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Seven-years(1)

 魚料理を終え、次の肉料理が運ばれてくる頃には、もう僕達は既に、魚料理に合わせた白ワインのボトルを空にしてしまっていた。

 僕は最初の一杯もグラスに3分の1残っている状態で、ユータはグラス一杯。その間にジュンイチが、白ワインを岩清水でも飲むかのように一気に飲んでしまっていた。

ジュンイチは何だかワイルドになった。さすが山奥で、自然の写真を撮り続けたり、旧跡を歩き続けたり、戦場にだって行っただけあって、心身がタフだ。僕が女だったら、こういうタイプに惚れるかも知れない。

そして、ユータがチョイスしてくれた肉料理用の赤ワインも、まるで吸血鬼が処女の生き血を飲むかの如くだった。

「いやぁ、美味いなぁ」

ジュンイチは御機嫌だ。まあここの支払いは僕がするのだから、ジュンイチにとってタダ酒だろうが、こいつは酒だったらタダでも有料でも飲み方は変わらないだろう。

「しかし、二人は飲まないんだな。こんないいワインなのに」

ジュンイチはグラスの減らない僕達のことを気にした。

「ケースケは、医者から酒の量とか、指示が出てるのか?」

「確かに少しは制限もあるが、どっちにしてもお前と同じペースでは飲めないよ。お前は好きに飲めばいいさ」

「俺もお前に付き合ってやりたいのは山々なんだが、帰って来ているとは言っても、まだシーズン中だしな」

「そうか――二人とも色々あるんだな」

ジュンイチは申し訳なさそうな顔をする。

僕の小学校の同級生は、僕に断りもせずに食事や酒を頼んで、支払いだけ押し付けたのに――さすがにジュンイチはあいつらとは違うな。むしろここまで美味そうにワインを飲まれたら、奢るこっちも気分がいいくらいだった。

肉料理は鴨肉のローストに刻んだトリュフの入ったソースがかけられていた。

ユータはその料理を目の前にすると、ナイフで鴨肉の皮の部分を綺麗に削ぎ落として、皿の端にのけた。

「お前、本当にプロのスポーツ選手になったんだな。酒を控えたり、鶏肉の脂肪の多い皮を外すなんて」

僕はそれを見て、ユータに訊いた。

「あぁ、これか?」

ユータは顔を上げる。

「日本にいた頃はそんなでもなかったんだが、イタリアに渡って1年目に、1シーズンだけいたボローニャってチームで、コンディションをすごい崩したことがあったんだよ。その原因はさ、ボローニャの食文化たったんだ。ボローニャって街は食の都なんだが、俗に『肥満都市』って言われるくらい、肉料理が盛んでな。ほら、スパゲッティのミートソースのことを、日本でも『ボロネーゼ』とか『ボロニア風』って言うだろ?」

「あぁ、言うな」

「俺もそうだったんだよ。現地の肉料理を毎日食ってたせいで、体重が増え過ぎて、体のキレがなくなっちまって、トレーナーにえらい怒られてさ。で、反省した俺はトレーナーとも相談して、自分の食生活をコントロールするようになったわけだ。おかげででかいスランプもないまま、イタリアでの生活を送れているよ。そういう意味じゃ、俺はミランに行けてよかったと心から思っているが、最初のチームにボローニャを選んだことは、すごく幸運だったと思ってるぜ」

「そうか。お前にとってボローニャを選んだのは、ミランのオファーがあった以上の収穫があったみたいだな」

ユータもジュンイチも、昔の面影を残しつつも、7年前とはまるで別人だ。

まあ、それは子供から大人になって、いっぱしに生きていたら当然のことなのかもしれないけれど。

何だかまた、僕だけがガキっぽい感傷の中で生きているような気がしてくる……ユータもジュンイチも、再会の時の様子を見れば、僕がいなくなって、悲しみを抱えていたのに、ちゃんとそれを乗り越えて、自分の世界で頑張っていたのに、僕だけが……

「しかしケースケ、さっきから俺達ばっかり喋ってて、お前は全然喋ってないじゃないか」

ジュンイチがワイングラスをテーブルに置く。

「え?」

「俺達のことは、ある程度テレビとかで流れてたから、知る機会もあっただろう。だけどお前の7年間は、俺達にとっちゃ、グランローズマリーが急成長している以外のことは、ほとんど謎なんだからな」

「あぁ……」

僕は頭を掻く。

「今日はお前の、あの空港からの7年間を、じっくり聞かせてもらおう」

 ユータが言った。

「あぁ……」

 正直、あまり話したくはないのだけれど、この二人には訊く権利がある。

「お前は知らないかもしれないが、お前が日本を出て海外を観光していた日本の観光客が、お前の目撃情報なんかをネットで色々言っていてな。アメリカのニューヨークにいたとか、ブラジルにいたとか、モンゴルにいたとか……写真を掲載している奴もいたが、どれも信憑性に欠けてな」

「今言った国は、どれも不正解かな」

 僕は言った。

「はじめは北京から、成都の武侯祠に行こうって言ってたんだよな。お前の尊敬する、孔明の墓があるから」

 三国志に詳しいジュンイチが言った。

「あぁ、実際そこまでは歩いて向かった。2ヶ月もかからずに着いたんだが、自分の中で、もう少し、自分が一人でどこまで生きていられるか、試したかったんで、そのまま西に向かって、東南アジア、中央アジアをぐるっと回って、中東に出てみようと思ってな」

「お前、その当時、金はどうしてたんだ?」

 ユータが訊いた。

「お前、日本を出る時、金をほとんど持たずに日本を出たからな――飯とかちゃんと食えているのか、心配してたんだ」

「初めは全然食えなかったよ」

 僕は当時のことを反芻する。

「当時、金なんて全然なかったから、まずは日銭を稼ぐやり方を考えた。はじめは一日限りで、食堂の皿洗いでも、雑居ビルの清掃でも、なんでもやりながら、日払いで金を貰って旅をしようと思っていたんだけどな……」

「――その口振りじゃ、それはうまくいかなかったんだな」

「ああ。当時中国は、反日教育の厳しい時代だったし、ただでさえ素性が知れないのに、日本人なんてどこも雇ってくれなかった」

「まあ、そうだろうな。日本でも結構話題になってたもんな。ユータがアジアカップに出た時も、中国での試合では、中国サポーターが日の丸に火を点けたり、相当荒れてたぜ」

 国際情勢に詳しいジュンイチが、それに同意した。

「だけどかえってそれが発想の転換になったんだ。別に僕はアルバイトをするために、わざわざ海外に行ったわけじゃないって思ってな。それならもっと、自由に旅をしてみようと思って。それで思いついたのが、ストリートミュージシャンだった」

「ストリートミュージシャン?」

 ユータが笑いながら訊いた。

「――というより、初めは流しのギター弾きだな。楽器屋で、アコギとブルースハープを買って、ギターケースを片手に旅をしたんだ」

「――スナフキンかよ」

 ジュンイチが呆れるように笑いながら、もう一度ワインに手を伸ばす。

「はじめは有名な洋楽をカバーしていたんだけど、そのうち日本の曲を、その国の言葉で歌ったりすることもはじめた。自分で辞書を引いて、歌詞をその国の公用語に訳してな。そうしているうちに、この国の語学も少しは覚えられたし」

「普通辞書引いただけじゃ、言葉なんて話せないんだけどな……俺なんてイタリア4年目だけど、まだイタリア語が不安な時が多いし」

 ユータが自分と僕の頭の出来の違いを嘆いた。

「しかし、そんなので本当に金なんかもらえたのかよ」

「初めのうちは全然だ。1日に肉マン二つ買えれば上出来くらいのものでさ」

「はぁ……それで『上出来』じゃ、きついな……」

「だが、僕が北京に渡ったのは夏だ。寝袋とか持ってたし、夏は野宿で十分凌げるが、冬に野宿はさすがにきついからな……冬までにある程度、継続して安宿に止まれる程度の金が欲しかったんだ。だから、手っ取り早く金を稼ぐために、少し小細工もした」

「小細工?」

 ユータが首を傾げた。

「あぁ、ちょっとした芸をやったり、注目を集めるために、餌を撒いたんだ。リフティング芸を見せたり、大体相場3000円の挑戦料で僕にチェスで勝てたら、10万円やる、と言ったり……そういう金のかかった見世物を色々やったのさ」

 シャーロック・ホームズの話のひとつに、『唇のねじれた男』というのがある。新聞記者が浮浪者に変装し、政治から賭け事にまで精通する、顔と知識の広い浮浪者が街の人気者となっておひねりを貰い、新聞記者としての給料の数倍を稼いでしまうという話だ。僕がしたのは、その話と同じことだ。

「はは、お前の頭を知らないで、チェスで挑んだ奴は、かわいそうにな。俺たちからしたら詐欺だぜ、そりゃ」

 ユータが可笑しそうに笑った。

「俺達がお前とチェスなんかやったら、お前はクイーン、ルック、ナイト抜き、将棋じゃ飛車角に香車、桂馬がなくても敵わなかったもんな」

「――と言っても、バカ勝ちしちゃうと、僕を恐れて誰も挑まなくなっちゃうからな。苦戦するフリをちゃんとしたよ」

「うわ……腹黒いな」

「海外で生きるために金を稼いでいたんだ。そのくらいのことはしないと」

 僕は同じ海外で今を生きているユータに、そう言った。その言葉の重みを少しはユータも分かっているから、その後は何も言わなかった。

「ま、とにかく、おかげでようやく食うのに困らない程度の金は手に入れられたし、その間に、ストリートで金を稼ぐってことがどんなことなのかも勉強出来た。それ以降は、ギターとブルースハープでまっとうに稼いだのさ」

僕は二人の目をそれぞれ一瞥する。

「お前等、リュートって、覚えてるか?」

 僕は二人に訊いた。

「あぁ、お前が飼っていた犬だろ? サッカー部の合宿に連れてきたりもしてた。賢い犬だったよな」

 ジュンイチがそう頷いた。多分ジュンイチのことだ。僕が財界で、犬将軍、なんて呼ばれていることも知っているのだろう。

「旅をしている時は、あいつがシルクハットを咥えて、お金を集めに行くパフォーマンスが、子供達に人気でな。あいつ、旅先ではいつも人気者だった。あいつがシルクハットを咥えて、お客の前に行くと、思わず客はお金をその中に入れちまうんだ」

 そうだ、あの頃の僕は、相棒のリュートと二人三脚でお金を稼ぎながら旅をした。野宿をすると、二人寄り添って眠り、沢山お金が集まった時は、場末の安いモーテルの一室で、ちょっとだけ豪華な食事を買い込んで、二人でそれを祝った。リュートのおかげで、食いつなぐことができた、という日も、初めは少なくなかった。

 今思えば、そうしてささやかな宴を開いたりしていた頃は、決して金に余裕はなかったけれど、楽しかったな――

リュートは紛れもない僕の相棒だった。辛いことも多かったが、嬉しいことも二人で分かち合って。

 そんな生活には、ささやかなぬくもりがあったように思う。

 当時の僕は、家族がユータ達にしたことへの怒りや憎しみが煮えたぎっていて、そんなことを上手く感じられずにいたけれど……


この先1~2話は、ケースケの海外での生活を説明するの巻になります。第3部の冒頭あたりでチラッと大まかに説明しましたが…

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