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2nd-person(2)

 ユータはダークグレーに縦のストライプの入ったスーツを着ていて、その上に黒のトレンチコートを、前を止めずに羽織っていた。カート式のトラベルバッグを引いて、エスカレーターを上ってきたところだった。

ゲートのすぐ外で立っていた僕を、ユータの目が認識すると、そこで一度足を止める。

「……」

 僕は大事な人間と再会した時は、目を丸くするしかなくて、ジュンイチは喜びを爆発させた。

 そして、ユータは。

「……」

「……」

 既に僕達の周りの空間には、報道陣の無数のフラッシュが焚かれていたけれど、僕と目の前の男の間の空間だけは、やけに静かだった。沈黙の間に心を通わせている。そんな感じで。

 するとユータは、その場で静かに涙をこぼした。溢れる大粒の涙を拭いもせずに男泣きする。

 男が感極まった時の、三つのうちの一つがこれ。沈黙が雄弁に何かを語り、それに感じ入ることで、自然と涙が溢れる。

 ジュンイチと比べ、ユータは少しだけ冷めた部分があって、高校に入って、少し人当たりがよくなったが、少しだけ沈黙を愛する部分があって、ジュンイチと比べ、多くを語らない風があった。

 だからユータは、こんな形で感情を爆発させたんだ。

「ケースケ……ケースケ!」

 僕の名前を叫びだすと、ユータはカート式のバッグを離して、僕の下へ駆け寄って、僕の体をジュンイチ同様、強く抱きしめた。僕はその圧力に、弱りかけた体だから、倒れそうになった。

「――久し振りだな、ユータ」

 僕もそのまま、ユータの体を抱きしめ返した。最近の僕は、よく人とこうしている気がするな……

「ケースケ――よかった、また会えて……」

 ユータは既に涙で声を震わせている。ぱっと身では二枚目なのに、こうしてかっこつけるような事をせず、本能に忠実な奴なんだ。きっと今頃顔は、涙と鼻水でくしゃくしゃだろう。

「おいおい――ま、俺も人の事を言えないけどよ」

 脇でそれを見るジュンイチがそんな僕達をそう皮肉っていた。

「いい!」

 マスコミの中からそんな声が聞こえた。

「お三方、ちょっとスリーショットを撮らせてもらっていいですか?」

 マスコミ達はそんな再会シーンを売り物にしようと必死だ。僕達の3人揃った写真を、日本で一番早く収めようとしている。

 そう言われると、僕とユータも、お互い体を離していた。

「どうする? どうやら撮らせてやらないと、解放してくれないようだぜ、これ」

「――仕方ないな」

 そう言って、僕達3人は横並びになって、お互い何となくそこに佇んだ。

 マスコミは、目がおかしくなるほどフラッシュを浴びせ、その騒ぎで、かつての3人組が揃ったのだということを知る、他の空港の一般客までそれに気付き、デジカメや携帯のカメラを構え始めていた。

「やれやれ――7年前の過去の人を、こんなに騒ぐかね。早く避難しようぜ」

 ジュンイチがそう言った。

「――走るか?」

 ユータが合図。

「ああ、走れ!」

 僕の号令に、3人は一斉に駆け出した。

 7年前に、サッカーのピッチを全力で駆けていた、あの頃のように。

 目の前をふさぐ一般客が、その勢いに道を開けると、僕達はダムに空いた小さな穴から一気に噴出す水のように、そこをすごい勢いで駆け抜けて行った。そしてそのまま、空港の出入り口まで一気に走った。動く歩道を無視して空港の土産物屋スペースを抜け、僕達は表の乗車待ちのタクシーが大量に停車する空港前に出ていた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 出入り口に着くと、僕達と10メートル離され、一番遅れていたジュンイチが、息を荒げて手を膝についていた。

「ジュン、随分体力が落ちたな」

 コートのシワを手で伸ばしながら、ユータは呼吸ひとつ乱さず、そう言った。

「はあ、はあ――カメラマンは持久力勝負なんだよ。短距離専門じゃないんだ」

 ジュンイチはそう言った。

 それを聞いてユータはシニカルに笑うと、今度は僕の方を見る。

「はあ、はあ……」

「お前もスタミナは落ちてるみたいだが、足は全然衰えてないな。いまだに俺に短距離でついてくるなんて」

「はあ、はあ――歩幅が伸びたからじゃないか?」

 僕は荒い息のまま、そう言った。

「ふ――それでも、プロの俺について来るんだ。並大抵の足じゃないさ」

「……」

「――久し振りだな、ケースケ」

ユータが僕の前に、すらりとした手を差し出した。

「――あぁ」

 僕はその手を強く握り、それだけ言った。今の僕達には、それで十分だった。



 ヒラヤマ・ユータは僕が日本を出たその年が、プロサッカー選手としてのルーキーイヤーだった。そのルーキーイヤー、高校で冬の大会を目指すことも出来たが、ユータはそれをせず、そのままプロの試合に専念することとなる。その時Jリーグは後半戦に差しかかろうとしていたが、ユータは後半戦だけで15ゴールを決め、スタメンに定着。その年の新人王にも勿論選ばれた。

 そして次の年には、リーグ2位の30ゴールを決めて、リーグ優勝、ベストイレブンに輝き、日本A代表にも初選出。その次の年には20歳にして38ゴールでリーグ得点王、ナビスコカップ、天皇杯の三冠を浦和レッズにもたらし、勿論リーグMVPも獲得。A代表のスタメンに定着する。

 その次の年にオリンピックが開催され、ユータはU-22代表のエースとして出場。チームは予選で敗退したが、ユータは3試合3ゴールと世界の舞台で大いにアピール。過密日程とオリンピック代表として離脱期間が長かったため、この年はリーグではあまりいい数字は残せなかったが、念願のACLを制覇。アジアナンバーワンフォワードの名を磐石にする。

 そしてその年――21歳のオフに、イタリア、セリエAの古豪ボローニャに移籍。その年に香川真司の持つ、日本人の欧州リーグ年間得点記録を塗り替え、25ゴールを記録。ボローニャに数十年ぶりのCL出場権をもたらす。しかしボローニャは、リーグ屈指の成績を残したユータの年俸が高騰したこともあり、やむなくユータを放出。CL出場権を持つチームとの契約を熱望していたユータは、セリエAの超名門クラブ、ACミランに日本人として初の入団。

 このACミランでユータは世界屈指のフォワードに成長。CLでも優勝は逃すものの、大会ベストイレブンに輝き、スクデッドも獲得。3年間でリーグ80ゴール、リーグ戦で12ゴールと、安定して成績を残し、前年はUEFAベストイレブンも獲得。日本代表でも、ワールドカップに出場。チームはベスト16で敗れるも、ユータはここでも4試合3ゴールと、ハードマークの中、結果を残す。

 そして今季で契約の切れるユータは、既にヨーロッパ中の強豪が獲得リストのトップに載せる、移籍市場の目玉選手になっていた。最低でも移籍金は2000万ユーロ、それでも契約は難航するだろうと言われ、バロンドール選手並みの厚遇でなければ移籍は合意しないだろうと言われている。

 注目は、イタリア、セリエA以上と言われる、世界二大リーグ、スペイン、リーガエスパニョーラと、イングランド、プレミアリーグである。特に世界一、二を争うクラブ、バルセロナFCとレアルマドリーのオファーがあるかどうかに、日本のサッカーファンは注目を集めている。



 ジュンイチの車に僕達3人は乗り込む。後部座席のないジュンイチのジープは、ジュンイチとユータの間に僕が座る。

「ユータをまずホテルへ送ろう。ジュンイチ、頼む」

 僕はジュンイチに頼んで、都心に向けて車を走らせてもらう。

「おほ、この車揺れるなぁ」

 ユータはその大柄な体をぐらぐらさせて、笑みを浮かべる。妙にテンションが上がっている。

「しかしユータ、お前よくこの時期に帰れたなぁ」

 ハンドルを握るジュンイチが言った。

「まったく大変だったんだぜ? 一週間、チームを少し離れさせて欲しいって、チームに頼んだら、罰金まで取られたよ」

 からからとユータは笑った。

「マジかよ……」

「ま、3年間クソ真面目にサッカーやってたし、入団以来初のわがままってことで、割と寛大な目で見られたけどな。次に出る試合、必ずハットトリック取るって言ったら、OKくれたよ」

「はは、今のセリエでハットトリック取ることを予告できるフォワードは、お前以外にあと何人いるかな……」

 ジュンイチは呆れたように笑みをこぼした。

「……」

 イタリアという厳しい環境に渡って、お国の明るい土地柄のせいもあるのか、サッカー選手としての自信も相まって、ユータは随分とおおらかな感じになっていた。強い人間には余裕が生まれるというけれど、ユータの体からは自信が満ち溢れている。

 そのおおらかさとは裏腹に、さっき抱きしめた時に感じた筋肉の質――あの時と体格はさほど変わらないように見えるが、体はもうまるで違う。全身がまるで刃物のように研ぎ澄まされた印象を感じた。体の全てがゴールを奪うため、走るため、相手とぶつかりそれを制すための体として研ぎ澄まされている。

 成程、世界でも五指に入るフォワードというのも頷ける。

 ――7年前、僕が日本を出る日に、ユータは空港で僕に叫んだ。俺はお前が世界のどこにいても名前が届くような、すごいサッカー選手になる、と。

 マイがジュンイチの側にいてやってくれ、という僕の言葉を守ったように、ユータはその言葉のためにここまでやってきたことも、僕はある程度感じ取っていた。僕が日本を出た直後の、Jリーグに臨むユータの事を僕は調べたが、それはまるで鬼神が取りついたかのようにサッカーに打ち込んでいたという。あれからユータは覚醒した、と、サッカーマガジンは(こぞ)って記事にしている。

 ――あの頃の言葉をユータは守ったっていうのに、僕ときたら……

「うおっ」

 そんな思考を巡らせていた僕は思わず声を上げる。隣にいるユータが僕の肩に手を回して、顔を近づけてきたからだ。

「まったくびっくりしたぜ。俺のブログに『ホタル』って名義の人間が、当時のことをやたら詳しく語ってて、最後に『いつか日本で会おう』だからな。日本のジュンに連絡したら、ジュンの所にもケースケから電話があったって言うし……」

 そう、僕はユータのブログにそんな書き込みをした。まさかチームに電話して、個人宛の電話をつないでもらえるとは思えないし、手紙を出しても届くのは5日以上かかる。だから一番早いユータとの連絡手段がそれだった。

「まさかこんなに早く日本に帰ってくるとは思っていなかったから、今はそれで十分だと思っていたんだよ」

「はは、しかし、ジュンが5日後にお前に会うってのに、俺がリーグ終了後じゃ、何か負けた気分じゃねぇか。だったら俺も同じ日に会いたかったからな」

「……」

 中国の故事だったかに、友のためなら千里の道でも駆けて、すぐに友の前に馳せ参じる、なんてのがあった気がする。

 勉強の嫌いなユータはそんな故事を知りもしないだろうけれど、それをやってのけた。罰金まで払って。

 傍から見たら、大人としての責任を放棄した大馬鹿野郎だろう。

 だが――それを叱る気にならない僕は、甘いだろうか。


久々に、サッカーの用語解説補足…


三冠…Jリーグでは、本来のリーグ戦、J1チームがワールドカップ方式で当たるカップ戦のナビスコカップ。プロに混じって社会人、大学チームも参加する総当りトーナメント、天皇杯が基本的に三大タイトルとされる。


ACL…AFC(アジアサッカー連盟)主催の、アジアチャンピオンズリーグの略。アジア各国リーグの上位クラブだけが参加できる、アジアサッカーで最も権威あるカップ戦。日本ではジュビロ磐田、浦和レッズ、ガンバ大阪が優勝経験あり。


UEFA…欧州サッカー連盟。第二部でチラッと出たJFA(日本サッカー協会)のヨーロッパ版。


CL…UEFAチャンピオンズリーグの略。UEFAが主催して行うヨーロッパの各国上位クラブが戦う、世界一のレベルと権威を誇るカップ戦。ヨーロッパのクラブにとって、自国のリーグ制覇よりもはるかに価値のある大会。


スクデッド…イタリア、セリエAを優勝したチームを、俗に「スクデッドを獲得する」という。スクデッドとはイタリア国旗の描かれた盾形の紋章のことで、優勝チームは来シーズン、ユニフォームにこの紋章をつけることが許される。



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