席にはすでに山盛りのおつまみが盛り付けられた皿で埋め尽くされていた。
「こんなに……」
掻き入れ時に金が入らないのでは気の毒だと思って、確かに多めにお金を払ってはいたのだが、ここまで用意されるとはな……
「とりあえず、最初の飲み物を注文しようか」
僕は車から持ってきたギターケースを、自分の席の横へ置く。
「とりあえず最初は全員ビールでいいだろ」
ユータが無難な提案をする。
「あ――ごめん、私はウーロン茶にしてもらえないかな」
マイが申し訳なさそうに手を上げた。
「あれ? マイさんは結構飲めるんじゃなかったっけ? 体調でも悪いのか?」
「うん、ちょっと色々あってね。でも、心配しなくて大丈夫よ」
そう言って、マイは僕達に笑顔を見せて、体調の良さをアピールした。
結局僕達は、マイ以外は全員ビールを注文した。
「じゃあ、7年振りの再会と、俺とトモミさんの出会いに乾杯!」
ユータの変な乾杯の音頭。
「さて、じゃあ7年ぶりの宴ということで、ケースケにまずは一曲、披露していただきましょうか」
ジュンイチはジョッキ一杯のビールを飲み干すと、いきなり僕に振りを入れた。
ユータとマイ、エイジが拍手をする。
「懐かしいなぁ。サクライくん、よくこうしてみんなで集まると、ギター弾いてくれたもんね」
マイが言った。恐らく当時のことを知らないトモミを置いてけぼりにしないための配慮だろう。
「しかしケースケ、お前、随分ギターなんて弾いてないだろ。弾けるのか?」
エイジが言った。
「元々マイさんからリクエストがあったからな――昨日、ちょっとだけど弾いてきたから」
僕はトモミの方を見ずに言った。ギターケースから、昨日砂浜で弾いたばかりのギターを取り出し、ピアノの前に歩を進める。
「じゃあ、僭越ながら一曲披露するよ。マイさんのリクエストは――ジュンイチに告白した時に、僕達が演奏した曲だったな」
――僕はふうと息をついて、ギターを掻き鳴らした。
7年前はよくこうして、こいつらの前でギターを鳴らして、声を張り上げて、少し調子外れた歌を歌っていた。そんなことを思い出しながら。
少しの照れくささと、あの頃を懐かしむ思いをはじめは感じていたが。
徐々に思い知る。
7年前のあの時とは、決定的に足りないものを。
僕の声と、ギターから奏でられるメロディーが、やがてここにいるユータ達の心までも、僕に伝える。
やはり、何かが足りないんだ。
そしてそれも、もう皆が分かっている……
――曲が終わると、ユータ達は大いに沸き立ち、店のマスターたちも拍手を送った。
「サクライくん、ありがとう!」
ギターを下ろしながら自分の席に戻ると、マイが目を輝かせていた。
「もうこうして昔みたいに、あなたの歌を聴けると思ってなかったから――すごく嬉しかった。本当にありがとうね」
「そんな……」
僕は柄にもなく、少し照れた。
「――そうだ、マイさん」
僕はその照れ隠しも手伝って、マイに提案を始めた。
「君も今日、ここですごいサプライズを僕達に用意しているんだろう? そろそろそれが何か教えてくれよ」
そう、一昨日、ジュンイチの家でマイが酷く意味深に語っていたこと。
今日、彼女は僕達に、ジュンイチも知らないサプライズを仕込んでいるという。
それが何なのか、僕はずっと気になっていたのだ。
「あぁ……ちゃんと覚えていてくれたのね」
マイが軽く困ったような顔をした。
「じゃあ、しょうがないから、そろそろみんなに、私からのサプライズを発表するから、みんな聞いてくれるかな」
そう言ってマイは、僕達を一瞥する。
「実はね――私、赤ちゃんができたんだ」