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Holiday

 ――10月30日 AM10:00


 僕はネクタイを締めずにジャケットを羽織って、黒のトレンチコートを羽織り、ギターケースを持って、トモミとリュートと一緒に家を出た。

 僕のすぐ横――若干斜め前にリュートが僕と同じ速さでついてくる。それを見ると、妙に自分の歩き方がしっくりくる感じがする。旅をする間、こうして何百キロも一緒に歩いたから。

「この近くに、楽器屋なんてあったかな……」

「ありますよ、確か向こうの通りに」

 ギターも、日本に帰ってきた頃は、たまに気晴らしとして弾いていたが、エイジたちと会社のインフラを整え、トモミ達を会社に大量採用し、一気に攻勢に出た頃からは一度もケースから出していない。

 当時ほとんど金もない頃に買った、メーカーも知らない、一番安いギターだ。多分下手に修理をするなら買い換えた方がいいようなガラクタだが、旅の間の愛着もある。

 僕の住んでいるマンションは駅から程近く、その周辺はビルの立ち並ぶビジネス街だ。だけど僕のマンションから駅に背を向けるようにして歩くと、僅かに上り坂になった閑静な通りが続いていて、そこには小さなブティックやオープンカフェ、雑貨屋や美容室などが連なる落ち着いたショッピングストリートになっている。

 車の通りも少なく、静かだ。小型犬を二匹連れたおばさんとすれ違う。歩いていると、どこかから焼きたてのスコーンの匂いがする。白と赤のタイルを並べた石畳に、歩道に等間隔に植えられた、葉を黄色く染めた銀杏の葉が時々はらはらと風に舞って落ちて、何だかノスタルジックな気持ちになる。

「日本に帰ってから、こうやって普通に街を歩くこと、なかったんじゃないですか?」

 僕の横を歩くトモミが効く。

「――こっちの道に来るのは初めてだね」

 いつも会社と家の往復――たまに家の近くのバーかスーパーにしか行かないから、この街に住んで2年なのに、まるで土地勘がない。

「私はたまにこっちも来ますよ。会社から近いですし」

 僕の横を歩くトモミが言った。

「ビジネス街にあるからか、おすすめの店がいっぱいあるのに、穴場なんです」

「――うん、静かでいい感じだね。こういう雰囲気は好きだよ」

 慌ただしい場所にいることが多かったせいか、僕はどこかでこういう静かな場所にいることを強く望みたがる傾向が昔からある。

「だけど、随分長いこと、こんなにのんびりしたことないから、何だか逆に変な感じだよ」

 僕はそう口にする。

「休日か――休日って、何をすればいいんだろう」

 僕はこの道を歩きながら、ふと考えていたことを口にする。

「トモミさんは、休みの日とか、何をしているの?」

「私ですか? うーん……色々ありますけど、晴れた日はこうやってウインドウショッピングしたり、話題の映画観たり、東京ウォーカーとかで特集してたスイーツ食べに行ったり――雨が降っていると、家に買い貯めた本を読んだり、手間のかかる料理に挑戦したり、部屋の掃除をしたり――そんな感じですかね。まあ、普通ですよ」

「……」

 普通、か……

 そうだよな。普通は皆そうなんだ。友達がいて、余暇があって……僕達はもう25で、やりたいことは何だって出来る。

 ユータも、ジュンイチも、トモミも……自分の人生を自由に彩っている。仕事をして、休みの日に遊んで、やりたいことをやって……

 僕一人が、やりたくもないことをずっとやって生きている。その結果、僕は自分の命にさえ意味を見失ったんだ。

 僕はいつの間に、本当の自分を見失っていたんだろう。日本を出た時からずっと……僕は彼女の教えてくれた本当の僕を忘れないように、言い聞かせていたはずなのに。

「7年前に僕が日本を出た頃には、まだスイーツなんて言葉がなかったな……エイジに、スイーツって何? って聞いた記憶が……」

「今は男の人もお店でスイーツを食べるのも珍しくないんですよ。社長、今度一緒にケーキ食べに行きません?」

「そうなの? 恥ずかしくない?」

「社長、雰囲気はフェミニンなんだから、ケーキとか似合うと思いますけど」

「そうかな」

「男一人でスイーツ食べるのと、女装して一人で食べるの、どっちが恥ずかしいですか?」

「――どんな質問なんだ、それ」

「えー? 私、一度社長に女装をやってもらいたいんですよね。絶対可愛いもん」

「――そのネタはもう経験済みだよ」

 何で皆、僕に女装をさせたがるんだ……

「あ、楽器屋があるな」

 僕は歩きながら、楽器店という看板のついた店を発見する。

「この通りに、服屋はいくつかあったし、ギターをメンテしてもらっている間、服を買うか……」



「ふふふ……」

 トモミはフィッティングルームから出てきた僕を見て、可笑しそうに笑った。

 ジーンズに、ピンク色のインナー、チェック柄のニットジャケット。頭にはポンポンのついたニット帽を被っている。

「――ていうか、君が選んだ服じゃないか」

 僕は笑っているトモミに頬を膨らませてみせる。僕はトモミの見立てで選んだ服をとりあえず着てみたのだ。

「ごめんなさい――でも、社長って普段いつもスーツとトレンチコートみたいな、かっちりした服着てるから、そういうモコモコした服とか、ピンクとか着てほしかったんですけど……」

「……」

 どうやら、トモミの知っている僕と随分イメージの開きのある格好だったらしい。

「でも、こういう格好させると、改めて社長って、あの頃と全然歳取ってないですよね。その格好なら、まだ高校生でもいけますよ」

「――それって、褒めてるの?」

 僕はニット帽を脱いで、フィッティングルームの前にあった、全身を写す立鏡で自分の姿を確認した。

 でも、確かに自分でも、ジーンズを履いた自分に違和感を覚える。こんな恰好を最後にしたのは、フランスにいた頃だったかな……

「でも、社長はこういう服、着慣れないですかね……もっとジャケットとか、綺麗目の方が好きですか?」

 トモミが僕の不満そうな表情を見て訊く。

「――いや、これでいいよ」

 僕は一つ頷いた。

「え? 何で? 不満そうだったのに……」

「正直ピンクとか着るの恥ずかしいし、似合っているかどうかわからないけど――いつもスーツみたいな服着てるし、たまにはこういう緩くまとめるのもいいかな、って。ユータ達と会って、僕は少し物事を固く考えすぎていたのかもしれない、もう少し肩の力を抜いてみようかな、って、思っていたんだ」

 そう言って、僕はトモミの目を覗き込む。

「それに――あなたに今日は心を開くって意味合いも込めて、こういう隙だらけっぽい服を着ようかな、って……」

 ――そう、僕はトモミに対していいことをしたなんて思ってはいない。返事を待ってもらったのだって、彼女の心の広さに甘えているだけだという自覚はある。

 だから、待ってもらっている以上は、彼女としっかり向き合う義務があると、また勝手に僕は思い込んでいるし、それが僕なりの誠意であると思っている。

 そういうことをちゃんと一日意識するのに、何か形にできればと思っていたんだ。スーツを着て、仕事に一心不乱に打ち込んでいた今までの僕は、一種の武装をしていたわけで――その武装を一度解いてみようと思ったんだ。

「ふ、ふふふ……」

 でも、その言葉を訊いてトモミは、ふいに笑い出した。

「――どうして笑うの?」

「――だって、そんな決意表明するって、社長ってやっぱり真面目だなぁ、って思って。すごく頭いいのに、やり方が子供っぽいし」

「……」

「でも――そうやって不器用だけど、いつも一生懸命何かと向き合おうとしている――そんな社長が、私は好きなんです」



 トモミも着ていた服はスーツだったから、僕と一緒に服を買い替えた方がいいと思って、今度は僕が服をコーディネートした。茶色のもこもこしたドルマンスリーブのカーディガンに、赤いストール、丈が少し長めの白いスカートにブーツで、僅かに絶対領域がある。

 服を選んでいる間に一時間くらい時間が潰れたので、楽器屋に戻るとギターのメンテがちょうど終わっていた頃だった。ずっと弦を張りっぱなしにしていたせいか、ペグ、ナット、ブリッジの部分の修理をしてもらっていた。平日の昼間だからか、他の客もいないおかげで、すぐに仕上げてくれたらしい。

 それから楽器屋のあった、緩やかな坂の通りを登っていくと、すぐに通りの終点に出る。もうそこは、僕が住んでいた部屋から見てすぐ隣の駅がある場所だった。

道の車線も増え、車の往来も激しく、大きな建物が増えはじめる。東京の人の流れは速いけれど、通勤通学ラッシュを過ぎたから、まだ幾分マシだ。

 僕は電車をあまり利用しないから、駅前に来るのも久しぶりな気がした。僕が日本を出ていた5年の間に、東京の地下鉄は2つも増えている。多分今電車に乗ったら、きっと迷うだろう。

 僕は適当にあたりを見回してみる。まだ準備中の札のかかる居酒屋、何故かこの時間に制服を着た女子高生が入っていくハンバーガーショップ。スーツ姿の男性がマイタンプラーを持って出てくる喫茶店や、割引クーポンを配っている漫画喫茶――

 その中で一つ目を引いたものがある。

 礼服のような白シャツ黒ベストという制服に、赤いハッピを着て、黄色いメガホンを持って客を呼び込んでいる。

 パチンコ屋の店員だった。

 そういえば……親父の部屋にはパチンコ雑誌が山のように積んであったな……僕ももう、パチンコが出来る年齢になっていたのか。

「もしかして……パチンコやるんですか?」

 トモミに聞かれる。

「僕くらいの歳だと、大体一度は経験するのかなと思って」

「あぁ……男の人だと、そうかもしれないですね。でも……社長って、ギャンブルのイメージがまったくないですね」

「そうかな……」

「うん、だって赤ペン持って競馬新聞見たり、パチンコの雑誌を見て研究したりしている絵が……想像するとちょっとおかしいし……」

 口元に手を当て、くすっと笑う。

「博打嫌いなら、海外に出て無計画な旅なんかしないと思うけど……これでもユータ達はよく賭けをしたんだ。500円とかで……」

「ふふ、可愛い」

 トモミに笑われた。

「……」

 もう僕は、7年前に日本を出た頃の子供じゃない。もう何でも出来るんだ。パチンコも雀荘も風俗も、何でもできるようになっているんだよな。

 親父だって、母親だって、パチンコやら酒やら習い事やらをしていた。きっと誰もが、現実を忘れて何かをする瞬間があるし、それは人が生きる上で、必要なことなのだろう。

 だが――今の僕が求めているものは……

 群衆と騒音に紛れて、他の有象無象の人間達の一人になって、安らぎを得ていても、今の僕はきっとずっとはそこにいられないだろう。

 今の僕は酷く疲れていて、特別何かしたいと思うこともないけれど。

 そんな僕でも、多少の焦りはあるんだ。

 こんな自分にも、自分を信じてくれる人がいる。

 何とかそれに報いる道を探したい。今までのようなやり方ではなく、新しいやり方――新しい僕自身の答えを見つけなければならない。

 何かが――胸の奥に潜む何かが僕を呼んでいる。

 今の僕の居場所はそこじゃない。僕には今、やらなくちゃいけないことがある。

 その思いが、どこから沸いてくるかもわからないけれど、僕はその思いに駆り立てられる。

 今までは、その思いの中心に、いつも彼女が――

 マツオカ・シオリがいたんだ。

 そして――

 高校時代、僕はマツオカ・シオリと寄り添いながら生きていた。だけど僕は当時、彼女のその清廉な心を、どう扱えばいいのかわからなかったし、その器量もなかった。

 多分今もそうなのだろう。僕は今も彼女の真実がわからないままだ。

 トモミのことが気になり始めている今でも、シオリと過ごした日々は、僕にとって忘れようもない時間だ。彼女の一緒にいられた時間は、僕の人生で最も心身共に充実していた。

 そんな時間を僕に与えてくれたシオリに、感謝の念はずっと抱いている。

「……」

 彼女が存命なら、僕はともかくユータ達には便りがあってもいいはずだ。ユータ達にも頼りがないということは、彼女の雲隠れには、僕を恨んでいるとかだけではなく、何かある気がした。

 両親の倒産もある。いくら彼女が生真面目な性格でも、彼女なら家族を苦況から救うためなら、僕のところに来て、家族を助けてくれと頭を下げに来る可能性だって十分にある。

 彼女が僕に会いに来ないのは、彼女はもう、僕とは違う別の道を歩みはじめたという意思表示のようにも思えるんだ。あれで結構頑固な娘だ。何か理由がある。

 彼女が僕に会いたくないと願うなら、それもありだと思う。

 夢の中でも彼女は言った。私のことは忘れて、あなたは生きて、と。

 だが――そんなことが上手くいくと思うか?

 そう思うのは、僕のエゴだろうか……もし彼女が何か強い意志を以て僕達を拒んでいるとしたら、今の僕の思いは、彼女の何に応えられるだろう。

 今の僕は、シオリをどう思っていて――どうなりたいと思っているのだろう。

「そうだ。あそこへ行ってみるか……」

 僕の脳裏にある場所が浮かんだ。

 彼女の想いを汲み取る前に、あそこへ……

 折角の休みだ。一度僕自身を見つめ直す旅といくのも悪くない。

「トモミさん、少し遠出したいんだけど、大丈夫かな」

「遠出って……どこに行くんですか?」

「ん? ちょっと、昔少しだけ過ごした場所にね……」

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