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Birthday

「あ」

 トモミはふと顔を上げた。

「ご、ごめんなさい、私、一人でペラペラ喋っちゃって」

「いや、いいよ」

 僕はニコリと、今できる精いっぱいの笑顔を向けた。

「トモミさんが何を考えているのかとか、僕は何も知らなかったんだな」

 僕の思い出を語るトモミのその目を見て。

 僕はまた、昨日あまりにも成長していたユータ達を見た時のような気分に陥っていた。

 皆、あの頃の僕のように、目を輝かせてほしいと願っている。再びあの目を取り戻してほしいと願って、この7年間、ずっと僕を見守っていてくれたことが、今日一日を通じてわかったのに。

 疲れきっている僕は、そうなろうと思う気持ちさえ、上手く沸いて来やしない。

 自分の不甲斐なさに――

「イライラする……」

 不意に僕の脳裏と、同じ言葉が耳に入ってくる。

 目の前のトモミが言ったのだ。

「今、自分に対してイライラしてません?」

 そして僕に悪戯っぽく微笑む。

「……」

 図星を突かれて、少し心をくじかれ、言葉が出てこなかった。

 だが、ここで否定するのも、今更みっともないし、観念するように天井を見上げた。

 部屋の窓から、潮騒の音が届く――

「――みっともないな、今の僕」

 トモミの前で、僕は少し正直になっているみたいだ。自分でも、こんなに素直になっている自分は久し振りだと思う。

「トモミさんの人生を変えた僕なんて、もうどこにもいない――君のそんな目を見ていると、今の僕なんかを見せるに忍びないような……」

「人間悪い時は誰でもありますよ。たとえ社長が天才でもね。それに、社長はまだ体も弱っているんだし、今絶好調になれるわけないじゃないですか」

 トモミが僕に優しく微笑みかけた。

「……」

「――なんて」

 そう言ってトモミは、その微笑みを僅かに曇らせた。

「そんなこと言っても、社長くらいの天才だと、そんな風には思えないのかな」

「え?」

 首を傾げる僕を見て、トモミは炬燵に乗っている蜜柑を手に取る。

「私、たまに想像してたんです。私に社長くらいの力があったら、どんなことを思うだろう、って――」

「想像?」

 トモミは手に取った蜜柑の皮を剥かずに、両手で包み込むように弄ぶ。

「だって社長、私達に自分のこと、話してくれないし――かといって、社長は天才過ぎて、私みたいな凡人じゃ、何を考えているかなんて、全然わからないから……だから、社長くらい力があったら、何を考えるんだろう、って、社長のことを分かるには、色々想像するしかなかったから……」

「……」

「もし私が社長くらい力があったら、今の社長みたいに疲れきってしまうまで、何か一つのことをやって、止まらなくなっちゃうかもしれない――何となく、そう思うんです」

「何故?」

「だって、社長の力は凄過ぎるから」

「……」

「社長の力があれば、絶対大人しく、時の流れだけに自分の運命を任せるなんてできないですよ。妥協したり、折衷案で手打ちをすることも――そういう外部的なものを期待するより、自分で動いた方が確実だから。だから一度狙いを決めたことは、とことんやり抜かないと気が済まない。中途半端や妥協は、社長が一番嫌いなことだから。だから、やり抜くまで止まれない」

「……」

「社長くらい力があったら、きっとそんな生き方になってしまうんだろうなぁ、って、私、思うんです。力があるから、自分に厳し過ぎるくらい厳しくて――他人に対して、大きな期待は抱いていない。だから全部責任をひとりで背負い込んで、ひとりだけで頑張り過ぎちゃう」

 そのトモミの言葉に、僕は僕自身も知らなかった僕の本質を見た気がした。まるで頭の中で光が地平線を突き抜けるように、見たことのない景色が広がった思いがした。

 そう――僕は他の人間に、何かを譲ったり、折れて和睦じみた手打ちをしたり――そういうことが昔から今でも嫌いで。

 いつだって我を通す。絶対に引き下がらない。従い服従することは敗北であり、常に自分が正しくありたくて……

「そうだね。そうかも知れない」

 僕は口を開いた。

「全てにおいて、独善的だったかもな……」

「……」

 窓の外から潮騒の音。

「でも、無理もないですよ。それを通せる力を持っているんですもん」

「……」

「それに――どうしても譲れなかったんでしょう?」

「……」

 僕は黙って頷いた。

「ですよね。親友と、心から愛した人のためですもんね……」

 トモミの悲しそうな声が、僕の耳に残響した。

「社長くらいの力があったが、心から惚れた相手を、世界一幸せにしてあげるくらいできなきゃ、意味がなかったんですよね」

「……」

「私は、自分の好きな人が、自分のためにそう思ってくれただけで、もう十分、胸がいっぱいになっちゃうな。ヒラヤマさんも、エンドウさんも、社長のそんな気持ち、ずっとわかっていたと思いますよ。私との手紙でも、社長は頑固なのを知っているから、あいつが満足いくまで、いつでも待つって言っていましたから」

「……」

 沈黙。

「これからどうするんですか?」

 俯き加減の僕は、顔を上げてトモミの目を覗き込む。

「今グランローズマリーに戻れば、社長はきっと世間から、日本屈指の財閥を作り上げた英雄として、祀り上げられるでしょう。そこに戻れば、社長は永久にその力を振るい続けることから逃れられない――誰もが社長に期待を馳せているから。そうしたら、また社長はそうして疲れきって、倒れるまで――いや、今度はきっと、死んでしまうまで、その力を振るい続けなければならないでしょう」

「……」

 そうだな、確かにその通りだ。

「力を振るい続ける度に、社長はひとりぼっちになってしまうでしょう。誰も社長の力についていけない。社長の苦しみを心から共有できる人はいませんから。そして、社長には今まで以上の責任がのしかかる……そこに戻れば、社長はきっと、もう立ち止まることも、迷うことも許されなくなってしまいます」

「……」

 少し前までは、それでよいと思っていた。志に殉じ、道半ばで死ぬ――それも悪くない、と。

 だが、今は……

「――辛かったら、もうやめちゃったらどうですか?」

 僕のぐらついた心に、トモミの提案が押しをかけた。

「だって今の社長、すごく辛そうで……もう見ていられないから」

「……」

「グランローズマリーのことも、シオリさんのことも、社長が一人で背負い込むことないですよ。シオリさんだって、きっと社長が自分への罪の意識を感じて頑張ってくれていたことは、伝わっていると思うし――もう十分だと思います。だから――辛かったら、もう忘れちゃえばいいじゃないですか」

「……」

「――なんて」

 トモミはそう言って自嘲を浮かべる。

「私って、嫌な女なのかな。今私、社長が辛いことを知っていて、社長からシオリさんを引きはがそうとしてる……」

「――いや、君が僕のことを心配してくれているから、その提案をしてくれているってことは、わかるよ」

 僕はトモミをフォローした。

「シオリのこともそう――今、僕自身がシオリのことを思うと苦しいことも、自覚しているし、君の提案の意味は分かっているよ」

 トモミはずっと僕が苦しんでいることを、とっくに見抜いていたのだ。

 今までの僕は、責任感や義務でその苦しみや虚しさから目を背けてはいたが、心の奥底では辛いと思っていたことを、僕以上によく知っていた。

 そこから僕を救いたいという彼女の想いは、もう十分僕に伝わっている。

「――社長、優しいですね」

 僕のフォローを聞いて、トモミは何かほっとしたように僕に微笑んだ。

「じゃあ――私、もっと今日は社長に気持ちをぶつけても、いいのかな……」

「ん?」

「……」

 そう呟いた後、トモミは炬燵の上に、自分の腕時計を置いて、その盤面を覗き込んだ。

「間もなく、10月31日、午前0時0分0秒をお知らせします」

 トモミが不意にそう口にし、炬燵の上に、自分の腕時計を置いた。

「え?」

 いきなり話が飛んで、僕は思わず声が漏れた。

「5、4、3、2、1……」

 トモミが時を刻む。

「社長、26歳の誕生日、おめでとうございます」

 そう言って、トモミは僕に満面の笑みで微笑みかけた。

「え? あぁ……そうか。僕の誕生日か……」

 僕は頭を掻く。

 ここ数年、忘れていたな。誕生日なんて。たまに自分の年齢さえ思い出せなくなることも多く、曜日感覚や、昼と夜の区別もなくなるほど働いていたからな。

「そう、今日から社長が、新しい一歩を踏み出すなら、これ以上の日はないんじゃないですかね」

「……」

「社長がその力も、その業も捨てて、ただの一人の男の人に戻りたいのなら、私もそうしてあげたいと思いますし、そうした方がいいと思います」

「……」

「そう、例えばこんな海が見える片田舎の街に移って、この民宿のご夫婦みたいに――お金も刺激もない、平凡な毎日の繰り返しだけれど、そうして地味に暮らすのも、きっと悪くないですよ」

「……」

「グランローズマリーも、誰かに譲って……何でもいいから、働いて……宮沢賢治じゃないですけど、ご飯を食べて、丈夫な体を作って、何をするでもなくただ笑って生きていけるのが、今の社長にとって、一番いいんじゃないかな、なんて……」


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