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Libra

「シオリさんが消息不明って言っても、今時の探偵や興信所は優秀だ。それに今のケースケなら、人海戦術だって使えるだろう? その気になって探せばすぐ見つかるだろうよ」

 ジュンイチの言葉通りだ。シオリを探そうと思えば、手段はいくらでもある。

「それに、シオリさんはそこら辺のアイドルが霞むくらい可愛い娘だったからな。その分印象に残るだろうし、目撃情報も期待できるだろう」

「……」

「――ま、そうだな」

 ユータの声。

「だけど――そればかりは俺達が言ってケースケにやらせたって意味ないからな」

「どういうことだ?」

「考えてもみろよ。あの律儀の塊みたいな、腰の低いシオリさんが、俺達に一言もなしに姿を消すって状況をさ――どう考えたって、俺達に知られたくないことがあるってことだろう」

「あぁ、そうだな」

 ジュンイチの声。

「俺達に知られたくないってことは――多分、ケースケに一番知られたくないことがあるってことかも知れない――そう思うからこそ、俺達も無理にシオリさんを探さなかったんだもんな――俺達が言っても、むやみやたらにシオリさんを混乱させたり、傷つけちまいそうだったから。だけど、ケースケならもしかしたら、シオリさんの心の中に入り込めるかもしれない。だからケースケに会えたら、あいつの決断を俺達は支えようって話をしたんだよな」

「……」

 ――そうだったのか。

「――だが、ケースケも今はあの状態だ」

 ユータの声。

「あいつが迷いを抱えた状態で、俺達が無理やりあいつとシオリさんを引き合わせたって、シオリさんの深い傷を余計に広げそうな気がしてな……俺達だけ盛り上がったって、意味ないんだよ」

「――迷いか……」

 ジュンイチの深い溜め息が、ドア越しからでもよく聞こえた。

「俺の見た限りじゃ、今日見たあいつは、すごい後悔と自責の念に縛られてたって感じたな。自分の手も、心も随分と汚しちまって、そんな手でシオリさんに手を差し伸べてもいいのか――そういうことにすごく迷っているように見えたな」

「……」

「俺達と今日、会ってくれはしたが、会ってからも、あいつはずっと思っていたと思うぜ。こんな自分を、この二人に見せちまっていいのか、みたいなことをな。自分が薄汚れちまっているってことに、ひどい慚愧を感じているって思った」

「……」

 ――図星を突かれて、僕は心拍数がじわじわと上昇する。

「――俺も同意見だな。そして、あいつはもう、色んなことに疲れきっているように見えたな……もうあいつは心身ともに弱りきってて、力が沸いてこない――酷い脱力感を感じているように見えた。あの状態でシオリさんに会わせても、苦しんでいるシオリさんを何が何でも引き止めるって感じになるようには思えないんだよな……」

「……」

 ユータの言うとおりだ。今の僕は、会社で血を吐いて、病院で目覚めた頃から、今まで7年間、あるいはもっと前から自分の中で、ギリギリまで張りつめさせていた心の糸が、ぷつんと切れて、糸の切れた凧のように頼りなく、わずかな風にも翻弄されるような状態になってしまった。

 頭では、今の状態がよくないことも、前を向かなければならないということも分かっている。だが、それに体と心の奥の気持ちがついてこない――力が入らず、すべてを見失った。

 そんな自分が、改めてユータ達に会ってみて――

 正直、僕は少し焦っていた。今の自分のみっともなさや、二人に比べての不甲斐なさが耐え難くて。二人に何とか報いようと思っていた7年間で、逆に僕は二人にとてつもなく置いて行かれたような気がして。

 ――だが、そんな気持ちさえも、もう二人はお見通しだったのか……

「だけど――」

 ショックを受けている僕の頭に、ユータの声が届く。

「あいつ、俺の見た限りでは、多分今、揺れているな」

「ん? 何に?」

「シオリさんと、もう一人、気になっている女の子がいる――ってことさ。疲れきっているあいつを支えてくれるような女の子がいるんじゃないかな」

「――それって、やっぱり……」

「ああ。十中八九、トモミさん、だろうな」

「!」

 その名前が出た瞬間、僕の心臓は痛いほどにどくんと音を立てて、大きく揺れた。

「――そうか。トモミさんか。そういやあいつ、トモミさんに告白されたって言ってたな」

「――ああ。あの様子じゃ、つい最近だろうな」

 ユータはさすがに女性にもてるだけあって鋭い。元々人間に対しての観察眼はジュンイチの方が上だが、恋愛に関しての視野はユータの方がジュンイチをはるかに凌いでいる。

「そうか――トモミさんが……あいつ、告白されたって話になった時、確かに少しうろたえてたよな」

「ああ、あの朴念仁の天然ジゴロのことだ。相当強烈に、トモミさんの気持ちを知っちゃったんだろうぜ。手紙の文面だけで、俺達にも彼女がケースケを好いているのが伝わったのに、あいつはそばにいても全然気づいてなかったんだろうからな」

「ははは」

 ジュンイチは、ありそうなその光景を想像したのか、笑みをこぼした。

「しかし――確かにトモミさんはあの手紙の文面しか知らんが、多分いい娘だと思う。でも――複雑だな」

「――分かるよ。俺達はシオリさんがどんなにいい娘かも知っているし、そんなシオリさんとケースケが、すごくいいカップルだと思っていたからな。そんなケースケが、シオリさんから目を背けて、別の女とくっつくなんて、俺だって釈然とする話じゃないさ」

 ユータが言った。

「だが――厳しい言い方だが、今側にいない(ひと)を想い続けるよりも、側にいてくれる女を想えた方が、あいつの抱える虚しさも少しはましになるだろうとも思えるんだ。それに、あいつはこの7年間、自分を痛め続けてきて――疲れきったあいつはもう戦えない。そんなあいつが、目の前に安らぎを見出してしまって、シオリさん以外の安らぎに流れたとしても、それは仕方のないことなのかも知れないと思うんだ」

「……」

 沈黙。

「――そうだな。逆にあれだけアイドルや芸能人や、キャバクラのお姉ちゃんまで含めてモテモテだったのに、よく今まで誰にもなびかずにいられたもんだと感心するくらいだ。それくらいシオリさんのことを案じて、その上であいつがシオリさんを諦める選択をしても――俺は納得できないかも知れないけれど、責める気にもなれない……かも知れない……」

 ジュンイチは、後半声をトーンダウンさせながらもそう言った。

「あぁ、あれだけ苦しんだんだ。そろそろあいつだって誰かの支えやぬくもりが欲しくなるのは自然なこと――仕方ないことだ。言い方は悪いが、今この場にいない人間より、側にいる人間を優先するのだって、別におかしいことじゃない。あいつがシオリさんを捨てたって、それはシオリさんに義理を欠いているわけじゃないよ」

「……」

 ユータの言葉に、僕はまた、片頭痛のような痛みを覚えた頭を抱えて、シオリとトモミ――二人のことを思い浮かべた。

 二人のことを均等の感情で思い浮かべたつもりだったけれど……

 あの病室での告白から、トモミがシオリと同じくらい、今の僕の心に、質量として存在し、それが日ごと大きくなっていくことを、僕は確かに感じていた。

 今までは迷うことなどなかった。僕の心の天秤は、どんなことがあっても、シオリが乗る皿が頭を垂れて、一瞬で10:0の精神状態を生み出す。だから他の女性のことで迷うことなんてなかった。

 でも、今は多分、6:4――

 シオリが6で、トモミが4。

 二人に甲乙をつける気はない。両方とも素晴らしい女性だということは、僕が一番知っているつもりだから。その反面で、6と4という差がある矛盾は、やはり7年想い続けたシオリを、簡単に綺麗さっぱり忘れることなどできない――そんな時間の質量が加味されてのもの――良心に近い感情での加点だ。

 そんな脆弱なリードだから、それが何かのきっかけで、すぐトモミの方へとひっくりかえってしまいそうな気もするんだ。

 だが――もし僕が、二人のうちどちらかの支えやぬくもりを欲しているのだとすれば――僕はどちらのそれを、強く欲しているのだろうか。それが分からないほどの小さな差でせめぎ合っている……

「……」

 ――僕は、トモミに惹かれはじめているのだろうか。

 それは、「シオリの代わり」としてだろうか、それとも「ヨシザワ・トモミ本人」としてだろうか。

 僕はトモミの優しさ――トモミの愛の中に、シオリの面影を見ているだけじゃないだろうか。

 だとしたら、僕は結局は、シオリを想い続けていることになるのか……

 ――そんな思考の堂々巡りに、頭痛が更に酷くなりそうだった。

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