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Seven-years(3)

「その当時の写真、俺のデジカメに残ってるぜ。ほら」

 そう言ってジュンイチは、自分のスーツのポケットからデジカメを取り出して、僕達に見せた。

それは、『サクライ・ケースケ復活!』の大見出しが付いたスポーツ新聞の一面だった。そこには満面の笑みを浮かべたクラブの会長と、無愛想で鋭い目をした僕が握手を交わす写真が掲載されていた。

「……」

 ――そう、僕はフランスに渡った頃、ユータよりも前にヨーロッパでサッカープレイヤーとして、プロデビューしていたのだ。

「イスラエルからフランスに渡ったのはいいが、その頃はまだデザイナーの専門学校が入学シーズンじゃなかったんでな……それまでの間、現地でフランス語をマスターしろと言われたんだが、僕は旅先でフランス語とドイツ語の読み書きはほぼマスターしていたからな――だが、他につてもないし、旅をしていた時から、初めて自由な時間が与えられて――そうしたら、急にサッカーへの未練が沸いてきてな」

 サッカーをもう一度やろうと思った動機は、当初は未練だった。高校時代、ユータ達と臨む高校最後の大会に出て、一生消えない何かを残したい――そんな夢も踏み潰された僕は、旅をしていた頃から、サッカーへの不全感が残っていた。

 フランスに渡った頃、僕が入学する予定のデザイナー専門学校は、新学期の開校まで3ヶ月ほどの余裕があったのだ。当面の生活費は、イスラエルの大富豪が僕に投資してくれると言ってくれていたのだが、もう人生のほとんどを、人からの施し無しに生きてきた僕にとって、そのぬるま湯みたいな平穏は、苦痛でしかなかった。

 何もしていないでいいその時間は、僕に過去のことを思い出させて、逃れようのない苦しみに満ちていた。じっとしていることに我慢ならなくなった僕は、これを機会にサッカーにきちんとケリをつけようと思い立ち、フランスのプロサッカーリーグ、リーグ・アンに殴りこんだ。

「お前が選んだチーム、酷かったな。お前が入った時点で既にシーズンの半分の20戦を消化して、3勝12敗5分の、勝ち点たった14――ぶっちぎりのリーグ最下位。降格圏脱出ラインから、既に勝ち点で15離されている状態だった」

 ジュンイチが言った。

「はじめから強いチームに入れるとは思ってなかったしな。案の定、あのチームはもうチームもフロントもやる気をなくしちまって――だから、プロテストを受けさせてくれ、って頼みに行ったんだ。僕は2年前に、世代別ワールドカップでフランスと戦った、って名乗ったら、そのチームはすぐに僕をテストしてくれたよ。藁にもすがる思いだったのか、ヤケクソだったのかはわからないけどな」

 そんなわけで、僕はそのリーグ・アンの、状況、環境共に最低のクラブに入団。与えられた背番号は37。この番号を見て分かるとおり、結局僕は入団を決めたものの、まったく期待されていなかったのである。契約金は5万ユーロ(当時約600万円)、年俸は2万ユーロ(当時250万円)――惨敗続きで、ホームのサポーターもチームを見放している状態だったので、移籍市場に参戦できる資金力もないクラブでは、この額でも「出す以上はしっかり働いてもらう」と言われる有様だった。

「だが、日本はそれでも大盛り上がりさ。また、臥龍、サクライ・ケースケのサッカーが見れる、ってな。お前の初登場の試合は、日本でも地上波で放送されて、深夜放送だってのに、視聴率が30%を超えたんだぜ。俺達も勿論見てたけどよ」

 ユータが目を輝かせる。

「……」

 だが、親を殺しかけて国を逃げ出した男が、数年後、期待の欠片もない、わけのわからない背番号を背負って、最低のチームでサッカーをやるというのは、最低の晒し者である。

 僕がプロサッカーという舞台に経てば、そうなることも分かっていたが、僕は敢えて生き恥を晒したのである。

 その結果は、今のユータの目が物語る通り――僕はそのシーズン、15戦に先発出場し、18ゴール12アシストの成績を残した。UEFAが選ぶヨーロッパ週間ベストイレブンにも3度選ばれるなど、一人気を吐いた。やる気を失っていた選手達も、徐々に勢いづいてチーム一丸となって戦うようになり、誰にも注目されていなかったチームが、リーグ・アンで最も注目を集めるチームに変貌した。

結局チームは後半15戦を10勝2敗3分でターン、後半戦だけで勝ち点33を積み上げて、シーズン通じての勝ち点を47とし、最終節でリーグ・アン残留を勝ち取った。

 その時のフランスのホームタウンは、お祭り騒ぎが朝まで続いた。

「とんでもなかったぜお前、あの時のプレー、全然衰えてない、高校時代のままだった。試合勘もすぐに取り戻したようだしな」

「いや、というかむしろ、テレビで見たお前のプレーは、高校時代よりもずっと力強くなっていたように、俺は感じたんだが」

 ――さすがに本職のユータは気付くか……

「あの頃は、今よりも体重が多かったからな」

 そう、今の僕の体重は、60キロを少し切ったくらいだけれど、ヨーロッパにいた頃は、大体65キロほどをキープした体格を保っていた。

 ユータ達と一緒に出場した世代別ワールドカップで、僕は自分のパワーと体格不足を痛感した。だから最後の最後くらい、それを少しでも補おうと、成長期の過ぎた体に少し無理をかけて、筋力アップに取り組んだのだ。

「そうか……道理で、今日会った時、テレビで見た時よりも、体が縮んだような気がしたんだ」

 ユータが頷いた。

「いずれにしても、お前がまたサッカーをやってくれたことは、俺はすげぇ嬉しかったぜ。旅先でもサッカーをちゃんと忘れてなかったんだな」

「……」

 みっともない話だけれど、僕は旅先でずっと一人、時間があればフリーキックやドリブルなどのメニューを一人こなしていた。

 それは、僕が心のどこかで、家族に裁きを与えたら、皆元通りになって、またいつかユータ達とサッカーをやることもあるかもしれない、なんて、そんなくだらない思いが心のどこかにあったからに他ならない。

 勿論そんなことはありえないし、自分のそんな思いが子供じみた感傷に過ぎないことも分かっていたが、心がどうしても、そんなくだらない思いを風化させてくれなかった。

 それが僕の、サッカーへの未練となって……

「だけどお前、その活躍の中で、フランスのメディアも、日本のメディアも、お前に取材を求めたが、お前はほとんどそれに応じず――たまに応じたとしても、それは全部フランス語での受け答えで。結局、これがお前の海外での基本スタイルになっちまったんだよな。日本向けの会見は一切行わない……そして、日本A代表に再三招集されても、一切それを受けなかった」

 ジュンイチがワインを取った。

「そのお前の態度に、現地フランスでも、日本でも、色々な意見が飛び交ったが、サッカーのプレー中に、にこりと笑うこともなくなったお前は、原因を知る日本人の涙を誘ったもんだぜ」

「……」

「そしてお前は、その年のリーグ・アン最優秀新人賞と、UEFAの選ぶヨーロッパ最優秀新人賞にも選ばれたが、どっちも辞退して、そのままシーズン終了とともにチームとの契約切れで退団――お前はここでまた約1年間、表舞台から姿を消すんだよな」

「あぁ、サッカーのシーズン終了は5月だから。それまではチームに帯同していたけれど、4月の時点で僕はもう、宝石デザイナーの専門学校に通っていたんだ」

「だけどよ、あの姿の消し方は反則だぜ」

 ユータは口を尖らせる。

「ぶっちゃけ俺は、お前がフランスにいると知って、次の移籍市場で、リーグ・アンのオファーがあったら、絶対にフランスに渡るつもりでいたんだ。その矢先に、お前は退団宣言を出しちまって」

「僕もフランスで、お前のことを調べていた」

 まだ日本にいるユータのことだ。僕のことを知れば、なんとしてもフランスに――僕が所属していたチームに行きたいと言い出すに決まっている。それを危惧していた。

 ユータはその予想通り、僕を追って、フランスへ渡るという希望をマスコミに大々的に語っていた。

「そんな折、お前から一通、手紙が来たんだよな」

 ユータが苦笑いを浮かべた。

 そう、ジュンイチが結婚をした時に、7年間で一度だけ便りを出したのと同じく、僕はユータにこの時の一度だけ、手紙を出していた。

「その手紙と来たら『お前がサッカーで成功したいのなら、フランスには来るな』の一言だけだったけどな」

「……」

「ま、今ではその一言に感謝しているけどな」

 ユータは笑った。

「いずれにせよ、それでお前はサッカーを一度辞めて、一年間、宝石デザイナーとしての勉強を始めて――そして、ヨーロッパで最も権威あるデザイナーの賞を獲得したわけだな」

 ジュンイチが話を戻した。

「普段なら何年もかけてようやく人様に出せるアクセサリーを作れるようになるところを、たった1年でお前はその技術以上のものを手にしちまったわけだ。イヴ=サン=ローランは17歳でヨーロッパのファッション業界に名を売って、21歳でクリスティアン=ディオールの主任デザイナーになったっていうが、当時のお前も21歳だったし、ヨーロッパで、『21世紀のイヴ=サン=ローラン』って騒がれたんだってな」

「――そんなことまで知っているのか」

 僕はジュンイチの引き出しの多さに舌を巻いた。

 フランスでサッカーを辞めると、僕は夜もすがら、終日(ひねもす)宝石加工の技術習得に躍起になっていた。まるでマッドサイエンティストの如く学校の作業室に篭り、講師を呆れさせるほど教えを乞うた。

 サッカーを離れて、過去に飲み込まれないように、何か没頭できるものが欲しかったというのもあるが、フランスで期せずしてサッカーで僅かに名を売った僕は、その分日本で大々的に生き恥を晒したということでもあった。

 注目の集まるプロサッカーの舞台に挑戦したのは、サッカーと、友との薄甘い、センチな感傷からの決別、そして、今の自分が最低の場所にいるということを改めて明確にし、そこから這い上がるためのハングリーな状態に自分を追い込みたかったからだ。

 生き恥を晒したからには、僕はなんとしてもその汚名をすすがなければならない――その感情が芽生えて、僕は再び、国を出た頃のハングリーな精神を手にすることが出来た。フランスでの生活を、狂ったように技術習得に費やせたのも、そのハングリー精神の賜物だと言える。

「そしてお前は、イヴ=サン=ローランと同じく、僅か21歳で、ヨーロッパの一流宝石ブランドから主任デザイナーになるようオファーを受けたわけだ」

「ああ。だが、僕は人任せが嫌いだからな。自分でものを作る以上は、それを売買するシステムにまで関わりたいと思っていたんだ。だからデザインが認められた後は、ブランドに所属しながら、大学に通って、経営術を一から学ぼうと考えていたんだ。僕の後見人だったイスラエルの富豪も、自分の所有するダイヤモンド鉱山から採掘される宝石を、自分の息のかかった人間に精製してもらって、売買もしてもらった方が旨味がでかいからな。それを承諾したんだ」

「そしてお前は、イギリスに渡って、名門オックスフォード大学に入学すると共に、イギリス王家御用達の宝石ブランドに籍を移したわけだ」

 ジュンイチが頷いた。

「しかし、何で名を売ったフランスじゃなくて、わざわざイギリスに渡ったんだよ」

「フランスでやれることはやったし、今度は別の国でゼロから結果を出したかったんだよ。それに大学に通うにしても、僕は英語の方がフランス語より得意だったしな」


サッカー用語解説


降格圏…基本的に各国のサッカーリーグでは、そのリーグの下位2~3チームが、下部リーグの上位チームとリーグが入れ替わる。このままシーズンが終われば、あなた達のいるチームは二部リーグに降格しますよ、という順位のことを降格圏という。

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