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Goldfish

 ――10月31日 PM4:30


 歩行者天国になっている町並みは、多くの人がごった返す。大通りに出ると、お囃子を奏でる山車と何度かすれ違う。町内ごとに飾る人形の違うこの山車が、川越祭の見どころの一つだ。

 山車が近くを通ると、山車の進行方向を空けるために、観光客は脇に退かなければならない。そうなると5メートル先に進むのも一苦労な程、車道は人でぎゅうぎゅう詰めになる。

 もう近くの人間の様子を見る余裕もない。おかげで僕やユータのような有名人が近くを歩いていても、全く気付かれないのだった。

 僕の生まれた商店街は、祭りの中心地にあるから、その人混みをやっと抜けた頃には、日が傾いて、夕焼けが街を照らし始めていた。もうすぐ道の両端に無数に吊るされた提灯がライトアップされるだろう。

「やれやれ、やっと人混みを抜けたな」

 ようやく人混みが緩和され、普通に歩くことのできる通りに出ると、ジュンイチは甚平の襟を直しながら、カメラの無事を確認した。

「このまま神社の方へ向かおう。大体あの辺が祭りじゃよくにぎわうんだ」

 祭りに詳しいエイジがそう言って、僕達はそのまま神社の方へと歩きだした。

「だが、どうやらこの人混み、祭りが目的で来た人達ばかりじゃなさそうだな」

 ユータが言った。

「すれ違った人達の中に、俺達と同じシリコンバンドやタオルをしている人を、結構見かけたぜ。どうやら俺達のサッカーを見た後に、そのまま川越観光に乗り出したって人もかなりいるようだ」

 ユータの言うとおり、僕がデザインし、今日スタジアムで先行販売したばかりの、チャリティーマッチ用のグッズを身に着けている人を、この短時間でちらほら見かけた。

「それならいいことだ。グランローズマリーのサッカーチームの本拠地を川越にしているのは、故郷の町興しに貢献するためでもあるしな……」

 そう、今ではこうして祭りでも賑わいを取り戻してはいるが、7年前、僕の家族の愚行によって、僕の生家で連日僕のファンがデモを起こしていた頃、この街は江戸時代の街並みを残した商店街を中心に、観光客の足が遠のき、大きく寂れてしまった。その分を少しでも埋め合わせようと、僕はこの故郷の再興に微力ながら力を貸し続けていた。

「……」

 いい思い出なんてほとんどないが、やっぱりこの街は僕の故郷なのだと感じる。こうして賑わいを取り戻した街を見れば、何となく嬉しいような、ほっとしたような思いが、じんわりと染み渡ってくる。

「――相変わらず、律儀というか、思い詰め過ぎと言うか」

 ジュンイチがそんな僕を見て、肩をすくめた。

「トモミさんもエイジさんも傍で見ていて、気苦労が絶えないだろう。こいつは昔から少し無理をし過ぎるところがあるからな」

「まあな、その点はこいつ、全然変わってないぜ。お前達の知っている頃のままだよ」

 エイジが苦笑いを浮かべながら、言った。

「――確かに、横で見ていてハラハラさせられっぱなしですけどね」

 そんな僕達に、マイと共に後ろからついてきていたトモミが口を開いた。

「だけど、誰かのために一生懸命になれる、そんな社長の心に、私達グランローズマリーの社員達は夢を見させられましたから。そんな社長を信じて、慕って、私達は今ここにいますから。だから、それを私達も否定することが出来なくて……結局いつも、そんな社長を見守るだけになっちゃうんです」

「……」

 トモミのその言葉に、皆歩きながら口をつぐんだ。

「ふぅーん」

 しばらくして、ユータがそんなトモミに対して、妙な笑みを浮かべた。

「な、何ですか?」

「いや、随分とケースケのこと、心配してくれているんだ、と思ってね」

「な……」

 トモミはそれを聞いて、二の句に詰まった。

「……」

 さっきからジュンイチとマイがニコニコして僕の顔を窺っている。

 だが、その時僕はジュンイチの視線も感じないほどに、今のトモミの言葉を思い返していた。

 昨日、僕はトモミの、身も捧げてでも僕を救おうとしたその心を無碍にした。女性にあそこまでさせて、大いに恥をかかせてしまったというのに。

 ――今でも、僕を信じてくれているんだ、彼女は。あんなことがあったばかりだというのに。

「何だ何だ、祭りだってのに黄昏ちまってよ」

 歩きながら、ジュンイチにそんな様子を訝しがられた。

「折角来たんだ。お前もたまには生き抜いて、祭りを楽しめよ」

「あぁ――だが、ここは地元だけど、祭りに参加したことはなかったからな」

 僕の祭りというのは、中学時代までは塾や学校で不参加、高校時代はコンビニのバイトでビールを売る。その程度のものでしかなかった。

「そうか? じゃあお前、こういう屋台で何か買ったこともないだろう。いい機会だ。何か買って行けよ」



 その間に僕達は夜店で各々食べたいものを買い、歩きながら食べている。ユータはお好み焼き、ジュンイチはたこ焼き、エイジはじゃがバター、僕はクレープをトモミと半分こするということで、先にトモミがクレープを食べている。

 神社の敷地内に入ると、屋台が道の脇にすし詰めに並んでいて、公園にもなっている広場にはステージが出来ていて、ハッピを着て、捻り鉢巻を締めた男が、後ろにいる奏者の太鼓や笛の音に合わせて、南京玉簾を披露している。

 僕とお嬢様育ちのトモミは南京玉簾を初めて見た。芸としては古くても、僕もトモミも、簾で釣り竿とかが出来る度に拍手をし、芸が終わるとおひねりを入れた。

 しかし、これを見て、ユータ達は祭りの雰囲気に浸かってしまった。

「ケースケ、このあたりは遊べる屋台ばかりだ。何かやろうぜ」

 ジュンイチが僕を誘った。

 あたりを見回すと、なるほど。確かにこの神社の周りは、入っているかも怪しい、最新ゲームのハードをエサにしたくじ引きや、18禁のDVDやエロゲーまで景品になっている射的、輪投げなど、食べ物を売る以外の屋台が多かった。

「やらせるならケースケが苦戦させるようなのさせたいよな」

 ジュンイチはにこにこ顔だ。

「じゃあ、あれなんかどうです?」

 トモミが夜店の一つを指差す。

 金魚すくいと書いてあった。

「あぁ、いいねぇ! トモミさんナイスアイデアだよそれ」

 ユータはトモミに高校時代から変わらない、女の子殺しのスマイルを見せる。

「よし、やろうぜ」

 僕は6人の一番どんじりを歩いて、金魚すくいの屋台の前に来る。

「いらっしゃい」

 ごま塩頭の、ダウンジャケットを着た中年男性が、水槽の前に座っていた。

「あぁー」

 水槽の前にしゃがんでいた、友達連れの子供が、金魚を掬おうとして、ポイに穴を開けてしまった。子供は悔しそうに天を仰ぐ。

「全然ダメだ。何で取れないんだろ……」

 子供達は穴の開いたポイを虫眼鏡みたいにして、先を覗いていた。

「おい、この子達にお兄さん達が金魚取ってやれよ」

 それを見ていた僕は、前にいる野郎三人に言う。

「何で初心者が偉そうなんだ?」

 ユータが苦笑いする。

「あ! ヒラヤマ選手だ!」

 ユータが振り向くと、子供達が声を上げた。さすが現在日本で最も子供達が憧れるスポーツ選手だ。会社経営をしている僕より、今ではユータの方が、子供には認知度が高い。

「わっ! わっ! 後でサインください!」

 子供達は目をキラキラさせる。他の子供は携帯を取り、すごい勢いでメールを打つ。恐らく学校の友達を呼んでいるのだろう。

 子供の声は良く通る。その声を聞いた大人達も、続々とこの屋台の前に集まっていた。

「えっ? ウソ! サクライさんもいる!」

「てか、3人揃ってるじゃん! すげぇすげぇ!」

 あっという間に数百人の老若男女問わずの人混みに囲まれる。さっきの南京玉簾なんて、目じゃない。フラッシュも無数に焚かれる。

「参った……ちゃんと変装させておけば良かった」

 エイジが目を覆う。

「こりゃぶざまな所見せられねぇな……」

 ユータがおじさんからポイを受け取る。

「ここの子供達皆に金魚配れるくらい取ってやれ」

 僕も腕組みして、水槽を覗き込む。

「よーし……」

 ユータは右手でポイを、左手に味噌汁を入れるような、木製のお椀を持つ。

 そして、一気に水槽にポイを潜り込ませた。

 水槽の近くにお椀を持っていき……

 一気に金魚をすくい上げた。

 ――ちゃぽん。

 ユータのポイは、真ん中から一気に裂け、金魚はまた水槽へ落ちた。

「あらっ?」

 ユータが素っ頓狂な声を上げると、ギャラリーは失笑した。

「お前……」

「イヤイヤイヤイヤ……そりゃないわぁ」

 笑いを堪える三人の横で、僕達もそうツッコミながら、笑いを堪えていた。

「そんなだからサッカーはいつまでも人気で野球に勝てないんだ」

 僕は皮肉を込めて言った。

「――やべぇ。新聞で評価4点とかついた時よりへこんでるんだけど」

「マジでへこんでんじゃねぇよ」

 ジュンイチはもう堪えきれずに笑っていた。

 ギャラリーの笑いは、失笑から爆笑に変わる。

「じゃあ、ここで新婚の奥さんにいいとこ見せないとな」

 僕はジュンイチに嫌なフリを入れる。

 それを聞いて、ギャラリーは拍手で後押しする。マイとトモミも拍手で援護射撃。

「……」

 ジュンイチは苦笑いをしながら、おじさんからポイとお椀を受け取った。

「おいしょー!」

 掛け声と共にジュンイチはポイを引き上げる。

 ――ばしゃっ。

 水が波打つほど勢い良くすくい上げたせいで、すくい上げたと同時にポイに貼られた紙は綺麗に外れていた。

「……くくっ」

 ギャラリーはまた失笑する。

「お前、あったまりかけた空気をまた凍らせたなぁ……」

「しみじみ言うなぁ!」

 ジュンイチのリアクションでまた爆笑に変わる。

「掛け声も含めて、全体的にセンスがなかったな。奥さんに辛い思いをさせるなよ」

 隣を見ると、マイは恥をかいたこの場から今すぐ逃げ出したいような表情で、顔を俯かせていた。

「でも、今度はお前の番だ! たっぷり恥をかきやがれ! 初心者!」

 ジュンイチがやや大袈裟に声を上げる。

「……」

 拍手に迎えられ、僕もおじさんからポイとお椀を受け取り、水槽の前にしゃがみ込む。

 僕は左利きなので、スーツの左の袖を捲り上げる。

 水槽には、鉛筆のように細い、小さな金魚から、大きな出目金まで、色も大きさも様々だ。

「男はやっぱり出目金狙いじゃね?」

 ユータに焚き付けられる。

「僕、お前に女顔だってよく言われていたが」

 背を向けたまま、僕は呟くと、僕の自虐ネタにギャラリーが笑った。

「やれやれ……」

 僕はリクエストに応え、出目金を狙ってポイを沈めた。

 出目金の下にポイを仕掛け、ゆっくり上げると、ひょいと右手のお椀の中に出目金が入った。

 おぉ、と言う感嘆の声に、拍手が起こる。

「マジかよ!」

 ジュンイチが声を上げる。

 しかし僕は黙って、静かに金魚をお椀に入れていく。10匹も掬うと、お椀が一杯になってしまい、次のお椀をもらう。

「すごいすごい!」

 子供達の声がする。僕の側に来て、掬い方を盗もうとする。

 僕は子供達ににっこり笑いかけ、もう一度ポイを水槽に沈める。

「いいか? これは金魚より、水の重さの方が曲者なんだよ。さっきの兄ちゃん達は水を目一杯掬ったから、紙が破けちゃったんだ。急がないで、掬う時ポイをこうやって斜めにして、上の水をこぼしちゃうんだ」

 言いながら、僕はまた出目金を掬う。

「お前……俺達の失敗を観察してたのかよ?」

 ジュンイチが言う。

「会社と同じさ。失敗から何かを学ばなきゃ」

 僕は後ろを向いたままそう言うと、ギャラリーが深いと感じてくれたのか、拍手された。

「おじさん、僕、もう一回!」

「僕も!」

 僕の教えをすぐ実践したい子供達が、次々に挑戦料をおじさんに払いはじめる。

 そして僕の横で、子供達がゆっくり金魚を掬い上げる。

「お兄ちゃん、取れた!」

「あたしも!」

 子供達は取れた金魚を次々僕に見せる。

「おぉ、すごいすごい。みんなやったなぁ」

 僕も微笑みが自然に漏れた。その頃には僕は一つのポイで、30匹以上を掬い上げていた。

 しかしそれはおじさんの一言で、無残に打ち砕かれる。

「おにいちゃん……そんな釣り上げても、一人持って帰れるのは、二匹だけだよ」

「えっ?」

 確かに一人でこんなに取ってしまったら、屋台が閉店してしまう……か。

「さすがケースケ! ちゃんとオチまでつけてくれるぜ!」

 ジュンイチの一言で、僕に大オチの爆笑がついた。



 その後僕は、金魚すくいの店に3万円払って、この後の子供達に無料で挑戦させてやれと頼んだ。

 今もその屋台は子供達でごった返している。ジュンイチ、マイ、トモミ、エイジの4人もムキになってまた挑戦している。

 僕とユータは長い間いるとパニックになりそうだったので、皆から離れて、神社の境内の裏の、人目につかない場所に隠れた。

「やっはお前、すげぇわ。何でもできるんだな」

 ユータは近くにあったベンチに座って、持っていたお好み焼きの残りを食べはじめる。

「……」

 僕も隣に座り、トモミから受け取った、半分になったクレープを食べはじめた。

「トモミさんって、マジでお前に惚れてるんだな」

 唐突にユータが言った。

「言動がいちいちお前を想ってるの丸分かりだし、さっきお前が金魚すくいやってるのも、熱い視線で見ていたぜ」

「……」

「やっぱ、シオリさんか?」

「……」

 クレープを一口。甘いものが得意じゃない僕は、沢山は食べられない。

 最後にクレープを食べたのは、確かシオリと初めてデートで原宿に行った時だ。

 彼女が一緒なら――彼女に不幸さえなければ……

 僕は君ともこの祭りに来ていたのかな。

 どんなに楽しくても、何かが足りない。

「……」

「忘れないのも悪くないが、あの娘だってメチャクチャ可愛くて、いい娘だぜ。あの娘の気持ちも大事にしてやれよ」

「――あぁ」

 そんなこと、わかってるんだよ……

「はぁ……あんな可愛きゃ、男なんかより取り見取りだろうに……お前の秘書なんかやっちまって……不憫な娘だな」

 ユータのぼやきを聞きながら、僕は五時を過ぎて、夕日が沈みかけ、星の出始めた、群青色の空を仰いでいた。


投稿が最高に遅れてしまいました…

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