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Camp

 僕とシオリが基本的なところを作り、イイジマが最後にアレンジを加えて完成した合宿メニューは、自分では絶対にやりたくない、とんでもないスケジュールになってしまった。

 この勉強合宿はいわば全国大会への通過点、直前に体力を落とすことも出来ない。勉強だけに専念できれば、再試を通過するくらいのことは簡単だが、両立が必要となれば、少しでも効率的に勉強させるために、多くの協力者を募る必要があった。それが僕達が協力者を積極的に募った理由であり、協力者がいないことに僕が苛立った理由だった。

 朝5時半起床。ラジオ体操とランニングで一日の幕開けとなる(これはイイジマ指定。しかし高校生がラジオ体操で迎える朝って、一体どんなセンスしてるんだ)。部費から食費を削って、7時に学食での朝食。食べ終わるとイイジマが学校に来て、昼まで勉強。昼食を取って、午後から練習を挟み、4時から夕飯まで勉強、ミーティングを挟んで、イイジマは家に帰り、僕達は12時まで勉強して消灯というものだった。

 イイジマの命令で、ゲーム機器やMPプレーヤーも禁止は勿論、トランプまで一切の娯楽器具の持ち込み禁止、携帯電話も入寮と同時に没収。外出も禁止。トイレ以外の休憩もなしという徹底ぶりだった。練習も全て勉強にすれば、東大受験を控えた受験生が、予備校に高い金を払って山にこもるためのスケジュールだ。実際うちの学校には、そういうのに行く奴もいるんだろうけど、少なくとも模試で東大合格圏を取る僕が見ても身の毛がよだつ代物なのに、勉強嫌いの連中がクリアするノルマとしては、厳しすぎると言っていい。しかも全国大会用の練習もこなすのだから、元々勉強嫌いの連中の精神的疲労に、肉体的疲労がダブルで襲う。東大受験生の山ごもりよりはるかにハードだ。

 昨日パソコンで僕が仕上げて、プリントアウトしたスケジュールを、チームメイトやイイジマに配ると、イイジマは喜んだが、皆の反応は悲鳴を上げるか、未知の領域にこの紙切れだけではハードさを理解できず、怪訝な表情をするかのどちらかに分かれた。

 その後、僕とシオリはイイジマに職員室で詳細を伝えた。洗濯や風呂の掃除などの分担は、ちょうど皆一年生だったので、赤点三つ以下の部員がやることに決定した。彼等は自宅学習だが、主力は皆出場停止ラインにいるので、最悪の場合を考え、イイジマが一週間、彼等を何とか使える形までしごくことになった。肝心のマツオカ・シオリは吹奏楽部の部長も務める身だし、そちらの練習を優先し、その合間を縫って余裕のある時だけ協力することを、吹奏学部の顧問と話し合って承諾してもらった。どんなに遅くても、シオリは午後9時には家に帰すことに決定した。

 合宿の2日前、そんな取り決めを僕とマツオカ・シオリ、イイジマの3人で職員室で取り決め、大筋で流れが決まった。

「サクライ、マツオカはお前が送れ。夜道は危ないし、同じ地元だろう」

「え?」

「え? じゃない。失礼だろう? こちらの都合に付き合わせるんだ」

「いや、そうじゃなくて。送ることに別に文句はないですが」

 僕はイイジマを見据える。

「監督が送るべきだと思って。生徒指導は夜間の男女下校を禁止しているはずですが」

 そう。生徒指導の教師連は、時たま地元の繁華街を、夜、巡回しているらしい。ゲーセンなんかにいれば、警告だけで済むが、男女生徒同士の繁華街の徘徊は、不純異性交遊だ、と、色々と五月蠅く追求するらしい。そしてイイジマは、性格から見ての通り、その生徒指導の代表なのだ。

「ああ、いや……うん。まあそうなんだが」

 明らかにイイジマの顔色が変わった。何かを誤魔化そうとしている顔だ。

「今回は特別に……ってことでどうだ? これは学校云々より、部活での合宿だし」

「部活はクラブ活動ですから、学校の一環でしょう?」

 さっきから何を言っているんだろう、この男は。そもそも彼女みたいな生徒をこんな合宿に駆り出す時点でおかしいんだ。挙句この子を僕に送らせるとか、元々支離滅裂な理屈を使う馬鹿だが、何か違和感を感じるんだ。何だろう、これは。

「その、じゃあ……ほら、最近よくあるだろ? 教師と女子生徒が問題になってるじゃないか。学校だけの付き合いの俺より、クラスメイトのお前の方が、マツオカも面識ある分、安心だろ? 俺も公私混同すると、教師としてやりにくくなるしな」

「……」

 何だそれ。自分が言う『不純異性交遊』ってやつを、自分もしてしまうかも知れないと宣言しているようなものじゃないか。全然理屈になってない。

 というか、イイジマだけじゃない。学校の奴等が皆誤解しているけど――

 僕だって彼女と特に仲がいいわけじゃないんだけど。むしろ一緒にいて気まずい部類の人間だ。先日から彼女を勝手に罵倒していた自分を思うと、どうにもいたたまれない。

「でも、僕が彼女に何かした場合、監督が責任追及されたら、同じことでしょう? 僕に任せる方が、リスクがでかいんじゃ……」

「それはないっ!」

 イイジマが即答した。

「お前に任せて問題ないのは、間違いないっ!」

「いや、そんな力いっぱい言わなくても……」

 そんな僕とイイジマがコントやってるのを見て、マツオカ・シオリはくすっと笑った。

「いや、別に君を送るのが嫌とか、面倒ってわけじゃなくて……何言ってるんだ、僕は」

 本人の前で拒絶するのもいかがなものかと思い、僕はドナドナの仔牛のように、引きずり込まれたのであった。元々僕は赤点セーフだし、僕だけは外出の許可が下りていた。たまには一人になりたい。

 それに、彼女の前でイイジマと、彼女に淫らなことをすることを前提のように喋っていた自分が、何だかとても陳腐に思えてきたからだ。僕ははじめから、彼女にそんなことする気はないんだし、それだったら堂々としていればいいのだ。言い訳を考え、下手に拒むより、ずっと体裁がいい。

 その代わりに、僕はイイジマに許可をとって、犬のリュートを合宿に連れて行った。一週間もあの家族が、まともに世話をするとは思えないからだ。それに、まさか犬を連れて、外で不純な行為をしたり、危ない所に入ったりするとは誰も思うまい――彼女の帰り道に散歩をさせると言うと、イイジマも同じことを思ったらしく、許可はすんなり下りた。



 12月14日の日曜日、終業式の翌日に部員16人は、大荷物で引っ越してきた。

この合宿場は、サッカー部の練習でレギュラー組がたまに使う。風呂は部室の一階の片隅にある古いつくりで、長い間放置していると蛆やナメクジなどの虫が湧き、タイルの割れ目から草が生えるという代物だ。僕も去年、一番下っ端の新入部員として、吐き気と戦いながらここを掃除した覚えがある。

 格技棟の一階は、剣道や卓球をするための部屋、二階は視聴覚室、三階は階段を上れば、すぐに教員室。目の前にトイレと洗面所、奥には20畳の部屋が二つ――それだけのものだった。教員室には古いテレビがあるが、僕達が泊まる部屋には、格子付きの窓がある以外、安物の畳が敷き詰められているだけの部屋で、机さえない。江戸時代の座敷牢みたいなところである。

 入り口のドアに、スケジュール表を貼った。午後2時だったので、今日は初日ということで、予定を変更し、すぐに勉強が始まった。

 荷物を置いて、校舎に移動する。図書室を夕飯までは借りて、夜は合宿での勉強だった。

 ユータ、ジュンイチを含め、初めの皆のテンションは高かった。後輩までデレーッとした顔をしている。埼玉高校のアイドル、マツオカ・シオリが、自分達のために、手取り足取り勉強を教えてくれるというのだから、健康な男子たる者、大サービスに妄想を膨らませている。男って単純だな。まさか彼女が水着着てくるわけでもあるまいに。

 しかしまだシオリは来ていない。吹奏楽部の練習を終えてから来るので、予定では4時間は間がある。サッカー部員は、彼女の登場を、一日千秋の思いで待ち続け、結局勉強に手が付いていない状況だ。

「なあケースケ。シオリさんはまだ来ないのか?」

 ユータは、赤点を3つ取ったという危機感さえない、ニコニコ顔だ。

「これが聴こえるうちは、来ないよ」

 一人窓際に立つ僕は親指で窓を指す。吹奏楽部の練習で、重厚な合奏が聴こえてくる。

「えー長いな、男だけの勉強会かよー。テンション下がるんですけどぉ」

「ごあいさつだな。教えるこっちの身にもなれ」

 まったく、こいつらは自分の現状が理解出来ていないのか。

 そんなことよりユータは、命の次に大切という携帯電話を没収されたことで、かなりフラストレーションが溜まっているようだ。変にオーバーアクションになって、そのうち女に飢えた禁断症状でも出てきそうだ。酒を絶って二日、女を絶って三日が一番きついと、ある落語家が言ってたっけ。

「センパーイ」

 後輩の消え入るような呼び声に、僕はすぐに飛んでいく。

「ここに、しかし、って書いてあるってことは、この段落は前の段落と逆のことを言いたいわけだ。話題が転換しているんだから、ここからは、今までの内容をいったん無視しろ。現代文はそう読めば、ミスリードを誘う設問のひっかけに惑わされづらくなる」

 他愛のない時間だった。これくらいのことで一週間家に帰らないでいいなんて、埃臭い図書室が天国に感じる。金を取れないことを除けば、僕に久々に訪れた安穏の時間だった。

 吹奏楽のアンサンブルが止まって久しくなった頃には、既に皆、心ここにあらず、といった具合に、自分に出ている課題を前に、上の空になっていた。誰も眠っていない。しかし誰も手を動かしていない。図書室の引き戸を凝視している。

 そして、皆の待ち焦がれた、想い人がやってきた。

 戸を開けて、シオリが入ってくると、皆が奇声をあげて、席から立ち上がり、手を叩き、飛び上がり、すごい騒ぎだった。何だか女教師もののアダルトビデオみたいだ。

 シオリは、吹奏楽部の仲間を5人近く連れてきた。皆成績優秀で、僕とも多少面識があった。勉強を手伝ってくれる、と、僕に挨拶に来た。

 彼女達が、差し入れ、と言って、ポテトチップスとか、飴を沢山持って来てくれた。サッカー部員は声を上げて喜んだ。本来図書室には、飲食物持ち込みは禁止だが、この状況でそんなことを言うのも、まったく気が効かないと思い、僕は黙っていた。

「サクライくん、お疲れ様」

 シオリは微笑みながら、肩の所で軽く手を振った。

「ああ」

 僕は会釈を返す。

「ケースケだけかよー」

 ユータが野次る。奴がこんなに僕に絡む姿を初めて見た。普段よりオーバーアクションになっている。まさか憧れの人を前に、舞い上がっているとでもいうのか。あのユータが。

 しかし、さすがに男だらけで禁欲中の中に、女性を解き放つと、当然のことながら、男達は勉強などには集中しない。差し入れのお菓子を食べ、女の子とおしゃべりをしたがった。

 だけど、彼女達の教え方は、僕も意外なくらい厳しかった。僕達の全国出場を危ぶんで、心を鬼にしてくれたのだろう。彼女達にとっては、全国大会なんて、二度とないステージになるわけだし、他人事じゃないか。まったく、県立高校の教師どもより、よっぽど頼もしい。

 しかしシオリを除く女の子達は、イイジマの承諾を取っていないし、禁欲生活中の男の集団の中、女の子が遅い時間までいるのも、イイジマの言う『不純異性交遊』じゃないが、よくないと思って、明るいうちに家に帰させた。

 日が沈み、図書室が静かになり出した頃、赤点2つ以下の部員を絞っていたイイジマが図書室の視察に来た。

「やってるな。じゃあこれから飯の支度をするから、食堂に集合だ。サクライ、お前は飯の前にマツオカを家に送って行ってやれ」

 それだけ言い残して、イイジマは図書室から出て行った。皆が勉強道具を、傍らに置いていた鞄にまとめ出す。僕もシオリに荷物をまとめるよう指示し、背中に髑髏のプリントのされた黒のスタジャンを着込む。

「ケースケ、変なことするなよー」

ユータが不満そうな顔をする。

「安心しろ。僕が何もしないのは、監督のお墨付きだ」

 変なことなんて、僕が彼女に何をすると思っているのだろう。僕が彼女に迫ることを危惧しているのか。僕の性格を知っているくせに。

 言い残して、僕は図書室を出た。校舎は既に、全ての電気が落ちていた。階段の前で僕は手探りで電気スイッチを探し、電気をつけてから、彼女に声をかけた。

「悪かったな。ぶしつけな連中で」

 僕はシオリに頭を下げる。

「不愉快だっただろう」

「ふふ、大変だね。サクライくんって、意外と面倒見がいいのね」

 彼女は、思ったより軽いノリで、マフラーで隠れた口元を軽く歪めた。

「……」

 面倒見がいい――それはちょっと違う。僕は一種の潔癖症なのか、アバウトに生きられない。周りの環境も、自分の精神、思考も、ごちゃごちゃいい加減になっているのが嫌いで、完璧に整理しようとするし、後回しにしていくと、自己処理能力が追いつかなくなって、破綻してしまう。

 処理できるものは、できるうちに処理しないと、僕は前に進めない。僕には、捨てなくちゃいけないもの、忘れなくちゃいけないものが多過ぎるんだ。

 今だって、全てのことに追いついていない。そんなこと自分にだってわかっている。だから、より綺麗に部屋を片付けようとしてはいるんだけど、結局掃除にばかり気が行って、他のことがおろそかになっている感じ。


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