Seven-years(4)
テーブルの肉料理が片付けられ、次のチーズが運ばれてくる頃、僕の身の上話はイギリスに渡った頃の時に差し掛かっていた。
「イギリスに渡って3ヶ月もしたら、お前が手掛けた大衆向けアクセサリーが、銀座とか表参道の直営店で発売を開始してさ、その時は徹夜組まで出る有様だったんだぜ。事前にヨーロッパで手に入れた人もいるけど、オークションでかなり高値で取引されてさ――お前が作ったアクセサリーを、日本の女の子はみんな欲しがったもんさ」
ジュンイチがチーズを肴に赤ワインを飲み干して、当時の混乱を解説した。
イギリスに渡ってからの僕は、良くも悪くも、デザイナーになって僅か1年の身には余りある名声と注目を集めてしまった。
つまり、それだけ失態も目に付く。自分の今の立ち居地がまぐれで掴んだものでないことを証明しなければ、あっという間に道化に堕してしまう場所にいた。
だが、当の僕はこの頃、ようやく自分が更なる力を得る踏み台を手にしたことに震えていた。家族も今頃日本で、高みへと登って行く僕を見て、いつか僕が復讐に来ると震えているだろうと思うと、ここでもたもたする気など毛頭なかった。こうなれば一刻も早くのし上がって、積年の恨みのこもる家族に引導を渡してやろうと、アドレナリンが体を突き動かしていた。
僕はブランドでは、ひたすら新モデルの開発に打ち込み、大学には毎日通って経営学の勉強に励んだ。収入は以前の数千倍になったが、使う暇もなかったし、僕の生活は金のかかるものではない――大学近くの学生用アパートを借りていたが、そこに帰るのは寝る時だけ――食事も不定期になり、一日何も口にしない日も珍しくなくなった。徹夜で仕事をしてから学校に行くのも日常茶飯事。
「……」
今思えば、あの頃の僕は、表向きでは平静な顔をしていたけれど、内心は鉈やチェーンソーを持って不気味に笑う復讐鬼そのものだったな――僕がのし上がる度に、日本で家族の惨めさが際立ち、生き地獄に陥っていることを想像するだけで、体を動かすことが出来た。一刻も早くこの手で家族を殴りたくて――殺したくて。その瞬間を思うだけで、徹夜でも空腹でも、何でもこらえることが出来た。
だが、それがなくなって、我に返ったら、自分の体が酷く弱っていることにようやく気付いて――医者が今の僕の体を見て怒るのも無理はない。僕の体は、フランスにいた頃からずっとボロボロで、イギリスの2年間でそれが更に加速した。ただ脳内麻薬が出ていたから、それが顕在化しなかっただけだ。
「うちの嫁も、お前のプロデュースしたアクセサリーが可愛いって、あの時は誕生日にねだられたぜ……」
「お前あの頃はまだ師匠のアシスタントで、貧乏だったからなぁ」
ユータがからからと笑った。
「しかし、イギリスに渡って1年は、お前のアクセサリーが日本に上陸したりしたくらいだったけど、その次の年はお前、とんでもなかったからな」
ジュンイチが目を見開く。
「お前の所属したブランドが、低迷期からお前のおかげで持ち直すと、その次の年にお前、イングランドのプレミアリーグでまたサッカーを始めたんだからな」
「そうそう、俺もびびったぜ。俺はその頃、ボローニャからミランに移籍したばかりだったが、その直後にお前のプレミアリーグ挑戦を聞いて、イングランドに行けばよかったって、死ぬほど後悔したんだからな」
ユータが苦々しい声を出す。
「俺はフランスの数ヶ月でお前はサッカーを辞めるつもりでいるのかと思ってたのに……」
「はじめは僕もそのつもりだったさ」
僕は言った。
「ただ、宝石って言うものの市場価値とか、経営学を勉強しているうちに、今のグランローズマリーの、金は金持ちから取って、その金で貧しい人の生活を支えるっていうビジネススタイルと思いついて――いずれ僕は独立して、企業を作ろうかって事を考え出して」
「ふむ」
「そうなったら、僕は将来的に、サッカーで何かをしたいと思って。そのためには、何をするにもFIFA(国際サッカー連盟)に名前を売っておいた方が、何かと動きやすい。それにヨーロッパで名が売れていた僕がサッカー選手に転身ってなれば、ブランドの宣伝にもなるし、いずれ去るブランドに対しての置き土産になると思ってな」
そう、僕はイギリスでも、もう一度サッカーを始めた。勿論ブランドの主任デザイナーの仕事と兼業して。暇がある日は大学にも通った。
勿論ブランドの方は、主任デザイナーが業務に集中しないことが少しは問題になったが、その前年の、僕のとてつもない仕事量を見る限り、必ず僕は仕事を両立できると、結局はそれを認めることになった。
ほんの数年前の活躍から、ブランクがあっても活躍できると期待された僕は、プレミアリーグ挑戦を表明と同時に、数チームから入団のオファーが届いた。当時の僕は、大学はオックスフォード、ブランドではオックスフォードから程近いロンドンで活動していたため、ロンドンに本拠地を置くサッカークラブに入団した。
「そこでお前は、オファーを出さなかったプレミアリーグの強豪達を泣かせる結果を出すわけだ」
ユータは呆れるように笑った。
「シーズン通して12ゴール24アシスト。この数字以外にも、守備やルーズボールの対応にも高い評価を残して、前年プレミアで10位だったチームが3位に上り詰めて、CL出場権まで獲得させたわけだ。チームが優勝していれば、間違いなくその年のバロンドール候補になっただろうって活躍だったな。俺はマジで後悔したぜ。あのケースケと敵同士でもいいから、サッカーやりたかったぜ」
「……」
一言で言えば、僕は世界最高峰のリーグのひとつ、プレミアリーグでもその名を売り、勝ち逃げに等しい状態で、サッカーを引退した。
ヨーロッパで2シーズン、弱小チームを強豪に変え、自身も輝かしい成績を残した僕は、ヨーロッパの名だたるサッカー選手にもその名を覚えられた。グランローズマリーはそのおかげで、他の企業が真似できないような規模で世界中の名選手を招集してのチャリティーマッチを行うことも可能になったというわけだ。
「で、そのサッカーをするお前の姿が話題になって、その年のお前のブランドの年商は、前年の数倍の数字を叩き出した。それがお前に、あのチャンスをつかませるきっかけになるわけだな」
ジュンイチが言った、あのチャンス、というのは、当時まとまったイギリス皇太子の結婚式の装飾品プロデュースの最高責任者に、僕が指名されたことだ。
結婚をするイギリス皇太子が、大のサッカー好きで、僕の経歴に非常に興味を持ったらしいことが、その指名に繋がったのだ。
「お前は世界中に放送されるそのロイヤルマリッジで、世界一の宝石デザイナーの名を不動のものにしたんだな」
「そしてお前は、お前の作った結婚式用のアクセサリーをえらく気に入った王家から、大英帝国勲章と、騎士の称号を授かったわけだ」
「……」
「いやぁ、お前がそんな勲章もらったって、叙勲の様子が日本のニュースでも取り上げられていたけれど、そのニュースを見た時は、俺は泣いたぜ……」
ジュンイチがテーブルに肘を突いて、目頭を押さえた。
「あんなことがあったってのに――よくここまでやったなぁって。よかったなぁって、思ったもんだぜ……」
「お、おい……」
僕はジュンイチのその様子に気圧される。
嘘だろ――マジで泣いてるじゃないか。
「あーあー……」
ユータはそんなジュンイチに肩をすくめる。
「で、お前はその直後、オックスフォードを卒業したら日本に帰るって、ヨーロッパに渡って初めて日本語での会見で宣言して、その年に単位を全て取ってオックスフォード大学を卒業。それからすぐ日本に帰って、グランローズマリーを独立ブランドとして立ち上げたわけだ」
泣いているジュンイチに代わって、ユータがそれを訊いた。
「ああ」
「中退じゃなく、たった2年で卒業ってのがすごいよなぁ。ヨーロッパじゃ飛び級制度があるのは知っていたけど」
「ほとんど1年目に毎日大学に通って、そこで卒業分の単位は全部取っちゃってたからな。サッカーのシーズンが終わってからは、また大学にも通ったし……」
というか、僕はもうこれだけの実績を残した以上は、もう待ちきれなかったのだ。
早く日本に帰って、あの家族が今どんな惨めな生き方をしているのか、知りたかったのだ。ようやく自分でも納得できる実績を積んで、日本に帰る気持ちの整理もついた。
「そうか……」
ユータは一度ワインに口をつけた。
「お前、話に出てきたイスラエルのダイヤモンド鉱山の持ち主ってのとは、まだ交流があるのか?」
ふとユータが、その疑問を口にした。
「――いや、もう僕は、あの人を裏切ったから」
「裏切る?」
「あぁ――あの人は元々、僕にデザイナーになってもらって、自分の所有物であるダイヤモンドの鉱石を精製して、売りさばいて欲しかったわけで。それは結局、その人だけが儲かるって事だ。旅をしてきて、貧しい人をたくさん見てきた僕は、それがどうも賛成できなくてな……」
「……」
「意見の食い違いで、飼い犬に手を噛まれたって向こうは怒って、僕がイギリス王室から受けた莫大な金で、その人の所有するダイヤモンド鉱山の採掘権を買っちまった」
そう、ダイヤモンド原石の採掘権というのは、安価に原石を仕入れて、精製した宝石を金持ちに高く売るという僕のビジネススタイルの中心を支える大事なものだ。僕の仕事は成り立つ。それを自分の金儲けのためだけしか考えていない人間に持たせておくのは、僕にとってはマイナスだった。
イスラエルを旅して、その富豪に拾われた時は、裏切る気など毛頭なかったが、結果的に僕は自分の目的のために、世話になった人の手を噛んだのである。
「そうか……」
その決断が僕にとって、簡単なものではなかったことを、ユータはすぐに察したようだ。
「それは知らなかった。旅を終えて、順風満帆に見えていたお前のヨーロッパでの生活も、なかなかヘビーなこともいっぱいあったんだな」
「――あぁ。そうだな」
「――でもよ、今の俺は――多分ジュンもだけどよ、お前がそうして無事に日本に帰ってきてくれたことが、何より嬉しいぜ。こうしてまた俺達、再会出来たし――お前がそれなりに元気で、本当によかった……」
後半、ユータの言葉が詰まった。
そして、ユータもそのまま笑顔のまま、目から大粒の涙をこぼして、目頭を押さえてしまった。
「……」
僕はそうして、目の前で静かに、だけど熱い涙をこぼす二人を見て……
戸惑いもあったが、それよりも強く、先日病院で聞いた、トモミの言葉を思い出していた。
「ヒラヤマさんもエンドウさんも、社長が体をボロボロにしてまで、昔のことを償ってほしいなんて望んでいない。社長に幸せになって欲しいって――それだけを願っていることが、どうして分からないんですかっ」
そう、トモミは言っていた。
本当に、その通りだった――二人とも、僕が何をしてきたかなんかよりも、僕が元気でいれば――そして、こうして無事に再会できたことが何より嬉しくて。
それだけで、よかったんだ。
二人の涙を見て、それが分かった。
「……」
僕は何をしていたんだろう。この7年間。
今頃そんなことに気付くなんて……
「お客様、そろそろデザートをお持ちしても……」
その折、ウエイターがテーブルの皿を下げ、コースの最後のデザートに移るべく、やってきた。
だがウエイターは、テーブルで泣き崩れる二人の姿を見て、面食らったように後ずさった。
「ど、どうなさったのでしょうか? 当店の料理が御気に召しませんでしたでしょうか?」
「――いえ、大丈夫ですよ」
僕はウエイターにそうフォローを入れた。