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「――何だか、釈然としないな」

 トモミのことを考えている思考に、ジュンイチの声が響く。

「トモミさんがすごくいい娘だってことも分かっているし、トモミさんを応援したい気持ちもある。ケースケがシオリさんを捨てて、トモミさんと幸せになるのも、別にそれはそれで、今よりずっとずっといいことだと思うよ」

「……」

「だけど、俺にとっちゃケースケもシオリさんも大事な仲間だから、二人には幸せになってもらいたいよ」

「――俺も同じだよ。トモミさんに肩入れしたい気持ちもあるが、俺も付き合いの長さから言えば、シオリさんに味方しちゃうだろうな」

 ユータの声。

「だが、それを強制はできないよ。ケースケだって今相当きついと思うぜ。あいつ、義理堅いから、これからシオリさんとトモミさんのことで相当迷うだろう。シオリさんを選んでも、トモミさんを選んでも、心に少しでも切り捨てるもう一方を住まわせていたら、結局どちらも傷つけることになるだろうからな。それはケースケだってもうわかっているだろうから、これからどちらを選ぶか、すごい葛藤するだろうよ」

「――そうだな」

「だが、あいつは他人に――特に女に甘い。切り捨てようと心に決めても、その娘の涙でも見ちまったら、余計に辛い思いを相手にさせる情けをかけちまうに決まってるんだ。俺達はそうなった時に、少し背中を押してやればいい。それくらいが限界だよ」

「……」

 ジュンイチは沈黙した。

「ま、今はなるようにしかならないってことだよ」

 ユータがそんなジュンイチに声をかける。

「とりあえず、今日はケースケと7年ぶりに再会できただけでもよかったじゃないか。俺達もケースケほどじゃないが、あいつがいなくなってからの7年は、どこか時間が止まってしまったような空虚感があったからな……」

「あぁ……そうだな」

 ジュンイチの声。

「あのバカ、7年も待たせやがって……」

「まったくだ。シオリさんと会えたら、二人まとめてとっちめてやらなきゃな」

「乗った。そりゃ面白くなりそうだぜ」

 二人の楽しそうな笑い声。

「――まだまだ俺達、人生これからだが、とりあえず今日はめでたい……俺もこんなに酒が美味いのは、久しぶりだった……」

 ユータが吐息を吐く。

「そうだな……みんなそれなりに偉くなっちまったが、一緒にいりゃ、相変わらずだ。きっとケースケも、金持ちになっちまったが、こうしてコンビニのおでんでも食いながら、安い酒飲んでる方が、性に合ってるのかもな」

「そうだな……これからもケースケとは、こうして美味い酒を飲みたいもんだぜ。もちろん、できることならシオリさんともな」

「……」

 沈黙。

「酒の調達と、酔い覚ましに少し外に出てくるか……お前も来るか?」

 ユータが言った。

「あぁ――戻ったらまた乾杯といくか?」

「お前――今日何回乾杯する気だよ……だが、それもまたよし、か……」

「ケースケはどうする?」

「体調も良くはないんだ。今は休ませてやれ。寝てるんだし、問題はないだろ」

「だな。じゃあ少し出てくるか……よっこらしょっと」

「はは……お互い今日は飲み過ぎてフラフラだな……」

「ああ……週刊誌の記者がいるかもしれんから、気を付けないとな」

「……」

 二人の出ていく気配がして、僕は息をつく。

 そして、そのまま立ち上がり、元いたベッドに仰向けになって倒れこんだ。

「……」

 シオリ――君は今、どこにいるのだろう。

 ちゃんと食事は摂れているだろうか。悪い夢にうなされていないだろうか。

 何より君の大切な家族と、笑えているだろうか……

 僕のことよりも、ただそれが気掛かりだった。

「……」

――そう思っていることは本当だ。シオリには幸せになってほしいとも思う。

だが――そんな思いさえ、今の僕には立ち上がる活力にできない。

心は酷く弾力を失って、思いは僕の心に手ごたえもなく滑り落ちて行ってしまう。

体も、思考もそう――まるっきり弾力を失って、力が出ない。

体中が、僕の体を動かすことを拒否する信号を流しているかのように重苦しい。

「……」

僕は自分のスーツのポケットから、携帯電話を取り出して、液晶を覗き込む。

メールが2通届いている。一件はエイジ。そしてもう一件は、トモミのものだった。

僕はトモミのメールを開く。


『お二人と再会、おめでとうございます。もうネットとか、夜のニュースで取り上げられていて、大騒ぎになっていますが、久し振りの3人でのトリオ結成、楽しんできてください。

ところで、社長が入院している間、私がリュートくんの世話をしていたのですが、そろそろリュートくんも社長に会いたいのではないかと思います。つきましては、社長がお部屋にいる時間を教えていただければ、私がリュートくんを連れて伺います。ご都合のよろしいお時間を、いつでもいいので教えていただけないでしょうか』



 ――その日、僕は夢を見た。

 夕日に照らされる瓦礫の街――崩れたビルと、舗装もされていない、土埃の舞う道。そこに僕は立ち尽くしている。

 手は鮮血に汚れ、僕の四方には多くの人間が倒れている。この街で立っているのは僕一人。屍の山が、物言わぬ夕日に照らされ、血の臭いが当たりに充満する。

 そんな地獄のような街に、僕はいた。

「ケースケくん」

 そんな僕に、声をかける者がいた。

 ふりかえると、そこには両手で小さな花を握りしめて、微笑みかけるシオリがいた。

「――もういいんだよ。あなたがもう、そんなに手を汚すことなんてない」

「え……」

「もうあなたは、戦うことなんてないんだよ」

「――いいのか?」

 僕の声が震える。

「僕は、君に酷いことをした。まだその償いだって、7年もかかって、全然……」

「――もう十分だよ。あなただって十分傷ついてきたんだもの」

「……」

「社長」

 別の方向から、もう一つ声がした。

 振り返ると、そこにはシオリと同じように、小さな花をその手に抱いたトモミが立っていた。

「もう休んでいいんですよ。何もかも忘れて――悲しみも、怒りも」

「……」

「私も、シオリさんも、もうあなたに戦ってほしくない――ずっとあなたに笑っていてほしいから。辛いなら、もうやめてもいいんですよ」

「……」

 二人の声があまりに優しくて、僕はその場に崩れ落ちた。

 この7年間、わけもわからず何かを償いたくて、そのために戦い続けてきた。その度に心や体に刻まれる傷が、僕の罪悪感を埋め、過去を清算させてくれると信じて。

 そして、その果てに僕は死ぬ――それでいいと思っていた。

 今でも心ではそう思っている。

 だが――この二人の声に、僕はただ呆然とする。

 シオリやトモミがこうして僕を止めてくれるなんて言うのは、僕の心の奥底の願望だろうか。

 ――僕の戦いは、もう終わったのか。

 ――僕はもう、戦えないのか。

 ――僕はこの永遠に続くような戦いの螺旋から、降りたがっているのか……


 ――そこで目が覚めた。部屋にある、レースカーテンの付いた窓から朝日が差し込んでくる。時計を見ると、7時半を少し過ぎたくらいだった。

 このスイートには、僕のいる部屋にしかベッドはないが、ユータとジュンイチの姿はない。僕は二人が昨日飲んでいた部屋に行ってみると、ユータとジュンイチは、空き缶やつまみの雑然と置かれた、嵐の後のように散らかるテーブルに突っ伏し、泥のように眠っていた。

「おい、起きろ」

僕は二人を7年ぶりに起こす。昔は酒に酔いつぶれた二人をよく起こしていたから、起こしかたも多少心得ている。

「がぁー! 頭痛ぇ……さすがに朝まで飲むのは無茶だったな……」

「あいたたた……お互い若くないなぁ……寝ないのがこたえるぜ……」

 二人ものそのそと起き上がる。

「おはようケースケ。昨日は酔い潰れて寝ちまったが……大丈夫か?」

 ユータに聞かれる。

「あぁ……迷惑をかけた……ごめん」

 今では二人の方が体調が悪そうだから、変な感じだが、僕は取りあえずそう言った。

「朝飯はどうする? ルームサービスも呼べるが……」

「やめてくれ! 今は食い物の話はしないでくれ!」

 ジュンイチが声を上げた。

 二人とも実にコミカルな苦しみ方だが、表情がまんざらでもないのは、昨日の酒が良かったからなのか……

「……」

 僕は冷蔵庫を空けて、ホテル備え付けのミネラルウォーターのペットボトルを開け、グラスに注ぎ、二人に手渡した。

 部屋の照明のスイッチの下にあるスイッチを押すと、巨大な一枚ガラスを遮るカーテンが自動的に開き、広々とした部屋に朝日が差し込み、東京の摩天楼が映画のワンシーンのように広がった。

「う……眩しいな」

 ユータが目をしぱしぱさせる。

「あー、俺は昼から取材だぜぇ……きっつ……」

 ジュンイチが悲痛な声を上げた。

 今日、この先は各々の時間だ。

 明日は朝から僕達三人はグランローズマリー主催のチャリティーサッカーの記者会見をし、僕がメインスポンサーを務めるプロサッカーチームと共に練習し、マスコミに大いに宣伝することになっていた。

 既にエイジにメールを入れて、その手筈は全て整えるように指示を出していた。

「ユータ、お前は今日どうするんだ?」

 僕はユータに聞く。

「取りあえず実家に帰るよ。今年帰れなかったから、顔出してくる」

「マジかよ! 今日仕事があるのは俺だけ?」

 ジュンイチが声を上げた。

「ケースケも今日はオフだろ?」

「……」

 僕の場合はドクターストップに近い。かなり体に無理をかけていたので、退院後は3日間、ならし運転のため、休みを与えられてしまった。

 日本で休みをもらうのは、この二年で初めてだ。とは言え、僕は休日にやりたいことが特にない。予定は完全に白紙だった。

「ケースケ、今日暇なら、うちに来ないか?」

 ユータが言った。

「うちのオヤジもオフクロも、ジュンの家族と同じで、お前に会いたがってる。会ってやってくれるとありがたい」

「ありがたいけど……お前も久々の帰省だろ? 今日くらい家族水入らずでゆっくりしておけよ。僕はお前が日本にいるうちには顔を出すから」

「そうか?」

「あぁ……それにリュートのことも心配だし……僕も家に帰って考えたいこともあるから」

 そう言うと、僕の考えることの見当がついているからか、ユータは静かに頷いた。

「そうか……ま、ゆっくり考えてみな。俺達がいたんじゃ気が散るかもしれないからな」

「ありがとう。すまんな、ご両親によろしく言っておいてくれ」

 僕は頭を下げる。それからジュンイチの方を向く。

「その様子じゃ、運転は無理だな……お前の車は僕が家に運ぶように手配するから、お前も一度帰って風呂にでも入って酒を抜くんだな」

「すまん……」

 ジュンイチは軽く頭を下げた。

「あ、ケースケ、ひとついいか?」

 ジュンイチが僕を呼び止める。

「明日、お前、ギターかピアノを弾いてもらえないか?」

「え?」

「ほら、俺がかみさんに告られた時、お前とユータが俺等のために歌っただろ? かみさんがあの時歌った曲をもう一度聴きたがってたからよ……」

「……」

 そう言えば、そんなことがあったな……しかし両方とも、イギリスにいた頃まではよく弾いたが、今はどうかな……指が動くかな。

 まあ、不器用な僕が他に人を喜ばせる術があるわけじゃなし……

「わかった。用意しておくよ」


 ――9月30日 AM8:30


 二人にタクシーを用意し、僕達はホテルの前で各々のタクシーに乗り、別れた。

 タクシーの中で僕は、これから一日をどう過ごすか考えていた。

 僕は寝る時も着ていたしわくちゃのスーツを、取りあえず早く脱ぎたい。シャワーを浴びたい。

 でも、それ以外にしたいことは、特になかった。強いて言えば、寝ることしか思い浮かばない。

 やはり僕は休むことに向いていないのだ。小さな頃からずっと忙しかったから、ひとりで安らぎを得る方法を知らない。

 仕事をしていれば、一日の過ごし方に悩むこともない。情けない話だが、友人も趣味もない僕は、そうして生きるのが一番楽なんだ。

 そんなことを考えているうちに、自分の部屋のあるマンションに到着する。カードでお金を払い、僕はタクシーを降りた。

 マンションのエントランスからエレベーターに乗り、最上階の一つ下のフロアへ。

「あ……」

 僕の部屋の前に、一人の女性が待っていた。

 僕の秘書のヨシザワ・トモミだった。

 トモミは皮のリードを持ち、その先にはリュートがいた。

「お帰りなさい」

 親しみを込めたような口調でトモミはお辞儀した。


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