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Beach

 ――10月30日 PM1:00


 途中、サービスエリアで少しの休憩を挟んで高速道路を降り、一般道をしばらく走っていると、右手のガードレールの向こう側に、緩やかな坂道に作られたコンクリート製の堤防の向こうに、太陽にキラキラと波間をきらめかせている海と、真っ白い砂浜が見下ろせる道路に差し掛かる。

「わぁ」

 僕の車は左ステアリングだから、トモミの座る助手席からは、その絶景がよく見えるはずだ。僕はそんなトモミを見て、少し速度を落として、その景色をゆっくり楽しませてあげることにした。

 とても天気がいいし、ポカポカした日差しが降り注いでいるが、もう海水浴のシーズンも過ぎている上に平日だ。海岸には地元の老人が、小型犬を引いて散歩をしているが、メランコリックな雰囲気に浸りたいのか、ただ海岸に一人三角座りして、段になって打ち寄せる波をただ見ているだけの女性がいる程度だ。実際の海にはサーファーとウインドサーファーが7:3くらいの割合でいるが、数は少ない。風が弱く、波も低いため、いい天気ではあるが、海が穏やか過ぎて、マリンスポーツにはあまりよくない天候だからだ。

 スポーツ全般を得意とした僕だけれど、水泳だけはほとんど経験がない。親や友達と市営プールや遊水施設に行くような経験をしてこなかった僕は、いまだに水泳だけは若干苦手意識がある。そんな僕からしたら、何故11月になろうとしているこの季節に、海に入ろうなんて奴がいるのか、信じられなかった。

 やがて道路は左に大きくカーブしだし、そのカーブの突き当たりに設置されたテトラポットが、僕達の眼前に広がった。

「到着だな」

 僕はそれを見て、カーブを曲がって、近くにある、海へ来たサーファーなどが車を止める、小さな青空駐車場に車を止めた。

 僕とトモミ、リュートはそれぞれ車を降りて、さっき見たテトラポットを登って、その向こうに広がる海岸へと降りた。おろしたてのスニーカーがまだ足にしっくりきていなくて、ごろごろしたテトラポットは少し登りづらい。

 こちらの砂浜にも、腰を下ろしてボードにワックスを塗っているサーファーなどがちらほらいるが、一面見渡しても、海にいる人間は僕達を含めて10人いるかいないかといった、閑散とした感じだった。

 僕達の後方には、海風を防ぐためか、フェニックスの木が道路の横に等間隔に植えられている。潮風に葉のこすれる音が僕達の耳に届き、フェニックスは小さく揺れていた。

 風は弱いが少し冷たく、僕は服を買い替える前に着ていたトレンチコートを羽織っていた。

「寒くない?」

 僕はついてくるトモミに訊いた。トモミも僕が服を買ったのと同じ店で服を着替えていた。茶色のもこもこしたドルマンスリーブのカーディガンに、赤いストールを羽織っていた。見た目は暖かそうなのだが、お互いこんな所に行こうと思って買った服ではない、街を歩くような服だったので、少し心配だった。

「大丈夫です」

 トモミは僕に笑って見せた。だが、その笑顔は僕に気を遣わせないために、彼女が空気を読んだのかもしれない。彼女が寒そうな素振りをしないか、しばらく様子を見ようと思った。

 潮騒の音に砂を踏む音がかき消されながら、僕は防波堤の上からは影になって見えなかった、一つの建物の前に来ていた。

 木造の、僕の記憶では白のペンキで塗装された木造の家は、ピンクをベースに青い空や海、砂浜にそれを囲う緑と、トロピカルな彩りに変わっていた。家の周りを覆っていたツタは二階部分に少し残るだけで、全体的にすっきりとした外観に変わっていた。

「随分変わっちゃったな……」

 僕は顔を上げ、二階部分に立て掛けられる、二本のヤシの木の間に書かれる英字の店名を見た。

「Great oceans road?」

 横にいるトモミが看板を読み上げる。

「……」

 さすがにシーズンオフだから、海の家はやっていない。店は入り口に鍵がかけられ、人の気配がない。店の奥は居住地になっているはずだが、まだ昼とはいえ、明かりが見えない。

「留守みたいだな……」

 僕は後頭部に手をやる。

 その時、リュートが一度だけ、ワンと吠えて僕を呼んだ。ふとリュートのいる先――店の横を見ると、雨ざらしにされた黒板を見つけた。チョークでポイントごとの水温や風向き、波の高さなどが記されている。サーファーに宛てた今日の海の状態らしい。

「もしかして、これに行ってるんじゃないですか?」

 トモミが店の横の立て看板を見つけ、僕を呼ぶ。

 お一人から、親子、年齢制限なしで懇切丁寧に教えます、という文句を謳う、サーフィン、スキューバダイビング教室の案内だ。

 そういえば言ってたな……海水浴のシーズン以外は、サーフィンやスキューバを教えているって。

 こんな水温の低い海じゃ、初心者を教えられるわけないし、多分近くの温水プールかどこかに行っているのだろうか。

「そうか……じゃあしばらく時間を潰すか」

 僕はトモミの方を向く。

「お腹空いてる? もう昼時だし……どこかで食事にしようか」

「多分今行っても混んでいて落ち着かないと思いますよ。少し時間をずらしましょうよ」

「そう? じゃあそうするかな……」

 僕はコートのポケットに手を入れて、海を見る。

「あの、社長。何でもう冬なのに、海に来ようと思ったんですか?」

 トモミがそう聞いてきた。

「あ、いえ、別に嫌だってわけじゃないんですけど」

 トモミがそう思うのももっともだ。

「ここは……7年前、僕が日本を出る前、最後にいた場所なんだ」

「え?」

「……」

 僕は踵を返す。

「何かあったかい飲み物を買ってくるよ。ちょっと待ってて」

 そう言って、僕はリュートと一緒に、海の家のすぐ近くの自販機で、温かいコーヒーとミルクティーを買った。そしてトモミのところへ戻り、ミルクティーの缶を渡した。

 僕は砂浜に腰を下ろした。

「トモミさんも座ったら?」

僕がそう言うと、トモミもゆっくりと砂浜に腰を下ろした。

 僕は缶コーヒーのプルタブを開けて、一口飲んだ。温まった息が白く染まった。

「あの時――僕の家族は金欲しさに、僕の承諾なしに、プロのサッカーチームに契約をした。僕はそれを拒んだら、家族に違約金が発生して……僕を退学させて、契約させたチームに無理にでも入団させようと、学校にやってきた」

「……」

「それを止めてくれようとしたユータやジュンイチは、親父に殴られて……最後にあいつは、僕の一番大切なものを、僕に見せ付けるためだけに傷つけた……」

「――シオリさん、ですよね」

「……」

 トモミの前で別の女の話をするのも気が引けて、形容を回りくどくしたが、トモミは僕の一番大切なものが何であるか、もうわかっていた。

 誰かにこの話をするのは初めてかもしれない。7年経った今でも、口に出せば当時の怒りが鮮烈に蘇り、平静を保つのが困難になる自分がいた。

 多分、この怒りは一生消えないし、親父達家族を一生許す気もない。

「それで僕は壊れちゃって……親父を半殺しになるまで殴った――いや、シオリがああして止めてくれなかったら、僕はあの場で親父を殺していたと思う」

「ああして?」

「あの時――彼女は僕を止めるために、親父の間に入って、僕に殴られたんだ――」

「え……」

 僕がシオリを殴ったということがショックだったのか、トモミは声を漏らすと、しばらく押し黙った。

 僕の胸も、このことに触れたことで、ざわざわした。

 沈黙。

「それで僕は正気に戻って、自分が何をしたのかわからなくて、気が付いたら教室を飛び出して。リュートを連れて自転車を飛ばし続けた。気が付いたら、この海に来ていたんだ」

 僕は隣に座るリュートの頭を撫でながら、体をねじって、背後にある海の家を見た。

「次の日目が覚めたら、僕はこの海の家の人達に助けられて……そのままこの海の家で住み込みで働いたんだ」

「本当だったんた……あの時、社長が失踪してからしばらくして、千葉の海にいるってネットで噂が流れていたから」

 トモミが言った。帰国してから知ったことだが、あの頃僕の噂でネット上はかなり荒れたらしい。僕を警察に引き渡すとか、民衆を騙していたからと、僕の殺害予告まで出たらしい。

「そう。騒ぎが大きくなった時に、僕に客があって……高校の校長が、高校に戻る用意は出来ているとも言ってくれて、サッカー協会の人達は、僕に好条件でのサッカークラブ入団話を持ちかけてくれた。だけど僕は断って、旅に出ることにした……」

 そう。あの頃の僕は、どんな理由があろうと、実の親を殺しかけた。そんな僕が大手を振って、表舞台に出るなんて真似は、たとえ世間が許しても、僕がそれを許せなかった。

 それに、心に燃える復讐の炎は、僕の中で消えることはなかった。僕は自らの手だけでこの復讐を成し遂げなければ気が済まなかったんだ。

「あの頃はそれでいいと思った。それしかないと思った。僕を慕ってくれた、僕を信じてくれた人のために、何か報いるには、僕の手で家族を裁き、自分が皆の目の前から消えるしかないと思ったんだ」

「……」

「だけど――昨日、二人に会ってみてわかった。誰も僕に復讐なんて望んでいなかった……もしかしたら、迷惑をかけてでも、あいつらの許へ戻っていればよかったんじゃないかって。結局僕は、あの時、何も見えていなかった。何もわかっていなかったんじゃないかって……」

「……」

 昨日、ユータ達から、僕と道が別れた後の、彼女の悲しみを知った。

 あの時は、これ以上僕達は一緒にはいられないと思った。家族があの通り、外も歩けない状態なんだ。僕のことを面白おかしく叩きたいマスコミが山程いるのもわかっていた。彼女にも、同じ苦しみを味あわせるわけにはいかないと、そう思ったんだ。

「――だから、もう一度あの頃のことを見直して、過去に僕自身が行ったことの何が正しくて、何が間違っていたか、答えを探したいと思って、ここに来たんだ。ここで過ごした日々のことを思い出していけば、もしかしたらこれから僕がどうやって生きていくべきなのかの答えも出るかも知れない。そう、思ったんだ」

 ユータ達に言われた。これからお前は、もっと笑って生きられる生き方を探せ、と。

「……」

 でも――ひとりでは、見つけられない……

 復讐以外、何も考えていなかった僕が、過去を振り払う方法も、笑う方法も、誰かを幸せにするやり方も……

 自分とは何なのか。僕がこの先、何をして――何を守って生きていくのか。

 その答えが、どうしても見つからないんだ。

 まだ僕自身が、過去を清算しきれていないから。

 トモミとシオリのことについても、僕自身のこれからについても、まずはそれを乗り越えなければ、答えが出ない。

「……」

 ――今、僕は、トモミの愛によって、生かされているのかもしれない。

 がむしゃらにやってきた7年間の想いと研鑽は、僕自身の崩壊で一気に瓦解して、もう僕の支えになるものは何も残っていないはずだったのに。

 トモミの告白――彼女の想いにどんな形であれ、しっかりと答えを出して聞かせてやらなければならない。

 その思いが、僕に今、こんなところに来させている。

 彼女がいなければ、ユータ達に会うこともないまま、僕はそのまま何もせずに朽ち果てていたかもしれない。

 それが、今すぐ笑って生きていけるようにはなりはしないが、まずはそこから、と、多少前向きな思いを抱いているとは。

 ここに来て、トモミの愛に対する答えも出るだろうか。

 その答えを得て、トモミの愛を失ってしまった時、僕は耐えきれるだろうか。


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