Trick
「どうしてこの合宿に協力する気になったの?」
坂を上り、リュートのリードを引きながら、取り合えず僕は横にいる彼女に、別の話をフッた。
その質問も、さっきから僕の肩に、ずっとのしかかっていた。本来、イイジマがどんな筋肉馬鹿でも、教師であれば彼女の合宿参加を許すはずがないからだ。まして、僕が家までエスコートするなんて、おかしな展開になっているし。
「さあ、どうしてだろう……」
隣を歩くシオリは、自転車を押しながら、別の話題をフッた僕の心中を察してか、茶化すように答えた。
きっと彼女も、この話題を長引かせたかったのだろう。彼女も自分の思いを語りすぎて、ちょっと照れているみたいだ。
「……」
しばらく沈黙すると、吐く息がお互い震え、街路灯が白い息を写しだした。リュートも吐息が白く染まった。
彼女が空を見上げたので、僕も暗い空を仰ぐと、真冬の空に氷のような星が白く光っている。子供の頃、本で読んだ星の探し方を思い出して、オリオン座を発見。カシオペア座を確認。冬の星座はそれしか知らないけれど。ペンダントのような三日月が、澄んだ空にこうこうと光って昇っていた。
空を見上げ、言い訳を考えるポーズをとっていると、逆に質問を投げかけられた。
「じゃあサクライくんは、何で私を心配してくれたの?」
これは話をはぐらかされたのだろうか。彼女の正確な真意は読み取れなかったが、少なくとも、閑話休題を提案していることは確かだ。僕はそれに乗ってやることにした。他愛もない会話なんだ。問い詰めるほど焦った質問でもない。
「そりゃ、誰だって心配するよ。まして君みたいな……」
そこで言葉を止めた。クラスメイトに、冗談でも言えることじゃないことが口から出そうだった。
「君みたいな?」
シオリは、俯く僕の顔を覗き込む。
「いや、なんでもない」
僕は目線をそらすように、空を仰いだ。
でも――君みたいな女の子だから、僕はこんな心配するのだろう。他の誰に対してでもない、彼女の鏡のような瞳は、僕に色んな、懺悔にも似た感情を抱かせるから。
まるで、汚い自分が、綺麗なものに触れたような……憧れだったり、嫉妬だったり、そんな感情が、僕の胸でせめぎ合う。
坂を上ると、右手に僕の出た小学校がある。丸裸になっている、骸骨みたいに細い桜の木の枝が、柵の上から外に乗り出して、ざわざわと音を立てて、漆黒の闇に揺れている。
「寒いのか?」
十字路の横断歩道に差し掛かると、少し風が出てきたようで、シオリの吐息が少し震えているようだった。僕達は赤信号に足を止めた。
「これ着ろよ」
僕は自分のスタジャンを脱いだ。僕も体の大きい方じゃないけど、シオリもそんなに背の高い方じゃない。シオリは僕に背を向けて、少し腕を開いたので、僕は着せてやると、スタジャンからはシオリの手が出なかった。薄着になった僕は、すぐに頚椎から冷気が染み渡った。
振り向くと、シオリは微笑んでいた。ありがとう、と言った。
それからしばらく信号が青になるのを、僕はジーパンのポケットに手を入れて待った。
何をやってるんだ僕は。彼女に自分のスタジャンを貸すなんて、何十年前のドラマだ?
自分にダメ出ししてるうちに、彼女が僕の目を覗き込んで、何を思ったか、話し始めた。
「あのね、白状するね」
そう前置きしたシオリは、僕の目を避けるように、目の前の歩行者用赤信号を見ながら呟いた。
「私――この合宿に参加したのは、頼まれたからなの」
「――そりゃそうだろう。イイジマが頼んだんだろ」
「あ、違うの。イイジマ先生じゃなくて・・・・・・」
彼女は僕の方を一瞬向いて、かぶりを振ってから、僅かに沈黙した。すると信号が青になって、僕達は歩きはじめた。足を進め出すと、彼女は前を向いたまま口を開いた。
「エンドウくんと、ヒラヤマくんに」
「は?」
反射的に、僕の喉から、怪訝な響きを纏った息が漏れた。
「どういうこと?」
僕は足を止めて、彼女の目を覗き込んで、率直に訊いた。彼女も足を止めた。
「サクライくん、最近ちょっと悩んでるみたいだけど、あいつは天才だから、あいつの悩みはわからない、って。それで私に、サクライくんの話を聞いてやってくれって。それから二人はイイジマ先生に頼みに……」
「……」
ユータと、ジュンイチが?
――でも、思い当たるフシもなくはない。
ユータの普段は見せないオーバーアクションとか。変に僕と彼女がお似合いであることを強調しようとしていた。そしてイイジマの言動も――変に上ずって、しどろもどろさが露骨に表れていた。
そうか。ユータの奴、だからあんなにはしゃいでいたのか。イイジマがさも思いついたように言った、彼女のエスコートも、初めから裏で定められた出来レースだったのか。
僕は短い溜息をついて、額に手をやった。
「あいつら――大丈夫だって言ったのに・・・・・・」
「そう言うサクライくんが、一番大丈夫じゃない」
間髪入れずに彼女が僕の目をきっと睨んで、言葉を遮った。声が普段より厳しかった。
「一緒にいてわかった。エンドウくん達が心配する気持ちが、少しわかった気がする」
「……」
僕は呆然と立ち尽くして、その言葉の持つ重みを受け止めた。
だからって、心配されると何だか戸惑ってしまう。
心配されてるって、背中をドジョウに舐められたみたいに気持ちが悪い。心配されたところで、家庭内のことだし、誰かがどうにかできる問題じゃないからだ。僕はそれをよく知っている。
だけど、そういうものを排除しようとした、今の生き方が、苦しいなんて――
僕は他人に何を望んでいるだろう。自分の人生に影響することについて、何を望んでいるだろう。
きっと、そういうことを考えたくなかったのだ。そんな不確かなものに期待するほど、悠長な状況に、自分はいなかったし、将来より、現在の状況で手一杯だったから。
勿論他人のことなど考えられなかった。能力がある分、他人任せより自分で動く方が、何をするにせよ、手っ取り早かった。むしろ他人が足手まといになることの方が多かった。小学校の時のように。
でも、歴史小説でも、項羽、関羽、呂布といった、尋常でない強さを持った武将達でも、その勇には限界があった。追い詰められた彼らは例外なく、敵の術中にはまり、最期を遂げた。いわんやそれほど力のない僕は、当然追い詰められている。この考えも、他の選択肢はなかった。ディフェンスに阻まれて、無理なシュートを打つしかなくなったように、僕はそこに導かれたのだ。
道の果ては見えているのに、僕は自ら、自滅の道を掴まされている・・・・・・
「あ、ここなの。私の家」
「え」
僕はシオリの指差す方へ顔を上げる。
「ここ?」
いつの間にか、僕の家を通り過ぎて、目的地に到着していた。