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Sing

 10月30日 PM7:30――


 その僕の一言がきっかけで、海の家『Great oceans road』の前の砂浜は50人以上の人でごった返している。

 漁師の男達が家族と共に、港の市場すで買ったという鍋の材料や調理道具、各家庭で作ったおかずを、持ち寄った。僕達は昼食を摂った民宿から、ありったけのテーブルを砂浜に運び出して、そのテーブルの上は、あっという間に料理でいっぱいになる。話を聞きつけて、海辺の近くの料理屋も料理を運んできたのだそうだ。

「わぁぁ。すっげぇ! こんなご馳走が集まったの、初めて!」

漁師の子供達は、お爺さんの作った鍋に集まって、そのあまりの豪快さに目を輝かせていた。その他にも、大きな姿のままの蟹や伊勢海老、活け造りにされたトモミの釣った魚なども子供の目線を惹いていた。

 皆それぞれが砂浜に腰を下ろし、各々に乾杯して、酒を煽り、料理を味わっていた。

 僕はさっきまで、漁師の奥さん達に握手をせがまれたり、割と周りが慌ただしかったけれど、ようやくそれがひと段落して、リュートと一緒に砂浜に座り、鍋を口にする。見栄えはよくないが、何とも言えない出汁が出ていて、とても美味い。体も温まって、それが僕を満ち足りた気分にさせた。

 リュートも発泡スチロールの椀に、自分の分の食事が用意されていて、ゆっくりと行儀よく食べている。

 砂浜のそこかしこに笑い声が響き始める。漁師達が夜の漁で使うための電灯を船からいくつか持ってきて、砂浜は真昼のように照らされていた。

「はぁ……疲れたぁ」

 僕の隣に割り箸を持つトモミがやってきた。さっきまでずっと増えた材料と格闘していて、その後は来た人間に鍋や刺身などを振舞っていて、ようやくそれがひと段落したらしい。

「トモミさんの分、取っておいたよ。この鍋、最高に美味いよ」

僕はぶつ切りの魚の身がたっぷり入った味噌汁の入った椀と、刺身や天ぷらの乗った皿をトモミに差し出す。

「あ、ありがとうございます――」

トモミは少し遠慮がちに会釈して、椀を受け取り、僕の隣に座った。そして、いただきますと手を合わせて、器に口をつけて、出汁を口に含んだ。

「美味しい……」

トモミはさっきまで自分も調理していたのに、初めて食べた味のように、目を丸くした。トモミの体が温まった分、トモミの吐息が白く染まった。

「僕は帰りの運転があるから飲めないけど、トモミさんは飲みたければお酒も飲んでいいよ」

 僕は箸で魚の切り身を口に運んで、軽く口を動かしながら、持っている椀を下げた。

「でも、トモミさんには今日、申し訳ないことしたね。一日僕に振り回しちゃった上に、料理もこんなにやらせちゃって」

「いえ、全然」

 トモミはかぶりを振った。

「こうしてついてこなかったら、こんなに魚を釣るなんて経験も、こんな料理を食べるなんてことも、こんな見知らぬ人たちと宴会するなんて経験も出来なかったし。すごく楽しかったですよ」

「……」

 トモミは星空を見上げる。

「私――グランローズマリーに入ってから、確かに社長に振り回されっぱなしでしたけど、その分自分じゃ経験できない色々なものをいただけましたから。自分一人じゃ見られない景色とか、初めて感じた気持ちとか――だから私、社長の秘書になったこと、後悔したことなんてないですよ、本当に」

「……」

 トモミのその言葉が、僕の脳裏に、さっきのシオリの7年前の肉声を呼び起こす。

 テープの中のシオリは言っていた。私はあなたを愛している。こんなことになっても、あなたに恋をしたことを後悔していない、と。

 ――その言葉を聞いた時、そんな彼女を殴ってしまったことへの慚愧の念が沸きあがると共に、濁流のような歓喜が僕の心を満たした。

 この7年、誰一人として幸せにしてやることのできなかった僕。誰かを際限なく傷つけては、その痛みに日ごと鈍くなっていく自分に苛立っていた僕に、そんなことを言ってくれる人がたった一人でもいてくれたという事実が、とても嬉しかった。

 最後の『ありがとう』という言葉を聞いた時、思った。

 誰か一人でもいい。その言葉をこの7年間、ずっと言ってほしかった。グランローズマリーのCEOとしての僕にではなく、ただのサクライ・ケースケのために言ってくれる人を、ずっと求めていたのだと知った。

 シオリは嘘のつけない女の子だ。誰かに自分の気持ちを伝える時は、口下手なのに、一生懸命に言葉を紡いでいた。

 そんなシオリの口から洩れた言葉なら、僕は今でも信じられる。

 いつもシオリはそうだった。僕が辛い時、欲しい言葉をいつもくれて、僕を励ましてくれて。

「……」

 ――もうそれだけで、十分じゃないのか。

 たった一人でも、それが短い間でも、僕といた時間で幸せな気持ちになってくれる人がいて、ありがとう、と言ってくれた。

 その一言で、十分じゃないのか。

 僕はそんな彼女を殴って、酷い手紙を一方的に送りつけて、ろくな説明も謝罪もなく、彼女の前から姿を消した。

 そんな僕が、彼女にこれ以上を求めてしまうのは、身勝手じゃないのか。あんなことをしても僕を未だに待っているなんて……

 それ以上を求めたら、それはただの僕の身勝手じゃないのか。

「……」

 僕は隣にいる、トモミの横顔を窺う。

 トモミの今言った言葉が、7年前のシオリの言った言葉とほぼ同じだったことに、僕は少しふらつくような戸惑いを覚えていた。

 僕とシオリの道は途絶えてしまったけれど、トモミとなら、その道の続きを歩けるのだろうか。

 7年前のシオリは言っていた。どうかあの頃の、私が好きになったあなたに戻ってくれ、と。

 トモミと添い遂げて、7年前の僕に戻れるかはまだわからないが――

 そうすることが、シオリの想いに対して、僕ができるせめてもの償いにはならないだろうか……

 今更僕が彼女に会いに行くよりも、その方が……

「社長?」

 トモミが僕の視線に気づいて、首を傾げる。

「あ、ああ……」

 ふいに視線が重なって、僕は一瞬どきりとした。

 夜の砂浜を照らす光を受けたトモミの目が、とても澄んでいて。

 そんな彼女の美しさを、ふいに感じてしまった。

「わははは! じゃあ次、俺の歌を聴いてくれ!」

 笑い声が砂浜に響いて、僕達は自然と首をそちらへ向ける。

顔を上げると、漁師やその家族達も、皆集まってそれぞれ盛り上がっている。歌を歌いだすもの、ふざけて踊り出す者もいて、どんちゃん騒ぎが始まっている。

 そんな風景を見て、僕の心は郷愁に包まれる。

「――こういうの、懐かしいな」

「懐かしい?」

「昔はエイジ達と、よくこうしてどんちゃん騒ぎをしていたなって、思い出して」

「そうなんですか……」

 トモミの声が、少し寂しさを帯びるのを感じる。

「……」

あの頃、いつも僕はユータやジュンイチ、エイジ、マイ、そしてシオリとこうして騒いでいた。

楽しいことを皆で分け合って、力を合わせて、いつだって笑っていた。

「……」

僕はさっき車から持ってきて、傍らに置いていた、メンテナンスをしたばかりのアコースティックギターを引っ張り出した。

目の前には、漁師が酒に酔って、調子はずれな声を張り上げて、昔の流行歌を歌っていた。

僕はギターを構えて、静かに弦を掻き鳴らし、その曲に合いの手をワンフレーズ奏でる。

ふいに響いたギターの音色に、周りに集まった人々はざわめいて、僕に一斉に視線が向けられる。今まで歌っていた漁師も、ふいに声を止めた。

「あ……」

僕も歌が止むとは思っていなくて、少し戸惑う。

「す、すいません、知っている曲だったんで、少し合いの手を入れようかと思ったんですけど……」

僕は照れくさくなって頭を掻いた。

7年前の僕も、昔はこうして仲間達と集まって、宴をして。

その時、僕はいつだってこうしてギターを鳴らして、皆で歌を歌った。

あの頃と同じことをしてみたら、僕はまた、笑えるのだろうか……

そんな思いに駆られて、思わずギターを手に取っていた。

「おおおおおお!」

しかし、目の前のギャラリーたちはどよめきを上げる。

「さ、サクライさんがそんなことをしてくれるなんて!」

「お、俺達じゃそんなのもったいない! サクライさん、俺達に合いの手なんかより、よろしければ一曲披露してくださいよ!」

漁師達がわずかに恐縮しながらそう言うと、ギャラリーが賛同の拍手でその意見を後押しした。

「……」

――何だこれ。折角のいい雰囲気に乱入して、後に引けない状況になっている。

――だが、まあいい。

さっきからシオリのこと、トモミのこと、僕のこと――整理をつけようと頭は回っているのに、どうにもくさくさした気分が抜け切れない。

――久し振りに感情を吐き出すように声を張り上げるのも悪くない。

僕は宴席の中央に、リュートと共に歩を進めて、宴席のギャラリーをぐるりと一瞥してから一礼し、ギターを構え直して、歌を歌った。

中国に渡って、西へと旅をしていた頃、こうしてギターとブルースハープを携えて、歌を歌っては流れ歩いた。その頃のように。

その時の僕にとって、音楽とは果てない家族への怒り、そして友や恋人を守れなかった自分の弱さに対する憤りのはけ口に過ぎなかった。

だが――今は? そして、7年前は?

それを今の僕は、はっきりとは感じられないけれど。

ただ、久々にこうして何も考えずに声を上げるのは、気持ちがいい。

そんな爽快感を残して、披露した一曲を僕は締めくくった。

ほとんど周りを見ずに弾いた曲の、最後のワンフレーズを奏で終わると、僕はふう、と息をついた。

「おおおおおお! いいねいいね!」

「おにいちゃん、歌上手―い」

改めて前を見ると、今まで砂浜に腰を下ろしていたギャラリーが総立ちになって、僕に拍手を送っていた。

「もう一曲! もう一曲お願いしますよ! サクライさん!」

漁師達は大盛り上がりである。ナオキやミチルも僕に笑顔で拍手を送っていた。

そして。

僕の傍らにいたリュートは、さっきまで僕の被っていたニット帽を口に咥えて、おひねりを貰おうと、ギャラリーの中をゆっくりと行ったり来たりしはじめる。

「あらあら、サクライさんのワンちゃん、おひねりをちょうだいってやってきたわよ」

「こ、こら、リュート……」

僕は慌ててリュートに駆け寄る。これはストリートミュージシャンをやっていた時に、リュートに仕込んだのだ。僕がおひねりを要望するよりも、こうして犬のリュートが催促に行くと、思わず冗談半分でおひねりを入れてくれる客が増える、と考えて。

リュートの奴、この場でジョークをかますとはな……

しかしリュートの咥えたニット帽の中には、ギャラリーが次々に小銭を入れていく。

「ははははは!」

そんな様が可笑しくて、皆で大笑いした。

「……」

「あら、タケル」

 ふと、ミチルの声が笑い声の中聞こえ、顔を上げると、堤防に設けられた階段から、砂浜へと降りてきた背の高い少年の姿を、僕の目は捉えた。

 大きなスポーツバッグ、学生服、髪の毛は高校の頃の僕と同じくらいで、前髪が目にかかり、襟足が制服のカラーにかかっている。ミチルの血を引いたのか、背も高く、顔も端正だ。

 少年の目が、僕を捉えて離さなかった。

「あ、タケル。お帰り」

 ミチルが言った。

「おお、タケ坊じゃないか。今日もサッカーだったのか?」

 地元で顔見知りらしいギャラリーたちも、その少年に陽気に声をかけた。

 しかし少年は、しばらく僕の方を見て狼狽していたが、ふっと目を僕から逸らして、ミチルの方を見た。

「――母さん、すごい客って、もしかして……」

「あはは、驚いた? ケースケくんよ。サクライ・ケースケくん。あんたの憧れの」


この物語にある、海の家「Great oceans road」。

知っている人もいるかとは思いますが、これはオーストラリアにある実際の地名です。

作者はミスチルファンなのですが、ミスチルの「tomorrow never knows」のPVが、このグレートオーシャンズロードで撮影されているのを見て、印象に残るPVだったので、名前を拝借しました。

見たことがない人がいたら、是非どうぞ。

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