2nd-person(3)
――10月29日 PM5:20
「すっげえ部屋だなこりゃ……初めて来たぜ、スイートルームなんて」
僕達は、羽田空港から程近い、品川の一流ホテルのスイートルームに来ていた。
「こんな部屋、来日中にずっと使っていいのか?」
ユータは僕の顔を見る。
「――ああ、お前の罰金分の穴埋めだ」
僕は言った。
僕はユータが来日することを聞いて、部屋を用意していた。シーズン中に帰ってくるのだから、できればリフレッシュをして帰って欲しいと考え、スイートを用意した。言うまでもないが、先日僕を強請った女が泊まったホテルとはまた別だ。さすがにあの女が泊まった部屋に、親友を招待する気にはならない。
「あー、ひっさしぶりの日本だぁ。今年のオフはスクデッドを取ったから、世界ツアーなんかあって、帰れなかったからなぁ」
ユータはトラベルバッグを置くと、キングサイズのベッドに腰を落として、大きく声を上げた。
「6時半にこの近くのレストランでディナーを予約してある。またちょっと時間あるし、移動で疲れているだろう。その間、ホテルのサービスのマッサージでも受けてくればいい」
最近のホテルはマッサージやトレーニング施設まで完備しているところも多い。このホテルも勿論そのひとつだ。
「いや、どうせ日本にいる間はのんびりするつもりなんだ。それなら久し振りに、お前と少しでも話したい」
ユータはベッドに座ったまま、僕を見て微笑みかけた。
「……」
僕は黙って、スイートルームの豪華な装飾の施された椅子に座った。ジュンイチはスイートルームの大きな一枚ガラスになっている窓に寄りかかって立っていた。
「7年振りに会ったが、カッコよくなったじゃないか、ケースケ」
ユータは少し前かがみになって、僕のことを覗き見るように目を動かす。
「それに、その落ち着いた喋り方も、7年振りでも相変わらずだ。――まあ、正確にはお前には一度だけ、便りをもらっているが……」
「……」
「遅ればせながら、大成功、おめでとう」
「いや……」
僕は少し視線を落とす。
「お前こそ、今では日本一のサッカー選手だろう。日本人がミランに入団して、レギュラーを取るなんて、一昔前なら考えられないことだ。それをやってのけたんだからな」
「――いや、今の俺は、当時のお前にまだ及んでいないさ」
「ははは」
ジュンイチが茶化すように言った。
「こいつ、ことある毎に、お前のことをメディアに語ってるからな」
「……」
今では日本代表のキャプテンも選ばれているユータだけれど。
こいつが代表キャプテンとして受けたインタビューで、『今まで見た中で、最高の選手は』という問いに、ヨーロッパで見た名選手を差し置いて、『サクライ・ケースケ』と即答しているのは、今でもサッカーファンの間で語り草になっている。
『ドリブル、パス、シュート、プレースキック――どれもすごかったけれど、技術だけじゃなく、頭の良さと、チームに前を向かせる闘争心とリーダーシップ、恵まれない体格とパワーを補うガッツ――技術以外の点でも、どれを取っても最高の選手だった。奴にボールが回ると、一緒にプレーしている俺達でさえ、必ず何とかしてくれる雰囲気があったし、チームが落ち込んだ時、いつもチームに勢いをつけてくれる存在感があった。ピッチには絶対にああいう、チームを勢いづける選手が必要だということを、俺は彼から学んだ。俺がしているのは、あいつの真似事に過ぎない』
それがユータの言葉だった。
「今の日本代表は、ユータが認めた奴だけが生き残れる、なんて揶揄されてることもある。今の日本代表は、7年前、ケースケがキャプテンとして日本代表を導いて、日本史上最高の結果を出した時の選手が主力になりつつあるしな。戦わずに、自分だけが生き残れればいいって考えの選手は淘汰される。そんなお前が作った空気が今の代表にも確実に生きてる」
カメラマンとして日本代表の取材に熱心だったジュンイチが解説する。
「……」
僕としては望ましいことではないが、サッカー日本代表は、過去最高の順位を取った、僕が代表を率いた頃の幻影を、7年経った今でも追い続けている。
『運は天にあり、鎧は胸にあり』という、上杉謙信の名文句は今では代表応援の横断幕や巨大フラッグに掲げられ、日本サッカーの心意気とまで言われるようになっている。
そんなチーム作りをしたのがユータだということは、傍目から見る僕にも分かっていた。
「ま、そのおかげで、今でも日本代表に、サクライ・ケースケ待望論が根強いのは、申し訳ないとは思っているがな」
ユータが苦笑いする。
「ま、それは無理もないぜ」
ジュンイチは腕組みをして頷いた。
「俺達の時代といえば、日本代表といえば、フォワードが点を取れない、いわゆる『決定力不足』ってやつがバカの一つ覚えみたいにメディアで言われてた。それが今じゃ、日本が大舞台で壁を越えられないのは、世界最高のフォワードの一人であるユータの力を引き出せるミッドフィルダーと、失点を抑えるディフェンダーが弱いっていう逆転状態になっているからな。そんな中で、ケースケはプレミアリーグで……」
「――僕のことはもういいさ」
僕は声でジュンイチの言葉を遮った。
「それより、ユータ、お前の次のチーム選びはどうするんだ?」
僕は質問で、話題を転換する。というよりも、僕はユータの次の進路が、ずっと気になっていたのだ。
「次に行くチームで、お前は次のワールドカップを迎えることになるだろう。だからそこに万全の状態で戦うためには、この選択は重要だろう」
ユータがACミランに移籍した時、僕はまだイギリスにいたが、イギリスでそのニュースを見て、かなり心配した。ミランと言えば、世界の五指に入るクラブだし、少ないチャンスをものにしなければ、あっという間に構想外になってしまう。今までの実績を全て崩壊させるほどのダメージにもなりかねないその移籍に、僕はずっとはらはらしていた。
「俺もそれは気になるなぁ。ジャーナリストとしてもそうだが、友人としても」
ジュンイチがそれを同意してくれる。
「うーん――ま、口の固い二人のことだ。本当はまだミランの関係者にも内緒なんだが」
ユータはそう前置きする。
「実はもう、レアルからのオファーが来てるんだ。まだ接触はしてないんだけどな」
「マジか!」
ジュンイチが声を上げる。それはそうだ。日本人がレアルマドリーに移籍なんて、いまだ漫画の世界の出来事の範疇である。
「確かにレアルは魅力的だ。正式な金銭提示はまだだけど、多分オファー条件はミランよりも上だろう。けど俺は、ミラノの街も住み慣れて、居心地がいいからな。ミラノを歩くと、街行く人に、ミラノから出て行かないでくれ、ってお願いされたりもするし……正直、メチャクチャ揺れてるな。ようやくイタリア語も少し覚えてきて、過ごしやすくなってきた矢先だし、ミランも十分強いチームだからな」
「……」
「だが、俺は次の契約で選択したチームで2~3年やったら、1年だけ日本に戻ってプレーしたいと思っている」
「何?」
僕は声を上げた。
「何故だ? 2~3年後って、お前はまだ28か29だろう? まだサッカー選手として老け込む歳でもないと思うが……まだ成長が望める歳なのに、もうお前がJリーグで学ぶことはないだろう?」
「俺はもうミランでスクデッドも取ったし、クラブや個人では、CL制覇以外のサッカー選手としての栄光は、あらかた達成したからな。だから俺は、今度はワールドカップを見据えた、日本代表を強くする戦いをしたいと考えているんだ」
「ほう?」
ジュンイチは首を傾げる。
「今の日本はディフェンス陣が世界で通用していない。攻撃陣はそれなりに駒が揃ってきたが、ディフェンダーにこれっていう選手が成長してないんだ。それはJリーグに強力なフォワードがいないからだよ。強力なフォワードとマッチアップして、海外のレベルを日本で感じられないから、日本のディフェンダーは育たないんだ。だが、Jリーグの資金力で、なかなか世界最高峰のフォワードは来ない。外国人も、来るのはピークが過ぎた選手ばかりだしな。だったら、俺がそれになってやろうと思ってな。たった1年でも、俺を止めようとJの選手が考えて、実際に当たれば、それだけで周りの選手の経験値は上がる。その目的を果たすためには、俺の全盛期のうちに、Jに行かないとダメなのさ」
「なるほど。お前にとっては、6年後にある次の次のワールドカップは、お前のサッカーキャリアで最後になるかもしれないワールドカップだからな。そこで勝つ目標のためには、日本でプレーすることは、チームのことを考えてなら、マイナスではない、か」
ジュンイチが顎髭に手を当てて頷いた。
「そういうことだ。俺は最終的には、ワールドカップでも、日本代表を、お前達と戦った時みたいに、表彰台に持っていくのが夢だからな。勿論自分の選手としての成長も諦めていないぜ。1年が終われば、俺はまたヨーロッパでプレーするつもりだからな」
「……」
こいつと初めて会った時は、ワンマンチームのエースを絵に書いたような、前で好き勝手やるだけのフォワードだったのに、僕達とサッカーをすることで、ポストプレーや、周りを生かすプレー、守備を覚えて。
今では日本サッカーの未来まで考えて、そのために動こうとする視野まで持っている。
とんでもなくでかい男になった、ユータは。
「じゃあ、お前が日本に帰って、周りの影響をより大きなものにするためには、次のチームでどれだけ成長できるかにかかっているわけだ。それを踏まえて、お前は次のチームを選ぶんだな」
「まあ、俺はそのつもりなんだが……」
先程まで嬉々と自分のプランを語っていたユータの声が、トーンダウンした。
「俺の年俸は、正直高騰し過ぎた。今のままじゃ、俺を日本に迎え入れてくれるチームは、どこもいないだろうな。古巣の浦和でもそこまでの金は出せないだろう」
「……」
そう、それがネックだ。ユータは現時点でも、契約金が2000万ユーロ――約20億の値がついているのだ。Jリーグの日本人選手全員数百人の年俸の合計とほぼ同等だろう。そんなとんでもない額を用意できるクラブなんて……
「ケースケ」
そんなことを考えている時、ユータが僕の名を呼んだ。
「もしその時になったら、お前が俺を入札してくれないか?」
「え?」
「お前の持っているチーム、サポーターがクラブ経営に関わるってチームさ、俺、ずっと前から注目してたんだ。もし日本に帰るんだったら、お前がオーナーやっているそのクラブに行きたいって、ずっと思ってた」
「……」
そう、僕もJリーグでサッカークラブ経営をしているのは、以前に少し説明した。
「頼むよケースケ、お前が俺を雇ってくれるなら、金なんか二の次だ。お前のチームで、またお前とサッカーをやらせてくれよ」
ユータは両手を合わせて、お願いのポーズを取った。
「……」
今のユータには、サッカーへの情熱が迸っている。
ジュンイチとはまた別の意味で、こいつも今の青春を謳歌しているのだ。今の話を訊いていて、それを強く感じた。
二人とも、もう僕がいなくても十分やっていける。それぞれの場所で戦う男の雰囲気が身についている。
とても強くなったし、それ故に身につく優しさも、二人は身に着けている。
僕だけがけじめにも、青春にもつまはじきにされている……あの頃とは比べ物にならない力をえても、誰一人として他人を真に思いやれていない。
二人に比べて、僕はとても弱い……
外面は立派だが、根腐れを起こしている僕が、今のユータに力を貸すことなど、できるのだろうか。
「――考えておくよ」
僕はそういうことしか出来なかった。
「そうか。まあ、いきなり俺の都合だけを言っちまって――金を出すのはお前だもんな。しかも百円二百円じゃない――そんな話で二つ返事ではいって言われるとは思ってなかったさ。まあ、この計画をお前に話せただけでもよかった」
ユータはそう言って僕をフォローしてくれたけれど。
友が僕を頼っているのに、相変わらずその手を取ってやれない自分が、酷く情けなかった。